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朝の9時半に須川温泉を出た ちょうど2時間で笊森避難小屋
だいぶゆっくりと歩いたものだ が、今日は重い革靴での歩行訓練を兼ねていた
30歳のときに買い替えたドロミテ製の手縫いの登山靴(重さは左右併せて3kg)

重い登山靴は靴底が硬い それゆえ
足首を曲げて、蹴って歩く、という普通にやっている「歩く動作」ができない
必然的に、「太もも」を上げて下ろしての繰り返しで歩みを進めることになる
普段使っていない 冬山でしか使わない筋肉を使うので 筋肉痛になるのは必至だが
でも、この訓練を始めておけば 深雪ラッセル時に 充分な効果を発揮するはず



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小屋の周りの草原は 秋色になっていた

小屋で昼を迎え まずはビールの小缶、、、腹に収まったところで
湯を沸かし、カップヌードルに注いで、オニギリと漬物とでお昼とした
漬物はこの時のために3日前から漬けておいた 自家製は旨いのだ

下草刈りのおじさんたちがやって来て お弁当を一緒に、楽しみを同伴する
「須川の自然を考える会」のお二人だったが 1時間も四方山話に花を咲かせる

昼を終え小屋を出たのが12時半、栗駒山頂へは1時半を回った頃にようやく
帰路は須川コースをとった、須川温泉駐車場には3時半についた
すでに大腿筋はパンパンで 足の甲にも少し痛みが出た

一年ぶりの重登山靴で 少し悲鳴をあげたかな? (´艸`)
心地良い 秋迎え山行となった


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彼らとの四方山話・・・
話の流れで古道の話になり 秋田院内銀山と藤原氏の関係から始まって
安倍一族の支配地域は横手金沢の柵 盛岡の厨川 南は北関東まで
広大な地域を支配していた地方豪族だった というよな話であったが、
その後 藤原氏の時代に秋田銀山との往来に使われていただろう、この栗駒の真湯コース
祭畤マツルベに抜け 厳美に下った・・・ なんて話を一くさり聞いていた
時代年号が ぐちゃっと一緒くたになってはいたがw 面白く聞いていた

彼らは一関市の委託で小屋から真湯までのコースで草を刈っていた。
このコースも岩手宮城内陸地震で地崩れし、今現在も通り抜けできていない
今回、この真湯コースを新規に補修し来年以降に整備されるとのこと


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笊森を正面に赤い屋根の避難小屋が見える
ここが産女川の源頭になる

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小屋の北側に回って 端山(真湯)コースから山頂を眺める・・・


笊森といえば産女川(ウブスメガワ) 産女といえば美渓といわれてきたが
内陸地震で 崩れたスラブ壁が滑床を埋めてからは、、、行けていない

25年前、仙台に戻って当会に入会した頃 
会山行は「栗駒特集」だった

その頃、産女川には見張りの人たちがいて ピケをはって立入が禁止された 
ブナの森への立ち入りも 産女川入渓も遡行もままならなかったのである
特に産女橋のところで 渓流釣りの人は入渓を完全に拒まれたりしていた
「ブナの森を守る」=「立入禁止」、、、その極論的考え方 
地元の見張りの方に止められ、入渓時に口論となった当会々員も出たほど

”森に親しんでこそ森を守る意味を実感する” 

というのが我らの主張だったが
岩手側の「保護運動」には権益が絡んでいるのでは?
と訝るほど一も二もなく立入禁止!

今でこそ普通に自然保護という言葉や活動自体が 日本に広く認知されているが
自然保護運動の初期段階においては、運動そのものの「歪み」は各地にあった 
白神山地もそれに含められるが、産女川入渓問題にもそんな時代背景を感じた


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山頂手前から笊森までの斜面を振り返る 
もうすぐ 真っ赤に染まる



当時、25年ほど以前、同時並行的に市民運動は全国で盛り上がりを見せ 
資本の投入による自然破壊 国家絡みのダム建設問題 大規模ブナ林伐採
などに反対し 全国で自然保護運動が深化し浸透した時代背景がある

「立木トラスト運動」は仙台市蕃山の造成工事を止めさせ、
「船形山ブナの森保護運動」も広く支持され始めた
だが そうはいっても、栗駒山では「権益」が絡む?異質な土壌を感じ取っていた

産女川の入渓問題にあるように 岩手側は同じ運動でも「裏」があると思われた
考えてみれば「小沢帝国」の影でもあったのか? 当時、石淵ダム建設は表に出ていなかったが。
昔の旧石淵ダムの右岸近くに 小さな石淵温泉があった時代の古い話だ 

そうやって 僕らの若いころは自然に親しんだ 
そのかたわら自然保護運動にも参加した
バランスの取れた山岳会活動をしていた 
「山は総体だ」という考えが基本にあったから。

山を消費の対象とし、ワハハ、オホホと親しむ今の世とは 
山への向かい方が違っていた ま、昔は何事にも「ひた向き」だったのだ

栗駒の宮城側、大地森の「クロベの森」保護運動は当会の佐野さんが「保護の確約」まで奔走した 
今でこそ 皆さんは山スキーで「1000年クロベ」を訪ねておられると思うが・・・ 
そこには 自然を護るという潮流があったからこそ 楽しめている今現在があるわけ。。。

当時、栗駒耕英地区の養魚場の数又さんらは 我らの活動を理解もし支持もしてくれていた



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一関市ではこの笊森避難小屋に泊まる際には申請をしてほしいような旨を
述べてるらしいが・・・避難小屋の性格上 それはできない相談だと思う

それから・・・話のおしまいに 小屋の委託管理人が今年お亡くなりになり 
これの小屋終いも 須川の自然を考える会がすることになった とこぼしていた。


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山頂から宮城の栗駒山麓を見下ろす



以下に、「紅葉狩り」にむけた笊森(ザルモリ)コースの道案内をする・・・

須川温泉から登り名残ヶ原を過ぎ 左手にゼッタ沢が見えてくると笊森分岐(苔花台)
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ここが笊森分岐(苔花台)・・・右へ須川コース 左へ笊森コース
標識通りに左へ折れ ゼッタ沢を渡渉する
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次は、水量の多い「三途の川」をわたる

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産沼ウブヌマにつく
ここから僅かで笊森避難小屋分岐となる
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ここが産沼分岐
栗駒山頂を目指すなら ここを直進する笊森コース なだらかだ
笊森避難小屋へ向かうなら左折する 道なりに900mほど
途中に 泥地が2箇所ほどある

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途中、磐井川源流の水場あり 
小屋で食事を作るならこの水場で汲んでゆく

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チョウジギク
産沼分岐から500m、藪化した東栗駒山への沢道を右に見る
笊森避難小屋へはこの沢を横切り東進する 

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産女川源頭部

笊森避難小屋付近の刈り払い 藪に隠れた道形を起こしている
道は笊森に向かうが、稜線まで上がらず笊森の右肩、産女川左岸を辿る
桂沢までは6kmほど


今夏の台風のせいで 道々ぐちゃぐちゃの箇所もあったが、、、
須川コースと違って 笊森コースは段差や岩ゴロが少なくて歩きやすい。

次回は・・・
 秣岳から登って栗駒山を経由し笊森避難小屋に泊まって翌日下山する
ちょうどよいコースと宿泊が得られる オススメである

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色付いた名残ヶ原




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by tabilogue2 | 2016-09-17 20:46 | 栗駒山 | Comments(2)