不忘へ・・・

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なんとか3月中に、、、不忘山に登ってきた(笑)ギリギリ

低気圧通過で夜来の雨が凍ってしまう、そんな朝なので 
最悪を想定し、強風と凍結をやり過ごすには・・・?
無い知恵を絞った

今日の作戦は 昼まで時間を稼ぐこと( ´艸`)
 弘法清水か 不忘の碑までか?
風が収まるまで ゆっくり進むこと(*'ω'*)

というわけで 

山頂アタック(フルッ!)前に 昼めし食べて
12時を回ってから 不忘の碑に上がるようにした

どうにか山頂は 大して風もなく 
耐風姿勢も考えたが 杞憂で終わった

最も風が強まったのは11時過ぎで ランチのとき
それ以降は山頂の雲もどんどん流れて、切れ始めた

諦めずに、チャンスを待つことも 時には必要だ
それでも下山予定は3時なので 充分まにあう 問題ない


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稜線はほとんど雪無し

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不忘山山頂


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硯石尾根
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10時、、、山頂はかなりの強風とガスの中。
弘法清水付近は平坦地になるので、赤布を要所要所に下げた
というか・・・、真新しい赤布にとりかえた 
「赤」が見事に自己主張をしはじめた。。。


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by tabilogue2 | 2016-03-31 18:40 | 蔵王連峰 | Trackback | Comments(2)

吾妻へ・・・

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今年 「吾妻の白兎」は すごく痩せ細っていた
気になる雪の状況を見回ってきた


人形石・・・

ここに立って 眺めているだけで・・・
かつて 縦走ばかりな青春が蘇る

この吾妻の たおやかな山稜にこそ 
他にはない特別な情感がある 

それが確と掴めるまで・・・
探し歩き廻るのも いい山旅だ

十八の夏 僕らがそうだったように


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ブログも含め、記録なんて 
想い・・・の結果にすぎない

想いこそ 大事
それを忘れて登れば 単に登山行為だ

想いのない山登りなんて・・・
とっくに卒業していなきゃ

山はスポーツの場じゃないんだから( ´艸`)

想いのない山に登って
想いのない記録を書いて

それで・・・どうしたいの?

いや、もう 止そう

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いつか ふたたび・・・
小屋を繋いで歩けたらいいなぁ、吾妻嶺 
そんな 想いに耽る登山がしたい



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谷地平から 藤十郎を巡り
ふたたび谷地平に降りるのもまたいい
人形石に上がって眺めるのもいい

弥兵衛平に 寝転がって
ずうっと 空を眺めて 風を感じて
生きる を感じていたい

テッペンだけが山じゃない
登るだけが山じゃないんだから・・・


なんで いつまでも 名山指向なんだろう?


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ガンコウランの「庭」


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by tabilogue2 | 2016-03-29 22:48 | 吾妻連峰 | Trackback | Comments(3)

栗子山 雪の状況

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吾妻から見た大杭甲山と栗子山と七ツ森。左手に豪士と駒ヶ岳。 奥は蔵王




栗子に新しいルートを見つけようと思って・・・ 
今季最後のアプローチを試みたが・・・既に 雪が無い! 
見るからに 藪山と化したいつもの栗子になってしまい
・・・登る気が失せた

しかたないので 天元台まで移動し吾妻に心を向けた。





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by tabilogue2 | 2016-03-29 20:35 | 吾妻連峰 | Trackback | Comments(0)

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(前半より)

趣味の会だからこそ・・・
趣味の会だからこそ趣味の会らしく世の中の「真偽」にこだわって生きよう! と普段から提唱していた運営委員長。栗駒山のクロベの森保護運動の際も青森営林局に掛け合い 船形山のぶな伐採問題にも古川営林署に掛け合い奔走したのは運営委員長の彼だったではないか!彼がいたからこそ守り通せた「会のアイデンティティ」ではなかったのか! もうお忘れか?山に向かう真摯な姿勢を「生きる鏡」として我々会員は学び、仲間を慮った会運営に助けられていた。会に尽くした貴重な20数年の歴史に感謝こそすれ除名とは恩を仇で返すとんでもない行為! 非道そのもの。

金の扱いにこなれた会員(保険屋)が入知恵をし数百万の遭難保険金詐取問題と運営委員長の実績とを相殺してしまった。会運営に疎い保険屋稼業が事実を曲げ、その一方、会の運営で神経を細めた運営委員長が当会史から抹消されてしまう 天地逆さまな驚くべき事件だ。このことを耳にし、OBの私などは怒り心頭になった。抗議者は運営委員長だけとあってはYMCA山岳会の名が廃るので 旧運営委員の私も名を連ねることにした。
 
もう一つ気になることが・・・
新刊に書かれていた。それは5年前、3.11以降に世の禁断を破って月山に登ったこと・・・である。当時、ことある度に大阪から石巻にボランティアに駆けつけている会員もいたし、月2回の生鮮物資を避難所解散の11月まで配り続けているOBもいたというのに、会長たるものそれには目を向けず、それから逸らすように己の精神性のためにだけ、世間の禁をも破って、雪山に向かった・・・、その心境がたった数行で語れてしまう人なのか?。まったく「自己中な人」だ。なんせ当時山行を我慢しているのは会員皆同じだったのだから・・・さらに当時、世間の白い目にたじろぐことしばし!だったはず。当時、自分が山に行きたいと欲するならば「会山行」を催し、心に潜むジレンマに禊ぎをして会員皆で行けばよい事。自分だけ行きたいだなんて・・・、世間と隔絶した生活意識の持てる人だったのか? 「真実」が書かれなければ「嘘」が晴れることは決してないだろう・・・、墓場まで持って行くつもりか? 

深野稔生:著書に初めて触れたのは・・・
「ブナの山々」(白水社)だった。1990年に単身赴任を終え仙台に戻ってきたばかりで 何処の山岳会に再入会しようか機を窺っていたところだった。その頃、発刊されたばかり此の本を手に取り読んでいくうちに強く惹きこまれていった。すばらしい短編の論理構成、レトリックだった。それがキッカケで深野稔生のいるYMCA山岳会に入会した。私も当時40歳、純粋に深野作品に文学性を感じ惚れ込んでしまっていた。それほど文章力には他を圧倒するものがある。地域研究や民俗学の実証的研究には一歩もニ歩も先ゆく、知識は深い。でも一方、人生の終末に一人の爺さんに成り切れぬ哀れな男であることも知った。会長とまで言われた男だから、陰で息つく暇もないはず・・・常に世間に見られている感じがするのであろうが、強がりだけ、嘆くこともできない男に人間的な魅力は感じない。否、弱さもあっていいじゃないか! 会長だからって人間的な弱みを陰に持つのは決して恥じゃない。そういう腑に落ちぬ所が山岳会を辞めた私の一つの理由にもなっている。人柄の裏表とは皮肉なものである。

彼の側面、敢えて言えば・・・
苦々しいが、、、山岳会での会長職最後の頃、彼の利己的側面をモロに見てしまっていた。例会後のいつもの居酒屋で会員と口論の末、取っ組み合いになって拳をあげる騒動を起こす、その現場を2度もみていた。他者の意見には「貴様 俺に指図するのか!」と目ん玉ひん剥いて恫喝し、己の意見が絶対だとする不遜な態度が彼にはある。それには私も抗議したほどだ。醜い。

人間的には悪い人じゃないんだろうが、おそらく・・・むかし育った家庭環境や家族関係が起因してか?「他者に馬鹿にされたくない」という思いと、どういうわけか「他者を信じない」「自分の目と足で確かめないと信じない」ところが彼にはある。「品のある知性」とは真逆で「自尊心とコンプックスの塊」のような一面があり、その琴線に触れると極端に激高する。そんな深野稔生氏本人の前で 僕が言い放ったことがあったらしい。すっかり記憶から漏れていたが最近(2016.10)になって YMCA山岳会OBの町田くんからメールを貰った。そのメールにはこう書いてあった・・・「私は深野稔生を尊敬するけれども、人間的に嫌いだ」と 深野稔生氏本人の前で言ってのけたことを私はしっかり覚えている・・・と書いてあった。事実のようである。このころから仕事も忙しい立場になり、僕は会活動から遠ざかってしまった。

一昔前ならブランドだったであろう”土樋”に宅地を求め「蔵書に囲まれた暮らし」をしてもいる。居間にはジャズが流れ、茶道の囲炉裏も切られている。広瀬川に面し桜を愛で、夏は花火も間近に見れる。安保時代に学生運動に身を投じたものであれば 誰しも嫌ったであろう「私的財産欲」「プチブル」「中流意識」。それらの上乗せでの「個の確立」論者であり「中流意識の権化」でもある。もはや山をめざす者として 山を前にし身を屈める蹲踞の姿はそこにはない。物事の善悪、保険金詐取の見境もつけられぬようでは 単に独居の老人ではないか?老化は正義や彼の精神までも蝕んだようだ。 

僕は深野稔生をこうみる・・・
「異見を持つ者を排する・・・」裏返せば じつに肝っ玉の小さい、鷹揚に構えられない、「自己愛な男」と見抜いた。口撃で論破し、ディベートで潰せぬ者には暴力と恫喝で排し、「深野稔生」という山岳会の知性派と言われるまでの「権威、名声、ブランド」をガードしてきた。それら半生の弁解、今事件の弁明、我々会員の前で真実を吐露する書物も いつかは出版されるのであろうか。それこそレトリックの怪、深野稔生という「男の懺悔」の時であろうとも思っている。

もし仮にそうでなければ、異国の地に死んだヒロシも 師と仰いでいたにもかかわらず断絶するほどに裏切られたヨーコも 会をファッショ的に追い出されたユタカも ボランティアに精を出してきた現役会員もOBも ともに浮かばれない。YMCA山岳会を踏台にし自分の名誉を守らんがために 組織を私物化したのは深野稔生自身ではなかったのか? 会長ともなれば 会の今後の発展を願って止まないはずだが?運営委員長をクビにするようでは先見性に蓋をするようなもの。 器が違ったか?懐疑の心も成り立つほどだ。いや、ひっくり返せば? 埃が出そうな話が深野さんにはまだ他にもある。よほどに社会的地位、自慰的美学にこだわってきたのか?そうとうの自己愛な人と見える。今はもう 彼の周囲で誤まりを指摘しNoを云える者がいなくなった。Yesマンばかりで議論を交わせるものが一人としていない。親が名づけた「稔生」の意味するものは「稔ってさらに実を活かす」であるはずだが、もはやその実も枯れた火宅老人になってしまったか? 彼からの弁明を待ちたい。

自己愛に偏執してきた深野老人・・・
齢73になって かつての仲間たちの「真実を見抜く眼力」を忘れ、ナルシシズムに陶酔するかのように引き籠り、「自らの美学」に浸るような山行記を出したとあって、彼を知り尽くす会員にすれば「灯台の元を暗くするな、灯を当てよ」という言が耳元で囁いているはず、また相当に的を射てる指摘でもあるはず。





ブレスする彼の表情を見たら・・・深野さんはなんと思うだろうか? 尋ねてみたい。





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by tabilogue2 | 2016-03-24 07:30 | mount | Trackback | Comments(0)

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「てっぺん駈けた記」著者:深野稔生(白山書房)・・・
直近の10年、山岳会会長を辞した後の著者「山行記」。「臥月眠雲」ga getu min un(つきにふし くもにねむる)仙人のごとく昼夜を継いで歩き、深山を一日で駆け抜ける修行僧ならぬ単独行やスキーによる山岳滑降の記録のような本だと彼は言っている。こういう自由なスタイルの山行が、高齢となるにつれ、深野さんはしたかったのだろう、、、と本音のようなものを探ってみた。会長という職責に普段は縛られていたんだろうなぁ、と普通人は慮るだろうが じつはそれは、まだ彼の「表向きの顔」のテリトリー内だ。本の内容はマチコミ誌「りらく」に寄稿していたものがほとんどで軽いタッチでまとめられていた。この本のために新たに書き下ろした記事は特にはなかったように思う。強いて付記されたのは 最初に付け足されている七峰の項。彼の生い立ち、、、不遇な親子関係が垣間見れる。それが彼の自己愛に通ずる人生の基盤となったものか、独り善がりな人間性に翳を落とす因子にもなっているようだ。それと 第6章の 今後の山との関わり方 ぐらいだろうか? 他は 深野稔生「自慢話」である。 井の中の蛙で、旧い文体で書かれても 面白いと触手を動かす御仁は滅多にいないだろう。

YMCA山岳会在籍だったころ・・・
「山スキーに有効なジャンプターンを教えてくれ!」と彼にせがまれたことがあった。「ヒネリのタメを作らなきゃジャンプターンは早々にできませんよ」とだけ伝えたが、どだい一、二度教えたとして 内倒する癖は直らんだろうし、逆に山スキーではそれを是とする場合(フレンチメソッド)もあって 欠点として矯正すべきものでもないだろうし。ただ、内倒をカバーするために「内足がシュテムする」悪癖が直らないことには けっして外足に乗り込むことができないだろうし、つまりは「タメ」ができない。そればかりか私が教える総てが意味をなさない。最近滑りを見ていないが、おそらく今でも彼にはその癖が遺っているんじゃなかろうか。我流スキーヤーが数十年やり通してきた形を他者である私が手を加えたとして 即席じゃどうしょうもない。ただ、「諦めてください」と無下には言えなかっただけだ(笑)

在籍中、彼が若かりし頃に何故山岳会に入会したのか?という動機を知らずにいた。それと今の今、何故に一人単独で山と対峙するようになったのか?という最近の単独登山の動機が新たに記されていたので興味を惹いた。読後、前者は淡い郷愁とともに一風殺伐とした家族関係を匂わせたし、後者は内容的に「そんなの!」が動機なのか?利己主義の典型みたいな事由ではあった。まあ、早暁に山野を単独跋渉するなどは常人に真似のできる山行内容ではないので特に惹かれるものではない。・・・と、こういってしまえば新刊に託した彼の美意識は身も蓋もないか(笑)一言でいえば、深野稔生であるならば「さもありなん」というところであろうか。いやいや?、エゴイスト中高年ら未組織登山者たちのヒーローにでもなるおつもりか? ( `ー´)ノ とでもしておこう・・・。

この本を評して・・・
”「利己主義」の深野さんが書いた「自己愛の塊」のような山行記である” と評すれば、それは言い過ぎだろうか? いや、外れてもいないだろうよ( ´艸`) そしてそれこそが彼の裏の顔であり、真の姿なのである。



気になったのは・・・山岳会員の船形・花染山での遭難死の件がほんのチョット記されたこと。それへの少しばかりの事実が無感情で書かれていた。じつは・・・山岳会として存立にかかわる重要な問題を含んでおり、こともなげに既成事実化されても困るし、「事件の風化」をさせないためにもそして除名処分された元運営委員長の名誉を守るためにも少し自分なりに記しておきたい。

事件の内容について述べれば・・・
当時、会は冬合宿中で本体は八幡平だった。ところが秋に入会したての新入会員、教職のAが計画書のない無届登山をし、遭難死してしまった。これがこの後に記すドロドロ事件の発端だった。これに対し、こともあろうに会長たるものがブレーキ役を果たさず、一部会員と一緒になって事実を曲げ、遭難保険申請を決済させてしまったという重要な過失を含んだのである。

それまで会活動の一切をしてこなかった損害保険屋の丸山某が「便宜」を図り、YMCA山岳会創立以来半世紀という歴史、栄えある名誉をおとしめる大破廉恥=「保険金詐取・背任事件」を起こしてしまったのである。30年近く当会に貢献した運営委員長のたった一人の「反対」があり、上手くやろうとした会長一派との間に軋轢が起きた。結果として①「事実」を押しやって、②一人反対した運営委員長をクビにして、③遭難保険金を詐取し遺族に不正な保険金を渡してしまった。会においては無届山行はずうっと禁止されており、特に会山行時の個人山行は許可無しではできない。それは保険の制約条件にもなっている。

その後、「この間の事実を述べる義務あり!」と運営委員長が日本山岳協会共済会に不正を直訴したのだから、さあ大変! 火消しに躍起となりさらに嘘を嘘で塗り固める。④彼らは事前に謀議し、総会にて引地某による動議発議を行い、⑤強権的に運営委員長を「会の名誉を傷つけ会を貶めた」と作為的な事由で処分してしまった。まるでファッショではないか?⑥さらに運営委員長の為した会活動30年の在籍歴をないがしろにする除名処分で葬り去った。こんなことが有っていいのか! 

なにが臥月眠雲なのだろう?誰が仙人だというのだろうか?何をもって道元禅僧の引用を為したのか?俗界を離れた 神仙の境地・・・だと? ヘソで茶が沸くとはこのこと、深野稔生氏にとっての知性とは嘘の上に成り立つ「悪知恵」のことらしい。

あれほど山に対して真摯に向かっていた運営委員長は山から遠ざかり、今は自ら忘れ去ろうと音楽活動に挑戦しているが、、、当の御大は知的生産物の発刊と名誉づくりにぬくぬくと勤しんでいる。片や山岳会員としての名誉を奪われ山さえ忘れようと苦しんでいる男がいるにもかかわらず、此方は臥月眠雲の仙人気どり・・・?おかしいではないか? 

真実が公然化しゆくゆく正体が暴かれる日も来るだろう・・・その際には眠雲ではなく、一派ともども社会的に雲散となるかもしれない。 なかなか面白そうじゃないか。 (後半に続く)

あとで知ったことだが… 総会で緊急動議を発した引地某はYMCA山岳会をさんざんかき回しておきながら 今は某労山山岳会に二股入会して爺さん婆さん会員を連れ歩いているそうだ。 運営委員長が除名になったという当会始まって以来の大混乱を画策しておきながら、一転、他会に入会し「大活躍」しているというではないか?破廉恥そのもの・・・どういう了見か?
根幹から「会」を愛せもせずに…何をか言わんやである。冷静に物事の道理を見極めれば「無届け山行を禁じ 組織集中を案じてきた運営委員会の任務」とは一体何だったのだろう。教えてほしいものだ。



ブレスする彼の表情を見たら・・・深野さんはなんと思うだろうか? 尋ねてみたい。












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by tabilogue2 | 2016-03-21 18:13 | mount | Comments(2)

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いつもの「ゆうゆう館」で ヘルメットを購入してきた。。。

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「どうしたんですか? ヘルメットなんて 突然???」 
続けて店主・・・「深野さんも本を出したし・・・、何かYMCA山岳会には有終の美を飾るに 
なにか過激なことでも流行ってるんですかね?異変?」ともいわれて、、、
あ~また彼、出版したのか・・・と知った。 

お彼岸に山に登るような男じゃない と店主は観ているのか・・・、
「お暇でしょうから・・・」の一言で、新刊「てっぺん駈けた記」を読んでみることにした。

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話をヘルメットに戻そう、、、

長年愛用のGalibier製も手元にあるが 「黄ばんだガリヘル」じゃ、向かう山に申しわけない。
それに新調したのには ちょいとした目的と確固とした意志があって・・・
「今夏は沢を遡って遊ぼう」という魂胆だ。
出羽丘陵:弁慶山地を沢から訪ねようと、かつての仲間に声がけしていたものだが 
いよいよ今年、現実味を帯びてきた。片眼を失い、昔日のように登れるのか?ちょいと不安だが・・・。

というわけで 大袈裟だが「出羽丘陵3ケタ遡行同人」(仮)を結社した( ´艸`) 
たかだか標高3桁の山だが、弁慶山地の標高200m~400mあたりの沢がじつに面白いのだ。
沢の詰めは滝だらけで稜線に抜けだせないかもしれないけれど、それはそれでまた面白い。
 
先日、大阪からMが来仙したので さっそくイロハ横丁に集まって計画をネタに一献やった。
YとMと俺とでのスタートだが徐々に昔の仲間が集まるだろうと予想するのは容易だった。
「このメンバーなら心底楽しい」とかつてのメンバーらの濃厚な記憶として残っているからだ。

弁慶をどの辺りから入渓し、どの辺りで幕を張るかも決めた。さしあたっては中野俣峡谷。
オシメ沢、白糸滝がかかる小滝沢は登っているので 次の矢櫃沢、四熊沢あたりになろうか。
沢の名称にも四足動物の名が出てくるほど出羽丘陵は自然の色濃いところだ。
北には鳥海富士があるが、その気高き標高のもつ呪縛には全く捕らわれぬ山域で
沢遊びに興じることを誇りとしたい。

「技術」と「遊び心」が備わらないと、この地の沢登りは愉しめないし面白くもないだろう。
自己愛に耽るなら自身を美化できる標高もなければ、登山体系を揺るがすようなネームバリューもない。
 
どんな小さい沢でも僕らは登る時、遊ぶ時には大真面目だった( ´艸`) 
かつてのように入山する際には虚栄心を捨て、得意の技を持ち寄り、ゾロアスターの如く焚火を楽しみ、
数日を遊び尽くすことに「遡行同人」の楽しみ方がある。

だから・・・、価値観や気心がピッタシ合うヤツでないと?遡行同人は無理なのである。
お酒は庄内の酒と決め、日本海の酒肴があれば焚火の他は要らない。
今年の夏、15年ぶりの弁慶山地。やり残した沢登りを完結できそう。今からワクワクしている( `ー´)ノ

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おじいちゃん ことし いくちゅ~ぅ? ・・・って
声も聞こえてきそうだが 仲間がいれば 実に怖くはないのだ。




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by tabilogue2 | 2016-03-20 16:37 | 弁慶山地 | Trackback | Comments(0)

お彼岸 墓参り

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お彼岸と お盆と 秋の彼岸は 実家の墓参りに福島へ出向く。
冬の風にさらされ ようやく春を迎えた田舎の墓地は 花が飾られ 
訪れる檀家の皆さん方も お顔が和らいでいるようだった。

水を差し 花を飾って 線香をあげ・・・祈りをこめ拝んできた。
厄除け地蔵さんでコンコン石を叩いて 身体の悪いところを身代わりして貰う。

ここんところ お昼は決まって 伊達屋の塩バターラーメン。
この店は 心から美味しいと思っている。
ほぼ 塩味で好みは決まっており、最近は塩バターに・・・。

もう一つ 決まりごと・・・、飯坂温泉。
今日は鯖湖湯ではなく 波来湯にて湯を貰ってきた。
熱い湯の浴槽が空いていたので 耐えて入ってきた。
44℃の電光表示に 男泣きした( ´艸`)アチチ~!


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by tabilogue2 | 2016-03-20 11:44 | アラカルト | Trackback | Comments(0)

HCCSからのメッセージ

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僕らは・・・「車は文化だ」と捉えており、その文明の利器を「時代の通過者」である僕らが独り占めするなんて、とてもできないものと思っています。

文化的遺産という言葉が全てに合うかどうかはわかりませんが そんな車を個人の利益・資産価値として 押し込めた風に捉えるのは勿体無い とも思うのです。そんな風に考える仲間がたくさん出てくれば・・・車は「より社会的に存在する」ようになってきますから 長い目で見れば 市民交流イベントに参加するオーナーが年々増え、逆にストイックさに引き籠もる傾向は少なくなるだろう と思ってもいます。

しかし そもそも車趣味って・・・、「趣味の蛸壷」と称されるほど(?)没個的な一趣向として成立するものですから、時々それが顔を出したりして世間との隔絶感を生んじゃう、そのエゴ感もまた否定できない事実なんですね。つまり 弄るのも運転するのも楽しいのは自分だけ。それを一種のメランコリーと喩えて済ませる内はいいのですが、その「憂鬱」つまり「エゴ」が台頭しはじめると、没個的に改造や爆音やドレスアップに勤しみ更ける人たちや ストイックにコーナーを攻め満足を得ようとする人たちが増えるようにもなるわけです。

いわゆる 弄り倒しっ!、まあそれも「趣味の一つ」ですが、HCCSの考え方と対立するメランコリーでもあります。「個」の対極にある「市民」や「家族」「世間」「社会交流」には その没個的な憂鬱に抗う薬効があると僕らは思っています。だからこそ HCCSの存在意義があるのだし イベントの実行や発展や継続がその意義を深耕してくれるとも思えるわけです。

若者のクルマ離れやファミリーのハイブリッドカー礼賛が続く中、半世紀以上経過した車を眺め、そもそもの原点「車は文化だ」を捉えなおしてもらおうと広範な実行委員会形式により楽しい2日間を演出したいと思っております。

4月9日、10日の2日間 10時から16時まで催されます
仙台市役所前広場 入場無料 撮影自由
*馬車のような旧いロールスロイスに先着で試乗できます

是非 遊びに来てください。 半世紀前に生産された小さなFIATも僕と一緒に参加します。


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by tabilogue2 | 2016-03-18 10:35 | Car | Trackback | Comments(0)

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天候が春めき どんどん暖かくなって どんどん雪が消えて
身体も鈍らになるので動かそう というわけで 泉ヶ岳へ

朝から薄曇りで汗もかかず 体調もよく疲れずに歩き通せた
山頂の西側で休憩も入れ、ココアをつくって 
三峰 後白髪 船形を眺めた 遠く栗駒も見渡せた

 昼時なので フキの煮込み 蕪のお新香で おにぎりを戴く
フキが出回る季節 さっそく煮込んでおいたのがよかったかな
リンゴのデザート、煎餅とお茶で済ます 遠足みたいな昼餉 

遅出の所為もあって 行き交う人も少なかったが 
足を止め挨拶を交わし 山頂の決まりごとを済ませた
頑固爺になりたくないので 精一杯の笑顔を振りまいた(笑)

こんな余裕が 気楽な登山を生んでるんだろう・・・って?
まあ否定はしないが 今年また一つ歳をとった

やる時やらんと 人生、つか、時間は無情にすっ飛んでいく
後悔しても遅いぜ やることやっても まだ足りんのだから


出発10:30 下山15:00
ワカン:使用せず アイゼン:使用せず
ヒザ川中間尾根の急斜面で ピッケル使用


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出発時間が遅かったので 下山は時間短縮のため
「ヒザ川の中間尾根」を使った 


安易に 「袖泉」なんて名称を流行らせる者もいるけど
救助の初動捜査を狂わせるから 
「遭難救助隊に認知されない、私的な地名」は 
ネットで使用しない方がいい

「袖泉」・・・って 「北泉」の旧呼称じゃないのか!
いつから 場所が移動したというんか?

知ったかぶりも いい加減にせいよ~!
間違った呼称をネットで流行らすなよ~!


ネットで言ってたよ~ 誰かから聞いたよ~
…なんて、無責任なこと言うたらアカンでぇ
お~い そこの兄ちゃん たのむでぇ


急斜面の地点は 既にブッシュがでていたので 
雪を拾い、拾いしながら水神まで
想定していた駐車場着予定を 30分以上も短縮できた
 
棒ラーメン 作ればよかったかな・・・


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by tabilogue2 | 2016-03-16 17:50 | 船形連峰 | Trackback | Comments(0)

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2014年5月26日 撮影






東日本大震災、1週間も過ぎ、何処へ行って 何をしようか 皆目見当つかずにいた。

考え悩んでばかりいても仕方ないので、思い切って 東松島市の野蒜地区に 車を向けた。
で 何処へ行って・・・の疑問は 走らせているうちに おおよそわかってきた
瓦礫に囲まれたところとそうでない地域が 現場に行くことで すぐに解ってきた。

そう、避難所はすぐに見つかった、、、既に物資は2つのテントに積まれて充分。
伺ったところ「生鮮品」が少ないとの事で この時 改めて支援する内容を聞き出し
リンゴやトマトやホウレン草などを四国や長野からかき集め、
倉敷 東京 北海道から 焼津港からも 塩乾物を取りまとめてくれる支援者を募って

味噌や醤油は不足分を補充するという形で 秋田の湯沢から支援して貰って
衣料品も岡山、横浜から仲間に手配して貰って、避難所の女性たちに生活衣料品と化粧品を配給して 
夏になれば Tシャツを300枚集め、それをもって東松島と亘理の避難所に訪問して
「らーめん本竈」さん提供のロゴ入りTシャツ20枚が あっというまに捌けてしまった
・・・など 現地でのたくさんの思い出が いまこうして蘇ってきます。

イッズミーを通して 支援者と被災者の橋渡しを 避難所解散の時までやりきった。

その避難所で 取りまとめをされていた世話役さんたちが 今 5年を経過する中で
あの時は お世話さま・・・なんて言ってくださって
返す言葉は・・・ とんでもない!お互い様! とだけ

でも その甲斐あって 新しい生活が始まって 今では新居に移り住んだと
ご連絡をいただいて・・・あの時 無心で毎週毎週 現地に出かけて 不足分を聞き出して
支援の日々を送っていたことが いま心の内で「一つの評価する時に至った」のだと知る。

世の中 原発被災者や大津波被災者がたくさん行き場所と展望を失っているときに
それからの復興を国が専決しておきながら 原発事故から目を逸らすような
東京オリンピックの誘致に湧くなど 政治に不信を募らせる日々だった。
被災者の気持ちなどどこ吹く風。予算の分捕り合戦に「被災地支援」の文字を悪用する
なんと日本という国は情けない と 何度も嘆いたものだった。


でも あれから5年。

「リフォームしたよ」「転居しました」「工場が立ち上がったよ」のハガキが届いて・・・
何度も読み返し 文字の裏に「無理」が透けていないか? と心配しながら
ふたたび 何度も読み返し とても安堵し ジンワリした気持ちになった。

「頑張る気持ちがないと・・・立ち上がる力だって足りなくなるから・・・」の文字に
喜ぶ中にも 大変さが滲み出ていることを また読み取った。

だから これからも・・・一生懸命がんばって!  

5年前を思い出しながら 僕らも応援します。

                        被災者を支援するイッズミー有志一同 


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by tabilogue2 | 2016-03-10 10:43 | 3.11 | Trackback | Comments(0)