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山への探究心や 知的遊び心や 山を情念の対象とする、、、
そのことが旧いのではない。

「エモーショナルな心」が現代にそぐわないのではなく、
エモーショナルなものを求めず、「表面的に愉しもうとする安直さ」が
それを過去の遺物のように追いやっているだけ、、、だろう。

それに気づいたら、、、
山懐で静かな夜を 単独で迎えてみては どうだろうか。



日帰り山行では掴めない、「山の奥深さ」をしるにつけ 
きっと 見えてくるものがあるはずだ。。。

情念の無い山なんて・・・、殺伐とした荒野みたいなもの
「何百の山行よりも、一遍の書物に心を揺らす」
「飢えた心を埋める一夜」

いつの日か、
その「エモーショナルな正体」が分かるようになると・・・
フィジカル優先な山行の軽薄短小さに 
数mgの知恵が付こうというもの。


 

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by tabilogue2 | 2017-12-18 18:06 | mount | Trackback | Comments(0)

2017 概括

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自分がどれだけ山を愛せたのか?登山者としての「品質」を記録に録ってみました。今年で4回目の記録(総括)になるのかな? 昨日の事さえ思い出せないこの頭でw、自分の行動を年単位で把握するなんて、そうざらにあるもんじゃありません。冒頭ですが、”息抜き”と称して漫然と登山して…登った「回数」を数えても、山への情熱バロメーターにはなりませんよwと述べておきます。さらに追い打ち、「回数と質」は比例しません…とも。どんな意図で、どんな風に登ろうとしたのか? 、泊まりの計画や食事の計画や単独行の計画を課し 山に泊まって歩き抜かないことには「質のレベルアップ」なんか望めません。負荷のない日帰り山行を数多く増やしたところで、体力はついても「いい山に登れた」なんて口にできない…と思います。「回数」にプラスして意図『狙い』を持たないと質のレベルは到底上がりません。以下 ご笑覧あれ(*´▽`*)



① 概括
「体調も良く 血圧も110台 体重も現役時代のベスト体重65キロ」・・・月に2度、適度の登山が体調を良くしているって データで即ぐ解ります。環境的には、頭の混乱を引き起こす劇変もなく、特にアレをしたコレをしたということもなく、平易に推移したと思っています。私生活、来年はどうなるかわかりませんが。。。

「山・山行に関して」
レベル的な登山ができました。年齢的に無理ができない身、隻眼による視覚障害などいろいろと制約があるもので、そんな中で「一人で山を歩く」「自活する」ことを違和感なく実践でき何よりも嬉しい。グループでなら明るく楽しく何処へでも行けるのに、単独になった途端に手も足も出なくなってしまう。曰く、「山はもう卒業だ」…よく耳にするパターン。一人じゃ面倒、熊が怖い、誰かと一緒でなきゃ歩けない、食事が貧祖、荷物が重い、、、山歩きの経験が生かされず 単にグループハイキングをしてきただけ、という半生で終わっちゃうんでしょうか? 勿体ないですよ。

「一人で山を歩く 山に泊まる 山で食べる」
これら「山びと」の概念で山行するのを目標にしています。小屋泊り山行4回 テント泊山行2回(雨中撤退0回)まあ消化できました。自炊メニューも増えたし シチュー おでん 湯豆腐 にも挑戦しました。おでんは既成パック品に揚げ蒲鉾を足しただけですが美味しかったですよ。なんせ、山の中での「個食」ですからw ランタン灯し、小屋で一人でおでんのパックデザインを眺めているだけでも愉しく、美味しい(´艸`)  あなたも「テント泊」始めませんか?慎ましさ、謙虚に山に向かう姿勢が蘇りますよ。

過不足なく暮らせる・・・、何でも買える、揃う、お金さえ払えば食べさせてもらえ 泊まらせても貰える好条件、今や下界も山の世界も快適さの中に在る。だからこそ意図して、わざわざ「不便さ」に身を置く、、、老齢の身にとって「活きる」自信につながると思っています。とかく団体旅行風に、計画は人任せ 料理も人任せ 小屋でデカイ声で宴会し 挙句大いびきをかいて大迷惑 大ヒンシュク。 自分はお客 登山さえできればいい…というのは「考えもの」です。下界での日常を単に山に持ち込んでいるだけと言えます。侮蔑の対象ですw またそういう「他人任せでピークハント」をする方の多いことに同世代として驚きました。若い頃から 北アも 能登も 北海道も ファミリー登山も 何事も自分で企画立案・実践を済ませてきたものですから 同じ山には登っていますが「一般登山者」と「山びと」とでは大きくかけ離れているものなんですね。どっちの側にせよ、山には「謙虚」に向き合わねばいけません、山は「消費の対象」じゃありませんのでね。

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それと常々 セルフレスキューに取り組んでおります、たとえ泉ヶ岳ハイキングであっても。けして「標識の不備」を管轄官庁に訴え出るようなことはしません(笑)さらに GPSの電池切れでアタフタ?ってネットで散見できます。方位の確認も怠っているし、入山前にGPSで方位のリセットぐらいは済ませておきましょう。つまり 山に入る覚悟ができていないということ・・・ですかねえ? ”昔から山をやってる人”って 「自己完結の山」を追求していました。それから観ますと 今は「レジャーな山」に堕ち、何かの「お陰で」登れているだけといえます。難易度は下がり、反して登山環境的には便利度(文明度)が向上してます。それでも事故が増えている、これが実情。「安易な時代」なんでしょうか?場当たり登山の風潮だからこそ「セルフレスキュー」の実践を呼びかけています。

「必要性・・・ 終活 パートナーからの自立」
自分から発意・立案し 計画をたて 食糧 装備の軽量化 旅程 宿泊・テント生活をこなす、「自己完結な登山」、もう18歳から身についている自分の考え方・登山スタイルです。「至れり尽くせりで下の世話までして戴くような登山」は考えられません。これは「終活」の一貫でもあります。日々の賄いも自分で、おにぎりも自分でつくって毎回3個握って出かけております。まだ甘さがありますが「自活登山」ができた事に意義・満足があります。逆にそれができなくなったら「低山ハイキング」に移行しようと思っています、あと3年は山岳志向で行きたいね。

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「地元の山」 
船形連峰や二口山塊、面白山 蔵王など近場に集中できたこと 「クロベの巨木」や「湿原の花巡り」ができたこと この2点を「過去の自分との違い」として挙げたいと思います。これは「船形山のブナを守る会」の会活動に参加したことが影響しています。
観察会では「樹幹流」の言葉がとても新鮮に心に響きました。「ブナの生態」を通して山全体を眺めたことで新たな観察眼を得て高揚する気持ちを抱いたこと。後日、後白髭の名だたる沢を稜線上から眺めることで船形連峰に再び関心を持てたこと、沢ヤの身にとって別視野を拡げて頂きました。
放射能がまだ飛散している中、山菜を採らずキノコ狩りもせず耐えているフクシマの方々に心を寄せ、除染ではなく「移染」であることのマヤカシや、放射能廃棄物の鋤きこみを監視する目などを学びました。小関代表をはじめ皆々様方の会活動に敬服し、山に向かう気持ちを新たにしたことなど、御礼を申し上げます。

反面 南会津に足を向けずに済ませたこと、少ない山名しか列挙できないこと等に反省もあります。名山を数えて暮らすことを善しとしない自分にとって「いい山」のイメージがほぼ決まってきたんじゃないか?と裏を返せばいえると思うんです。現役時代は年間112日が最高で、平均で年間60日登ってきましたけれど 今年コレダケ山に偏りがあるというのも珍しい。二口 面白 船形 蔵王 これらが基本になったというのも半世紀の登山年数で初めての出来事です。またグループ登山で西会津が登れても ソロ登山で南会津がゼロというのにも驚いていますが、もともと宮城 山形 福島 会津が中心で山岳会活動をしてきたので 自分の目指す方向と思っております。

結局 近場の山でイイんですよ。モチベの問題であって山の問題じゃない。
名山ブームなんて「クソクラエ」ですね ほんとに。不断の山がおかしくなっちゃった。

山の捉え方、目標の持ち方、自分の山、山行スタイル・・・については数篇、当ブログに書き記してきていますのでそれにて代用とします。

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②山行データ
◆今年登った山? (延べ日数 46日) 
飯豊・朝日の登山道補修荷揚げを含む 
group山行を含む 7日
1000m以下の低山ハイキングは含まない 9日

宮城の山 18・・・北泉(4)二口(5)船形(5)蔵王(2)栗駒(2)
山形の山 13・・・面白(6)朝日(4)鳥海(1)雁戸(2)
福島の山 08・・・飯豊(3)吾妻(2)磐梯(1)御神楽(1)龍ヶ岳(1)
岩手の山 05・・・裏岩手(5)
秋田の山 02・・・鳥海(1)

そのうち30%が・・・
テント泊 2回 飯豊 朝日(沢)
小屋泊り 4回 朝日 飯豊 八幡平 裏岩手

2014年のメインテーマは神室連峰
2015年のメインテーマは朝日連峰
2016年のメインテーマは鳥海山
2017年のメインテーマは裏岩手

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③来年の山
来年は「南会津の春」「飯豊の夏」「鳥海の秋」をプラスしたいと思います。南会津は「約束」事項が未達なので 坪入 長須ヶ玉 大中子の3つと花見に田代山。飯豊は縦走往復。鳥海は「晩秋」がテーマです。アッシー君というわけじゃないんですが 車での移動問題がどうしてもネックになっております。公共交通機関を使う登山も念頭に入れ?夏は飯豊連峰に通いたいと思います。なんだか 福島時代を懐古しているような感覚ですが「回帰」というものでしょうか。

2018年のメインテーマは飯豊連峰に絞って通いたい 朝日連峰は二ツ石ルート

スタイルは お泊り山行スタイル(小屋泊 テント泊 連泊)と 日帰り(セルフレスキュー装備で)
沢登りも昨年と同じで 4回ほど通う(基礎を忘れないために)
1000m以下の山は 70歳から指向する

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◆2018年の山
1月・・・薬来新年登山、中面トンネル尾根
2月・・・南面、小東
3月・・・杭甲、新川
4月・・・後髭-船形、
     大中子、長須ヶ玉、坪入
5月・・・大東、火打
6月・・・木賊-田代、高下-和賀
7月・・・障子-狐穴、竜門、角楢-蛇引、
8月・・・門内-頼母木
9月・・・切合-大日、谷地平
10月・・・萬助-千畳ヶ原
11月・・・二口、雁戸、船形
12月・・・面白

月2回ペース 延40日ほど計画する
日帰り山行(12日) 泊まり山行(24日) 沢登り(4日)
里山散策は遠慮する まだまだ ”山岳”指向で過ごしたい 
  

セルフレスキューに基づく装備
・登る前に「安全圏」を確認・・・GPS電源・携帯電話電波状況のチェック 
非常用救急袋の中身・・・GPS用予備乾電池単3✕2本(充電済) 赤布10枚 テーピングテープ 包帯 膝用テーピング
 ラジオ ランタン ナイフ 洗濯バサミ2 細紐 スパッツ用ゴム予備
・日常装備・・・バーナー コッヘル 自立式ツェルト シュラフカバー ビバーク用アルミシート スリング 環付ビナ2 呼笛 のこぎり 
・冬季装備・・・防寒衣料予備 防寒手袋予備 目出し帽 アイゼン ロープ30m ピッケル わかん スコップ
・食糧関連・・・湯・水 予備食 行動食(かりん糖、甘納豆、煎餅、キャラメル、酢昆布、梅干)
 おにぎり3個(内1個は下山時まで食べない) カップヌードル

「ソロ山行」…一般登山者よりもセルフレスキュー意識は高いつもり。その分、携行する項目は多くなるけど。
ザックに「弁当と水と雨合羽とヘッデン」だけを詰めて、駆け足でグルっと回るようなことは もうありえない。



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by tabilogue2 | 2017-11-30 20:35 | mount | Trackback | Comments(4)

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40歳過ぎて 初めてリングワンデリングを経験した。

 実際、同じ場所に綺麗に1周して戻ってきた。いや実は2周していたのだが・・・
話には聞いていたけれど 実際に面白い現象、いや、体験だった。奇妙とでもいうべきか。 

冬の八幡平での泊まり山行で 朝に空身で山頂往復し八幡沼の陵雲荘に戻り 
帰り支度をして茶臼方面に向かったのだが 下山中に黒谷地あたりでやらかしてしまった。

トレースがあったので 何気なく追ったら2回も同じところを回っていた。
さすがに3回目は「同じ場所じゃないの?」という疑いの目で
周囲を見渡しながら歩いていたので問題は起きなかったが。

リングの大きさ的には 直径で言えば50m~100mだろうか? 
円周は150m~300mくらいか? 周囲が見渡せないので 
勘で言うと5分くらいで割と早く一周してきたように思う・・・。

自分たちの踏み跡なのに 下山ルートのトレースと勘違いした。 
奇怪なリングワンデリングの 始まりだった。

リングワンデリングのトレースは 今しがた自分たちが通過したばっかり 
昨日のトレースより濃く明瞭だった。
当たり前のことだったが それに自分たちがまんまとハマったわけである。

経験の浅い者にトップを任せる場合は リーダーは2番手に就くべきか? 
トレースが濃い > 皆が通る > 正しい > 安心  頭がこういう図式になっていた。
この時の天候もガスだったが アオモリトドマツや栂の木が見えていた。

ルートをリーダー任せにしていたわけではない。パーティ全員 いつもの八幡平で 
狐にバカサレタのだった( ´艸`)

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「ホワイトアウトの中、銀嶺を進んだ」という記述が 某ブログにあったとする。。。

が、、、「真の」ホワイトアウトという状況を 書き手は知らずにいるなぁ、
”ガスに捲かれた程度” を想像でホワイトアウトという「言葉」を書いてる、

使ってみたいのかな?この人・・・と書き手の心理を探っちゃうし、
冬山の経験度合いに関しても ピン!ときてしまう。

「真の」ホワイトアウトというのは・・・? 
自分の目先は勿論、自分の足元も、手も、隣にいるはずの仲間も
全てが見えない天候状態を言うわけで、

実のところ「進めない」「歩き出せない」
というのが 「真の」ホワイトアウトという状況だ。

「ホワイトアウトの中、銀嶺を進んだ」という件りはその厳しい真冬の「現実を知らない」
矛盾に満ちた記述ということになる。

何故、進めないのか・・・?
理由は、ミルクの中に居るという表現が ピッタシだからだ。

平衡感覚を奪われ、一歩踏み出すごとに宇宙遊泳する、
自分の意志とは関係なく、雪の斜面に倒れてしまうからであり、悲しい事故を招くからである。

「真の」ホワイトアウトに遭遇すると・・・? 「まっすぐ立ったはずなのに」「意志とは無関係に」
「眩暈がしたように」身体が斜めになって 重いザックを背負ったまま、特に斜面の下方に向かって
「頭から」ダイブして バッタバッタと倒れ込むことになる。

何をしようとも鉛直に立てない。まるで酩酊状態 立ち上がろうとして 
跪く間にもズッデーンと反対側に倒れてしまう。酒に酔った経験のある方なら分かるはず。
頭から深雪に突っ込んだ者もいた。姿勢を立て直そうと あらぬ方向に立とうとする。

「反る」「反り返る」という言葉があるが本人は鉛直と思われる方向にビンと立とうとする、
だが 傍から見れば仰け反るように。
本人は真っ直ぐに立つつもりで 反対側に頭からズッデーン!と倒れる。
本人はそれで正常に直立しようとしたのである。頭から突っ込んだのは予期せぬ結果だ。

傍から見れば異常だと見えるだろうが、本人は正常に戻すためにわけもわからず
前転後転し もがき続ける。

スキ-の事例では・・・、実際にスキーは停止している のに・・・
本人はまだ滑っている感じがしている、既にスキーは停まっているのだが頭の中は滑ってる。
本人が脳内で停まったと思いきや 身体だけが慣性の法則?のように
ズッデーン!と前へ倒れてしまう。しかも大袈裟に。 

その様を「ホワイトアウトの渦中」とでも云おう。もがけばもがくほど 体力を消耗する。
覚えておくとよい。

脱出方法を教えよう、、、
「ホワイトアウトの渦中」から脱出するには 濃密な白の世界に 例えば一本のロープを投げること。 
ロープがない場合は 真白な斜面に飛び出している小枝のたった一本でも見つけること。
冷静さが大事!たったそれだけ! 視覚から情報が入ることで直ぐに平衡感覚をとり戻せる。
これも覚えておくとよい。実際これで幕営地まで前進できた。
皆一様にホワイトアウトを実体験し、渦中のもどかしさなど話の花が咲いた。

ついでだが・・・赤いロープは雪面に投げると黒く見える、青いロープも黒く見える。
蛍光ピンクは???何が言いたいのかというと・・・
明るい色のロープは雪とのコントラストが悪いので効果的ではないということ
を思い出したので追記しておく。

山岳会なら、冬山に行く際には20mほどのロープをハンマーに結んで リーダーが秘かに用意している。
雪稜を攻めず、山スキーオンリーの会もあるので何とも言えぬが いずれリーダーは覚悟して臨んでいる。
ホワイトアウトの際には コンパスで定めた方向にハンマーを投げながら前進するわけだ。
何故、ハンマーなのか って?、 
そりゃぁ 冬山の烈風をたっぷり味わうとお分かりになりますよ(笑) 

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過去に、「山スキーばかりに興じていると山を見失うよ」と言ったのは、
「雪山の本来の姿」を味わおうよ という意図からだった。
基本、自然の恐ろしさに立ち向かうには 
GPSなどのデジタル機器の効力だけでは補えきれないもの。

生温かい無風の日、
濃霧が発生するということを 予測できるかどうか? 
午後から冷たい空気が入って 温かい地上との間で濃密な霧が発生する って
予測できるかどうか? その経験も含めて「判断」が生存のキーとなる。

アナログ的な「判断」「経験」がものをいう。
脱出か、停滞か、自分たちの居る高度や地形、体力、天候悪化の予兆
などの要素で意思決定される。

ホワイトアウトか リングワンデリングか 
いずれかを経験すると自然の怖さが分かってくる。つまり雪山に臨む覚悟が違ってくる。 



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by tabilogue2 | 2017-07-28 01:15 | mount | Trackback | Comments(0)

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「草付き、ドロ壁」で 
サッと取り出せ 泥壁に打ち込めるバイルを探していた
ヒョンなことから 旧い在庫の高価な?
アイスバイル「MIZO V-1」を戴くことになった

道具は 使ってこそ活きるもの
アイスバイル、、、そのシャフトを短く切断し
ピック部も短く削ぎ落として 重さの「バランス」をとり 
沢でも 振り回せる長さにしてもらった 

市販の半値以下で 良い物が手に入った

もともと 
MIZOのクロームハンマーは持っていたが… 
後輩に譲ったままで…18年(´艸`)
今さら 戻せ!などと言えるわけがなかった

ロックハンマーは仲間から譲られたカンプと自前のペツルの2本、
バイルは後輩に譲った1本、これで併せて2本目のMIZOになる
イヤ?、朝日大桧原・トッサカ沢で紛失したグリベルを含めると3本目だが
沢で使えるのは手元に残るこれ1本のみ。

とても振りやすい
雪山でもスノーバーの打込みに… ハンマーとして使える


 
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by tabilogue2 | 2017-07-23 15:11 | mount | Trackback | Comments(4)

地域山岳会の方向性

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やまびと 1988年 30周年記念誌

2015年に書いた記事を見直してみる・・・



●地方山岳会の氏素性とは

地域山岳会と名がつくからには 地元に根付いていなければその名は使えない とか 東京に籍を置く山岳会だから全国に行くしかない とか。 仙台という地域山岳会だから 栗駒 蔵王 二口が中心になるだろう・・・とか そういうわけではないのだが 

地域に根差すということは、根本的な「地域」という拠りどころがあるという前提だ。つまり過去においては「氏素性」が明確であるということだった。 これがネット社会となり コピー文化・トレース文化の横行となれば 東京でも大阪でも仙台でも皆一様に 同じ有名どころの谷や山を登って 皆一様に同じコースを記録に落とし込む 
、、、だとして、そこには 「らしさ」がなく、ローカルだからこその「面白味」がない ということになる。

それこそ ネット社会での「知り合い」がまさに元来の「友人」であるかのように、知り合いと友人とでは大きな違いがあるのに・・・画一的にイコールに近い。その意味で山岳会も昨今は「氏素性」「所番地」「根っこ」が分からなくなってきている。


●金太郎飴ならブロガーには敵わない

どれを観ても 同じ山で 同じコースで・・・まさに記録は個性喪失、金太郎飴だ。まして地方の小さな山岳会の記録は文章巧みなブロガーにも追われ、消えゆくのみになってしまう。ここで、「一考」が必要となる。 

つまり、、、逆をいく。 今このような時代だからこそ「おらが山 おらが谷」を強烈に愛し、通いに通って愉しみつくす、そのような活動をすれば 地方山岳会の生き残る道は前途洋々な(?)わくわく感が出てくるのではないか と。

個性を大事にしなければいけない という「呪文」を云っているのではなく、日常の活動が「地域 地方」に大きく偏ってる、意識的にどっぷり地域・地方に大ブレな活動をする、そんなローカル性を前面に押し立てた山岳会じゃないと今後は生きる道を失う ということだろうか。 

もしくは、会活動から解放され「同人」となって難易度も興味度も高い沢、岩を追うだけになるか・・・。ゴルジュ記号の毛虫マークを追い求め、難易度をしめす5+などと記号を愛してばかりいたのでは(個人の興味は尽きないとしても)山岳会として、組織としての面白味は消失するのではないか?、グレード記号の世界に「人間集団の雑味、面白味」が滲み出る、味わう余地はあるのだろうか という問題が残る。すでに「同人」の域に存在する会は論外ではあるが。。。


●山岳会の進むべき方向とは

これら地域山岳会の発行する会報誌を読んでいると、40年、50年の「重みと危機感」がおしなべく巻頭言に記されている。併せて 今後の方向性も各会みな同じように示されている。共通することは、何故に半世紀以上に亘って会活動をすることができたのか?という「総括」だろう。

そこに今後の生き残りの答えが示されている。地域性を尊重し、それを会の個性だと言い切れること。それと現代にマッチする組織の軽さ、軽快感を持つような組織にするのが一番ということ。北ア 南ア 谷川 上越が気になるのではなく それを越えうるインタレストな活動が地方山岳会活動に見いだせればよいこと・・・だろう。

登山活動の活性・活発化のほかに 人間関係、会運営に関してもどんどん若い人に任務を振り分け、組織に軽快感をもたせることも重要になってくる。「自分のため」と思える質の高揚が期待できれば すでに御の字なのだ・・・である。


●雑感だが

今の世、若者・女子が普通に山岳会の扉を叩いているんじゃないのか? 僕らの頃にはなかった現象が いま興っているということだろう。入会者の増減は会活動の活発化に比例すると以前にも書いてきた。ブログを逆手にとって利用する、どんどんブロガーに変身する若手会員の身軽さも 今後は重要になるんじゃないかな(笑)



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峡彩
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くちなし
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すかり
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ふみあと
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語らいの山々
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南会津郡 西部の山と谷
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南会津郡 東部の山
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溪 1991年 創立20周年記念号
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やまびと季報
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神室岳 深野稔生 著














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by tabilogue2 | 2017-06-03 08:26 | mount | Trackback | Comments(0)

「迎合」と「柔軟」

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私はもともと「里山を歩く」という概念を持っていない。というか「山岳部」「山岳会」指向なので 標高3桁の山、高低差700m以下、登りに2時間以内 などを「山だ」と指す感覚がない、もともと持ち合わせていない。体力的に登れるうちは 「山岳指向」でいたい。むしろ そう誓っている。逆に言えば、それができなくなった時、自分の「山という概念」を捨て去ろうとも思っている。その頃から 里山散策を始めたいと思ってもいる。

山岳会では・・・「陽だまり山行」という言葉はもともとない。「冬」にゆるい山域 ゆるい山行 などありえなかったから。 最近ですか?年齢層のバラエティ化で中高年の高齢者が入会するようになってから、、、個人山行で用いられるようになった言葉のように見受ける。ハイカーには使える言葉であっても「岳人」たちには不釣り合いな?使えない言葉?だと思っている。これに類似した事柄を以下に書いてみようと思う。 昔はなかった事柄が ネット上では普通に在る? 不思議現象だ。

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「真冬に、冬山を登らない って?」
かつて、、、真冬に、冬山を登らない?、冬合宿に参加しない?というのは山岳会、山岳会会員ではありえないことだった。真冬に冬山に行くからこその山岳会であり、会員であると今も思っている。自分の頭では、冬山というものをそんな風に据えている。けして残雪期ではない。さらに「共同で成し遂げる山」、これが厳しい山行の定義だとも思っている。ついでだが、精神的な「リハビリ山行」というテキトーでいい加減な言葉もない。退会するか?休会するか?の道が残されているだけだ。本来はね・・・。

「ネット社会のB層的登山者」
今はネット社会というのもあってか?多種多様な人間や情報が集まるようになって、山岳会が元来営々と有している体質・・・例えば 伝統とか、本来の姿・あるべき考え方・・・「山岳会とは」「山岳会員とは」などの本来あるべき「原則論」や「理想」「セオリー」が消え、それに代わって「ネット上のリーダーが作った仮説」にすり替わりつつあるのが現状だ。その状況は承知しているのだが かといって「迎合」と「柔軟」とを履き違えてはいけないなぁ と、このようにも思うわけ。「定款をもたない経営はない」とでもいうか。(硬いこと言っちゃうと、、、ますます会員が増えない山岳会になっちゃうかもだが 笑)

「10年未満はまだヒヨコ」
伝統的山岳会に入って10年未満はまだヒヨコ。なのに「名声」だけがネット空間で独り歩きだす、実力とのアンバランスに当人は悩むことになる。ネットで有名人になってしまう、おまけに取り巻く周囲が持て囃しちゃう。経験深い人から観れば幼子程度の実力なのに、ネットじゃベテラン扱いされいつのまにか?ネット上では「リーダー」の一角になる方がいるが、ネットの難点「無責任」さもいいところ、それに気づかないと、ね。

現実に「上には上がいる」ということを 取り巻きが「山岳登頂・遡行記録」から学び知ると、当の本人は「謙虚」こそが勇み足をしないコツだと思うようになる。せっかく伝統的な山岳会に入ったんだからもっと先輩から学んで、伝統とか理想とかセオリーとか、山岳会の本質を知ることが重要だと思う。それは当座のブログよりも先にあるべきこと、そう思う。

「社会的ブームの受皿を担うか?担わないか?」
登山ブームという「社会的ブームの受皿を担う」、、、仙台でも 中高年を大量に組織化されておられる労山山岳会があるが、もはや山岳会も内部で二極分化してゆく方向なのだろうか? 従来の「厳しさ」指向とハイキング主体の「軽登山」指向とに。100名を超えるまでに会員を増やせば 遭難事故も頻発するようになる。となれば、山岳会の内規(規定/規約)の解釈を変えてまでして、昨日まで山と無縁だった「底辺」を受け入れ高める必要があるのか?という問題が一方であって それとも 多種多様な意見を認めつつも 会の原理原則を個人に理解してもらって、ゆくゆく努力して組織に馴染んでいってもらうのか?という「迎合」と「柔軟」とで、根本的なところで考え方が分かれ、論じられるようになってくる。 

「社会的ブームの受皿にはならない」
逆にこんな山岳会が世の中にあってもいいと思う。多角・多指向の時代だからこそ、敢えて「迎合せずに高く理想を掲げ、毅然、敢然とした山岳会」があるべきだとも思う。言いかえれば「同人」に限りなく近い山岳会が理想で、そのように個人的には思う。コンサバだが、むしろ古巣であるYMCA山岳会にはそうであって欲しいと思っている。YMCA山岳会は今の世に在っては稀有な山岳会だと思うし、「深野稔生」という看板が在るうちは「トラッド指向な山岳会」に含まれる と思っている。 成りは小さくとも特徴や方向性を明確に打ち出した山岳会、味のある人間集団になってほしいと思う。

「二者択一的な結論でいうと」
オルタナティヴな意見や生き方が今後の社会趨勢を逆転させうるとしたなら 今は極小で支持されない「異見」ではあっても、この登山ブームが去った時に忽然とマジョリティを得ることだってありうるわけで・・・とすると、今現在、基本的で原則的な「異見」は むしろ 大衆に迎合させず、筋を曲げず、姿勢を崩さずに、主張しておくべきか・・・と思っている。仮にこの登山ブームが去れば・・・隠れていた本質が見えてくるはず。「人は何故山に登るのか」「どうして冬山なのか」「共同で為し遂げる厳しい季節と山・谷」という山岳会の本来の姿が 原則を求める人たちによって表に引き出され、やがて、、、大衆にも解ってもらえるだろうと思っている。期待したい。




山岳会会員であること

◆「組織の壁」、一見 邪魔くさい壁ではあるが・・・

じつは この壁が組織を護ってくれているということにお気づきだろうか? ココが山岳会、組織の人間にとって特に重要な問題なのである。楽しいネットは命や組織を護ってくれるのか?と言い換えてもよいほどの問題でもある。

山岳会はある意味「趣味の蛸壺」。覗けば・・・伝統ある会組織であればあるほど基礎をきちんと学びかつ遭対訓練もキッチリやっているのが窺える。彼らは組織原則を護るという不文律な壁を等しく心に持っている。組織原則を護ることは自らの命を護ることと同じだ。会員が少ないと嘆く弱小山岳会であれば、組織原則の壁をガッチリ組んで会活動を絶やさず個人山行を増やし未組織者を堂々と「勧誘する」この原則的活動・行為が肝要だ。

既に分かっていることは、、、ザイルを結べば結ぶほど パーティを組めば組むほど「党派性」への理解は深まること。反対に未組織者にはそれが何故なのか?理解されることは恐らくないだろうということ。突き詰めればそこが山岳会組織と一般登山者との境界線だということ。

「冒険」と「危険」とは隣り合わせだが、夜を徹して歩くことも、自分の限界に挑むことも、冬山も、谷も滝も・・・、「冒険心」を抜きにして語れはしない。それがあるから 僕らは山岳会の門戸を「意を決して叩いた」のだった。山行の経験を積めば積むほど、安全対応へ技術も上がる。もちろん遭難などしたくない!から 春と秋と遭対訓練もするし登攀技術も雪山技術も高め合う。会の事業活動・事業目的にもそのことは謳われているはず。

一般登山者にそれらを理解して!とは言わないまでも、何のために?命のやり取りまでしてリスクを冒し山に入るのか?って問われれば、、、それは貴殿よりも「比較的に冒険心があるから」、 貴殿よりも「比較的に探求心が強いから」、 そして「より高度な自己実現のため」、 まとめて我らは「山岳会という組織の一員だから」としか言いようがない(笑)

「個人では不可能なことも、仲間がいれば可能になる」 組織の力で自己実現を得る。会社であってもどの組織であっても集団のパワーで困難を乗り切り目的を果たすものだ。山岳会とて同じである。

同じ釜の飯を食って寝食を共にし深山幽谷に入らない限り、日帰り・夏道山行の一般登山者にはとうてい理解されないだろう。未知の面白味があるから沢登りに興じるわけだし、難しい滝がクリアできたらそれだけでも楽しいものだ。夏道しか歩かない者に沢登りや藪漕ぎの楽しさがどうして解りえるだろうか。

山岳会という「目的を持った集団」とそうじゃない一般登山者とでは埋まらない溝、彼我の違いは厳然としてある。もしかすると 理解されることは永遠に無いかもしれない。山に求めているものが・・・「厳しい山行」であるのか「お花畑」を夢描くのか この二極はどこまでも二極のまま 交わるものではない。

ただ、少なくとも僕らが一般登山者に言えることは「毎月の会費は伊達に支払ってるわけじゃないんだよ」「組織の大義(事業)、その目的のために僅かな会費を支払って結束し活動しているんだよ」ということぐらいか(笑) 毎月例会に出て会費を払うというのは山岳会員としての義務であり、組織集中・自覚の証である。目的を持たない未組織登山者とは イロハのイからして違うのである。




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by tabilogue2 | 2017-01-25 21:53 | mount | Trackback | Comments(0)

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山に 泊まって 星空を仰ぎ・・・

 賢治の星たちを 謳ってみるか・・・♪


星座と一口に言うそれらを 賢治は

一つ一つ 色や形で愛で 謳った


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あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ


あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ


オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす


アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち


大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ


小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて




「星めぐりのうた」 Sinon






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by tabilogue2 | 2017-01-08 12:11 | mount | Trackback | Comments(0)

何のために 登るの?

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南会津・田子倉ダム村杉半島にて、横山よりダム湖越しに浅草岳・鬼が面山を臨む
GW4泊5日、20キロ超のザックを横に置き 山旅のメモを録る今出さん
ラクダシャツが印象的な、「奥羽山脈冬季単独縦走」を遂げたYMCAの鉄人だ



皆さま 本年もよろしくお願い申し上げます
(喪中につき 失礼いたしております)


年頭に当たり、自分の「山の捉え方」を述べてみたいと思います 
長文・・・!?、不慣れ・面倒くしぇっ て 御仁はパスしてくださいね
無理して読んじゃうと 既成の考え方とぶつかり頭が混乱しちゃうかも♪

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ふた昔も前ならば、、、
電車とバスとで登山口の民宿に一泊し、それからニ泊三日の縦走をおもむろに楽しんで下山したものでした。その際、下山口の温泉地にも野営し、また夜行列車とバスとで帰宅したものです。さらにもっと以前ならば、深田久弥の百名山にも書かれておりますように 入山に際して町場から登山口まで2日をかけ、下山口から町場までも2日を要した とありますので 交通面では難儀だったようです。山も一大決心しないと入山さえも怖じ気ずく、冒険心がないと困難に立ち向かうことも敵わない、そんな時代だったんでしょう。実際にそんな「さすらいの旅人」風な登山スタイルが多かったのです。 そうです、その昔 山は「旅」そのものでした。大袈裟に言えば、全山縦走という「山旅」に出たものでした・・・最悪の事態を覚悟もして。

「海から山へ」、、、
亡くなられたYMCA山岳会の岸先輩は「海から山へ」のエッセイを多くしたためられました。秋に発表される彼の「紀行文」が毎年私の楽しみでもありましたが、趣向の変わった?その山行記は決まって「海」から始まりました。 盛夏、海から山へと向かう道中で、見知らぬ「旅人」である自分に声をかけてくれて、触れ合った地元人との心温かな交わりに 彼はドンと背中を押されて山に登ってきた とも、「海から山へ」シリーズの根っこがそこ(人情や旅情)にある とも、仰っていました。

一つの山旅が、、、
かつて 一つの山旅が「人生讃歌」の一遍に加えられた瞬間がそこここにありました。海から…、不便を乗り越えて旅を続け、世間の多くの事象と触れ合って、車中の、旅の宿の、その時その時の旅情を味わい、人生観に備わる何かを心に据えることができたようです。でもこの話はたかだか十数年前の話であり、しかも仙台の身近な人の話です。山と触れ、地元の人たちと触れ、旅を続けてこられた岸さんの紀行文には 「旅情」という現代では失われたものを発掘しにいく「旅」、そのように僕は受け止めておりました。

今日ではどうでしょう?
車で誰もが簡単に山に行けるようになり、誰もが「日帰りピストン」する山登りスタイルが主流になりました。世の中が「さすらいの旅人」を拒絶した?かのようです。(スローライフは「奇人・変人」扱いの現代社会、それに抗うには勇気もいるのですが) 山に登ることが一般的になりますと、山はただ「消費されるだけの山」に変わっていきます。だいぶ「山」も軽くなったものだ と率直に思います。 反面、手軽に山に行けるようになった代償として、私たちは山の、山旅の、「旅情」を失うことになりました。

自分の人生だから、、、
自分がいいと思えばそれが一番ですが、そんなに「生き急いでどうするの?」と強く思います。ゆっくり「山旅」を愉しむことはできないの?とも。 自分は18歳で山を覚え、郡山・仙台で山岳会を20数年、仕事の関係で陸に上がって10年程のブランクがあり今にいたって、定年で再び夏道を歩き始め7年目になるのですが、、、山を再開して気づくことは、行き交う登山者の誰もが「同じ顔・同じ匂い」に感じてしまうこと・・・です。

まるで「金太郎飴」、、、。
他人のトレースをコピーするのが当たり前の世になり、「山レコ」のGPSトラックを辿る「他人任せのコピー登山」が横行し、オール日帰り登山?、てっぺんまで登らないとせっかく来た甲斐がない?、なので 雷雨にも歩く?、冒険と危険の違いも分からず?、無駄せず?、遊ばず?、徹夜で「効率優先」?という捉え方、コースタイムが山歩きの基準となり?、行き着く土地に金も落とさず?、薀蓄を垂れる割には山を歩いた「泥臭さ」が感じられない、そんな「華麗臭」漂う人に多く出会うようになりました。

しかもその誰もが、まるで「金太郎飴」のようです。山を再開するまでの、たった10年のブランクですが、日本のお山関係はすごい様変わりになってしまったようです。メーカーに踊らされ、山ガールが雑誌”山と渓谷”に囃され、さらに一家に一台のネット社会、一人一台のモバイル社会で、一律に同じ方向に走った結果がこの始末かと思っております。山に登る登山者はすっかり「個性」を失ったといえます。

この現象はつまるところ・・・、
しがない初心者向けガイドブックや、他人のヤマレコや、他人のGPSトラックで・・・、メーカーの宣伝もその一つの因子なんでしょうけれど、「右向けっ 右!」の号令一下、皆な一斉に右を向くってことになるわけです。少しヘンじゃないですか? 自分の「個性」を失うことに通じませんか? 個の存在が否定されてると感じませんか?・・・と、そう思うのです、いかがでしょうか? どうして想像を膨らませないんでしょうか? 僕の言ってることは間違っていますか?



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右から 前毛猛山 中岳 百字ヶ岳 太郎助山 毛猛山 ビンビンに尖った峰々をバックに緊張する



山を深く味わうこと? 
老人はある意味、経験を積んだ「老獪さ」の持主のはず・・・、でも残念ながら、山で出会う中高年人種は画一的であり 平易であり、常に動き回っており、同世代として情けなくも映るようです。40歳になって登山に目覚め、過去の20年を取り戻さんと、少しの時間も惜しい勿体無いとでも言いたげでしょうか? 余生は100名山を登るのに余念がなく、100登れれば幸せで99なら成仏できないとでも言いたげかな?(´艸`) ましてや50を過ぎて山を始めれば負い目もあるというんでしょうか? 山をスポーツ的、高効率的に捉えることが抒情的に捉えることより即座に心に適い、面白いとでもいうのでしょうか? 今の登山者は山の深みも知らず、、、そんな浅瀬で座礁しているか?または”名山”という「落とし穴」にハマっているんじゃないかな?、逆に 彼らに捉えられた山がもつ価値とはその程度なのか?、と登山という概念に根本的な疑問を抱きます。

「山が勿体ない」なぁって、、、
大らかに、山を味わいながら歩きたいと思うのですが 沢から陸に上がれば、自分の周りには抒情を介せぬピークハンターばかりが占めたりします。いつのまにかブログにアップすることがイコール、山に登ったことになっていたり? 自身が感じとった山での感想は「素晴らしい」の一言で終わらせ、あとは素人写真のオンパレだったり? 行間さえもそれで埋め尽くす そのように見受けられます。

理解できない超常現象だ、、、
いったい誰のための山でブログで、何のための山でブログなんだろう?と。して、貴方にとっての登山行為はどのような意義をもつのか?と思わずにはいられなくなります。そんなブログを覗けば、山への思い入れや山での実感がいっさい書き込まれていません。まるでガイドブックのような「無感動で平易な山道案内」と「写真日記」が続くのです。いったいこれで、大人として(言いすぎかもしれませんが?)満足できる何かを捉え得たと言うのでしょうか? 何が深く記憶に残ったといえたのでしょう? 考えさせられました。たとえば、先述した深田百名山は著者深田久弥が山を旅して、感動しそして称えた「山の讃歌」です。けして「百名山の記録簿」ではないはず、、、そのことを読まず気づかずに今日も抑揚なく、起伏のなさで山を語る大人が多いということなのでしょうか? ついつい横目で見てしまいます。

「山を登ること」と「山を旅する」こととは次元が違う、、、
旅もせずに点から点へと ETC特典で「移動」、深夜に現地着でそのまま「車中泊」は彼の計画通り。その計画には地元の文化に触れる時間や 地元の民と交わることなどは予定されませんで、汗と汚れた垢を地元の温泉で落とすだけ。せいぜい、地元でラーメンを食べたと書かれてあるだけ。明日に登る山へ移動するだけの今日の終わり方しか書かれていないようです。その今日の登山さえ既に八合目から始まるわけで しかも 100、200、300を目指すんだそうです。 これって?、一体全体、日本の、今の登山ブームは、、、何なのでしょう? 

「山を登ること」と「山を旅する」ことは次元が違う、、、考えればお分かりになることですが、それに今日も気づかず、単に「移動」し「無感動な記録」の「個性のないコピー登山」を今年も続けるというのでしょうか。 嗚呼、もったいない! 評ずれば、皆一様に横並びの人生でしょうか?、個性と感情の喪失でしょうか? 自分はそう思うのですが・・・言い過ぎてたらごめんなさい。

最後に、、、 
登山ブームがもたらす此等って・・・、先日 豪雪に閉ざされた千歳空港で100人余りが集団ヒステリーに罹り、暴徒と化したどこぞの国の観光客にある意味似てはいないでしょうか? 皆一斉に「右向け~ 右!」、、、エキゾチックジャパンならぬヒステリックジャパンとでも申しましょうか?・・・文明大国の日本ですが、創造的文化という点では まだまだ「惰眠の中」のようです。

オリジナリティ、個性、自分らしさという面は 「右倣えの国民性」の何処に見受けることができると言うんでしょうか?、、、今年は これらを一緒に考えて山に登りにゆきましょうね。



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とまあ 年頭にあたり、チョイと述べてみたくなりました。 
これを携え 本年も山に向かいたいと思います( `ー´)ノ
よろしくお願いいたします。 


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以東岳冬季合宿 茶畑尾根パーティ、、、左から 町田、佐山、今出、佐野、菅原、舘岡、秋山、故佐藤、神崎
偶然、このパーティは会の歴代運営委員長たちで構成された、、、すごいメンツばかりだった
深雪ラッセルを3日間、ただ専らの毎日でついに稜線を得た だが、CLは猛省しきりのようだったが?
                                    撮影:大鳥繁岡にて

そういえば、、、写真の町田くん 彼とは「酒の縁」で今でも繋がっているような?気がするのですが(´艸`)
当時、彼は「早池峰にゴミは似合わない実行委員会」(菅沼賢治会長)の提唱する山頂トイレの屎尿担ぎに
参加していましたっけ、気合がじつに違ってた!こだわる男でした。東北山岳写真家集団にも入っていました
 今は、NPO:川崎-仙台薪ストーブの会会員、宮城県森林インストラクター協会会員とのメールでした                  


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禿岳集中3パーティ 火ノ沢尾根P 水上沢尾根P 花立峠稜線P
前列左から 故佐藤 私 秋山 丸山 
後列 佐藤(芳) 西田 坂本 舘岡 太田 故岸  

当時は 明けても暮れても朝日、朝日、朝日、でした。夏も秋も冬も朝日連峰
時々、こうして禿に登ったりはするけど、頭の中は朝日の銀嶺と緑の谷でした
この時代 YMCAには20代 30代 40代 50代 60代と各世代が打ち解け合って
何とも言えない「黄金期のような」山岳会活動でした。粒選りな会員のあつまりでした。
もう二度と やっては来ないでしょう。











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by tabilogue2 | 2017-01-03 23:29 | mount | Trackback | Comments(2)

スパイク長靴 part2



昨年の掲載記事を以下に再度掲示します

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泉ヶ岳ヒザ川 黒鼻山渡渉点

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帰り道、黒鼻山の分岐で イヤな光景を見ちゃったなぁ。
登山者同士の喧嘩。

犬ぞりを曳いていたファミリーに 堅物そうな爺さんが文句つけてましたよ。
山に犬を連れてきてはダメでしょう!というのが爺さんの主張。
さらに生態系が乱れることを 山の愛好家として考えてほしい!  とね。

まあ爺さんらしい文句のつけ方、 厳密に言えば それはそうなんでしょうけど・・・。
でも ファミリー登山者には子供がいる という状況で、しかもここは「市民の山」です。
観れば 、、、犬ぞりにはキチンと「袋」?が内容物入りで下げられているし、
犬ぞりなので放し飼いではないし、生態系が崩れるような違反者ではなかったのに・・・、

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ひとまず ここで私見を・・・

犬の糞尿で動物たちに影響を及ぼす とは 妥当性あるご意見なので
野放しせず リードをつけて オシメをさせて? 糞尿の処理を飼い主に義務付ければよい

そうであるならば、
市民の山として泉ヶ岳を抱える仙台市が この件で山の利用法を決めればよいこと 

利用方法(マナー)や禁止事項に 自分の行為が触れていなければ 
泉ヶ岳では「良い」ということになる 

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なんですが・・・ お母さんも負けてはいなかった。
「生態系が崩れるというのは 具体的に何をすれば崩れるのですか?」と問い返していた。
そりゃそうだ 説明しろよ爺さん。何故を説明しなきゃダメだろに・・・?

まっ、爺さんはダメなもんはダメ、「教条的」なんだな。 納得いくものではない。
犬を連れて歩いてはダメ!の一点張りじゃ 今どき説得力がない。
何故ダメなのかを考えて物言いしていたら もう少し状況が変わって居たろうに。
里山、しかも「市民の山」である泉ヶ岳の水神コースを往復することぐらいで
目くじら立ててもしょうがないんじゃないの と個人的に思った。

さて、、、「市民の山」で犬ぞりを曳かせて何が悪いんだろう?
犬を放し飼いしてる登山者らと区別すべきだよなぁ… 爺さんは。
ファミリーの旦那さんが言ってたけど、 「生態系壊してるのは人間の方じゃないの?」
、、、まさに同感である。

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もっと悪い連中は他にいるんじゃないの? 泉ヶ岳の麓に産廃を持ち込んだ悪徳業者とか、、、
個々に見れば、、、糞尿を垂れ流す登山者なんか 五万と居るわい(笑)
いまどきトイレのない避難小屋なんて・・・? 小屋の周りは「白い花」に囲まれてるぞ!

・・・てことは、、、
悪いのはトイレ(小屋)を建てない宮城県になるじゃん 仙台市か? もしかして・・・
「携帯トイレの義務付け」なしで登山者に山を開放してる・・・、つまり 犬だけではないのだ。
犬より 登山者の方が圧倒的に多いのだ この事実をどう説明する 爺さん?

ちなみに 「携帯トイレ」をザックに忍ばせてる登山者は 何%いるでしょう? 
さらに、使用してる人って何%になるんでしょう? その辺で やってんの?(ですかね) 
携帯トイレを使ったことないんじゃないの 昔の登山者様がたは・・・という疑問も?

帰省ラッシュで高速道路渋滞のトイレ対策もしないで 車で出かける様なもんかぁ…

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文句を付ければキリがないw  もっと大局に立って物事を言いなさいよ。
「人が入れば山は荒れる」「人間が移動すればゴミの山」、ここが根本的な問題なんでしょ?。
だから ルールが必要なんでしょう? 
(携帯トイレを ご自身がもってから山に入ろう とかね)

たとえば・・・ 特に里山は山菜、キノコとブームだからどんどん入る。

ソフトインパクトを承知しながら スパイク長靴(スパ長)で闊歩し、
そのスパ長で歩いた里山や藪山を自分のブログで公開してるようだけど。

たとえば・・・ ビニールや化繊赤布とスパ長の違い? 
たとえば・・・ さらにネットでGPSの公開? 
善と悪と、、、どう区別するつもりなのかな?
自分の物差しで測って 間尺に合わないからヤメロ!
ネットで他人に向かって叫んだところで 何がどのように変るんだろうか? 
仙台市公園課に直接問題提起するとか・・・いかが?

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蕃山の伐採問題も、赤布ベタ打ち問題も、犬連れ登山の問題も、
正義漢振ってブログで叫ぶのはいいけど、云うだけで終わりなら事実は何にも変わらないのだ。

一度、旗を振ったら最後まで振り続けてください そして自ら先頭に立って「運動」を発展させて!
運動がどんだけ地味な努力なのか? 実際に体験し、理解してから ブログで発信してください。
ブログで、叫んだ本人たちは 既に次ぎに登る山に関心がむかってるみたいだし・・・? 
ブログ読者を二階にあげておいてサッと梯子を外して、さようならか? おいおい(´゚д゚`)

言いっぱなしじゃ何も変わらない! 
ここでの 犬ぞりのオーナーに文句をつけた爺さんと同じじゃん。

最後までやり遂げることのない主張ほど・・・空しいものはないんだよねえ。
安保世代、団塊男は そう思うんだけどねえ。。。



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by tabilogue2 | 2016-12-19 15:43 | mount | Trackback | Comments(0)

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篤志家たちが愛する「とっておきの里山」をネット公開するというのは 功罪両面が含まれると思う。
密かに里山を登る愛好家はなるべく自然のままで、そっとしておきたいと思うのが普通だと思う。

最近、里山もブームに乗っかり多様化してきた。なかには里山でビニールテープのベタ張りをする人、
化繊赤布を意味なく下げる人も多く出ているようだ。その点では昔に比べ 里山は見苦しくなった。
さらにスパイク長靴(スパ長)での山歩き、どちらも「自然に異物を持ち込む」という点で問題があると言える。

でも もともと ネット公開そのものこそが 里山に大きなインパクトを与えているのだ と私は思う。
過去10年間、ブログに里山の「GPS軌跡」を載せた方は即刻削除し、為した罪を詫びるべき と個人的に思う。
里山のGPS軌跡を掲げる=「個の存在を示す」仕草はとっくに「過去の習い」になった、むしろ「犯罪」と考えるべきかな。

酷い記事になると 自分のブログで里山を公開しておきながら、
「テープのべた張りは山を汚す」「山では自分の足跡以外は残すな!」と息巻く。
ネットに自分たちが歩いた軌跡を公開しておきながら、かつ 多くの不特定多数を里山に招いておきながら・・・
他人には「足跡以外は残すな!」という。この矛盾を感じないのだろうか? ヘンじゃないか?偽善者たち!

年柄年中 スパ長ハイクをやってる自分たちを棚に上げ このコメントは欺瞞としか言いようがない。
集団でスパ長ハイクすれば藪山に「道」ができ 植根は浮き上がる。ソフトインパクトさえヤバ過ぎだ。
自分たちは善で、他人の行為は諸悪? ??矛盾してるとは思わないのだろうか? 

そもそも 里山の記録をネットで公開すること自体が 篤志家達にとっても里山にとっても罪深いもの、
さらにスパイクで植根を荒らすという どちらも非社会的行為なのだということに気付くべきだ。
ビニールテープのべた張りも、スパ長ハイクも、さらに里山のネット公開も「 辞めるべき時がきた」
一人の山愛好者として主張します。

時代が変わって 我が子から 「スパイク長靴っ 昔 お父さん 履いてたの?」って聞かれたらどう答えますか?
きのこ、山菜も生えない里山になったら・・・山岳愛好家としても、親父としても それは 恥だよ(笑)
キノコや山菜採りで 必要なら 四本爪の軽アイゼンで その場は充分まかなえるはず!
決心しましょう「スパイク長靴は禁止」って。。。


以下は とある若手のブログ、スパ長愛好家諸君は 参考にしてください。。。

「スパイクのピンがシーズン後には何本か抜けてるって言ってたな。
それって 山に置いてきてるんだよなぁ って、今まで買えないでいた次第 (;^ω^)」



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by tabilogue2 | 2016-12-06 11:26 | mount | Trackback | Comments(2)