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下山途中、四本桂にて…   (新型スマホで初撮り画像)


先週、「4本・カツラ」の謎が解けずに頭を痛めてw 一週間が過ぎていたので、解決を見出すべく先週に続けて今日も2週連続で北泉ヶ岳までやってきたw 今日は「船形山のブナを守る会」の観察会(山行)の日だったので、千葉さんに招かれて初参加した。まあ実際には「船形山のブナを守る会」の活動に仙台YMCA山岳会として団体で参画しており、1991年転勤後に入会したての私はそれに「追従」していただけなのだが。なので「守る会」の会活動は今日で4回目ぐらいになるのだろう。小関代表とは既に30年前に山岳会としてお見うけしていた。当山岳会の坂本某会員はかなり心酔していたように記憶する。とはいえ彼ら本体とのご一緒観察会(山行)は今日が初めてである。

参加者は21名、、、会員外の初参加者が1名、むろん私だがwそれだけコアな方々が集っていらっしゃる。1985年の会創立以来 かれこれ30年が経過している自然保護団体といわれている集団であるが 常に50名前後が入れ替わりで観察会や行事に参加されている素晴らしい会でもある。

「守る会」の活動目的は設立当初から観れば、だいぶ変遷した。1990年代に「リゾート法の破綻」により、乱開発の深手を負うとともに全国の保護運動下にあった「ブナの森は残された」わけだが、その代わりとして 1997年林野庁の実質的解体による「国家営林事業の放棄」(営林署職員の60%を解雇)による間伐未処理の弊害や、最近の緊急の課題として「原発のゴミ集積場建設問題」や「ゴルフ場建設問題」にも新たに監視の目が必要になってきている…などが この30年の活動変遷の各時点別の取り組んできた課題、或いは 今後、取り組むべき問題である。

そんな行動的集団と山行をともにするのだから、初参加の自分は「どんな格好wで参加すればいいのか?」だいぶ悩んだw。悩んだ末に、顔を「四角四面の堅物」風に装って参加してみたw。ところが実際に蓋を開けてみたら皆さん気さくな方々ばかりでなかなか居心地の良い雰囲気の中で行動を終えることができた。まずは「感謝」である。




それで今日の問題は・・・「四本桂という地名」ができた理由を知ることと 実際にその木の「実態を知ること」 であった。

定義山参詣を理由の一つとして、それまで存在していた「船形山-後白髭山経由の参道」に加えて、新たに根白石方面から「北泉ヶ岳・長倉尾根を経由した新登山道」開削の依頼を受けた人たちがいた。その資料に拠れば、作業者たちの便宜的な「作業上での通称」が現在の「地名」になり代わった経緯・流れがわかってくる。その資料は 千葉さんのブログに説明されているので参照願う。つまりは、この「四本桂」という地名も長倉尾根の「水源」や「熊の平」という地名も1950年に新道開削に当たった「人夫たちが呼んだ通称」がそのまま残ったということであった。(ただし、川平がどこを指すのか不明、今でいう「水源」あたりか?小屋掛けしていたというし)

資料で分かったことは 開削に当たっては水神からのコース以外に荒川の支流、南丸松保沢あたり(桑沼杣道)からもアプローチしたのか?写真が切れて判明しないけど。不明だったのは「八合目の見晴らし台」(北泉の肩のことか?)と 「定義の阿弥陀如来を見下ろして拝む石」(横川の流れを辿れば定義山の門前町がみえたのだろうか?柴崎先生がいう”上ソバ倉”のことか?)とが、それぞれどの辺りになるのか?次回の後白髭観察会の課題にもなるのだろうか?とひとまず期待したいw その前に当該資料のコピーを手に入れなきゃね♪ 千葉さんコピー半分よろしくお手配ください。残りの半分は図書館で私がとりましょうw

67年前の史資料に目を通すことで…、問題の一つは解決した。新道開削工事の発注者は仙台市であり、受注者は根白石福岡に住む五百城幸治(いおきこうじ)さん。余談だが 新道開削に当たった人夫の日当は1950年で300円だったとも。さらに余計なことを付記すれば、五百城さんは根白石福岡から仙台市役所まで直線距離12キロを徒歩で往来したと記されている。仙台市の意図としては戦後5年を経て「市民の楽しみを拡大するため」に定義山詣でが泉ヶ岳経由でもできるようにということなのだろう。

現代風に言えば市民のリクリエーションの充足とかディスティネーションキャンペーンみたいなものなのかも。たとえば 泉ヶ岳に登って、定義山詣でして、作並に泊まって・・・みたいな(´艸`) ついでだが、戦後のその頃は 焼け野原となった仙台の街並みが復興の途にあって 楽しみの少ない時代に少年少女や青年たちの心に「生きる希望の光を灯そう」という願いもあったことは事実。仙台YMCA山岳会が創立されたのもそれが一つのキッカケであったとされている。

もう一つの今日の問題は・・・なぜ「カツラ」の木なのか?ということと どうして「4本」なのか?という疑問についてだ。

それについては柏さんから、、、開削した人夫たちが特定樹種を知識として持っていなかったことによるものであり、「誤認」をしたという推測であった。 正式には「シナノキ」なのだが、葉っぱは丸葉で似ているがカツラのハート形ではない。樹肌は似つつも違っており、それを見分けることができなかったのでは?と推測できる、シナノキは谷地っぽい所、カツラは沢の岸辺を好んで棲息する特徴がある… そのような説明もあった。 次に 何故4本なのか?については 新道開削施行日が8月であったため、草木の繁茂により森の奥の方に足が伸びなかったのであろうと推測できる。実際に奥の方へ入り込むと、数えることができた大きなシナノキは8本ほどあったのである。つまり「4本」というのは登山道開削作業上の物資置き場であり、目印の場所でもあり、「沿道に限った樹木の本数であろう」という理解の仕方に決着した。 



今日は北泉ヶ岳山頂のランチタイムまでは風もなく日差しもあり 良い天気。観察会(山行)は知的な説明が付加されながら「カルチャー教室的」内容が盛られており なかなか他では味わえない山の奥深さを学べたことで体も心も温まるとても有意義な一日だった。長年山に登ってはいても「山を知る、深く識る」という点で自分の登山スタイルはどうであったろうか?という見返りの機会にもなった。「山を識る目」を持つことが 山に関わる見方、見識を深め、豊かな味わいにしてくれる…と。それと 社会問題にも参画する目を養うことこそが将来的に「社会的価値」として表出するはず ということも今日の観察会の感想として付け加えておこう。つまりは「登山を私的な楽しみとして捉えている」うちは 社会的にかかわっている人間としてまだまだ「稚拙の域を出ていない」ということでもあるのかな(´艸`)

次回の観察会は5月、定義からの後白髭山ということで「ヤンビツ尾根」を使うのかどうか、それとも定義から登るのか? まだ定まってはいないようだが、またまた足腰を鍛えて参加してまいろうか? 船形山塊の楽しみが今日また一つ増えた。




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# by tabilogue2 | 2017-03-26 18:21 | 船形連峰 | Comments(0)