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踏査し発見した当時の写真 YMCA山岳会 発見者:佐野さん



●1998年の冬に 小桧沢(こびのきざわ)周辺から虚空蔵山に向かった時 クロベの森に気づいた。
広大なブナの森のその中心部に 大きな地形的な盛り上がりがあった そこがクロベの森だった。
2000年に測定を2度試みた。最初は4月に5mのメジャーでしかも積雪2mもあった。2度目は5月に10mの巻尺で。。。

●2000年4月15日 YMCA山岳会第1回目調査 残雪が2mほどある時期の計測。幹回りが1mほど細い。
測定の結果
幹回り8m級 1本
幹回り6m級 1本
幹回り5m級 2本
幹回り4m級 9本
幹回り3m級15本
合計 28本

●2000年5月21日 YMCA山岳会第2回目の栗駒山南面「クロベの森」調査記録である。
測定の結果
栗駒山の大地森(だいちもり)西側にある「クロベの森」(ネズコ繁殖地)に生息する巨木たちの実態。
決められたルールに従って地上から1.3mの幹回りを借りた巻尺で測定する。その結果は 9.4m。
栗駒山一どころか、ひょっとしたら日本でも有数の巨木に 数えられるかもしれない。

落雷によるひび割れで焦げたあともある。落雷を受け商品価値がなく切られずに残ったようだった。
そういえば 隣に立つ「愛称:花子」も落雷を受けていたっけ。その手前の木も。。
ヒノキなら1本あたり数百万円の市場価値があると言われるから この辺の28本を掛け算すると…?(´艸`)

●話は飛ぶが その後に宮城北部森林管理署との話し合いをもった。
1.小桧沢林道を延長しない 中止とする 
2.ネズコの伐採はしない 
3.保全を今後考慮する
との回答を得たのは 2004年5月17日 実に発見から4年が経過していた。(YMCA山岳会 会報 やまびと 37号より抜粋)

●当時の朝日新聞紙上(2000年11月14日)に掲載された記事によると・・・
「地上2,3mのところで大きく幹分かれしている。樹齢は1000年~1500年の間
「全国巨樹巨木林の会」に問い合わせたところ「日本最大級」であることがわかった。
林道のそばに残った貴重な巨木だけに今後が心配だ 保存を真剣に考えてほしい」との深野さんのコメントも載った。

●「自分たちで見つけた森 そして巨木であることに意義があるのさ」会報に記された深野稔生さんの言葉である。
それにもまして運営委員長だった佐野さんの言葉が光る この頃は深野会長と一緒に行動していた…(と思うと切ない)
環境ウォッチャーとしての役を担った佐野さんの存在は重い、誰にも真似のできない行動力はじつに感慨深い。

●2002年3月の記録・・・ 
吹雪は去った。つかの間の青空も去り、再び雪が降り始めた。
早朝、いこいの村から栗駒山頂を目指し お駒ケ岳からクロベの森まで滑りおりてきた。
「クロベ太郎」の傍らにテントを張って 翌朝まで17時間余りを会長と二人きりで過ごすことになった。
クロベと同じ空間そして時間を共有したせいなのだろうか、上手く表わせないけれど、今までとは感じ方が違う、
などと偉そうなことを書くのはよそう。しょせん17時間なんてクロベにとってはほんの一瞬なのだから。
何しろ相手は「動かない」「静止」することに関してはプロ中のプロ。年季の入り方が桁違いである。
「不動の者」を理解するにはこちらも同じ環境に身を置き「動かざる者」になること、それ以外に方法はない。
                   YMCA山岳会 佐野.記 会報やまびと37号より抜粋

●YMCA山岳会の栗駒踏査による巨木発見から 今日で17年が経過した。
現在、登山道が刈られ 案内看板が設けられ 一躍人気のコースとなったが
林野庁当該森林管理署に申し入れした「クロベの周囲に柵をもうけてほしい」との2004年当時の要望事項は
いまだに適えられていないようだ。多くの来訪者らに根本が踏み固められるのは時間の問題だ。
枯死しないとは断定できないが、その前に樹勢が落ちるのは他の事例で分かっている。それまで無作為にいるのも辛い。

●2017年6月18日、その巨木「クロベ太郎」に再会できそうである。「クロベ花子」も写真に収めてこようかな。
船形山のブナを守る会主催 「千年クロベ」見学会 
6月18日 7時集合 世界谷地駐車場 
参加費500円
参加希望の方は連絡先をコメント欄に書きこんでください。道が不安内の方も同様にコメントください。コメントは非公開です。。。

どんなアカデミックな話が聞けるのか いまから楽しみである。
 


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第二次国有林野施業実施計画図より 小桧沢林道とクロベの森付近を抜粋コピー
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2000年発見当時は まだ案内経路を示すべきかどうか?決まっていなかった
小桧沢林道を明記しない概念図のみで マスコミにネタを流した。






 

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by tabilogue2 | 2017-05-12 21:36 | 栗駒山 | Comments(0)

烈風 東栗駒山

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「ゆうゆう館ツアー」で東栗駒山のお手伝いでした。
今日は久しぶりに 吹かれに吹かれた山頂でした 25mほどの風速でしょう
岩につかまったり 四つん這いになったりして 煽る風を凌ぎます

娘さん よくき~けよ
山男にゃ 惚~れ~るなよ~
山で吹かれりゃよ~ぉぉ
若ゴ~ケさんだよ

かつてのダークダックス(で 良かった?)の歌を思い出させてくれます
まあ登ってる半分が おばさん達ですが・・・山女? 失礼w


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強風の午前だった 新湯沢の雪庇はこんな感じでした 
雪庇先端部、2mほどオーバーハングして先端が逐次崩れ 剥がれ落ち
切れ目 裂け目が いかつい8mほどの沢最上部末端の雪庇です。
いつ大崩れしてもおかしくありません。

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午後は手袋拾いができたほどの快晴無風。上の写真と同じ雪庇を左岸側から撮影
この中央部分のハングした雪庇の下部、左岸雑木の前、沢床に手袋が・・・


今日は山頂へ向かうほど風が強まる。ブリザードの雪と風で地上から1mは見えない状態です。このブリザードの中 手袋を飛ばした人が居てしかも飛ばされる手袋を追ってるのが後方から微かに見える。やっぱり飛ばされ追いかけてるのは「あの人」、だいたい予想がつく。自然現象の上に自分を置いちゃう人。あのまま追い続けていたら あと数mで雪庇とともに落ちることになる。リーダーの大声に止められた。( 次回までに オーバーミトンの左右を肩下げの紐で繋げて対策してください!って それだけでは済まない )

そんな人って何処にでもいるのは知ってるし、問題をよく起こしがちなのも知っている。山では避けたい行為だ。パーティシップ以前に本人が自分の行動パターンに気づかぬうちは…、何を語って聞かせてもダメ。隊列を乱す人ってそもそも、せっかちで、リズムが違う、私語が多い、騒ぎたがる人、文句言う人、逆らう人、口ごたえする人、聞いていない、こういう人は他所のツアーに出かけても同じことをやらかすはず。 何故って?それがその人の行動パターンだから。
 
「毎日がんばってる私、多忙な自分を解放させたい」とかってそれだけを思って休日に参加してるんでしょう。バンバン飛ばす 追い抜く トレース外し 雪上だから許されると思っている そんなにパワー余ってるんなら他所で汗かいてほしい! 全体の利益に反するし迷惑行為だ。 

串田孫一の言葉に「頬に痛い横なぐりの風と雪を待ち焦がれる心」というのがあるけど、そんな心を抱けるのは ストイックな世界を描ける岳人に限られているようです。

というわけで 一般募集ツアー登山の「悪い面」を 今日はたっぷり見てしまった感があります。

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強風の午前中から一変 ときおり吹く風は春風か?w


往路では飛ばされた手袋の回収を諦めたが これがもし縦走だったら?凍傷覚悟になるか、パーティに迷惑をかけてしまう。なので非常事態を想定して その回収を試みようと復路では雪庇の向かい側(左岸)へ向かう。できることなら?、回収してみようか。落し主はその意図が読み切れておらず、自分だけが落とした自分だけの手袋 それだけに関心が行って 周りを見ない。同じコースを復路に選んだ理由さえ知ろうとしない。午後の陽気に、午前中にブリザードで飛ばされた手袋のことなどすっかり忘却のかなたw 先刻までピョンピョン跳ねていた。また新品買えばいいんだもんねw

私が沢への下降準備でアイゼンに履き替えを始めると、後ろのほうからザックを置きっぱにして雪庇下に向かおうとする動き。「危ないっ そこを動くなっ!」 怒鳴りつけた(いちおう ゆうゆう館のお客さんなんだが)さすがに動きを止めてくれたが、勝手な行動が大事故につながることを事前に自己学習して参加してほしい。

ザックが滑り落ちないようピッケルで確保残置し、降り口を確認。8mほどのオーバーハングした雪庇の状況を確認。沢筋通しに入らず雪庇に近寄らず、手袋との「最短距離」の対岸から直角で藪懸垂で向かって、即座に拾って直角で戻る。いちおう作戦通り上手くいった。 首尾よくいったからよかったが、、、高さ8mほど、庇部2mほど 覆いかぶさるような雪庇 真下からチラ見するもホンの一瞬だけ、雪壁には斜めに亀裂が走っておりヒヤヒヤものだったw 

本来はザイルを張って非常事態に備え、何かあれば?仲間に曳いてもらうよう指示すべきだが、そこはそれ、にわか仕立てのツアーパーティだし意思疎通ができるわけがないだろう、それに地形的にも厳しいと読んだ…。でもまあ、9mm✕30mロープはあるので(体験として)引かせればよかったかも…?少し後悔。 上部アンカーからセルフビレイをとる、ピッケルとカラビナを使ってイタリアンヒッチで、ロープの繰り出しと引き寄せ、もしくは肩絡み確保と順手逆手…ぐらいは 教えられたんじゃないかな。女性だから…って 甘く見てしまったかも?

雪庇が崩れる怖さを知らないツアー参加者たち アレって…氷塊だよ! 雪じゃないんだよ! 何トンという重さで崩れ落ちたら ぺっちゃんこ、圧死だよ…ってマジ教えなくちゃアカン でも誰が?どうやって?


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午後、イワカガミ平の上部の右岸雪庇 10mのオーバーハング
浮世絵の北斎の富士の画に描かれた波濤を思い起こせば・・・ま そんなイメージ

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稜線に出ると 氷の小さい塊がビシビシ顔に当たる それも楽しいらしい 

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進む先は東栗駒山

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スキー隊は スキーをデポしてカチで向かう 
25mほどの風速に煽られながら ピークまでいってきた
「息ができない」「死ぬかと思った」…だって 興奮冷めやらぬw

上部強風は半端ではなく 岩につかまりながらも三角点に立てて 良かったね


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今日のおまけ… シリセード
トップはうまく滑りません 二番手以降は滑り出しから勢いがありますぞ
女性って なんでこうもシリセードが好きなんだろね・・・

ってことで・・・ 俺もやってみた   あは 面白かったw

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by tabilogue2 | 2017-03-05 19:46 | 栗駒山 | Comments(0)

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朝の9時半に須川温泉を出た ちょうど2時間で笊森避難小屋
だいぶゆっくりと歩いたものだ が、今日は重い革靴での歩行訓練を兼ねていた
30歳のときに買い替えたドロミテ製の手縫いの登山靴(重さは左右併せて3kg)

重い登山靴は靴底が硬い それゆえ
足首を曲げて、蹴って歩く、という普通にやっている「歩く動作」ができない
必然的に、「太もも」を上げて下ろしての繰り返しで歩みを進めることになる
普段使っていない 冬山でしか使わない筋肉を使うので 筋肉痛になるのは必至だが
でも、この訓練を始めておけば 深雪ラッセル時に 充分な効果を発揮するはず



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小屋の周りの草原は 秋色になっていた

小屋で昼を迎え まずはビールの小缶、、、腹に収まったところで
湯を沸かし、カップヌードルに注いで、オニギリと漬物とでお昼とした
漬物はこの時のために3日前から漬けておいた 自家製は旨いのだ

下草刈りのおじさんたちがやって来て お弁当を一緒に、楽しみを同伴する
「須川の自然を考える会」のお二人だったが 1時間も四方山話に花を咲かせる

昼を終え小屋を出たのが12時半、栗駒山頂へは1時半を回った頃にようやく
帰路は須川コースをとった、須川温泉駐車場には3時半についた
すでに大腿筋はパンパンで 足の甲にも少し痛みが出た

一年ぶりの重登山靴で 少し悲鳴をあげたかな? (´艸`)
心地良い 秋迎え山行となった


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彼らとの四方山話・・・
話の流れで古道の話になり 秋田院内銀山と藤原氏の関係から始まって
安倍一族の支配地域は横手金沢の柵 盛岡の厨川 南は北関東まで
広大な地域を支配していた地方豪族だった というよな話であったが、
その後 藤原氏の時代に秋田銀山との往来に使われていただろう、この栗駒の真湯コース
祭畤マツルベに抜け 厳美に下った・・・ なんて話を一くさり聞いていた
時代年号が ぐちゃっと一緒くたになってはいたがw 面白く聞いていた

彼らは一関市の委託で小屋から真湯までのコースで草を刈っていた。
このコースも岩手宮城内陸地震で地崩れし、今現在も通り抜けできていない
今回、この真湯コースを新規に補修し来年以降に整備されるとのこと


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笊森を正面に赤い屋根の避難小屋が見える
ここが産女川の源頭になる

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小屋の北側に回って 端山(真湯)コースから山頂を眺める・・・


笊森といえば産女川(ウブスメガワ) 産女といえば美渓といわれてきたが
内陸地震で 崩れたスラブ壁が滑床を埋めてからは、、、行けていない

25年前、仙台に戻って当会に入会した頃 
会山行は「栗駒特集」だった

その頃、産女川には見張りの人たちがいて ピケをはって立入が禁止された 
ブナの森への立ち入りも 産女川入渓も遡行もままならなかったのである
特に産女橋のところで 渓流釣りの人は入渓を完全に拒まれたりしていた
「ブナの森を守る」=「立入禁止」、、、
その極論的考え方が「須川の自然を考える会」の前身だったように思っている
当時 地元の見張りの方に止められ、入渓時に口論となった当会々員も出たほど


”森に親しんでこそ森を守る意味を実感する” 

というのが我らの主張だったが
岩手側の「保護運動」には権益が絡んでいるのでは?
と訝るほど一も二もなく立入禁止!

今でこそ普通に自然保護という言葉や活動自体が 日本に広く認知されているが
自然保護運動の初期段階においては、運動そのものの「歪み」は各地にあった 
白神山地もそれに含められるが、産女川入渓問題にもそんな時代背景を感じた


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山頂手前から笊森までの斜面を振り返る 
もうすぐ 真っ赤に染まる



当時、25年ほど以前、同時並行的に市民運動は全国で盛り上がりを見せ 
資本の投入による自然破壊 国家絡みのダム建設問題 大規模ブナ林伐採
などに反対し 全国で自然保護運動が深化し浸透した時代背景がある

「立木トラスト運動」は仙台市蕃山の造成工事を止めさせ、
「船形山ブナの森保護運動」も広く支持され始めた
だが そうはいっても、栗駒山では「権益」が絡む?異質な土壌を感じ取っていた

産女川の入渓問題にあるように 岩手側は同じ運動でも「裏」があると思われた
考えてみれば「小沢帝国」の影でもあったのか? 当時、石淵ダム建設は表に出ていなかったが。
昔の旧石淵ダムの右岸近くに 小さな石淵温泉があった時代の古い話だ 

そうやって 僕らの若いころは自然に親しんだ 
そのかたわら自然保護運動にも参加した
バランスの取れた山岳会活動をしていた 
「山は総体だ」という考えが基本にあったから。

山を消費の対象とし、ワハハ、オホホと親しむ今の世とは 
山への向かい方が違っていた ま、昔は何事にも「ひた向き」だったのだ

栗駒の宮城側、大地森の「クロベの森」保護運動は当会の佐野さんが「保護の確約」まで奔走した 
今でこそ 皆さんは山スキーで「1000年クロベ」を訪ねておられると思うが・・・ 
そこには 自然を護るという潮流があったからこそ 楽しめている今現在があるわけ。。。

当時、栗駒耕英地区の養魚場の数又さんらは 我らの活動を理解もし支持もしてくれていた



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一関市ではこの笊森避難小屋に泊まる際には申請をしてほしいような旨を
述べてるらしいが・・・避難小屋の性格上 それはできない相談だと思う

それから・・・話のおしまいに 小屋の委託管理人が今年お亡くなりになり 
これの小屋終いも 「須川の自然を考える会」がすることになった とこぼしていた。


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山頂から宮城の栗駒山麓を見下ろす



以下に、「紅葉狩り」にむけた笊森(ザルモリ)コースの道案内をする・・・

須川温泉から登り名残ヶ原を過ぎ 左手にゼッタ沢が見えてくると笊森分岐(苔花台)
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ここが笊森分岐(苔花台)・・・右へ須川コース 左へ笊森コース
標識通りに左へ折れ ゼッタ沢を渡渉する
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次は、水量の多い「三途の川」をわたる

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産沼ウブヌマにつく
ここから僅かで笊森避難小屋分岐となる
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ここが産沼分岐
栗駒山頂を目指すなら ここを直進する笊森コース なだらかだ
笊森避難小屋へ向かうなら左折する 道なりに900mほど
途中に 泥地が2箇所ほどある

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途中、磐井川源流の水場あり 
小屋で食事を作るならこの水場で汲んでゆく

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チョウジギク
産沼分岐から500m、藪化した東栗駒山への沢道を右に見る
笊森避難小屋へはこの沢を横切り東進する 

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産女川源頭部

笊森避難小屋付近の刈り払い 藪に隠れた道形を起こしている
道は笊森に向かうが、稜線まで上がらず笊森の右肩、産女川左岸を辿る
桂沢までは6kmほど


今夏の台風のせいで 道々ぐちゃぐちゃの箇所もあったが、、、
須川コースと違って 笊森コースは段差や岩ゴロが少なくて歩きやすい。

次回は・・・
 秣岳から登って栗駒山を経由し笊森避難小屋に泊まって翌日下山する
ちょうどよいコースと宿泊が得られる オススメである

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色付いた名残ヶ原




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by tabilogue2 | 2016-09-17 20:46 | 栗駒山 | Comments(2)