2015年 12月 01日
2015 総括
早いもので 今年も総括する時期に・・・。夏山再開5年目、雪山再開3年目。
① 概括
⑥ 反省
宮城の山・・・ 泉ヶ岳(2) 二口(5) 蔵王(2)栗駒(1)
山形の山・・・ 栗子(2)面白山(5) 神室連峰(1) 朝日連峰(7)飯豊連峰(4)葉山(1)月山(3)
福島の山・・・ 吾妻(1)安達太良山(1) 尾瀬(4)*燧ヶ岳回避!
岩手の山・・・ 焼石(1)
秋田の山・・・ 秋田駒(2)*噴煙忌避!
◆今年の目標 1・・・毎月、2つ登る!
ほぼできた
◆今年の目標 2・・・山中泊で!
ほぼできた
◆今年の目標 3・・・山域を絞って!
ほぼできた
7回
*冬は車がない。JR仙山線で面白山・市営バスで泉ヶ岳に通った 来年も同じ
◆いけなかった山
平ヶ岳、吾妻・谷地平小屋泊、
角楢ベース、赤鼻幕営での循環ルート
◆初体験・・・飯豊北部(足ノ松尾根・新潟からのアプローチ)
今年の定番 ( グリーンカレー、ミネストローネ、肉うどん、ミートソース、ラーメン)
来年は 晩秋に鍋
◆紀行文・エッセイは・・・今年も秋・冬に書く(ほとんど会津関連)
写真 もっとスナップする! 山ばかりじゃダメ、「暮らし向き」も撮る!
1月・・・
8月・・・
9月・・・三面ダム-相模山-狐穴-二ツ石-天狗、大日杉-大日岳、佛性池小屋(泊)撮影山行、
11月・・・二口渓谷、雁戸、新庄神室
あえて、言って(宣言して)やる(実行する)・・これ、我らが年代には、特に重要な要素ですね!
こうでもしないと、前半戦の面白くない人生を、後半戦にもズルズル持ち込みかねないので・・ (^^;)
そのためには、色んなことに好奇心を燃やしていかないと、生きていけませんねぇ。
もときちさんの足元にも及びませんが、自分なりのやり方、ペースでますます頑張ろうと思います。
ところで、会津にかなりの拘りをお持ちのようですが、特別なご縁でも? (^^)
こんにちわ。かつて途中放棄、計画倒れが 人生どれほどあったことかw
言うだけ言って やらない っての何度もありましたよね。ちゃらんぽらん。。。
自分で仕組んで自分を奮い立たせてあげないと あかんもんです。
なんといっても 自分の性格は 自分が一番よくわかってますもんで・・・w
はい 会津のキ真面目さ これがとてもいいんです。
究極は 簔の編み方で地域が分かる・・・その程度になりたいものです(笑)
それと昔からの書き付け、古文書がしっかり残っているところなので
調べ甲斐があります。一から学ぶ楽しさ?とでもいうんでしょうか。
とにかく 知らないことだらけなんです。
奥会津の山が とにかく好きなんですよ。。。30年前からです。
なるほど、そうでしたか。
そういう会津の文化・・まさに「会津学」ですね(^^)
会津人の端くれとして、実に嬉しい限りです!
恥ずかしながら、じっくり勉強させて頂きますね m(_ _)m
おお、中高年の総括をセコンドしていただけますか、ありがとうございます。山に遊ぶのであれば、「謙虚に」どのように自身が変化しているか、鏡に映すような仕組みが欲しいわけです。
昨年、一昨年と同じ比較基準が設定されていれば 通過した2年前と通過するであろう来年以降の自分とが如実につかめてきます。いつまでも若く、体力のある自分ではいられません。60代後半と70代とが同じであろうはずがありません。なので解りやすく比較基準を同じに定めたわけです。
自分が自分を解れば、今以上に謙虚に山に向かうことでしょう。体力が落ちたと解れば、テント泊・小屋泊で「登りと下りとを2分割」すればいいだけのこと。中高年になって「もっと多くの山に接したい」といった焦る気持ち?を抑え、「もっと深く山を理解したい」という自分にすげ替えれば 登る苦しさも楽しさに据えかわるでしょうから。
そんなことも判らずに山に向かえば、若かったあの頃と今の自分との差に愕然とし、山を嘆かねばならなくなるだけ。ならば 昔は日帰りだった山を今は2日かけて 時間をかけた分だけ大いに楽しんで「山の新しい味」を噛み締めればいいことだと思います。
そうだった、HITOIKIさんも ご自身の記事の中で・・・
仙台神室手前の笹平を「ダンゴ平」と読んでましたが、正しくは「ダンコ平」です。
少々 気になりまして、、、今のうちに訂正をお願いしたいなぁと思います。
詳しいことは「霧来川・三条は平家の落人集落ではない②」に記してあります。
気づいていただけて良かったです。惰性で 山に登ってるように思われちゃいますから。
他にも気づかずに ミスを晒したままの「地元ブロガー」が数名います。
何年もミスを訂正せず、ブログに書きっぱなしで 文章を見返すことをしない方がいます。
山名にはイワク、謂れが付き物です。自分も含めてですが もう一度 地名チェックです。。
大変な努力で山麓集落の古老からの聞き取りをしたというのは、この現代にいたるまで数名の学者と数名の岳人しかいないという事実を「信じる心」です。先人が歩いて聞き取りしたわけですから・・・昨日今日歩き始めた者がそれを信ぜず何を信じますか?仕方なくガイドマップに尋ねたわけですね? 100ページにわたる「神室岳」深野稔生 著 には、”地形からいえば・・・”と、段々になってる地形を捉えてダンコダイラになってるという一説にも 先人への敬意を払って「前置詞」の如く説明がつけられておりましたが、それは著者の作風・スタイルです。けして、自分の論説が一番だと強調することのない御仁だから 各説を一つ一つ取り上げたわけです。
面白大権現の調査にしても、何故大権現の碑が勝手に移動させられたか?という営林署の身勝手な権益問題も含めて移動させた謂れまでも知っていて、深野稔生氏は「大権現御神体と人々の暮らし」を調査した人です。天童あたりまで出向いて雨乞いの風習や御神体詣・御祈祷の実体などを調べているお方です。そのうえで 営林署の身勝手さを訴えたほどの人です。裏付けの取れていないものを論説に用いる方ではありません。
仙台の某”岳人”さんは、深野稔生氏が調査した「神室岳」の一節をそっくりコピーし、ダンコとダンゴという二つの呼び名を併記してると・・・さも知ったかぶりして評論していますが・・・、「調査」そのものは大変貴重で地味なもので「神室岳」の口語伝承聞き取りの結果を表した書物を評論するというのは 実際に同じように調査した人だけに与えられる権利で合って、コピーをいかにも評論・解説するような似非”岳人”とはまるで違う立場にあるのではないでしょうか?
教養においても、山歴においてもダンチです。ストイックなんです彼は・・・、20年も付きあってきた人でしたから 身近に人柄を知りえております。
何を信じればいいのか?のご質問には 深野稔生氏に手紙を出す お会いして話すのが一番の薬効だと思います。そのまえに図書館で「神室岳」28ページ「ダンコダイラ」を入手されてからにしてください。
深野稔生氏が調査した一節をコピーし、ダンコとダンゴという二つの呼び名を併記してると・・・評論する方もいるようなので その点で補足します。
深野氏が取り上げた史資料の中で・・・
「久野の文中にも濁らずに記されており、一説によると平状が段々に広がっているので「段コ平」とされている」の部分です。
久野久は旧制二高時代に「雁戸山より関山峠まで」という一文を二高山岳会報(昭和7年)に寄せていると深野氏は記しています。つまり、その論文のさらなる推敲、「ダンコ」についても学術的にも、山岳史的にも調査し、聞き取りもし 深野氏が「神室岳」にて論述を試みたわけです。
その歴史的な系譜を見ずに 皆一様に並べてさらに私見を軽々と加えるなど とてもできません。仙台の某”岳人”はその二高時代から流れる時差をさも昨日のように捉え、私見を並べたてました。山岳史的観点から見ても根拠を持たない私見を登山史の先人と肩を並べて述べるのは如何なものかと思えます。そんな観点からガイドマップに考証も経ないで載せるという点では罪でしょうね。
私がYMCA山岳会に入会したきっかけは深野稔生という氏の存在があったからです。その名は全国に知れ、私にも伝わってきておりました。同じ山岳会に在籍し彼の人柄を知りえておりますが、「物事の理を知らぬままに、前に進むことができない」性分かな?そんな彼です。
図書館で「神室岳」28ページの「ダンコ平」を入手されてから深野稔生氏を訪ねてください。おそらく それ以上の収穫がたくさん背負えぬほどあろうこと この私が保証いたします。