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霧来川・三条は平家の落人集落ではない③

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話はずっと昔にさかのぼりますが、、、

「越後に砦を築いていた豪族で「三條掃部頭兼任 サンジョウカモンノカミカネトウ」
という人がいました。その一子、道明は京に上って宮仕えをしていましたが、、、これ
は源頼義の時代だと聞いております。」
*注 前九年の役(1051~1062。12年にわたる奥州安倍一族との戦い)

まるで 郷土史家に歴史談義を聴いているような気分になり、ノートにペンを走らせま
した。

「ところが どういう事情があったのか細かいことは分かりませんが、京を追われる身
となり、止む無く越後に帰ることとなりました。しかし何かの事情で敵と狙われること
になったらしく、ついに三条にもいられなくなり行方をくらましてしまったのです。」

「ところで 私の家は”三条”という苗字を名乗るべき家筋だったのです。それはお話し
た三條掃部頭は私の遠い先祖にあたっていると確信しているからです。私の家では死後
は代々生前の名に”道明”の二字をつけることになっており、三條掃部頭道明とも符合す
るからです。なお以上の事情に関連して清次さんの家では下山(シモヤマ)、源次郎さ
んの家では丸山の姓を名乗るのが本当だとお互い信じているのですが、前にも話した事
情もあって心ならずも栗田の姓を名乗っております。」

こう話した新吉さんはいかにも感慨深気な面持ちでした。

「それはさておき、三条へはまず私ども三人の先祖が落ち着いたことになっており、そ
こは現在の場所ではなくて、村から十町余り北に寄ったところで、今みんなで一反歩あ
まりの田圃になっている所らしいのです。
持ってきた書き付けや刀などもあったのですが、見つけられると思ってもみない災難が
降りかかる心配もあるということで名主が持って行ったと聞いています。」

「私は若い頃から栗田家に出入りし心安くしていますので、栗田家の許しを得て、土蔵
の中を見せてもらったことがあります。もちろん若い人が立ち会っての上ですが、残念
ながらそれらしいものは何一つありませんでした。」

こう話をした新吉さんには憮然とした表情が感じ取れました。

「私の村へ訪ねてきた来た人は面白半分に あれはどう、これはどうと根掘り葉掘り聞
こうとするのですが 私はそっぽを向いて答えたことがありません。でも今日は別です。
先生から注文を受けたわけではありませんが、私の村人が用いている特殊な言葉があり
ますから 公開しておきます。」

「私の村には以前に”あじゃ”という言葉がありました。これは”なぜか?”という意味です。
それから父のことを”とと”、母のことを”のの”と呼んでいました。ととはどなたも見当が
付くと思いますが、ののは三条以外では聞かれないと思います。そればかりか どこか
「京訛り」のような響きを感じませんか?」

「今は極端ではなくなりましたが、三条の言葉には特異な尻上がり調のフシが付いていた
ものです。これはウグイス言葉などといって私どもはからかわれていたものです。三条言
葉には軽快な”京訛り”が残っていたとも考えられます。したがって 私は卑屈になるどこ
ろか むしろ誇りにさえ思っているのです」

なお 新吉さんは 最後に次のように付け加えてくれました。

「世間の人は 三条は平家の落人の隠れ家だなどと勝手な推測をしているようですが、決
してそうではありません。あるいは平家以外の敗残武者に属しているかもしれませんが、
ともあれ 京都とは密接に結びついていることは確かです」

と、思ってもみなかった三条に伝わる物語りを聴くことができました。
新吉さんは数年前、東京で生活しているご子息に看取られて大往生なさったと
聞いております。感無量です。

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by tabilogue2 | 2015-11-21 14:51 | 会津・越後 | Trackback | Comments(0)