船形山の1200m台地を一周してきた

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ブナ平に立つ 「くろもり 黒森」という名を授けられたブナの老木 



人の顔に似せて すましてるよ 
よ~く 見てごらん 

何? 知らん顔して 
そっち向いたって… だめさ
隠したって… だめさ

もう バレちゃってるよ~

ほら、つぶらな瞳。
ほら、オシャレな白いお鼻。
ほらほら、おちょぼぐち。

ね? 見える人には 
ちゃ~んと見えてるんだ

ちょっと お道化顔(ごめんw) 
400年の木霊 いい顔になって

船形を知って以来、48年
初めて会えた木霊さんだ 
よろしくね♪


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船形山を知ったのは大学1年の時、船形山に登ろうとしたのも大学1年の時、秋だった。そうあの時は、定番コースの長倉尾根を北泉ヶ岳から三峰に向かい、途中の「水源」にキャンプし翌朝、秋雨に負けて桑沼に下りた。その後、歩いたのはずうっと遅く40歳のころ。ご近所の旦那とそのご親戚の方とで大滝から登ったのが初めてだった。それ以来、夏道は登っていない。山頂に登るのは決まって山スキー。一群平からの下り…、ジャンプターン以外では曲りもしない湿雪とブナの立木とに格闘しながら旗坂キャンプ場に降りたものだ。

私と船形山との関わりについてもう少し述べておこうかな。白水社から出版された「ブナの山々」(1990年)。この本の共著者であり、紛れもない「登山家」である深野稔生氏の「勢いのある時代」に書かれた文章。そのレトリックに長けた彼の論調が好きで当時はゾッコンだった。「ブナの森をまもれ!」といった直接的な表現を一切とらずに読者に対してあらゆる角度、あらゆる検証から「間接的にブナの森を考えさせる」深みのある文体が強く心に残ったものだ。当時40歳?その本を読んで、福島県郡山の地から遠く船形山を思っていたものだがそれに触発され仙台転勤に乗じてYMCA山岳会に入会する動機にもなり、また船形山の沢を歩くキッカケにもなっていた。

今現在の私があるのはその結果なわけでそういう意味で人生の転機にもなった山がじつはこの船形山なのである。さらにまだ夏道で山頂を踏んだのは1度だけというのも船形山が「心の秘境」であるが所以か?お取り置きの山になっている。まあこう言っちゃなんだがあれほど通ったように思える鳥海山であっても、山頂を踏んだのは皆無であるから私にすれば「さもありなん」というわけだ。さて、ついでだがYMCA山岳会は深野稔生ともども会員が「船形山のブナを守る会」の運動に参加していたことを付記しておく。


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そしてもう一人、紹介せねば今日の話がみえてこない。「船形山のブナを守る会」の会員であり「升沢小屋の管理人」でもある千葉さん。昨年夏に「ゆうゆう館」で知りあい、これまたブログ上で互いに気を惹く存在でもあったりして(笑)面白山大権現の御神体探索ルポ以降「ゆうゆう館」でしばしばお会いして親しくさせて戴いた。何が縁になるかわからない、彼は会うたびに私の意に共感を寄せてくれた。もう20年も付き合ってきた 古くからの友であるかのような?違和感のない、奇特な、イヤ、この年令になった僕とも話せる知識、認識に深みのあるお方である。以上のお二方によって吸取紙に吸い取られた芥の水がこの私というわけである。

今日の山行のキッカケは千葉さんのお仲間であるヨッちゃんが小屋で作ってくれる「釜あげうどんを食べる会」とのことで 物好きなので釣られてみた。怠けた体に悪戦苦闘しながらも船形山の中腹をグルっと一周して「これも この山の魅力なんだよ」という船形山のエキスとでもいいたげなポイントを点々と繋ぎ合わせる面白い山行になった。雪山だからこそ描かれるとっておきの逸品、珠玉の絵図だ。しかも船形山に精通しているからこそやってのけることが可能になる。「テッペンばかりが山じゃないよ」という典型的な山行だ。この考え方に僭越ながら、千葉さんと私とは同じ色の絵具で描ける方向性 vision を持ってると思っている。

升沢小屋管理人:千葉さんのブログもご覧になってください リンクを貼っておきます。

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小雪の吹き付ける帰り道に撮った ここから右手に進んで左手よりここに一周して還る 


赤い25番プレートが目に付いた。山頂まで30枚あるプレートのようやく6分の1、一群平につく。「ひとむれ」平 ではなく「ひとむら」平というそうで千葉さんに念押しされた(笑)ここに至るまで身体が覚醒せず、最初の汗が出るまでほんと苦労した。ひと汗かいてようやく体調も落ち着く。睡眠不足の朝はいつものことながらスロースターターだ。。。

20番のプレートに着いた。ここから夏道を離れブナの雪原へと右へ湯谷地(ゆやち)方面に曲がる。いよいよ本日の目的、ブナ平の住人達に会いに行く行程の出発点だ。「ブナを守る会」が発足したのは1985年、かれこれ30年も歩む中で「伐採反対運動」から「森の再生運動」へと質が変わっていった。笹刈り、広葉樹の混交林などの復活再生を目指す活動に転化できた、これは地道な努力の表れだった。

運動の証である船形山の聖地に閑かに立つ「2本のブナの木に出会う」のだ、森に足を踏み入れた。「ブナの良さを解っていないとブナは守れないよ」そうブナが語っている。はたしてブナたちの息遣い、それを感じとれるかどうだか?船形山のテッペンではなく中腹を横断することで物事を感じとる…。山に登るという意味合いがガラリと変わるけれどそれもまた登山の範ちゅうということだろう。「テッペンじゃ あまり深くは考えないよ ビール飲んで終わりだもんなw」 風以外の音は聴こえない、森閑とした世界/宇宙/境地を得ないと、人間あまり深くは考えないものだ。「山は総体だ!」という言葉の意味が この森に佇むことでビシビシ心に迫ってくる。


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こちらが「はなそめ」 花染山側に立つ


小荒沢(こあらさわ)源頭、ブナ平で2本のブナを見学する。黒森山側に立っているから「くろもり」、花染山側に立つので「はなそめ」。心からブナの森が好きな人ならば「見学」という第三者的な言葉はおそらく使わないだろう。まさに恋人に逢うような?秘密の宝箱をそっと開けるような?憧れの人を思い慕うような?そんな修飾・形容詞を最大限に用いることだろう。でも自分はそれら形容詞をつかう境地には未だに至っていない。これが自分の正直な気持ち、いや白状すれば学生時代から「反権力」という捉え方で、おそらく「船形山のブナ」も捉えていた風な節がある。若い時分から運動に心酔するほど純粋派ではないし、ブナに恋慕の気持ちを宿すこともできない (´艸`)

すでに「くろもり」は枯木となり土に還りつつあり曾孫根が生えている。樹齢400年超。ココこそ「ブナを守る会」が皆伐を阻止した証のブナたちの居住地(聖地)、太いブナが林立する。。。とまあ「反権力」というモノの見方がこんな表現にさせてしまう 過ぎた文章ほど心を厭きさせるものはない(笑)。


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「くろもり」


1964年木材の輸入自由化から1997年の「林野庁改革」(営林の放棄)に至るまでの30年間、日本の林業は日本経済の最先端産業と比べたらずうっと後方末端に追いやられ、弄ばれた事実がある。日本経済が高度成長期に入ると、政府の林業潰しが露わになった。日本経済の大きな流れである「精密機器・機械産業優先策」「貿易不均衡の是正」のために日本の農業、林業、畜産業は犠牲にさせられ、減反政策や輸入外材やパルプ、小麦、牛肉などを輸入することで政府は貿易収支の均衡を図ろうとしたのである。林業こそ日本経済のスケープゴートの一番手であり、それに続くのは畜産業、農業である。

その後の1987年(昭和62年)中曽根政権時代には「リゾート法」という悪法が成立。国土開発の名目に始まった国有林の開発・伐採は 最終的に全国各地に赤字覚悟の「三セクによる開発」の爪痕を残してあっけなく終わった。グランデコ 弓張平 ジャングルジャングル 台鞍スキー場などが事例である。儲かったのは政界に通じた堤義明率いる「西武系列不動産」の「日本国土計画㈱ 現:株式会社コクド」、他不動産関係だ。この後、日本経済のバブルが破綻する。北海道のトマム、宮崎のシーガイヤが破綻したのは記憶に新しい。船形山スキーリゾート構想もこの流れで「三セク」がパートナー(開発企業)を選定する前に立ち消えになった。

1990年当時、薬剤を使用した北海道のリゾート開発で数万尾の魚が死に 開発に大きくブレーキが掛かった。飲料水と直結するからであるが「仏つくって魂いれず」のリゾート法は 箱はつくってみたものの、民間の経営ノウハウもなく、ヒットもせずに終わる。全国的に国有林の「伐採」は免れたが、我らはどっちに転んでも喜べなかった。伐採を「阻止」した「勝利」したというが 「言葉の裏」を見極める者にとって 勝利に酔う者は居なかったはずだ。なにせ国土が乱開発されズタズタにされたのだから。山岳会の例会において「船形山」の基調報告を受けたが締めの言葉に「物事には必ず裏がある」と、まさにその通りの結果だった。

1997年、トドメは「林野庁改革」という美名の下で「営林」という林業育成の考え方が消えたことである。営林署事業の赤字解消、その煽りを食らったのは林業の現業者だ。収支の面では3兆8000億の赤字。それを国民の税金で2兆8000億穴埋めしても残り1兆円の債務は遺ったまま、林野庁は今も立木を売りに出し返済中である。「赤字解消」を免罪符に「世論の同意」を創り出し人員・諸経費を押さえ込んだのだ、上手である。大きな狙いは赤字の元凶「営林事業の放棄」だ。「国有林の営林」という国家の事業にもかかわらず、企業同然の独立採算制を敷き「営林の放棄」という悪政をもたらした。国有林の伐採、間伐に関わる人員を三分の一に大幅に削減し、山が荒れる結果を今に生むことになる。政治という舞台の裏で腹を抱えて笑っている者が透けて見える。

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ブナの森に関わる歩みをザッと書いたが・・・、、、今日のブナ平は天気もよく 一面が見渡せる平らかな地(1030m)でもある。北側に横たわる稜線は花染山への稜線。ブナの梢の風きり音がまったくなく 穏やかな陽光が雪面に樹林の陰を何本もその縞模様を落とす。ブナたちの安住の地。ここで朝を迎えられたら最高だろうね♪などと話が弾めば、我らの歩みも先へと軽やかに進む。ブナの森は間違いなく心が安らぐ森、、、そう言えた自分に先ずは乾杯であろうかw


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左手に千本松山(せんぼんまつやま)の裾を感じながら北上すると…、シューッと一本、正面に花染山の尾根が雪庇5m~7mほどを高架橋のように走らせており それを越えることになる。上がりやすい雪庇の弱点を崩し花染山の尾根に乗った。 と同時に記憶が蘇る・・・、2006年の正月、船形山に一人で山スキーに出かけ、下山中に吹雪かれてこの花染の尾根に引き込まれ、林道の果てに行きついて 疲労か?安堵か?そこで眠るように息絶えた会員がいた。いつの日かこの花染山のルートに乗って祈りたいと思っていた。来れてよかった。合掌 

そのゆったりとした尾根を1080mまで登りその鞍部から右へ折れ、花染の尾根を乗越え再び北上すると保野川(ほのがわ)に至る。おおよそ大滝から来る夏道のところだ。1050m 保野川が雪で埋まっているのはおそらく3月末までだろう、ココを超えて湯谷地の尾根に取り付くのだが 今日は難なく雪で埋まった保野川を渡れた。雪解けの時は両岸からブロック雪が沢を堰き止め、この辺一帯がダム湖のようになるらしい(千葉さんのブログ参照)

湯谷地の尾根に乗れば…左手にはクロベや姫子松の生える千本松山がスッキリと見える。その奥、蛇ヶ岳方面に「南宝森」のトンガリが幽かに見える。右手には前船形山が嵐の雲を避け全貌を現し白い稜線が輝く。素晴らしい。こんもりした1200mほどのピークに向けゆったり盛り上がる白い尾根、、、湯谷地の尾根 なかなかいい所じゃないか!



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湯谷地の尾根から左手に見える 千本松山


湯谷地の尾根1200mあたりのゆったりとした台地が じつに気持ち良いところだ。右手上の緩い1224mピークへの盛り上がり感が東北的でいい。なんとも勿体ないが ここで湯谷地の尾根は終わるのだ。さらに200メートルも上れば千畳敷~山頂方面だが 左手稜線上にある「南宝森」を方角の指針とし読図で雪で埋まった保野川源頭に降りたつ。そのまま沢沿いにコースナンバー8番の升沢小屋(ますざわごや)まで進んだ。


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湯谷地の尾根 登りやすく 眺めのいい斜度/斜面でした


保野川源頭の奥 南に沢が屈曲すると雪原の小高い部分に赤い三角屋根が現れた。升沢小屋である。なかなか清楚にまとまった小屋のように思えた。豪雪に耐えるような力強さを感じないが それでいてしっかりと台地に立っている。新生升沢小屋に初めて入った。小屋にはデポ品でもない、荷が余ったとしか思えないガスボンベが数本、残置してあった。小屋の備蓄物はトイレットペーパーのみ、たとえ厚意であってもゴミとして片付けることになる。石油ストーブも火事の原因になるので置いていない。船形山の山頂小屋が消失した原因でもある。かつて仙台の某山岳会が升沢小屋にストーブを寄贈したいと申し出たそうだが町ではそれを断っている。


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保野川源頭を詰めてゆくと 三角屋根の升沢小屋がみえてくる・・・


その後、その会がストーブを升沢小屋まで荷上げして宴会に興じたそうだ。それがネットに載ってしまい「升沢小屋にはストーブがある」と噂が立つ。それを見て読んだ人が石油を荷上げして・・・こんなネットでの悪循環が回り始めた。ストーブがあると思って石油を持ち込んだ人は ストーブ有りきの装備であったためにとても寒くて寝られなかったと言っていたそうだ。そもそも それ等の行為が小屋消失の火元を呼ぶということを「ストーブ宴会」の彼らは思っていない。その山岳会は各地の小屋でも問題を残していて、宴会で飲んで食ったゴミ・ビールの空缶を小屋の後ろの叢に隠した こんな話も朝日天狗小屋の小屋番さんから聞かされたっけ。

ヨッちゃん特製の「釜上げ饂飩」、おいしくて おいしくて 2玉も食べてしまった。普段からこんなに山飯を食べたことがあっただろうか。薬味の茗荷にツナ缶がすごく合っていた。山料理の慣れは作った回数に比例するから 重かったであろう生うどんさえ大きな荷物にならずに持ち込めるというのは大したもんだと思う。次回 真似てみたい。その時には大根下ろしも 甘い稲荷揚げも付けようと思うw それって「どどん どん兵衛じゃないか?」なんて野暮は言わないでネ。(´艸`) いつもなら時間短縮で「白石温麺」で同じような汁麺を作ってるんだけど、薬味にツナ缶は使っていなかった。

 
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行動食に三色だんご か・・・ アリだなw


帰り道 少し変わった赤布がひらめいているのを目にする。じつはそれが「大売出しの幟」の生まれ変わりらしい 初耳だった。最近になってお店を閉じられた会員さんがおられたそうで、その「大売出し」の幟が赤布として再利用され船形山で生き還った、こういう噺らしい。幟の文字が白抜きだったのだろう?紅白縞々の赤布がコマ目に打ってあって愉快しい。 なるほど! 真っ平らな地形のココいら辺りだからこそ、「遭難を回避させたい!」そんな「ブナを守る会」会員の思いが伝わってくる。

「ブナを守る会」は色々の職種の方々が参加している、それぞれ数十人のメンバーは 地味だけど基本的な仕事を 自分なりに理解なされておられるようだ。秋になると山頂小屋へ「薪の荷上げ」作業と升沢小屋のバクテリアで分解された「屎尿(土嚢袋)下ろし」作業があるが 毎年楽しみにしているファンが多く、集いはかなり「濃い」らしい。

黒森山を背にしてやがて19番、このプレートを見たら下りでは進路を右寄り、山側へ寄り気味でとる。逆に 登ってくるときは左へ寄って通過することが自己防衛だそうだ。千葉さんがアドバイスをくれる。実はプレートの周りは谷地や沢が走っており、雪で埋まっていてそれが不明瞭で、ドスンとそこにハマるともう脱出できないのだそうだ。

20番ポストから始まった今日のトリップは 升沢小屋を経由して再び20番ポストに還流した。地形図上をぐるっと回る 船形山の大懐で遊ぶ 循環トリップ。いやまさに初めて尽くしの一日だった。頭を整理するのにメモが必要なくらい出来事が次から次とあって、、、携帯アプリの「メモ機能」がとても便利だった(´艸`) 面白い話が聞けて愉しい一日だった。ありがとう 千葉さん、ヨッちゃん。


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前船形山 きれいなラインだ



今日は いい旅ができた。「ブナ平」「くろもり」「はなそめ」「ブナの精霊たち」「花染山の尾根」「雪の保野川越え」「湯谷地の尾根」「初めての升沢小屋」。。。
こんな懐の深い山に・・・今まで通いこまなかったのは 何故だろう? おそらく理由があったはずだが 忘れ去った過去を追々思い出して付け足して書いてみようかな。今日、旧い頭で思い出せたのは… 朽ち果て、寂れた、赤サビのトタン屋根、ボロボロの升沢小屋がかつてココに在ったということだけだった。 

小屋の外は小雪が舞っている、まだまだ冬景色だ。歩みを進めると白いガスに包まれてゆく。だんだんと 視界は白いブナの林に占められてゆく。。。

 

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3/15原稿修正済み 校了

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by tabilogue2 | 2017-03-06 07:58 | 船形連峰 | Comments(0)