コメカボイ、クチグラシ、クチカマド

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しばらく更新すねえでいたもんだったがら~昔の記事を前にもってきてみだぁ
ちょっくら 読んでみでくんち~♪  

次の登山は東吾妻なんだげんと 鎌沼の雪 解けでっといいな~♪
東吾妻から鎌沼の写真とっかな~ て思ってんだげんちょ
どんな あんべえだべがぁ?

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*会津学研究会」とは? たとえば・・・こんなところ。。。



奥会津・昭和村で 節約することを「カボイカタ」という。
現代の言葉に言い宛がえれば、”かばう”「庇う」に該当する。

集落の周囲の山(コナラ林)を伐り、薪を燃やし、湯を沸かす・・・
風呂のことだが、新しい水を張った風呂は「あらゆ(新湯)」といい、
翌日にまたその水を汲み変えずに湧かせば「たてかえし」。
三日目に水を入れ替えると「二晩でたてかえす」という。

新湯は 熱量を必要とすることから薪の使用量が多くなる。
「たてかえし」は新湯より薪の使用量も少なく、また使用する水も量が少なくなる。 
我が家だけで風呂をたてずに、村の家では数日おきに風呂をたてることとし、
そのかわりに 隣家に「もらい湯」に行くことも多かった。
そうして集落全体で使う薪を節約した。
これを「木をかぼう」といった。(木をかばう。薪が減らないようにする) 

県北の福島でも同じ。
福島では「たでげえし」と言っていた。
あら湯は「シンキ湯」とそのまんま呼んでいた。
家と分家の関係筋では本家に風呂を貰いに行った。

木をかばう 米をかばう… とは、
誰の立場で 何を 大切にしているのか?というのがわかってくる。


米の減りを少なくするため、トチの実をアクだしして混ぜる。
それを「コメかぼい」という。
ダイコンの葉を乾燥させて、コメに混ぜる「カテメシ」もよく食べられた。
主食である穀物、とくに米を節約する。
秋に収穫した米など穀類・野菜を節約するために、男衆は冬期間に地域外に出て暮らす(出稼ぎ)

そのことで自家の穀類等は減りが少なくなる。
こうして自家の「米を節約する」のである。これが「出稼ぎ」の主目的であった。
「雪が降ったから コメカボイに行ってくっかあ、、、、」と語られていた。 

戦前までの出稼ぎの目的は自家の「食料の節約」であり、
「得られる労働報酬よりも 冬期間に他地域で寄食することに主たる目的があった」。
それは「会津の茅手」と呼ばれた茅葺き職人としての出稼ぎでもあったろうし、
漆器商人としてでも、あるいはホイド(物乞い)として
無雪地帯を冬のみ、物乞いして歩ということでもあった。
そして 雪の解ける春先に集落に帰るのである。
南会津郡はまわりが山ばっかりで 田畑の耕作面積が限られ 
なかでも 水耕田となる土地はごく限られた地域だけ 他は自給する野菜畑だ。


*会津学研究会」とは こんな伝承・記録を今の世に遺している集まり

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ここからは 私、もときち本人の小さい頃の話(´艸`)

福島・伏拝(ふしょおがみ)の母の実家では・・・暮れにホイドが家々を回ってくると、
必ず裏木戸に回るように声をかけて 
婆ちゃんが黒札(拾円紙幣)と米、豆などを
手拭いを縫い合わせたけの「手拭い袋」にザーッと一生升分けてやっていた。

福島・佐倉の実家では・・・裏磐梯・木地小屋辺りの人が
座敷箒や笊、桶、竹籠などを天秤棒に下げ各家を回って売りにくる。
お袋が庭に出て品定めして、箒は2本、笊や桶は2個つ、
まとめて買って、さらに 米を分け与えていたのを覚えている。

その人たちは 日ノ倉橋という荒川にかかる橋の下で、
ゴザ掛けして仮小屋をつくり煮炊きし寝泊まして 日中は曲物、木地椀を売り歩いていた。
その仮小屋には子供もいたが、学校には通っていなかった。
日たって橋の下に行くと、橋の下のゴザ掛け小屋はなく、
供も、大人も消えていた。昭和35年ごろの話。
小学4、5年生の頃だったな?少年時代。

サンダラボッチ」とかって一種の「不思議」な世界観をもった人たちが暮らす
そんな「文化圏」みたいなイメージがあって、
その人たちは「流離の人」というイメージもあった。
実在するとかしないとかではなく 子供心に湧いた「イメージ」なのだが、、
そのイメージと木地小屋の人たちとをこかで結びつけて見ていたよな気がする。
思えばそれが「差別意識」だったんだろう。
大人が持てば子供の心にも どことなく それがうつる。

それと「牛買いの博労」たちが来ると「女子供がさらわれる!」という噂が流された。
牛を買い集めて県北から県南、宇都宮の方へ牛買いたちが渡り歩くのを
子供心に怖ろしげに「夢想」したこともったかな? 実際に見たわけでもないのだが。

「人さらいが来て サーカスに売られるぞ!」
遅くまで遊んで家に帰らなかった子らをそうやってたちはたしなめたんだなぁ 
って、大人になってフンフンと分かってきたもんだ。

木地小屋部落も、牛買いも、サーカスも 「差別用語」だと知ったのは
「橋のない川」いう映画を見てから のことだった。

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口暮(くちぐらし) 稼ぎのために他国に出て暮らすこと。
「鋤取(すきとり)=働き手の長男」は口暮に出て、、、帰村しないものも多い、、、
つまり食糧が無くなり、生きるために冬期間に家を空ける。
食べ物を得るための行為であるから 物乞い(乞食 ホイド)も含まれると思われる。

伊南伊北(いないほう)地区、現在の南会津郡伊南川から黒谷までの流域では、
「若者どもは 関東へ口竈(くちかまど)にまかり出た」とあり、
冬に「口減らしのために出稼ぎに行く」とのことを言っていた。

「クツギ」  
富山県五箇山の話。明治までは、一人前の若者は「クツギ」に出た。
家に食べるものがなかったので、冬はどこへでも行って 働いて 食べさせて貰う。
クツギに行くと、盆にはたいてい夏着と五尺五寸の白木綿が貰えた。
お盆に家に帰ってきて、この新しい夏着を着るのが何よりも楽しみであった。

・・・とまあ、「奥会津の暮らし向き」がどんなに大変であったかを知る、
「語り伝えられる資料」である。
これらの「学び」をせずに会津は語れないし、
現代生活がいかに飽食をもとに日々暮らしが営まれているのか
知るきっかけにもなる。

伝承を学び知るのが「*会津学研究」の一端と。
当面は研究会の刊行本を読み漁るだけだが。

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以下は「*会津学研究会」の「会津学」による


トチモチ(栃餅)は、「コメかぼい」どいう。
昭和のはじめのころまで、秋上げは三斗五升で一俵。六から七人家内で一冬喰った。
大正期までは耕地整理をはじめ、コメがとれはじめた。大正の十二・十三年ころ開田した。
湯ノ花で田ができたのは百年たらずと言われている。

塩ノ原と熨斗戸は田どころだ。 
うちのジサマはよく「コメは塩ノ原から持ってくっからいい」といっていた。
トチはトチガユ。灰汁に入れ煮たものを、「米入れ粥」にして喰った。

トチモチは、ヤマノクチ(入山解禁*訂正です 日だけで、一から二俵も拾った。
留山(トメヤマ=入山禁止)になっていて、お彼岸のお帰りの日がヤマノクチで、その日から拾える。
トチとカヤノミがそうだった。 
(ゼンマイ わらび きのこ 茅 雑木など 大字単位の地域ごとに入会権を仕切っていた) 


昔から温泉がある。

湯の利用はトチノミのアク(灰汁)だしで湯に浸けた。流水のより早く灰汁がぬける。

共同浴場は三十四人の共有だ。利用している人で掃除している。

正式に集落に加入していない人は除く。一年のカカリ(経費)を払わない人は酒を買う。


イシクラにトチクボがある。

タカモリにもトチがいっぱいある。粉をいって、「トチッケイ」をよく食べた。

ツッツメ(つっつめ)という燃えない丸太、太い丸太を燃やして、アク(木灰)をとった。

アクがたんにぇくなっから、アク抜きに使ったアクを、また、ユルイ(いろり)に入れ、乾かして使った。

トチは何俵も拾ってた。

(1986年2月16日、金山町上野沢 若林武喜さんから聞いた話)


カブの食べ方は、カブ漬け、煮ても食べた。ご飯を少し入れカブ雑炊。

そばがきが中心。煮たカブを温めてそばを入れて練りつぶす。

カブの菜は、干し葉にしてカテメシにするし、おつゆのミとした。

ぜいたくな漬け物として身欠きニシンとカブ漬け。

身欠きニシンは三センチくらいに切って、カブと一緒に入れた。

葉っぱと茎を少しづつつけて、丸ごとつけて八十八夜の雪溶けたあとに食べるものだった。


ダイコンは丸漬けが長持ちした。

茎葉を少し付ける。丸漬けダイコンを千切りにして、納豆や豆腐でよごして食べるととてもうまい。

切り漬けダイコン、古くなって酸っぱくなったダイコン漬けを煮てカラシを入れて食べる

アザキダイコン(辛味大根、 ネズミ大根)。野生のダイコン。

そのタネをこいてきて、畑にまいた。花は六月に紫のが咲いてきれいだ。

荒らしてしまうと出ないが、耕すとまだでる。

ソバに負けない。塔がたっても食べれる。とってすぐ水につける。空気にあたると硬くなる。

からい、硬いので福神漬けの材料にはよい。

アザキダイコンは、外皮が固くて百年も腐んね。弘法様のお授けだ、なんていう。

食糧難のころ(戦中・戦後)、カテにしてよく喰った。

タネになる前に、おひたしにして喰ってもよい。


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この記事は 2015/12/03 ブログにUPした









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by tabilogue2 | 2017-04-21 10:14 | 会津学 | Comments(0)