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大山越 ③

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津川町 会津藩の西の要衝・津川の街並み
棟梁の粋な造作と 雪除けの「トンボ」(*雁木)




暮らしと峠

奥会津から越後へ越す峠道は 南から六十里越、八十里越、御神楽越、貉ヶ森越とあり 
六十里、八十里はそれぞれ六里、八里を歩いて越後の村落に抜けているが、「大山越」
はそれらの半分以下の三里で越後の村落に着くことが出来た。ちなみに金山谷の北部か
らは袴腰、九才坂峠、大倉越などの峠が交易で使われていた。

ここ金山谷の人たちは「大山越」を利用していた。日常全て、足に頼った時代の極めて
大切な道である。当時、十五歳にもなればこれらの峠を越えて往きは金山谷の産物 麻、
青荢(アオソ)を背負い、帰りには塩や昆布、魚類を日帰りで背負ってくる。
この仕事ができて初めて一人前の男として認められた。

金山産物・・・大豆、小豆、ながらし、紙、稗、木の実、麻、青苧、苧麻(カラムシ)
入荷魚類・・・塩鮭、塩鱒、昆布、数の子、棒鱈、鰊、身欠き鰊、田作り、鯨、

また只見川の筏師も長い櫂棒を背負って、十数人の集団で大山峠を大塩・滝谷へ戻って
ゆく姿も見られたそうだ。雨の降る時期、材木搬出は活気があったらしい。柳津の虚空
蔵尊の御柱は霧来川の良材を伐り出し、雨の多く降る梅雨時に只見川に流したそうだ。


生活用具について・・・  *「会津学研究会」 ヒロロの資料の項より抜粋

自然木の又・棒・根曲がり部分、シナノキ・オニグルミの樹皮、ヒロロ(ミヤマカンスゲ)
ガバ(カバ、ガマ)の草本類など天然素材を巧みに利用して手作りされたものが多い。

豪雪地帯のため竹が自生できず、その代わりにマタタビやヤマブドウの蔓を利用したもの
が多数みられるのも特色である。

コシカゴ(腰籠):ワラやヒロロで袋状に編んだカゴを、ひもで腰に結び付けて、採取し
たゼンマイを入れる。縦四〇センチ、横六〇センチほどの大きさが一般的である。

ショイカゴ(背負籠):採取したゼンマイが、コシカゴにいっぱいになると、ショイカゴ
という大きなカゴにつめかえる。そして、空になったコシカゴをつけて再び採取に歩く。
ショイカゴは縦六〇センチ、横九〇センチくらいあり、ワラやヒロロなどで袋状に編み込
んだもので、これをニナワ(荷縄)で背負って運ぶ。

アミガサ(編笠):仕事中の日除けにかぶる笠。ヒロロやクグを材料とし、アンブ(編符)
はシナッカワで編む。田の草取りやクリ拾い、キノコ採りなどの山歩きにかぶる。スゲ笠
よりも丈夫であり、幅もせまいので重宝された。

ミノ(蓑):雨や雪を防ぐために着用するが、そのほかにも物を背負うときの背当て、休む
ときの敷物など用途は多様だった。ヒロロで編むが、背当ての部分にはシナッカワや布を織
り込んだりする。ミノクビ・アマブタ・背中の順に編んでいく。
ミノ作りは冬の男の仕事で、一着作るのに三日ほどかかった。ヒロロは秋彼岸ころ、山から
採取しておき、陰干しにして冬まで天井に保管しておき、冬になって湿らして編み込む。
完成したら、春の雪上でさらすか、雪解け水に一週間か十日ぐらい浸し、よく乾燥させてか
ら使用する。さらさないと、入梅のころカビが生え、長持ちしないという。


山都町で草類で最も民具に使用されているものはヒロロであろうか。ヒロロは山の湿った地
に生えており、主に蓑を作る。土用をすぎると抜けなくなるので土用前に抜き取る。山から
採ってきたヒロロは、青いままで保存するのがコツであり、陰干しにして乾燥させる。

蓑作りは主に冬に行い、霧ふきをしながら作る。できたら雪を上げてさらすと青みがとれ白
くなる。また編み布がしまり丈夫になる。猟師たちが作りかぶる「ミノブシ(蓑帽子)」と
呼ばれるかぶり物も、雪がつかなくてよいのでヒロロで作る。

衣料として用いられたイラの皮(イラソ)は蓑の編み布や下駄のはな緒に使った。これは十
月末から十一月はじめ頃に採る。霜にあたらないと弱いという。モワダ(シナノキ)は水に
弱いが、イラソは水に強いので、オソフキの先をよったりするのにも用いられた。



バンドリについて・・・

会津では古来、猟師や猟を「テッポゥブヂ」と呼んだ。そして山に棲むムササビをバンドリ
と呼んだ。晩方になると飛ぶからか? 晩方になると鉄砲で打ち獲るからか?晩の鳥、晩獲
り、かもしれないが。

バンドリ名人に言わせると、一晩に8羽獲ったそうだ。ムササビの毛皮は高値で売れ 米一
俵になるといわれた。晴れた十五夜の晩には胴巻きに蕎麦かき餅をたっぷり入れ、大山越を
山ノ神まで往復しさらに岳山まで歩いたという。暮らしの峠だった。















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by tabilogue2 | 2015-11-28 00:53 | 会津・越後 | Comments(0)