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2015 総括

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ヒメシャクナゲ





早いもので 今年も総括する時期に・・・。夏山再開5年目、雪山再開3年目。

① 概括
今年はサンデー毎日の恩恵で 登山計画は余裕でこなせた。
快晴で気持ちの充実したときに山行すれば良いので とても楽ちんだった。
② 天候
雨の日に歩いたのは1日だけ。小屋泊まりの翌日が雨という結果的なもの。
42日の登山日数のうち 41日は曇りか晴れの天気だった。
③ テント(泊)
前泊したので ゆっくり山に親しむことが出来た。小屋泊まりも平日なので余裕だった。
山岳テントを新調した。テントを担いで…どこかへ!夢想中。 徘徊老人じゃないよ(笑)
④ 好みの山域
絞れてきた。初登で神経を使ったのは「飯豊北部」のみだった。
・今年は「朝日」「飯豊北部」「南会津」「裏岩手」を選び、登ってきた。
・同じ山を登山口や季節を変え 2年続けて登ってきた。このメリットは大きい。
・来年も同じ山域で、テント携行・・・、それが自分らしい登山スタイルだと思っている。
・アチコチの山に登ることはしない。経験知のない山は下調べが複雑になるから。
・横っ飛びに名山を追いかけることはしない。肝心なそれ、つまり自分の性格に合わないから。
・1000m以下の山には登らない(無雪期)。もっと年老いてからでも 里山なら間に合うから。
⑤ 年間計画
計画を立て、公開して自分を縛り、一年を歩きとおせた。
昨年同様、やると決めたらやる!、計画は ほぼ貫徹できたと思っている。
⑥ 反省
もっと幕営山行を増やさないと 真の「山」は味わえない。
小屋泊まりにせよ幕営にせよ、ソロ山行には「装備重量」「食事量目」「対孤独感」も含め
高年齢なりに「耐久性能を上げる」ことは絶対・必要条件。自己の 限界を知って、維持すること。
⑦ 課題として・・・
古巣YMCA山岳会に戻らずに、「中高年の山歩きの会」に入会しようかな?・・・と思うことがあった。
移動に単独行の限界を感じる。さらに縦走計画ができないなど 配車、長距離運転に問題が多々。
「互いに」学習したり技術を高め合ったり「共同で」訓練したり合宿したり、同年代だから何かと楽しそう。
⑧ 山行データ
◆今年登った山? (延べ日数 42日)
宮城の山・・・ 泉ヶ岳(2) 二口(5) 蔵王(2)栗駒(1)
山形の山・・・ 栗子(2)面白山(5) 神室連峰(1) 朝日連峰(7)飯豊連峰(4)葉山(1)月山(3)
福島の山・・・ 吾妻(1)安達太良山(1) 尾瀬(4)*燧ヶ岳回避!
岩手の山・・・ 焼石(1)
秋田の山・・・ 秋田駒(2)*噴煙忌避!
2014年は神室連峰を中心軸にし、2015年は朝日連峰を中心に据えた。2016年は朝日&飯豊連峰になろうか?
◆今年の目標 1・・・毎月、2つ登る!
ほぼできた
延42日
◆今年の目標 2・・・山中泊で!
ほぼできた
山中泊 10日・・・小屋泊8(食事つき小屋2)・幕営2・車中泊0・焚火泊0
山岳テントを新調した! これが大きい、前泊でアプローチできた要因
◆今年の目標 3・・・山域を絞って!
ほぼできた 
朝日(小屋泊) 飯豊(小屋泊) 南会津(幕営) 裏岩手(小屋泊) 
神室&二口(日帰り)
◆残雪期
7回
*冬は車がない。JR仙山線で面白山・市営バスで泉ヶ岳に通った 来年も同じ
◆いけなかった山
平ヶ岳、吾妻・谷地平小屋泊、
◆歩けなかったコース
角楢ベース、赤鼻幕営での循環ルート
◆連泊縦走
飯豊での2泊以上 > できた
朝日での2泊以上 > できなかった(大鳥池小屋に行けなかった)
裏岩手の2泊以上 > できなかった(八瀬森小屋に行けなかった)
◆初体験・・・飯豊北部(足ノ松尾根・新潟からのアプローチ)
◆山料理・・・
今年の定番 ( グリーンカレー、ミネストローネ、肉うどん、ミートソース、ラーメン)
来年は 晩秋に鍋
◆紀行文・エッセイは・・・今年も秋・冬に書く(ほとんど会津関連)
活字を読む! 長文を忍耐強く完璧に読破する! 
奥会津の日常生活・暮らし向きを学ぶ・・・「会津学」
写真 もっとスナップする! 山ばかりじゃダメ、「暮らし向き」も撮る!
⑨「健康管理」
体重 68kgと現役時代のベストに戻った。血圧 120前後になった
血液検査では血糖値が 110、HbA1c指標が 5.7%・・・と良い数値(2ヶ月毎の循環器科定期健診)
今年は大酒を飲む機会がなかった(勤めを辞め ストレスがなくなったから?)
「週一休肝日」を継続する(来年は休肝日週3、できて当たり前!になる)
* 煙草は60歳の誕生日に禁煙を誓い 翌日から止めた。 一本も喫わずに5年になる。

⑩来年の山
1月・・・面白山
2月・・・栗子山-七ツ森、南面白
3月・・・不忘山、吾妻山、泉ヶ岳
4月・・・大東岳、山形神室
5月・・・雁戸山月山屏風、不忘
6月・・・飯豊・朳差田代-帝釈平ヶ岳連続
7月・・・鳥海・萬助小屋、朝日・障子鬼怒沼-黒岩山
8月・・・燧ヶ岳新島々-徳本峠、角楢-蛇引尾根-平岩-祝瓶
9月・・・三面ダム-相模山-狐穴-二ツ石-天狗、大日杉-大日岳、佛性池小屋(泊)撮影山行、山形神室
10月・・・吾妻・谷地平、箕輪飯豊縦走、朳差岳、湯ノ台-千畳ヶ原-秡川、餓鬼山、櫛形山
11月・・・二口渓谷、雁戸、新庄神室

●月2回ペース 日帰り山行(12日) 泊まり山行(24日) 延36日ほど計画する
●沢登りを4回 二口山塊の沢弁慶山・中野俣峡谷の沢正しい権現沢仏沢
⑪来年の小屋泊・テン泊
飯豊北部・朳差~門内、朝日縦走・酒田-左沢♨、裏岩手(2泊)、平ヶ岳(2泊)、谷地平小屋(泊)

⑫18歳から
山を登り始めて・・・もはや 47年か? 語れるほどの山、そんな年齢になったということかな。
若手の皆さんが現在進行形で味わってる事、今感激してる事などは とうに味わってきた。
小学生でも歩ける「安全な北ア」は毎年夏休みに登ってきた。未達は五竜-鹿島、烏帽子-針ノ木-赤沢。
山岳会で沢も雪山も人並みに登ってきた。夏道なら今後70歳まで、と思っている。
そこから先は「里山歩き」「電車の旅」「会津の暮らしを尋ねる旅」、、、農家民泊で。
⑬車関係
意図して遠ざかりつつあるのだけれども・・・その意図を後輩の誰が知りえているかは謎。
「心の問題」なので後輩が自覚しないことには ダメかも。
それと、レースもしない サーキットも走らなくなっているのに・・・いつまでも 車、車、と騒いでも 
自分にとっては意味がないように思えてきた。

車という「文明の利器」とつきあってきたが、根本の「文化」を理解するということが車世界にはない。
戦争という「文明の果て」を考えるといった「根本的なこと」が 車の世界にはない。
戦争のために車という乗り物が研究され発展してきたにもかかわらず である。
それは文明との付き合いでしかなく 悪く言えば「旧車の持ってる価値」とつきあっているようなもの。
もう限界かもね。原付のボロカブを弄っている方が よほど楽しい文明との付き合いだと個人的には思う。
⑬写真関係
今年は 真面目に撮らなかった!と言える。 Nikon F3を一度持ち出しただけ。
ほとんど Fujifilmのミラーレス一眼で済ませた。「カメラも軽量化」に完全に移行した。
重いレンズ抱えて 山ンのぼっても疲れるだけ・・・、軽いカメラが一番! つくづくそう思う。





















Commented by andanteeno at 2015-12-02 13:14
素晴らしい~っ!
あえて、言って(宣言して)やる(実行する)・・これ、我らが年代には、特に重要な要素ですね!
こうでもしないと、前半戦の面白くない人生を、後半戦にもズルズル持ち込みかねないので・・ (^^;)
そのためには、色んなことに好奇心を燃やしていかないと、生きていけませんねぇ。
もときちさんの足元にも及びませんが、自分なりのやり方、ペースでますます頑張ろうと思います。
ところで、会津にかなりの拘りをお持ちのようですが、特別なご縁でも? (^^)

Commented by tabilogue2 at 2015-12-02 16:15
> andanteenoさん
こんにちわ。かつて途中放棄、計画倒れが 人生どれほどあったことかw
言うだけ言って やらない っての何度もありましたよね。ちゃらんぽらん。。。
自分で仕組んで自分を奮い立たせてあげないと あかんもんです。
なんといっても 自分の性格は 自分が一番よくわかってますもんで・・・w

はい 会津のキ真面目さ これがとてもいいんです。
究極は 簔の編み方で地域が分かる・・・その程度になりたいものです(笑)
それと昔からの書き付け、古文書がしっかり残っているところなので
調べ甲斐があります。一から学ぶ楽しさ?とでもいうんでしょうか。
とにかく 知らないことだらけなんです。

奥会津の山が とにかく好きなんですよ。。。30年前からです。
Commented by andanteeno at 2015-12-02 20:24
>>もときちさん

なるほど、そうでしたか。
そういう会津の文化・・まさに「会津学」ですね(^^)
会津人の端くれとして、実に嬉しい限りです!
恥ずかしながら、じっくり勉強させて頂きますね m(_ _)m
Commented by HITOIKI at 2015-12-02 23:21 x
総括、読ませていただいて、そのままのお姿を見る思いがしました。最近、「反復」について考えています。一年を振り返り、その反復が明日へと変わるのかもしれません。この冬、カモシカ尾根でお会いできることを楽しみにしております。(今度、テント買う予定です)。
Commented by tabilogue2 at 2015-12-03 10:43
> HITOIKIさん
おお、中高年の総括をセコンドしていただけますか、ありがとうございます。山に遊ぶのであれば、「謙虚に」どのように自身が変化しているか、鏡に映すような仕組みが欲しいわけです。

昨年、一昨年と同じ比較基準が設定されていれば 通過した2年前と通過するであろう来年以降の自分とが如実につかめてきます。いつまでも若く、体力のある自分ではいられません。60代後半と70代とが同じであろうはずがありません。なので解りやすく比較基準を同じに定めたわけです。

自分が自分を解れば、今以上に謙虚に山に向かうことでしょう。体力が落ちたと解れば、テント泊・小屋泊で「登りと下りとを2分割」すればいいだけのこと。中高年になって「もっと多くの山に接したい」といった焦る気持ち?を抑え、「もっと深く山を理解したい」という自分にすげ替えれば 登る苦しさも楽しさに据えかわるでしょうから。

そんなことも判らずに山に向かえば、若かったあの頃と今の自分との差に愕然とし、山を嘆かねばならなくなるだけ。ならば 昔は日帰りだった山を今は2日かけて 時間をかけた分だけ大いに楽しんで「山の新しい味」を噛み締めればいいことだと思います。
Commented by tabilogue2 at 2015-12-04 09:31
> HITOIKIさん
そうだった、HITOIKIさんも ご自身の記事の中で・・・
仙台神室手前の笹平を「ダンゴ平」と読んでましたが、正しくは「ダンコ平」です。
少々 気になりまして、、、今のうちに訂正をお願いしたいなぁと思います。

詳しいことは「霧来川・三条は平家の落人集落ではない②」に記してあります。
Commented by HITOIKI at 2015-12-04 21:07 x
ありがとうございます。さっそく、ダンコ平に訂正しました。ダンコとダンゴでは、まったく意味が違います。教えていただいてありがとうございました。
Commented by tabilogue2 at 2015-12-04 21:32
> HITOIKIさん
気づいていただけて良かったです。惰性で 山に登ってるように思われちゃいますから。
他にも気づかずに ミスを晒したままの「地元ブロガー」が数名います。
何年もミスを訂正せず、ブログに書きっぱなしで 文章を見返すことをしない方がいます。

山名にはイワク、謂れが付き物です。自分も含めてですが もう一度 地名チェックです。。
Commented by HITOIKI at 2015-12-11 23:24 x
気になって、山と渓谷の分県ガイドや昭文社のガイドマップに当たってみましたが、すべて期待外れで、間違っていました。地名も間違っていたら、何を信じていいのでしょうか。自分の目を足だけですか。
Commented by tabilogue2 at 2015-12-12 10:22
> HITOIKIさん
大変な努力で山麓集落の古老からの聞き取りをしたというのは、この現代にいたるまで数名の学者と数名の岳人しかいないという事実を「信じる心」です。先人が歩いて聞き取りしたわけですから・・・昨日今日歩き始めた者がそれを信ぜず何を信じますか?仕方なくガイドマップに尋ねたわけですね? 100ページにわたる「神室岳」深野稔生 著 には、”地形からいえば・・・”と、段々になってる地形を捉えてダンコダイラになってるという一説にも 先人への敬意を払って「前置詞」の如く説明がつけられておりましたが、それは著者の作風・スタイルです。けして、自分の論説が一番だと強調することのない御仁だから 各説を一つ一つ取り上げたわけです。

面白大権現の調査にしても、何故大権現の碑が勝手に移動させられたか?という営林署の身勝手な権益問題も含めて移動させた謂れまでも知っていて、深野稔生氏は「大権現御神体と人々の暮らし」を調査した人です。天童あたりまで出向いて雨乞いの風習や御神体詣・御祈祷の実体などを調べているお方です。そのうえで 営林署の身勝手さを訴えたほどの人です。裏付けの取れていないものを論説に用いる方ではありません。

仙台の某”岳人”さんは、深野稔生氏が調査した「神室岳」の一節をそっくりコピーし、ダンコとダンゴという二つの呼び名を併記してると・・・さも知ったかぶりして評論していますが・・・、「調査」そのものは大変貴重で地味なもので「神室岳」の口語伝承聞き取りの結果を表した書物を評論するというのは 実際に同じように調査した人だけに与えられる権利で合って、コピーをいかにも評論・解説するような似非”岳人”とはまるで違う立場にあるのではないでしょうか?


教養においても、山歴においてもダンチです。ストイックなんです彼は・・・、20年も付きあってきた人でしたから 身近に人柄を知りえております。

何を信じればいいのか?のご質問には 深野稔生氏に手紙を出す お会いして話すのが一番の薬効だと思います。そのまえに図書館で「神室岳」28ページ「ダンコダイラ」を入手されてからにしてください。
Commented by tabilogue2 at 2015-12-12 12:08
> HITOIKIさん
深野稔生氏が調査した一節をコピーし、ダンコとダンゴという二つの呼び名を併記してると・・・評論する方もいるようなので その点で補足します。

深野氏が取り上げた史資料の中で・・・
「久野の文中にも濁らずに記されており、一説によると平状が段々に広がっているので「段コ平」とされている」の部分です。
久野久は旧制二高時代に「雁戸山より関山峠まで」という一文を二高山岳会報(昭和7年)に寄せていると深野氏は記しています。つまり、その論文のさらなる推敲、「ダンコ」についても学術的にも、山岳史的にも調査し、聞き取りもし 深野氏が「神室岳」にて論述を試みたわけです。

その歴史的な系譜を見ずに 皆一様に並べてさらに私見を軽々と加えるなど とてもできません。仙台の某”岳人”はその二高時代から流れる時差をさも昨日のように捉え、私見を並べたてました。山岳史的観点から見ても根拠を持たない私見を登山史の先人と肩を並べて述べるのは如何なものかと思えます。そんな観点からガイドマップに考証も経ないで載せるという点では罪でしょうね。

私がYMCA山岳会に入会したきっかけは深野稔生という氏の存在があったからです。その名は全国に知れ、私にも伝わってきておりました。同じ山岳会に在籍し彼の人柄を知りえておりますが、「物事の理を知らぬままに、前に進むことができない」性分かな?そんな彼です。

図書館で「神室岳」28ページの「ダンコ平」を入手されてから深野稔生氏を訪ねてください。おそらく それ以上の収穫がたくさん背負えぬほどあろうこと この私が保証いたします。
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by tabilogue2 | 2015-12-01 16:56 | mount | Trackback | Comments(11)