何のために 登るの?

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南会津・田子倉ダム村杉半島にて、横山よりダム湖越しに浅草岳・鬼が面山を臨む
GW4泊5日、20キロ超のザックを横に置き 山旅のメモを録る今出さん
ラクダシャツが印象的な、「奥羽山脈冬季単独縦走」を遂げたYMCAの鉄人だ



皆さま 本年もよろしくお願い申し上げます
(喪中につき 失礼いたしております)


年頭に当たり、自分の「山の捉え方」を述べてみたいと思います 
長文・・・!?、不慣れ・面倒くしぇっ て 御仁はパスしてくださいね
無理して読んじゃうと 既成の考え方とぶつかり頭が混乱しちゃうかも♪

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ふた昔も前ならば、、、
電車とバスとで登山口の民宿に一泊し、それからニ泊三日の縦走をおもむろに楽しんで下山したものでした。その際、下山口の温泉地にも野営し、また夜行列車とバスとで帰宅したものです。さらにもっと以前ならば、深田久弥の百名山にも書かれておりますように 入山に際して町場から登山口まで2日をかけ、下山口から町場までも2日を要した とありますので 交通面では難儀だったようです。山も一大決心しないと入山さえも怖じ気ずく、冒険心がないと困難に立ち向かうことも敵わない、そんな時代だったんでしょう。実際にそんな「さすらいの旅人」風な登山スタイルが多かったのです。 そうです、その昔 山は「旅」そのものでした。大袈裟に言えば、全山縦走という「山旅」に出たものでした・・・最悪の事態を覚悟もして。

「海から山へ」、、、
亡くなられたYMCA山岳会の岸先輩は「海から山へ」のエッセイを多くしたためられました。秋に発表される彼の「紀行文」が毎年私の楽しみでもありましたが、趣向の変わった?その山行記は決まって「海」から始まりました。 盛夏、海から山へと向かう道中で、見知らぬ「旅人」である自分に声をかけてくれて、触れ合った地元人との心温かな交わりに 彼はドンと背中を押されて山に登ってきた とも、「海から山へ」シリーズの根っこがそこ(人情や旅情)にある とも、仰っていました。

一つの山旅が、、、
かつて 一つの山旅が「人生讃歌」の一遍に加えられた瞬間がそこここにありました。海から…、不便を乗り越えて旅を続け、世間の多くの事象と触れ合って、車中の、旅の宿の、その時その時の旅情を味わい、人生観に備わる何かを心に据えることができたようです。でもこの話はたかだか十数年前の話であり、しかも仙台の身近な人の話です。山と触れ、地元の人たちと触れ、旅を続けてこられた岸さんの紀行文には 「旅情」という現代では失われたものを発掘しにいく「旅」、そのように僕は受け止めておりました。

今日ではどうでしょう?
車で誰もが簡単に山に行けるようになり、誰もが「日帰りピストン」する山登りスタイルが主流になりました。世の中が「さすらいの旅人」を拒絶した?かのようです。(スローライフは「奇人・変人」扱いの現代社会、それに抗うには勇気もいるのですが) 山に登ることが一般的になりますと、山はただ「消費されるだけの山」に変わっていきます。だいぶ「山」も軽くなったものだ と率直に思います。 反面、手軽に山に行けるようになった代償として、私たちは山の、山旅の、「旅情」を失うことになりました。

自分の人生だから、、、
自分がいいと思えばそれが一番ですが、そんなに「生き急いでどうするの?」と強く思います。ゆっくり「山旅」を愉しむことはできないの?とも。 自分は18歳で山を覚え、郡山・仙台で山岳会を20数年、仕事の関係で陸に上がって10年程のブランクがあり今にいたって、定年で再び夏道を歩き始め7年目になるのですが、、、山を再開して気づくことは、行き交う登山者の誰もが「同じ顔・同じ匂い」に感じてしまうこと・・・です。

まるで「金太郎飴」、、、。
他人のトレースをコピーするのが当たり前の世になり、「山レコ」のGPSトラックを辿る「他人任せのコピー登山」が横行し、オール日帰り登山?、てっぺんまで登らないとせっかく来た甲斐がない?、なので 雷雨にも歩く?、冒険と危険の違いも分からず?、無駄せず?、遊ばず?、徹夜で「効率優先」?という捉え方、コースタイムが山歩きの基準となり?、行き着く土地に金も落とさず?、薀蓄を垂れる割には山を歩いた「泥臭さ」が感じられない、そんな「華麗臭」漂う人に多く出会うようになりました。

しかもその誰もが、まるで「金太郎飴」のようです。山を再開するまでの、たった10年のブランクですが、日本のお山関係はすごい様変わりになってしまったようです。メーカーに踊らされ、山ガールが雑誌”山と渓谷”に囃され、さらに一家に一台のネット社会、一人一台のモバイル社会で、一律に同じ方向に走った結果がこの始末かと思っております。山に登る登山者はすっかり「個性」を失ったといえます。

この現象はつまるところ・・・、
しがない初心者向けガイドブックや、他人のヤマレコや、他人のGPSトラックで・・・、メーカーの宣伝もその一つの因子なんでしょうけれど、「右向けっ 右!」の号令一下、皆な一斉に右を向くってことになるわけです。少しヘンじゃないですか? 自分の「個性」を失うことに通じませんか? 個の存在が否定されてると感じませんか?・・・と、そう思うのです、いかがでしょうか? どうして想像を膨らませないんでしょうか? 僕の言ってることは間違っていますか?



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右から 前毛猛山 中岳 百字ヶ岳 太郎助山 毛猛山 ビンビンに尖った峰々をバックに緊張する



山を深く味わうこと? 
老人はある意味、経験を積んだ「老獪さ」の持主のはず・・・、でも残念ながら、山で出会う中高年人種は画一的であり 平易であり、常に動き回っており、同世代として情けなくも映るようです。40歳になって登山に目覚め、過去の20年を取り戻さんと、少しの時間も惜しい勿体無いとでも言いたげでしょうか? 余生は100名山を登るのに余念がなく、100登れれば幸せで99なら成仏できないとでも言いたげかな?(´艸`) ましてや50を過ぎて山を始めれば負い目もあるというんでしょうか? 山をスポーツ的、高効率的に捉えることが抒情的に捉えることより即座に心に適い、面白いとでもいうのでしょうか? 今の登山者は山の深みも知らず、、、そんな浅瀬で座礁しているか?または”名山”という「落とし穴」にハマっているんじゃないかな?、逆に 彼らに捉えられた山がもつ価値とはその程度なのか?、と登山という概念に根本的な疑問を抱きます。

「山が勿体ない」なぁって、、、
大らかに、山を味わいながら歩きたいと思うのですが 沢から陸に上がれば、自分の周りには抒情を介せぬピークハンターばかりが占めたりします。いつのまにかブログにアップすることがイコール、山に登ったことになっていたり? 自身が感じとった山での感想は「素晴らしい」の一言で終わらせ、あとは素人写真のオンパレだったり? 行間さえもそれで埋め尽くす そのように見受けられます。

理解できない超常現象だ、、、
いったい誰のための山でブログで、何のための山でブログなんだろう?と。して、貴方にとっての登山行為はどのような意義をもつのか?と思わずにはいられなくなります。そんなブログを覗けば、山への思い入れや山での実感がいっさい書き込まれていません。まるでガイドブックのような「無感動で平易な山道案内」と「写真日記」が続くのです。いったいこれで、大人として(言いすぎかもしれませんが?)満足できる何かを捉え得たと言うのでしょうか? 何が深く記憶に残ったといえたのでしょう? 考えさせられました。たとえば、先述した深田百名山は著者深田久弥が山を旅して、感動しそして称えた「山の讃歌」です。けして「百名山の記録簿」ではないはず、、、そのことを読まず気づかずに今日も抑揚なく、起伏のなさで山を語る大人が多いということなのでしょうか? ついつい横目で見てしまいます。

「山を登ること」と「山を旅する」こととは次元が違う、、、
旅もせずに点から点へと ETC特典で「移動」、深夜に現地着でそのまま「車中泊」は彼の計画通り。その計画には地元の文化に触れる時間や 地元の民と交わることなどは予定されませんで、汗と汚れた垢を地元の温泉で落とすだけ。せいぜい、地元でラーメンを食べたと書かれてあるだけ。明日に登る山へ移動するだけの今日の終わり方しか書かれていないようです。その今日の登山さえ既に八合目から始まるわけで しかも 100、200、300を目指すんだそうです。 これって?、一体全体、日本の、今の登山ブームは、、、何なのでしょう? 

「山を登ること」と「山を旅する」ことは次元が違う、、、考えればお分かりになることですが、それに今日も気づかず、単に「移動」し「無感動な記録」の「個性のないコピー登山」を今年も続けるというのでしょうか。 嗚呼、もったいない! 評ずれば、皆一様に横並びの人生でしょうか?、個性と感情の喪失でしょうか? 自分はそう思うのですが・・・言い過ぎてたらごめんなさい。

最後に、、、 
登山ブームがもたらす此等って・・・、先日 豪雪に閉ざされた千歳空港で100人余りが集団ヒステリーに罹り、暴徒と化したどこぞの国の観光客にある意味似てはいないでしょうか? 皆一斉に「右向け~ 右!」、、、エキゾチックジャパンならぬヒステリックジャパンとでも申しましょうか?・・・文明大国の日本ですが、創造的文化という点では まだまだ「惰眠の中」のようです。

オリジナリティ、個性、自分らしさという面は 「右倣えの国民性」の何処に見受けることができると言うんでしょうか?、、、今年は これらを一緒に考えて山に登りにゆきましょうね。



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とまあ 年頭にあたり、チョイと述べてみたくなりました。 
これを携え 本年も山に向かいたいと思います( `ー´)ノ
よろしくお願いいたします。 


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以東岳冬季合宿 茶畑尾根パーティ、、、左から 町田、佐山、今出、佐野、菅原、舘岡、秋山、故佐藤、神崎
偶然、このパーティは会の歴代運営委員長たちで構成された、、、すごいメンツばかりだった
深雪ラッセルを3日間、ただ専らの毎日でついに稜線を得た だが、CLは猛省しきりのようだったが?
                                    撮影:大鳥繁岡にて

そういえば、、、写真の町田くん 彼とは「酒の縁」で今でも繋がっているような?気がするのですが(´艸`)
当時、彼は「早池峰にゴミは似合わない実行委員会」(菅沼賢治会長)の提唱する山頂トイレの屎尿担ぎに
参加していましたっけ、気合がじつに違ってた!こだわる男でした。東北山岳写真家集団にも入っていました
 今は、NPO:川崎-仙台薪ストーブの会会員、宮城県森林インストラクター協会会員とのメールでした                  


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禿岳集中3パーティ 火ノ沢尾根P 水上沢尾根P 花立峠稜線P
前列左から 故佐藤 私 秋山 丸山 
後列 佐藤(芳) 西田 坂本 舘岡 太田 故岸  

当時は 明けても暮れても朝日、朝日、朝日、でした。夏も秋も冬も朝日連峰
時々、こうして禿に登ったりはするけど、頭の中は朝日の銀嶺と緑の谷でした
この時代 YMCAには20代 30代 40代 50代 60代と各世代が打ち解け合って
何とも言えない「黄金期のような」山岳会活動でした。粒選りな会員のあつまりでした。
もう二度と やっては来ないでしょう。











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by tabilogue2 | 2017-01-03 23:29 | mount | Comments(0)