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「捕獲された親子熊」 9/30記事への結論

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前回の記事 「捕獲された親子熊」において、ブログ主としての「結論」「立場」は出さずじまいだった。それは自分の熊に対する考えが浅いことから間違った判断をするかもしれないという予測からだった。ゆくゆく米田一彦さんの講演を聞いてからでも遅くはないとも判断したからだったし、熊の保護団体 (日本熊森協会)の意見も識ってからでも遅くないと考えたからだ。米田さんの講演は昨日に開催されたのでここで「捕獲された親子熊」(9/30の記事)拙文の結論を出したいと思う。

主催側(東北歴史博物館)への注文だが、、、90分の長時間の割に講師プロフィール案内コピーはあっても講演内容のレジメがないとはどうしたことか? 演題に沿ったサブタイトルの投影もなく、講師の熊に対する想いも語られず、「事件話」だけがアチコチに飛ぶ・・・久しぶりに疲れた講演会だった。最低でも進行内容に沿って「レジメタイトルと数行の補足」をハードコピーして配布いただければ良かったのでは? マル秘の「高速メモ書き」もアチコチに矢印をひく始末だった。


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僕らの世代では日常的に、鰻や蛇は捕まえて 皮を剥ぎ 焼いて食べてきたし 兎もご馳走だったりもした。鶏なんぞはお祝いの都度、目隠しをさせて鉈で首をチョンとはねたりする。首のない鶏が5、6歩走る姿を見ることがあった。子供心にあまりの気持ち悪さに嘔吐したものだったが…馴れっこになってしまえば笑って観たりもした。。。 そう、東京オリンピック以前は、どの家庭もつつましく暮らしていた。その中で、鯨も イルカも 鮪も 熊も 鶏も…人間の食料として供される、その構図以外はなかったのだ。

最近ペットブームとやらでペット霊園なんぞの看板を見ることがあるが むしろそっちの方に違和感を覚えるのだが…。一線を越えて里に現れた「害獣」一般を「ペットに接する目線」で、または「動物愛護の論理」で、同一次元に持ち出すのは間違ったアプローチだと思うので注意が必要だ。むしろ 餌となるゴミは外に放置しないこと 菜園の芋類 果樹等も気を付けて。

しかし、それにしても 一日2~3万円を稼ぐために一家総出(ジジババ+ムスコ)で笹薮に入るタケノコ採りの姿・危険性を理解していないと 熊だけが悪者にされてしまう。 先ず、「人間が熊のいるエリアに入っていった」という事実が矮小化され、「熊に襲われた」事実のみがクローズアップされる。これじゃあ ゆくゆく熊の生息数は激減し狼と同じような絶滅に至る日を早めてしまうのではないか?とも思う。

タケノコ採りが鳴らすラジオ、、、「そこに弁当がある」ことを熊は知っている。NHK第2放送”スペイン語講座”を聴きながら 熊は忍び寄る。今年になって秋田県では533頭ものツキノワグマが捕殺された。「人食い熊 ”スーパー K”」というあまりにもセンセーショナルな「見出し」だったが ここは冷静に「種の保存」を考え管理することも上位に立つ人間たちに課せられた課題ではないか? ということに着目した。そうした動物たちとの「棲み分けの理解」がないと ゆくゆく「絶滅の道」に至るだろうし、”狼”同様に後世にあってはどうにもできない と考えた。
 
唯一わかっていることは「絶滅させるもさせないも総てが人間たちの判断・行動にかかっている」ということ。極端にいえば、、、仮にタケノコ採りを禁止すれば?熊との事故も起きないと言える。また秋田の争点は「タケノコ採りが熊との縄張り争いから来ている点」という見方が成立する。それならば 熊との争いを避けるために人間側のタケノコ採りを合理的に指定地だけに限る施策も必要だが、、、残念ながら…人の欲はあさましく、立ち入りを規制すればするほど「人が入らないからタケノコがたくさん採れるはず…」とひらめくらしい、そんなタケノコ採りに入ろうとする人たちの「業」「身勝手」を見過ごしてはならない。

タケノコ採りたちへの「自己責任」論をかざすつもりはないのだが・・・結構、事件が起きても…「襲われた奴が不用心だったんだべなぁ、でも大丈夫だぁ…俺ならヘマしねえし関係ねえ」…と厚顔である。「笹薮の中でヒョイと顔を上げたら 熊のケツが目の前に見えた 泡食った」「カッターナイフで奴を切った、笹竹を槍のように削って目をめがけ差込んだ」などと…自慢話は茶飲み話になって展開される。当会の若手でも 冬眠中の熊穴に誤ってアイゼン履きの足を突っ込んでしまい 慌てて飛び出してきた熊とスノーリッジの先端で対峙。危うく目の下に爪痕が3cmついたがアイスバイルで応戦、大格闘をした者がいたけど、、、じつに笑い話で済んでよかったと今更ながらに思う。

”スーパー K”も含め熊は人間たちの欲、業の犠牲者ということを この問題に対する僕の「立場」としたい。奥山で暮らしていた熊たちを”スーパー K”に仕立て上げたのは 他でもない我々人間だということである。人間側の一方的過ぎる「熊の評価」には注意が必要 むしろ その評価には「反対の立場」を採ろうと思う。これが一連の熊問題に関する私の結論。 

米田さんの話では「人肉を食べた」食痕がたくさん挙げられたが、、、しかし かと言って、「生きた人を食べるため」に熊が「人を襲う証拠」とはならない。その証明もされなかったという事実と、「死肉」であるなら「熊も含めて他の動物も食べる」という事実もある。米田さんは人心を煽るような講演タイトル「人を襲う熊」を付けたが このタイトルでなら…全国の「タケノコ採りに対して有効だ」と思えた。以上が… 私の立場、考え方である。

それにしても 「2年子」は来年夏までには親離れする。その直前、今朝ほど罠にかかってしまった。その瞳、、、碧い色味懸かって感情的には愛くるしいものがある。






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by tabilogue2 | 2017-10-29 17:23 | アラカルト | Trackback | Comments(0)