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山岳会の党派性って・・・何? (vol 1 からの転載です)

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ガリ版刷りの「やまびと」特集号。60年の歴史を有する「仙台YMCA山岳会」の会報誌7号は ガリ版(謄写版)印刷でした。

最初におことわりしておきますが、、、たまたま現在所属している関西地方の某山岳会で、運営に悩んでいる後輩のコメントがありました。それに対し、当ブログの vol.1 にて同様の問題を数編、記事にしておりましたので手引きしやすいように vol.2 に転載しました。特に他意はございません。普段通りに、ムダに長い?駄文をお読みいただければ幸いです。特に右フレームにリンクさせた重要な事柄はすべて関連させてあります。

今や発想に豊かさが消え、その代わり「ヤマレコ」「山渓トポ」など他人の記した「トレース」をこよなく愛する?「コピー登山」時代。他人のトレースを追うだけの登山、オリジナルな山の楽しみ方なぞどこ吹く風 。「トレース文化」を愛しネットでの仲間内でインフルーエンスを極める。一様に同じ山、一様に同じルート、一様に似たような写真、一様に同じ時間帯、一様に同じ感想分、一様に皆同じルート案内、一様に同じ標識の写真、、、まるで「クローン登山コミュニティ」だ。ネットの世界は 一般登山者による一般登山者のための「クローン排出ガイドブック」状態だ (´艸`)

極論すれば・・・皆が皆、誰かさんのブログの「コピー」なのに オリジナルぶって書いているだけ。正直つまらない。純粋に「アイツらしい」、じつに「コイツならでは」のオリジナルな感想文なんてお目にかかれやしない。皆が皆、すまし顔のガイドブック風な「抑揚のない書き方」で、時々もっともらしい時代背景や由縁の説明が記してあるけど それさえも「誰かの上辺をコピー」しただけ、マナーとして引用先を書くことも リンクさせもしない・・・これでイイのかなぁ?「クローン登山」の皆さん。

いったい 「自分の山」はどこへ行ってしまったのか? たとえ山岳会であっても組織は「生き物」、世間並みに年々ぶらさがり的な会員が多くなり、「連れてって♪」山行や、美味しいとこ食いの「今風な体質」をお持ちの山岳会員がたくさん増えているかと思います。 最近のこの傾向は「運営側の頭」をすごく悩ませる問題を多々含んでおります。

ましてや中堅が自分の山行スタイル、山域、レベルを変えてまでして「ぶらさがり会員」に迎合しなければならないのか?・・・例えば ”この沢に来ちゃいけない技術レベルの人までノーチェックで付いてきちゃう”、これにはどう対処すればいいかなぁ?と 中堅のリーダーは「若さゆえの思案」を巡らすところ。それらへの対応としては、 レベルに合わせた年間計画で入門編 基礎編 応用編(実際に沢を指定して、パーティのトップ役が務まるかどうかを判断する基準)を作ること それと「参加の可否」基準を会として定めることがとても重要になってくるはずです。

YMCA山岳会の場合はそれらを運営委員会で決定していました。時に 自意識の高さの為か?自尊心故か?会員から嫌われることだってあるかもしれないけれど、「参加の基準」を設けることは組織として必須です。差別やなれ合いでパーティ編成せず、組織を律すること、何より安全登山のために・・・。今の「登山ブーム」、「ネット友だち」や「同好会」などの「イケイケ登山」が続く限りは会運営を厳格にやらないと事故につながるからね。ひとつ事故れば 組織って弱いもので、ずうっと人間性まで及んで後を引くものですから。

私は「呑気な未組織者」になったので「硬派」を貫き通せる(笑) そんな駄文ですがご笑覧ください。



◆会とのつながりは 今もってなお・・・

退会してから15年は経過するが 在籍していた仙台YMCA山岳会から例会報告メールが毎週水曜日に今だに送信されてくる(15年、これはこれで凄い)。運営委員長が西田君に代わってから 会の歴史を知るという点で面白い企画だと思っていたのだが、昭和40年ごろのガリ版刷りの会報誌が読みやすいPDFファイルに変換され3月から送られてきていた。

僕は興味津々で、1号からずっと7号まで目を通していた。特に「宮城県境尾根縦走」というテーマでは 宮城県内の各山岳会に割り当てられた県境尾根を一斉にトレースする、その当時の状況がイメージできるほど。噂には聞いていたけど、現実に読んだのは今回が初めてで、歴史という重みを伴って送信されてくる縁もあってか 一OBとして所属山岳会に敬意と誇りを感じた。同時に「党派性」っていったい何もの?これも併せて考えるようになった。 

山岳会に在籍していた時分には、「我が会は・・・」とか「当会らしさ・・・」とか、外に向かって常套句のように会名を名乗っていたんじゃなかろうか? それ以上に所属山岳会の匂いをプンプン撒き散らしていたようにも思う(笑)  別称で「向心力」とか「党派性」とか言うのだろうけど、一般的に自分の所属する山岳会や会員を「第一義」「至上」と考える傾向にあった。それは一般的な愛社精神なる感覚と同等だ。


◆さて、ここから今日の問題になるが・・・

昨今の山岳会は、会の活動以外に ネットでのグループ形成をも容認する傾向にあるのだろうか?なんて疑問も持ったりする。壁や垣根をいとも簡単に取り払ってしまうネット。そのネット時代の組織・運営の流れなどは特に興味深く観ているつもり。所属している会も大事にし かつネットで得た組織外の個人的リレーションも大事にする、山岳会という組織に籍を置きながらネット社会にも籍?を置く このダブルループをいとも簡単に往き来する器用さに僕は感心してしまう。「組織と個とに並列的に価値を置ける能力」、最近の当世感覚?これが不思議でいるw。優先順位とか 主と従の区別のない並列的に捉える価値観に対し、党派性や帰属性が大事と考える旧タイプな私には理解できない事象と思っている。

また過去に在籍した会での山行歴が (転勤などで)他会に移籍したのちも堂々と個人ブログにて披露されていたり、現在所属する山岳会ホムペにかつての経歴を載せた個人ブログをリンクさせたり、リンクOKとする組織側の判断や、それを善しとする価値感など 私には理解できないものがある。隠す必要は全くないのだが 他会に転属するなら過去の経歴なぞは邪魔でしょうがないだろうに と考える。組織より上に自己を置かない限り有りえない事象と思っている。 ネットの利便性の反面 失われつつある「襟を正す、ケジメ」という律儀な考え方や「テリトリー」の無さこそが問題ではないのかな? 直接指摘されない限り当事者(組織側と会員側)双方とも気づかないようだ。


◆組織型と個人型、このダブルループ問題だが・・・

所属している会の活動領域のほかに個人活動の領域が横並列的にあり、会の記録よりも個人ブログの記述に天性を見出すなどというダブルループな捉え方は、「会と会員」「組織と個人」という旧来の組織論からして本末転倒と僕は考える。会の山行記録が個人ブログと一字一句違わぬというのであれば 組織と個人という観点からみても どうか?と思うし、客観的な記録と主観的なブログという点からも見方や書き方が自ずと違ってくると思えるからである。

また 為した事柄に対する反応が即座に跳ね返ってくるブログの面白さではあるけれども 会員以外への門戸開放が主であれば会所属という帰属性に依拠する本来の組織体系、物事の順序などの「習い性」「指示 命令 伝達」系統が逆さまになるんじゃないの?と心配が大きくなる。

会のホムペに個人ブログをリンクするのは何のため?ということと、 個人のブログと所属会との関わりあいって一体なんなんだろ?って 究極、会の党派性とはいったい何?などと思案することたびたびである。


◆かつて 似たような問題があった・・・「栗駒叢書問題」

似たような問題というのは・・・、個人の知的生産物(個人ホムペや叢書)を「会」という組織活動を踏み台にし達成させようとしたところに無理があった問題だった。「会発行の叢書」にするか「個人の知的満足本」に帰結させるのか到達点が不明確だったこと。最も大きい要因には編者個人の思惑(知的満足)が強すぎ、それを組織的な満足に繋げられなかったこと等が挙げられる。編者の膨らむ妄想と現実組織を動かす実力との間での空回り、つまり叢書製作活動に会員多数の支持が得られなかった結果、「叢書」は会刊行にしないという事態になった。

このことを指すのだろうか?・・・「その後、会報の栗駒山特集を完結させるべく、1992年6月の会山行に再度この沢にパーティを送りだした。しかし、どうも冗長な沢で面白みに欠けるのか、結局記録は出ずじまいだった。会報のありかたに対する議論の発端も、この沢の「面白くもない沢の記録を何故かかなくてはならないのか?」といったことから始まったように思う。」・・・などと個人のホムペに本質を避けた文書を載せたまま現在に至っている。会の動員力を組織的にも質的にも機能させられなかった、挙句この他人行儀な総括はないだろう。会報は発行されずに「季報」となった原因と責任は当時の運営委員長の彼にあったはずなのだが・・・わかっていないのか 本質を煙に巻かねばならんのか 彼のホムペには余計な一文を残したままである。



表現の自由という基本的権利は保証されるべきだが、その為に採られた手法は図らずともよろしくない。会の意向に反し、編者の個人ホムペには見切り発車で「ネット叢書」がアップされた。運営委員会から批判が出たのは当然で、会山行、個人山行問わず記された山行パーティの会員名は全て削除するよう指示された。
会の意向に反しても編者は自己目的のためにネット上に叢書を刊行したかったのだろう。しかし会員の栗駒山行記録を単に叢書の「装飾」として扱うようではとても認められない。むしろ彼個人の研究結果発表の「刊行」を主目的に独り悦に入るような、知的優越感や利己主義は批判されて当然である。求心力もなく単に在籍が長いというだけでは会の運営は任せられない、当時の運営委員会は ネットへの発表を事実として掴んだ後、彼に退会を促しこの問題を決着させた。今 振り返っても当時の規律、会員の任務からみても、党派性・帰属性という点で正しい判断だったと思う。

そんなわけでブログにアップすれば おぼろげな記憶の欠損箇所を指摘されるばかりだが 組織と個人に関して、さらに会を護るということに関して、会員の果たす役割ということに関して・・・ネット時代に抗して頑なまでに組織原則を外したくないと私などは考えるものである。  


◆さらに会と個人の関わりの問題だが・・・、

「会に所属しない人と 時折 パーティを組む」という行為が疑問だ。会に無縁な方と「個人的に交流する」ならまだしも、「未組織者とパーティを組む」?という「踏み込み」を会が認可すること自体、私には理解できない。「同人」であれば理解もするが、山岳会なのだから未組織者とパーティを組むことは「入会前提」のテストケース以外は有りえないと思っている。楽しければ何をやっても良いというのは間違いだ。会に不満足でも会員となった上では会の特色を明確にしてゆくのは会員として当然の義務でもある。

美味しそうな部分のつまみ食いを許すのみなら その未組織者本人のためにもならない。遭難対策の視点でどう考えるべきなのか会として疑問も残す。もしパーティを組んで事故を起こしたなどということになったら、一体どこまで組織は追い詰められてしまうのだろうか?と自分なら考えてしまう。

なまじ 精神的に負担ばかり増えるのではないか? いったん事故を起こせば そこから先は見通しのきかない半生が待つのみだ・・・倫理観念という意味でだが・・・自分は狭量なので楽しさよりもリスクの大きさを先に考えてしまう いかがなものだろう。


◆「組織の壁」、一見 邪魔くさい壁ではあるが・・・

じつは この壁が組織を護ってくれているということにお気づきだろうか? ココが山岳会、組織の人間にとって特に重要な問題なのである。楽しいネットは組織を護ってくれるのか?と言い換えてもよいほどの問題でもある。

山岳会はある意味「趣味の蛸壺」ではあるが、伝統ある会組織であればあるほど基礎をきちんと学びかつ遭対もキッチリやっているもの。彼らは組織を護る不文律な壁を等しく心に持っている だからこそ毎月きちんと会費も納めていると私には思える。組織原則を護ることは自らを護ることと同じだ。会員が少ないと嘆く弱小山岳会であればあるほど、組織の壁をガッチリ組んで 会活動を絶やさず 個人山行を増やし 未組織者を堂々と「勧誘する」ことが肝要だ。

以上の問題点を 山岳会の皆さんは 少しコンサバに考えてみてはいかがだろう? 

既に分かっていることは、、、ザイルを組めば組むほど 党派性の理解は深まる。でも未組織者にはそれが何故なのか?理解されることは恐らくないだろうということ。 何故か、そこが山岳会組織と一般市民との境界線だからだ。

「冒険心」を抜きにして山岳会活動を語れはしない。それがあるから 僕らは山岳会という組織の門戸を意を決して叩いたものだった。もちろん遭難などしたくないから 春と秋と遭対訓練もするし、登攀技術も越冬技術も高め合う。それが会の事業活動・事業目的になっているはずだ。

一般市民にそれらを理解して!とは言わないまでも、何のために命のやり取りまでして、リスクを冒し山に入るのか?って問われれば それは「山岳会だから」「冒険心、探求心が強いから」としか なんとも言いようがない(笑)

同じ釜の飯を食って寝食を共にして山に入らない限り、日帰り山行の市民登山者にはとうてい理解されないだろう。未知の面白味があるから沢登りに興じるわけだし、難しい滝がクリアできたらそれだけでも楽しいものだ。夏道しか歩かない者に藪漕ぎの楽しさがどうして解りえるだろうか。

山岳会という「目的を持った集団」とそうじゃない一般登山者とでは埋まらない溝、彼我の違いが厳然としてある。ただ少なくとも言えるのは「毎月の会費は伊達に払っているわけじゃないんだよ」ということぐらいか(笑)



他愛ないことを考えたりする。ヒマなんだなぁ って 早く涼しくならんかなぁ って思うこの頃、この暑さでくたばるのだけは勘弁願いたい(笑)
                       2014.08.19. 追加訂正 校了


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Commented by Aです。 at 2017-03-29 08:22 x
某山岳会の後輩です。
会と個人の関わりとか、組織の壁とか、そのとおりとおりなんですよね。
昨年秋に、春に入会した新人?(50代)の人が無届で、岩登りに出かけ、事故ってしましました(足首骨折、入院1月半)。
当会、二重所属を規制していないので(これは昔かららしく私の関与することではないが・・・)、別の同好会で行ったとのこと。でも、こちらに事故報告しても・・上位団体(労山)の規約も保険も無届ダメなの、ということになりました。
そういった組織のルールも関心なし、そのルールも徹底できない?ような登山者が当会では多いのかな・・目的なんていいじゃん、行けたらいいじゃん、みたいな集団危ういと思いました。事故者は、ルートを間違えたこと気づいてもその新ルート(フリー化中)に入る時点で、根拠のない楽観をもつ人(リスク管理なし?)だ思いますが・・
愚痴はともかく、先日西穂に行っとたきに、滑落事故現場に遭遇してしまい、そのパーティにザイルを貸すことがありました。そのときのメンバーは装備を見直そうとか、言いだしたので、良い方向に向かいそう。助言いただいたように、メンバー限定してやります。
Commented by tabilogue2 at 2017-03-29 10:56
A山くん、ご苦労様です。Yの場合は会として個人のレベル判断を常にウォッチしておりましたので「リーダーにしてみようかなあ?的なこと」は随時 会山行にて指名してました。その場合はリード技術だけでなく パーティ掌握術の適否 それと総合判断などをウォッチしていたように思います。それでOKがでれば個人山行は勿論 ちょっと難しい会山行のリードもしくはパーティリーダーになっていたはずです。

他会にもダブル・トリプルで入会するってのは最近の傾向だね。それだけメインとなる会の党派性、魅力が薄れたということでしょうね ますます危険な事故との直面に当たって 泣きを見ることになるんでしょう。

Yの会報「やまびと」37号もってましたか?佐野さんが大竹校長に向かって 何やら大事なことを言ってましたよ。大竹さんは中途会員ですから技術習得に焦っていたはずで、パーティシップの大事さを忘れてしまっていた感があったようで その注意を諫言していたように思います。夏合宿が雨で不調だったという大竹の言葉に忘れてはならない一言を蜂の一刺しをされてました。読んでみてください。

西穂の滑落って あの2名の方ですか?生還してよかったなあと思ってましたが、、、パーティでザイル最低でも2本は持つべきでしょう?冬の穂高ならスペアがあってもいいほどですが。でも冬の穂高に行けるんですから 関西チームが羨ましいです(笑)いい方向にセルフレスキューの考え方が向いていければいいですね。他会とのダブルの方は退会勧告のルールを示したほうがいいです この場合はダメ というルールを破ったら次回は退会というルールを示してください。自分の会を貶めるのを黙って放置する理由はありません。
Commented by A山です at 2017-03-30 01:16 x
西穂の滑落ですが、報道されていたパーティのほかに、実はもう一つのパーティが滑落事件を起こしていました。
報道されたパーティのほうが、長野県側へ雪庇を踏み抜いて滑落(コンティニュアス登攀形式で一人の滑落でもう一人も滑落とのこと)、もう一つのパーティほうが、岐阜県側に岩斜面に沿って滑落(こちらはこけた人が一人だけで滑落)していました。偶然にほぼ同じ箇所で、長野県側と岐阜県側とに滑落している状況にありました(それ自体びっくりなんですが・・)。
私らが会ったとき、長野県側滑落のパーティ?(お話した登山者の話では寄せ集めパーティ?)は、雪庇下の状況がわからず、途方にくれていて警察に通報、ツエルトにほぼ引き籠り状態。その横にいる岐阜県側滑落のパーティ(山岳会らしく組織的)は、救助者一名をクライムダウンさせて滑落者を捜索中でした。
で、その飛騨側滑落のパーティのザイルが足りないとのことで、私らがザイルを1本を貸しました。その結果、滑落者がいるところまで救助者が行くことができ、なんとか引き上げに成功しました。滑落者の話では、滑落先に落下してた登山道のワイヤーネットにひっかかって滑落が停止したとのこと(でも肋骨骨折?)。私らが関与?したのは、報道されたパーティでないほうでした。
ついでに、その後の話をすると、飛騨側滑落のパーティは警察に通報したつもりではなかった?ようで、そのまま下山(私らと同じロープウエイの便に乗っていました)。岐阜県警は、ほぼ同時期にほぼ同個所で2パーティが遭難したため、誰が遭難したのか?無事だったのか?把握できず、入山届をした者に片っ端から連絡して・・私の感想にすぎませんがなんか後味の悪い感じでした。報道もなにやらパーティを混同したような感じでした。
そういう状況を見て、私の同行者らが、まとまりがないパーティってどうか?自分たちはパーティ内でセルフレスキューできるのか?と思ったみたいで、装備等改善したいと。他人の事件が自分たちにも起こりうると思った点で、滑落事故の人には申しわけないですが、前進かなと思っています。
ところで、「やまびと」37号、見てみます。うーん「蜂の一刺し」確認してみます。
Commented by tabilogue2 at 2017-03-30 13:17
A山くん ご苦労さまです。あの日に滑落事故が2件あったわけですか?どちらにも遭遇したんでしたか、そりゃ凄い体験でしたね。初心者でも雑誌の夏山写真のイメージでロープウェイでピョンと来れちゃいますからねぇ じっさい。最近の傾向ですが、中高年の「寄せ集め同好会」への警告は散々出されているわけですが 迷惑千万でしたね。数年前の白馬での大量遭難事故を思い出しちゃいますね、あれは九州のお医者さんグループでした。夏場に来れても冬場の北アはまるで違う、強気の一人が仲間を誘っちゃうから事態が悪化しちゃう。登りたい人は勝手に登ればいいんであって仲間を下手に求めるのは好ましくない。実力もろくに備わらない セルフレスキューの考えのない巷の同好会なんて迷惑千万です。

一方の飛騨側滑落の山岳会はセーフティネットに引っかかったわけですか?奥穂だけじゃなく西穂にも?セーフティネットがあったんでしたっけ? セルフレスキューに急遽切り替え動いたわけですから 山岳会パーティとしてはお手本のような世界を味わえて一つの教訓を得たわけですね?それは良かった。しかも無事にセルフレスキューできて良かった。ロープを貸し出した機転も効いてすべてが好回転でしたね。新穂高の登山口詰所に一人残って報告しなければいけないわけですが セルフレスキューしたあと疲れが出ているので報告するのも大変です。

それにしても他山の石にすべく 自省の念が生まれたことはもっけの幸いでした。飲みながら反省会をして セルフレスキューの確認を臨時合宿を組んでやればいいですよ そのメンバーだけでもホットなうちに。。。
Commented by tabilogue2 at 2017-03-31 22:10
そういえば昨年、奥穂のジャンダルムでクライムダウンできなくなったパーティが そのままビバークして救助を呼んだとの エライ間抜けな「事件」もおきてます。それも「寄せ集めの同好会」でした。
セルフレスキューの努力もしないで 岩稜途中の平場にツエルト張って待機したって、、、無理せず待機ですから 他人から見ればいい判断だとは思いますが、「確保支点からクライムダウンできたはず」というのが奥穂小屋の従業員の判断だったそうですから もう何とも言えません。
その程度で奥穂に来るな!と幾ら言っても来ちゃうでしょうし、ビビって二の足もでないような経験・力量程度で 冬の穂高に行こう!なんて息巻いちゃいけませんね。5月でさえ 凍てつく氷の世界なんだから。。。

天気のいい日に 1000m程度の雪山をラッセルした程度で・・・、冬の3000mをイメージすることは先ず不能でしょう。 そもそも「まるで違うという認識」は生まれないでしょうしね。鳥海の風で飛ばされるくらいの経験がないと 真の冬山にヒョイと挑んぢゃっても、、、困りものです。
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by tabilogue2 | 2017-03-01 21:58 | コラム | Trackback | Comments(5)