雑感

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雑感


笹谷峠の「ダンコ平」。山形神室と仙台神室の鞍部のことだが、その呼称問題を当ブログでつぶやきだしてから、かれこれ3年になるだろうか? 今、ようやっと「違い」が理解されるようになってきた。

ダンゴではない ダンコが正しい(濁点無用)。ガイドブック、エアリアマップでさえ「ダンゴ」と濁ったまま。でも、それでも一向に構わない。一般登山者についてはダンゴのまま、近代登山史に興味のないものにあれこれ言うつもりはない。必然、歴史を追えば「旧制 二高山岳会」の久野久らが先駆 と、山岳関係者らには言っておこう。その会報(昭和7年、1932年発行)に著され、「ダンコ平」の名が世に知れた最初。一高山の会:柴崎先生も「宮城の名山」ガイドブックに書いていた、YMCA山岳会:深野稔生氏も労作「神室岳」に著していた 一度ご覧あれ。




「ヒザ川の中間尾根」「袖泉とした件
ネットを中心に活動している、知ったかぶりな?、自称「岳人」さんが泉ヶ岳の冠川上流、樋沢(ヒザ)川の中間尾根を「袖泉」だとネットに載せインフルエンズさせてしまった。数年もの間、彼の取り巻きの誰もが「WHY?」「STOP!」を言えておらず、皆一様に「袖泉」と各自のブログに「右倣え!」で書き上げている。疑問を挟む余地など無い風だった。「岳人」さんグループの皆さんは「袖泉」という名称を知っているということで またその名称を使うことで 他の登山者よりも一段上に立つ優越感を抱いたんだろうと推測する。しかしそう簡単には問屋が卸さず、「袖泉」ってなんだろ…?と「旧来の山ヤ」連中にも飛び火し、場所は特定できたのだが、なぜ?何のために?と疑問だらけだった。いちおうネットのことだから…と我々は放置していた。

「袖泉」は 古くからある「北泉ヶ岳」の呼称
「樋沢(ヒザ)川の中間尾根を袖泉と称するのは間違い」と、過ちを指摘する声が「外部」からあがり、検証材料をもとに証明がなされた。ようやく自称「岳人」さんグループ内で 正しく認識がされだし、ブログに記載する者がいなくなった。それまでは 親分に楯突いたら嫌われる?そんな心理が働いたのかな。しかし今に至っても「小山の大将」の口から誤りを認める発言はない。それどころか「誰かが言っていたのを聞いた」と素知らぬ顔だ。ヤレヤレ、さすがのネット人間。潔さがないというか、山ヤの風上にも置けない男だ。

これらの事例が「ネット内コミュニティ」に住む一般登山者たちの平均的「実力」か? 教えてあげようスタイル・知ったかぶり然・虚勢。それゆえに「ネットに記載されていたから」とか「誰かがネットで言っていたから」と「客観性」「信憑性」を持たせて脚色してしまう。ネットという「論拠や確証のない、姓名さえ名乗らぬ無責任な発言」を転用する(そこに悪意が在る)のは正しくない。謙虚にかまえ実力以上の背伸びをしないのが大事だと思う。

「遭難対策」で考えれば簡単に分かるはずだが
現実的な話をすれば、、、「山の世界」は遭難対策の連絡網、「遭難対策連絡協議会」で繋がっている。参加団体や職種は幅広く、医療機関、学識経験者、警察、消防、県岳連・山岳会とガッチリ。 近代登山史、初登記録、民話、歴史、地質、民俗学、植物、実務では 遭難救助、捜索、救急、搬送など専門知識や技術に長けた人たちの集合体だ。捜索に当たっては消防団、山岳会は手弁当で任に当たっている。その遭難対策のエキスパートたちが知るところにない「地名・名称」を勝手につけたりするのは遭難救助、捜索のジャマをすることにもなる。「袖泉」という名称で110番されても捜索隊は到着できない。人命に関わることなので、公認されていない地名をネットで呼称したり、地名プレートを堂々と掲げるのは止めよう。(ついでに「南西尾根」という名称もない 勝手に決めないで!)

それにしても、ネットに疎遠な山岳界の諸先輩がこれらの問題に気付かないのも一因かも。一方、山の歴史や伝統的事柄、遭難対策に疎いネットの民が「仮想の山岳界」つまり「B層のコミュニティ」を形成したことも問題の一因だろう。そのことによって前述したような裏付けの取れない事象が問題化したわけだ。

昔から「ケガと弁当は自分持ち」といわれる山の世界、、、この世界に登場する”仮想の山岳界”の皆さんがたも「下手すりゃ、オシャカ」って現実を忘れないでおこうね。

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話は変わって・・・ 

山は「格式」で登るものではない。「袖泉」のように「ベテラン」だからといって正しいとは限らない。ついでにいえば、、、山は個々人のセンスで登るもの、そして味わうものと思う。「写真家」が撮ったからといって、その写真が個々人の感銘を得るとは限らないし、「登山家」が良い山だと言ったところで同様に個々人もそう思うとは限らない。

自分で歩ける山、惚れた山が2つ3つあって、季節を変えて歩けばその2つ3つの山が突然、魂を揺さぶってくることがある。そんな感動的な出会いのある山がじつは最高な山。「登山家」や「岳人」が教えてくれなくとも「感動」と巡り会えることがあるわけだ。むしろ 感動する心を奪ってしまう「ガイドブック」やベテラン「登山家」の平易なブログなどは「How to」程度にとどめて、自分のペースで山遊びをすることが大事。

自分の回りに一年中通える、惚れた山が2つ3つあれば それこそ自分にとって最良の山。決めるのは貴方個人。登山家も知らない動物の集まる水場や、岳人も知らない実のなる木があることを自分は知っている。そんな馴染みのある山が2つ3つあること それで「山の楽しみ」は充分です。さらに馴染みの山を増やしたいなら1年で2つ3つ登れる山を増やせばいい。一遍にあれもこれもと欲張ってはいけない それこそ事故を呼んだりするから。ゆくゆく…私達は 手持ちの山の少なさに悲観するのではなく、(他人と比べて)少ないと思う「貧しい心」にこそ問題が潜んでいる…という一点に気づくはず。知れば、北アルプスに通うことよりも、もっと大事な山が足下にあることが(それこそ数年後に)分かってくるはず。これは 誰でも罹る病い・・・「充足感」がないと嘆く気持ち これが問題なんです。

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一介の登山者がブログのプロフィールに自らを「岳人」と名乗る方が現れ、「こりゃ 変わった男だなぁ」と当ブログでも2年前に取り上げました。「袖泉」の呼称問題が落着したのを経て関心も薄れたこの頃、、、「あらら…この人 とうとう「登山家」になっちまったよ」と耳にしました。覗いてみると、昨年11月の笹倉山の記事では自分を「登山家」と称しているようです。山岳写真集団にも参加したとも聞きました。そうなると…?次は「写真家」を目指すのかな。岳人 登山家 写真家?…、どうしても自分をカテゴリー分けしたいのか、不思議な感覚の持ち主らしい。単に肩書が欲しいだけなのか? 山を楽しむのに、肩書なんてちっとも役立たないのに。さらに肩書全てが「自称」だなんて、いい大人なんだろうけど 呆れました。

この珍事で関心を集めるのは 「取り巻き」の方々。その資質(イエスマンかどうか?)、どんな受け止め方をなさっておられるのか?一度伺ってみたい。誰かに頼ろうとする心が「岳人」「登山家」「写真家」など、カリスマ性をもたせた「偶像」を生んでしまったんだろう。けど、「威厳」に頼ってしまった自分たちの「弱さ」にお気づきになってるのかどうか? 誰かが勇気を出して言って差しあげないと グループの皆さん方が「裸の王様」を作り上げた温床と指摘されることになる。しかも 自称「岳人」さん本人が気づくまでその「自称の恥」はネットに晒されたままです。

第三者から 「あの人は立派な人格者だ」とか、「名誉」や「褒め言葉」風に使われるのが普通なのに、その「普通」なことを、取り巻くグループの皆さんが「小山の大将」に言って差しあげないと、、、この自称「岳人」自称「登山家」病は死ぬまで治らない。あらためて、、、「皆さん 私は宮城の人格者です」と自分から名乗る人はいません。岳人 登山家 写真家 人格者 山のベテラン リーダー、これらの言葉は第三者から「尊敬」や「畏敬」「威厳」を持って使われるのが一般的。けして自称で名乗る言葉じゃない。

ゆうゆう館に来られている東北山岳写真集団(旧、東北山岳写真家集団ではないらしい 主宰の早川さんが新たにメンバー構成して写真家の「家」を外したようだ)は 早川さん、舟山さん、素晴らしいグラビアを出されたばかりの鈴木さん、それに新人の福井さん(ステッカー戴いちゃった ありがと♪)・・・一度「岳人、登山家、写真家」の定義を聞いてみようかな。







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by tabilogue2 | 2017-02-08 14:15 | アラカルト | Comments(0)