「ほっ」と。キャンペーン

三岩岳 その他の写真

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中継アンテナから 三岩
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上に同じ
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2014/05



ブナ平から・・・三岩と、右に1699峰 
ここまでが 体調判断の目安

体調が悪ければ、、、ここで戻るか
ここで幕営か どちらか。。。


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高畑スキー場方面
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遠く那須連山
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田代山方面
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家向山

体調すぐれないときに 窓明からのエスケープで使う
保土橋に降りず、小立岩に降りる際にも使用する尾根






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by tabilogue2 | 2016-10-30 20:24 | 会津・越後 | Comments(2)

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小豆温泉のスノーシェッドの上を歩いて 
黒桧沢コースに入るのだが

数年前の豪雨でコースが荒れ
今は沢沿いのコースは閉鎖されている

ここ何年か 冬道で登っている



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無線中継アンテナ設備のある地点から細尾根になる

その尾根道には カラ松と姫小松の落葉が赤茶色に光り 落ちている
フカフカ道の始まりとなっている
松の脂もあってか?靴音は ススッ ススッ と しなやかさを感じさせる


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やがて 1000mあたりからは ブナの落葉に移り
靴音も ガサッ ゴソッ に変化する

時々 朴葉の大きな葉が
バサリ バサリ と落ちてきている


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1300mのブナ平から
1600mあたりまでかな? 

その尾根が すべてブナの樹林帯

風の通り道は枯れ葉が落ちていない
風が運んでしまうからだ

つまりここでは強風に遭いやすい ビバークしないこと
と言ってるようだ



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陽射しはあるけど とても寒い

続いたブナロードも この辺で終わる



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1700mを超えると 
途端に
アオモリトドマツの樹景に変化する 

この様相、激変が堪らない 心を揺らすのだ

あれ程の ブナの木が
一本もない 潔いではないかw

この変化が 会津の山のおもしろさなのだ


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針葉樹の中に 
ダケカンバが白い樹肌の奇形を晒している

その昔 

完成したばかりの三岩岳の小屋で
白露のクリスマスツリーを見たっけ



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三岩の小屋で 白秋の山を語りあう
 
夜は更け 月は高きにあり 透明な白で輝きをます 
小屋を囲むシラビソの木々を 白く照らしだす

シラビソの米つぶほどの葉先には 小さな雫が垂れ 
その一粒一粒の葉の 一滴一滴の雫を 月が透明な白で照らし出す
キラキラと幾千幾萬の葉先が 光の瞬きを繰り返す

とてつもなく大きい クリスマスツリーのようだ
闇に立つシラビソは 幻想のうちに薄衣を纏い 光を飾りとした

深く静かに魅入ると 突然 風が吹きあげた 
枝が揺れ 光の飾りが掃われて どぉっと「光」が降りかかってきた 

凄い 見惚れるばかりで 何もすることができなかった
この驚き、、、これが自然?茶飯事なのか? 
魅入る者に感動を宿らせ それに触れてしまった心を震わせる
 
その感動に 崩しかけた身のアンバランスを知る
都会ズレした身の そんな浸し方でもいいではないか 
オオシラビソの光のシャワー・・・、少し早いメリークリスマス

振り返ると 薪ストーブの灯りが 小屋の硝子から漏れだしている
その硝子のこちらとあちらとに 人間臭さの境界が見えた

仕事に追われ 山にも行けないと嘆いたS
忙しがり屋の彼も そんな硝子の内側の人間だった

賑わいの夏が終わり 山もそして仲間もそれぞれに迎える秋
山との関わりを 静かに見つめなおしている

山は思考の場でもある 
白秋の宵に 想いを・・・、じっくり 語り 伝えよう   

1994年 山行記録より




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登山道の手の届く高さに 何本ものピンクテープ
5mおき?
無粋な人々の造作に憮然としてしまう

この高さに下げたとしても、、、無意味だろ?
雪に埋もれてしまうだけなんじゃないの?

もっと高いところに下げられたテープはないものかと
周囲を見渡し探すが 
風にゆれるテープはなかったようだ







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by tabilogue2 | 2016-10-27 09:49 | 会津・越後 | Comments(2)

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45リットルのザックに こんだけ詰めたw 必要十分




寒いっ! 疲れたっ! こんな体では、水場は余計に、さらに、遠くなるぅぅぅ 
小屋から10分ほどかかるし 悩むし めんどくせーい・・・ビールでもメシは炊けるしw
だ、か、ら、、、水くみは翌朝一番に回そうぜい(笑)

大陸性の高気圧による放射冷却現象で 午後2時の山頂は霧氷で真っ白ケ(下界はピーカン)
晴れてるのに アオモリトドマツは白くなってる ダケカンバの枝先は氷結してるし 
風が吹けば、小屋の屋根に落ちてきてカツカツ音たてて当たるし 異様なほど小屋中に響くし
小屋前の水たまりは「シガコ」が張ったまま 霜柱が10cmほど ぐにゅぅと伸びている 

翌朝、水取りに行けば カチカチ凍ってるし コップで掬えないし 
太く流れ出るところまで さらに降った 案の定 遠かったぜ~い♪

仙台市水道局謹製の水を1リットルも担ぎ上げれば用が足りると思ってたけど、、、
1リットルで アルファ米とカレーと味噌汁とコーヒー2杯飲めるはずだから(´艸`)
2リットルなら お釣りが来るはず、、、 あまる=重いを意味する
・・・だから 朝に水取りに出ればいいこと、それで必要分を補えばいいことさ
実際それでよかった、軽量化にあたって 四の五の理由は要らぬ(笑)



小屋内に自立式のツェルトを張った たったの1分だ 野外であってもサッと立つ
今どきの便利道具にあらためて感謝した 
頭が旧く、ツェルトといえば 先ずポール立てて 張り綱を引いて・・・なんて
思い浮かぶ、一連の面倒臭さがナイ
雨具を着て ズボン下はいて 手袋して 毛糸の帽子をかぶって バーナー焚いて、
で・・・ようやく温まった 落ち着いた

ローカルFM局、新潟も郡山もきれいに入感している 音はクリアだ
17時からの耐寒体制にアクセントを添える

 寒さに体が慣れていないので 今回は厳しかったぜぃ
そろそろ 耐寒訓練しないと、テント泊山行が億劫になるぞ!(山ヤ廃業か?)


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5年前に戴いた支援物資のガスボンベが まだまだ有る 助かるなあ



”軽薄短小”のお陰で、、、45リットルのザックにこれだけの荷物が詰めた
写っていないのは、、、シュラフとエアマットぐらいかな?(ツェルトの中にあるけれど)
冬装備には ギヤとメットと8mmロープ、アイゼンとピッケル、ワカンとストック、シュラフカバーなどが加わる
一昔前なら この荷を担ぐに60リットルザックは最低線だった、、、軽量化しても18kgくらい?
重いんだよなあ、酒と食糧を切り詰めるしかない、最近つらいわ

ンなこと言ってるうちに、
なんと!ビールが2本 まるまる余っちまった これじゃただの「重し」じゃん(日本酒は呑んだけど) 
炙りサバの味噌煮缶詰、イケル! シャケの昆布締め、イケタ! サビ抜きの笹かま、これ普通(´艸`)

今日の行動食・・・甘納豆とミカン この組み合わせが抜群だった! いい! ベストカップル!
ラテを休憩に飲んだ 美味しかった 
休憩地は 無線中継所、ぶな平クロビ沢分岐、1500の平坦地の3箇所 
タイムは 登りで3時間40分 降りで2時間20分かかった(どちらも休憩込み)



自分にとって 南会津は山遊びの原点だ、会津駒、三岩岳には毎年登ってきたが 
一昨年の敗退後 行けてなかったので 今日登ってきた
嶋津よ、借りを返してきたぞ  
急登なんざ屁のかっぱ・・・といいたいけど 4つほど壁があった(気になる齢になったということか)
ブナ平1300m手前の急登では 脚の裏側が延びきってしまって バテタ(´艸`)
落葉が急斜面のステップに溜まっていて 滑って歩きにくかった 朴の葉がデカかった
 
ついでに 坪入山の地形状況を確認してきた 
スノーリッジといっても 実はちっさいし 斜度もゆるいんだね…と(´▽`*)
会津朝日から丸山を狙う ってのもあるな・・・ 
昔、大幽朝日からの「藪」で敗退したけど 手としては悪くない 問題は雪解けのタイミング

小立岩の登路も確認した こっちから登れば稲子山の登路だけがネック? トラバるか?
大中子山の登路も 長須ヶ玉山の登路も 確認した 

20万分の1地勢図「日光」を一度手にしてみてください 僕はこれで30年も夢を培ってきた

さあ あとは 登るだけだ(意気込みばかり荒い おお笑いだ)


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窓明は こんな感じで女性的だ 
さあ どこ登ろ????

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坪入山 

この山が何故?会津100名山に選ばれたのか
理由がわからんけど・・・


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昔々 三岩岳から縦走したときの窓明山と坪入山




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大中子山の取り付きは この橋の手前5m 
舟俣川右岸沿いに行って最初の右岸沢から登る

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小立岩 安越又川から三本山毛欅峠への取り付き 

この橋の奥を尾根伝いに! 
左に見えるピークよりも200m高いところに 三本山毛欅峠が在る
但し、右の沢沿いに行かないこと はなから尾根筋を維持すること

ここは歩きやすい 少し長いが傾斜は急じゃない
この登路を覚えておくと・・・便利だ 
途中、途中に キリツケも ナタメもある ゆうゆう三本山毛欅峠に導かれる
右 城郭朝日にも行けるし、左 坪入経由で朝日丸山にも行ける












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by tabilogue2 | 2016-10-25 22:47 | 会津・越後 | Comments(2)

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間一髪(`・ω・´) もう少しで ヘッデン行動になるところだった
樋ノ沢を出たのが15:11 京渕沢を16:00に通過し 駐車場着が16:47


京渕沢を16時、まだ明るいうちに、予想通りのタイムで通過できて ホッとした
樋ノ沢小屋から駐車場までの谷あいを 1時間半で歩け通せたので、、、
まだ体力ありそうな感じがする 月2回、山に行ってるから そのお陰ですかね?
まあ そうはいっても 駐車場手前の杉林の中は真っ暗だった



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裏磐司大岩壁の紅葉風景 ここでお茶を沸かすんですが
今日は 小走りで通過です

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雨滝も小走り通過です

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5合目付近 シロヤシオもいまいち

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6合目付近
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8合目の明るいブナ林
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9合目付近 山頂まであと300m
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弥吉ころばし ここで時間喰ってしまった
中高年パーティがゆっくり安全行動されていたので・・・つきあってきた
 
100mほどが 強ばるほどの急斜面ですからね
道々の話ついでに 「明るい話題」を振りまいて・・・

樋ノ沢避難小屋で「金縛り」に遭った話~
首のない白い細腕 背後からぐぐぅぅぅっと迫ってくる~
という お話ですぞ♪(´艸`)


「弥吉ころばし」・・・

こんな名の急斜面が大東岳には在るんですけど、
他の土地や山でも この「ころばし」という地名が在るんですね

福島県の白河から行くと 甲子温泉の通過の際に
「座頭ころばし」っていう名の地所があります。
盲目の按摩師を この「ころばし」で突き飛ばして
懐から小銭を巻き上げたんでしょうね。

とくに温泉地ではこの「ころばし」にぶつかります。
按摩さんという名、、、昔の呼び名が座頭とかイザリとか差別用語
それにしても 温泉地で稼いだ小銭を突き飛ばして捲き上げるだなんて
酷い話だ

弱い者いじめは 昔も今も変わらない 
最近は 年金もスライド制で5%も下げるって?
かつて物価に合わせてスライドさせ 今度は過去の平均所得に合わせてスライドさせ
次は何に合わせてスライドさせようってんだか・・・
自民党の考えることと言ったら・・・ったく 年寄りいじめ(怒)


先日行った越後にも、「瞽女落とし」ゴゼオトシという似たような地名があります。
だから 瞽女さんたちは身を護るため共同して暮らしていたようです。
男と交わらない 男ができたらその共同体から弾き出される
という戒律があったようです。
悪い男にだまされ手篭めにされた人も それで捨てられ極貧で 飢え死んだ方も
いたそうです。悲しい話です。

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曇ってるので 紅葉は今一つ

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大東岳のてっぺんは笹が茫々として 
道に覆いかぶさっている

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ヤバイ! 3時を回ってしまった。

これで 先ほどの中高年パーティはヘッデン行動確定だ
あれでは・・・小屋まで、もう30分かかるだろう。
結局 登山口着は6時半を回るな・・・? 真っ暗闇だぞ?

25年前にここを登った際、大行沢沿いの道がなんとも言えず、懐かしくこの裏コースを選んだ 
そう リーダーらしき人が言ってはいたが 強気な彼も既に70歳だ。
過去の栄華はとっくに「カビ」が生えていることを認識しないといけない
秋の裏コース、京渕沢を最悪5時に通過しないと 安全圏とは言えない。
秋の陽はつるべ落とし 体力もつるべ落としだ



課題

安全圏まで見届けるギリギリ というラインはどこ・・・なのだろうか? 
今回は「弥吉ころばし」の斜度が緩やかになるところまで つきあったが、、、
彼らのペースで、越えられるかどうかギリギリの「京渕沢までつきあう」のが正解だったんだろうか?
駐車場で6時まで1時間ほど待機したが、彼らは降りてこなかった 6時半を過ぎたのかも?
新聞沙汰にはなっていなかったので 無事に下山したんだろうけど・・・。




自己体力検定登山

さいち 9:12 
駐車場10:00
1合目10:27
2合目10:43
3合目11:13
4合目11:32
5合目11:42
6合目12:04
7合目12:21
8合目12:40
9合目12:54
山頂13:12~13:42
弥吉ころばし14:01
樋ノ沢避難小屋15:11
京渕沢16:00
雨滝16:18
駐車場16:47

昨年より登りで 45分短縮
これ以上はもう無理だべ(´艸`)


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by tabilogue2 | 2016-10-18 20:49 | 二口山塊 | Comments(4)

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この桑沼を眺めるたびに思い出すのは 1969年、
安保闘争まっ盛りの大学一年時、
学寮時代のカビの生えた思い出である

当時 授業もなくヒマなもんで 北泉から船形に登ろうと2年生から声をかけられ
酔った勢いもあって、二つ返事で縦走を掛けた

北泉あたりから雨に降られ 
縦走を諦めて桑沼に急坂を滑りながら降りたのだが
赤い腹を見せながら時々浮き上がってくるイモリたちを尻目に 
分岐で論議をかわしたw

桑沼から引き返し すごすご学寮に帰ったとしたら 
寮生全員から笑われる、恥だ! と、
男気で「意地でも左折して 沢渡方面へ」延々行進しよう となった 
なんせ恥辱は御免だ その頃は血気盛んだったからなぁ
70年安保の世代だったから・・・イマジンには理解できんだろ

伐採されたばかりの禿山の裾を越える学生さん4人パーティ 
今じゃぁ 考えらんない世界観だ(笑)
(あ、そうそう 船形近辺は当時から「皆伐」だったんだよな)


 
雨降る中 どでかいキスリングの1年生は私と矢沢の二人
2年生の安田先輩と柔道部の高木先輩は
アタックザックにナイロンの寝袋だけ 

まあなんと 6時間も歩いて特に苦痛もなく 
休みもなく淡々と歩くと エンドルフィンの効果か?
体の痛みとか 足の筋肉痛とか・・・一切忘れてゆく


沢渡の郵便局についたのだが 
腹減って泣いたぁ 
バス停のある店でアンパン買ってパクついた



あほ丸出しな青春時代w 山を覚えたての 
煮ても焼いても食えん 塩味たっぷりの思い出だ(´艸`)


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10月15日
泉ヶ岳登山 水神から桑沼展望台往復




朝寝坊してしまって・・・、
どこにも行けそうもなかったので
「困った時の泉ヶ岳」に登ろうと
遅くなったがでかけてきた

市内鶴ケ谷から45分ほど、、、
10:00 泉ヶ岳の駐車場はあまり混んでなかった 

愛車のちっちゃなミニ・クーパーは 
すんなりグリッドにおさまった

画になる まずまず(笑)
 

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どこも今年の紅葉は見栄えがしないと
そんな諦めムードでもあったのかどうか?わからないが、、、
駐車台数は半分もない


体調よく せっかく?すんなり? 北泉ヶ岳にやって来たので 
裏側に出て 桑沼か? それとも 三峰の景色の見えるあたりか? 
どちらかに行こうと思ったが、、、
天気がイマイチだったので 
北泉ヶ岳の奥・・・今日は右へ 桑沼方面



紅葉はこちらも同じで良くない というか まるで無い
温かいうえに 落葉が多く目立ち 不作である

いつものシロヤシオのトンネルも緑のまま
他の木々も紅く染まらずに このまま枯れるかも



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こんな感じ・・・
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クロベの樹皮が 活きいき見えたのは気のせいか?
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大島紬?かどうか知らないけど 着物の柄に見えるクロベ
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シロヤシオ、クロベの林を抜ければ・・・
桑沼の展望台に着く 
視界のほとんどの木々は 標高も低いのだが まだ紅く染まっていない


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今日の帰り、北泉のミズナラの大木を拝んで来た


そういえば・・・ 
膝の痛みは消えたかな? 
大丈夫だったろうか?
芋煮会歩けたかな?
階段が気になるね~

お~い!元気してるかい? 

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by tabilogue2 | 2016-10-15 19:00 | 船形連峰 | Comments(0)

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LYCAN 12本爪アイゼンとの調整を済ませた




今どきの靴は 冬山をやるには十分なスペックで生産されている
2000mの冬山だからといって 特にプラスチックブーツでなくてはいけない
・・・みたいなことを口にする人は滅多にいなくなった 
そう、昔は革靴の代役として、冬季はプラブーツが革新的だったのだ
今じゃ、ゴアテックスが靴の内側に貼られて ナイロン製でも雪の水気や湿気にはかなり強くなった

代役? そうはいっても プラブーツの良さはインナーブーツの温かさにある
厳冬期、テント泊の夜には格段の差がでるのも確かであり 
これは 一度履いた者でないと なかなか理解できるものではない
・・・それも確かなのである

経年劣化で「自己崩壊」してしまったコフラックのプラブーツ
その代わりに いまどき 新規でLOWA製を用意した(40% off だったw)
ワンタッチアイゼンとの相性も良く 強度の面からも最良といわれている



話は変わって、、、「ゆうゆう館」のツアー参加の会員で、、、
「会津百名山」を単独で追いかけているという奇特なお方がおられる
話を伺ってみた

「会津百名山のうち 藪山を含めて60座?はすでに登っている」というから、漢である
ちなみに私の場合、縦走主体ではあるが、有名山は30座ほど掠めていた ( *´艸`)
で、残りの40座?は 登る「タイミング」を窺っているともおっしゃっていた
仮にSさんとしよう

さらに伺えば、、、奥まった山、時間のかかりそうな山が あと10座ほど残っている
、、、とおっしゃるので その10座ほどをご一緒することにした
大中子、長須ヶ玉~黒岩山、坪入~丸山、観音山~旭岳、男鹿岳、家老岳、思案岳、八十里越えなど「夏道のない山」
残る40座ほどは 彼なら単独日帰りで行けそうな山で 老いの楽しみとして対象外とした

技術の出来不出来を伺えば、、、モンブランをガイド付きで登ったことがある
ピッケルはあるが滑落停止訓練を受けていない やったことがない、
ロープの懸垂下降も実践しているが 系統だったロープワークの講習を受けていない、
自分で結んだ「セット」に 自らの身体を預けるのが怖い と言っていた
技術レベルは 冬山・沢登りを教育上禁止されている高校山岳部程度といったところ
 
なんだか「我流からの一歩を抜け出せていない 素人ゆえのモドカシサ」をお持ちのようだ
中年になって 山好きになり夏道歩きを始めた方のほとんどが だいたいこんな感じだ 
年季だけは喰ってるので「素直ささえあれば」覚えるのは早い・・・はたして?(´艸`)

残雪期に南会津を歩くには、早朝凍結で滑ればツールツル 先ずはピッケルワーク、アイゼンワークは必定だ
次いで、ロープワークで自己確保できないとリッジは登れないし下れもしない
それに 飯を作れないと「継続登山」は無理・・・だから テント生活技術は不可欠だ

それらができないと、会津の奥山登山は不可能にちかい つまり残雪期の「縦走」は不可!
それらを身につけ、できて当たり前になる・・・という是非論を彼は認識してるようだ

冬前に、、、スコップ、環付きカラビナ、スリング、アイゼン等の装備を点検し、
3月までに一度 面白山のカモシカ雪稜でハーネス装着の上でロープを張って
ビレイの仕方を試してもらい、ピッケル操作と滑落停止訓練もすることにした

相手の技量さえわかれば パーティも組みやすくなる
ま、今どき 単独で会津の薮山を追いかけている、しかも仙台から通っている・・・昔の私のよう
「闘志の塊」のような人なので、共に10座、歩んでみたいとも思えた
僕より先輩だが 普段から自転車で鍛えており じつにスピードがありそな体躯の人だ



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by tabilogue2 | 2016-10-13 21:58 | mount | Comments(2)

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男の命・・・なんていうと「任侠道」?と、過去の遺物のように嘲笑されるかもしれないけど 昔の山ヤにとって「ピッケルの錆びは心の錆び、男の錆び」と言われ、常にビッカビカにして、抱いて寝てもおかしくないほどの逸品だった(´艸`) 手慰みともいうけど(笑) 昔の山ヤが皆が皆そうだとは限らないが こだわる男なら酒でも料理でも服装でも 我が身を飾るものなら何でも「こだわり」という選択眼を通して身に着けたものだった。

正調、山が育ちのオイラの恋は~恋は恋でも酒もってコイだよ♪・・・つづけてw、山が育ちのオイラのキスは~肩に食い込むキスリング~♪っと、、、仙台稲荷小路の夜にスクラム?徒党を組んで飲み歩いた大学山岳部員も、夜な夜な先輩から代々譲られたピッケルをピッカピカに磨きこんでいた佳き時代の話だ(*'▽')

**************************

自分にとって 73年当時の大卒初任給67000円の時代に「輸入ピッケル」の1本4万から8万円はマッコトきつかった。仙台広瀬通・細横丁角のエベレスト山荘に通い、埃をかぶった「alpelit」フランス製ジュラルミンの赤シャフトピッケルを指を咥えて眺めていた時代、国産品の3倍もするものを冬のボーナスで、店主である奥さんに値引きしてもらって 三度の飯とのヤリトリもせずw勢いで購入した。

面白山スキー場で滑落停止訓練・・・、買い求めてすぐに滑落停止の訓練に出た。教えを請うたのは仙台山岳会の某先輩。下降時でのツァッケ引っ掛け誘引の前転倒→即時滑落停止姿勢、登攀時でのアンザイレンしたセカンド滑落に依る後ろ転倒→即時滑落停止姿勢 など、、、転倒・滑落したら即座に反転しピックに全荷重をかけ制動の構えをとる。さらに前転やバック転など、「キレッキレの制動訓練」を受けたものである。

ここでのアドバイスを思い出したので追記する。重いザックを背負ったまま反転し制動姿勢に入るまで要した時間分だけ落ちる、さらに重い分だけ落ちる。氷結バーンならさらに倍速で落ちる、加速Gがついてバウンドして身体が宙を飛ぶ、それでも制動姿勢は崩すなっ!、「即座反転」「一点荷重」それが最初のピッケル使用時の思い出だった。今だ現役として体得した”技”を訓練する。訓練ではボロいカッパを着てやるけど、今風のツルツルした薄い生地なら滑りやすいのは当然だ。実戦では ズボンだけでも滑りにくい生地選びは重要になる。

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その後 バブル期に入り、世の中なんでも高級、最高級指向になった。なんでもかんでも超インフレで、高物価で、だけどそれに比例して給料も高く、おかげで「普通に」何でも買えたw。ブランド品だろうが何だろうが超格安に思えたほど?世の中、「土地バブル」で賑わった。必然、3Kといわれる危険な山や沢などに向かうものなど居らず、登山ブームなんか起こり得ない派手な時代だった。猫も杓子もジャンボ、ジャンボでwグリーンを闊歩する遊びに傾倒した。この私でさえ接待にゴルフだったし(´艸`) ピッケルに限らず、Patagonia、Black Diamondなど、海外ブランド品が一挙に輸入された時代でもある。海外のSKIメーカーが市場に氾濫し、犬も当たれば海外旅行でw、「Be-PAL」という軟弱な?雑誌が売れ、俄かキャンパーが急増した時代でもある。何でも「モノやカタチから入る」日本人の消費傾向が始まった頃だ(今の富める中国人と同じだ)

世が浮かれたそのころ、、、「札幌カドタ」という60年も続く技能をもった会社が「良い製品が作れなくなった」のを理由に廃業した。外国製が溢れだした世の中で、品質に「こだわる」モノづくりの意味がなくなった、そんな世の流れも製作意欲の減衰に繋がったのかな。かつての「ホンダ」のように「世界に負けるな!」の合言葉が世の趨勢だった時代に 炭素鋼ピッケル・アイゼンという一途なモノづくりに努めてきた「KADOTA」家のこだわり。家業の鍛冶師5代200年続いた「代々の甲冑師」が 1902年(明治35年)土佐の高知から北海道に移り住み、1986年7代目に至って自らを廃業へと向かわせ、「炭素鋼・KADOTA」の名を遺したのである。(まあ そんな風に調べていくと、面白い逸話がたくさん出てくるけどネ)

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いま 手元に2本のピッケルがある 札幌カドタ製作所の名品 いわゆる「楕円のKADOTA」だ(レモン型ではないヨ)

一本は カドタ製作所のジュラルミンシャフト1985年製「KAMERAD」、、、いかにも 北大の山岳部員が名づけたような「KAMERAD」、”同胞”、”同志”という意味だが、かつて日本マナスル登山隊の登頂成功に湧きおこった第一次登山ブームを懐かしむような?それとも 小西ら山岳同志会か?の銘のついたピッケルだ。それは「最後のカドタ」としても名を馳せた現役活躍の一本でもある。

もう一本のウッドシャフトは おそらく1968年以前、僕がちょうど山を始めた頃の製作だろうと思われる。 銘品「SUMMIT」が市販される前の穴あきピッケル、通称「特殊鋼穴明き」・・・石突の形状がフランス製に似てテーパーの懸かったキレイな仕上がり。68年当時の大卒初任給が約2万円前後、資料によれば、当時、カドタピッケルは12000円だったらしい。僕の5,6年先輩方にあたるのかな? 初任給の半分だ(´艸`) それでも当時は輸入物より格段に安い!

なんと驚くなかれこのウッドシャフトの一品が、錆付いたままヤフオクに出されていた。私はこれを見逃さなかった。幸運なことに競合入札者は「楕円のKADOTA」にこだわる方ではないらしく、競り合いもなくあっさりと落札できた。思わぬ逸品であるにもかかわらずである。それは「楕円のKADOTA」を知る者にしか価値のないモノだったかもしれない。真逆に捉えれば まさにKADOTAを知る者にとっては大いなる拾いものをした・・・と、錆を取り払い、磨き上げながら、炭素鋼の鈍い光を喚び起こし、アマニを塗りながら にんまり心ひそかに思って居る。

ちなみに仙台の鍛冶師:山内東一郎作のピッケルもオークションに出されていた。前回は70万での落札と記憶しているが 今回も40万近くまで競り上がったのを目にしている。 SAAB乗りのサブさんによれば、仙台の鍛冶師:山内東一郎が亡くなってから今年で50年も経過するそうだが・・・、じつに世の中、おかしいくらいに ヘン (笑) まあ、これら山内や門田のピッケルを手にした山ヤさんが隣にいたら、ほんのチョット昔話を聞いてみるといい きっと50年か30年ほどか?楽しく当時にトリップできるはずだ。



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by tabilogue2 | 2016-10-12 20:35 | mount | Comments(2)

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敗退した昨日の「藪山」登山に続き、、、
今日の「ゆうゆう館」ツアーは日本で一番小さい山脈の縦走


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クリックで拡大するかな?




「櫛形山脈」

日本で一番小さい山脈??? といっても個人が勝手に命名した山脈ではなく
大日本帝国陸地測量部が作成した日本地図に載った由緒正しき名前です

櫛形山、標高は568mと低いですが 直線距離で南北13kmほどの山脈で
縦走には短縮バージョンでも5時間ほどかかります 全山南北縦走となると7時間かな?


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下山口にほど近い、道の駅「たいない」の真向かい、
胎内市美術館にて
有名な日本画家「斉藤真一」画伯の 「越後瞽女日記展」エチゴゴゼニッキテン 
が 昨日から展示され 一般公開が始まったたばかりというので
じっくり数枚だけ見てまいりました (山よりも 画に興味があるんだわな)

感動した!



でも 係員のおじさんが 「教えてあげようスタイル」なので
ちょっとイヤだったど・・・ 田舎だからしかたないのかな?(笑)
まっ いいかぁ (´艸`)


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会津にも 秋になるとこの瞽女衆が門付け(かどづけ)に来たもんだ
三味線ペンコペンコ鳴らして・・・、でも金がねえから
カラムシの原麻を二、三把くれたもんだ

たいがい二人してやってきた たまに3人でやってきた 
目の見える15,6歳の瞽女が手引して案内した

村の定宿に泊まるとなったら
「瞽女んぼーが来たー」と村中の人が見に行ったもんだ
一銭こ、二銭この木戸賃もって 笊が回ってきたらば放りこんだもんだ 

瞽女の唄は「ままっ子いじめ」「嫁いびり」の唄が多かった
涙ぐんで聞いたもんだった
新潟県知事が 瞽女は物乞いだから「新潟県の恥になる」っちゅうこって
「瞽女に十分飯を食わせてやれ!」というこって
そのころから 瞽女はパタッとこなぐなったもんだ
「会津学 vol.4」 226頁
 

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「ゆうゆう館ツアー」について



毎回の企画が面白い! 「ゆうゆう館」らしい 個性的なグループ登山です
企画登山はとてもユニーク、「ゆうゆう館ツアー」は25年のキャリアを有しています
興味のある方は「ゆうゆう館」の佐藤さん 、「 B'nuts」の中村さん までお越しいただければ・・・


ちなみに 参加者は女性が多く 50代から60代が主なメンバーの年齢層 
藪山や登山道のない山が企画され 他はワカンで歩く雪山、春の山スキーなどで 
悪天候でさえなければ たいていは催行されます。
その際、長靴が思わぬ小道具になったりします 「地図読み」も実践されます


●一般的な企画ツアー登山 / ピークハントとの違い 

個性的な企画と個性的な山が対象になる場合が多い 名の知られていない藪山、地図読み登山とか
一般的なピークハント企画に厭きた方なら「ゆうゆう館」の企画に参加してみては いかがですか?
小規模グループにて 山そのもの、山での生存技術など 深く、幅広く、山を知ることができます

ちなみに同日、同時刻に 他社の企画が開催されていましたけど・・・、
「笹谷峠~雁戸山」ツアーに参加された方は 一度に60名を超えたようです
小雨の中、笹谷峠は大渋滞!自分ペースで歩けない長蛇の列、大ヒンシュクものだったようです

それら団体登山や、名山のピークハントに厭きた方、「ゆうゆう館」の企画会員になると面白さが倍増します
過去、「山行企画に一度も載ったことのない」ような、個性的な山が年間を通してリストアップされています
山の面白味は標高では表しえません。個性的な山を、独自のスタイルで総合的に追求します
来年から始まる新企画には 新会員さんを追加募集する予定ですよ


おまけに、、、この店には
在仙の山岳会会員、グループ登山のベテランさん、山岳救助隊の方々が来店しますので 
お客さん同士の詳細な情報交換ができます 
山スキー、カヌー、自転車好き、クライミングジムのトレーニー、キャンパー・・・も集います


ゆうゆう館 仙台市宮城野区燕沢東2丁目9−51
利府街道・バイパス立体交差点西側 つかさやスーパー向い
☎022-252-9750 佐藤さん 中村さん 竹内さん
姉妹店 Climbing Gym  B'nuts













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by tabilogue2 | 2016-10-10 09:08 | mount | Comments(4)

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なんとなんと なんと! できるもんですねえ・・・
予算は たったの35万円だそうです
オリンピックの何分の一????
頭皮のフケみたいなもんですなぁ 例えが悪いけどw
カスみたいな予算額で
こんな立派な「手作り」、「持ち寄り」感の強い祭りが
できちゃう!!!


すべて 町民のボランティアで賄っており
案内人も 飾り付けの皆さんも すべて手弁当だそうです

「五輪権益」に胡座をかく 日本中から批判を浴びている「小心臓の森喜朗」ら 
柔軟な「発想」ができずに、「国民の税金を湯水のように使う」ことしか思いつかないような
旧い自民党の老齢な石頭連中に 耳の穴カッポジってとくと聴かせてあげたいもんだ

人口6万の町だからこそできる 強い結束感を感じます



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「ザクロ」と華麗な「鰈」の木彫り漆黒 五段重と調度品
他に「堆朱」(木彫りの漆器)も立派なものが飾られていました
村上市は 北の浄法寺町や会津若松と同様に漆の名産地なのだそうです

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町内には 竹灯籠が設えの真っ最中だった
さぞかし今宵は・・・ロマンチックなことだろう


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東京から 美大の学生たちが参加して
灯される灯籠の配置を考えたりして・・・楽しそうです


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by tabilogue2 | 2016-10-10 08:19 | アラカルト | Comments(2)

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昨日今日は 越後村上と越後中条に行ってきました・・・っていえば
いかにも観光目的に思えチャウが・・・チャウチャウ (´_ゝ`)ナイナイ


仙台のスポーツショップ「ゆうゆう館」主催の「藪山山行」でした

残念ながら 三面方面は霧雨で、「蕨峠」についた途端にシト降る雨
結果的に「餓鬼山」手前で敗退し 帰り道で紫舞茸を発見した・・・ときた

 その流れで村上市まで出て なにやら秋祭りをやっているとの
情報を得ていたので 登山客ならぬ観光客と化した

運転手をまかされていたので・・・疲れないようにし無理はしないw


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峠から右が餓鬼山、左が鷹ノ巣山 もっと左奥に有名な鷲ヶ巣山





戦国時代に武田信玄と争った村上氏・・・落ち延びて上杉の配下に。
以前、大河ドラマでは歌手の「上條恒彦」が演じていたけど、、、(合ってる?)
わすれたけど(笑) 武田支配地の北信濃の豪族から上杉配下の地に逃げ落ちたといわれる
その村上氏の城下町が今現在の村上市 有名な観光名所は「北限の茶処」
茶の生産は山形にも在るが ここでは「生産と製茶、販売までされている」という「茶産業の北限」

侍町と町民の町屋敷とが区別され 寺町を境に旧い城下町の風情を残し
町屋敷は鰻の寝床のような 間口2間の町屋風情を残したまま今に至っている
間口は2間だが 奥行きは10間ほども在る・・・
・・・昔は間口で税金の換算をしたからだね

街中を歩くと すぐにその佇まいに感激するはず
しばし 屏風を飾り立てた町興しイベントを見物した

代々の調度品と屏風をお客にお披露目
一番目の写真は・・・(株)吉川 きっかわ の暖簾 

ここをくぐると
三面川で採れた鮭が 軒裏に1000本もぶら下げられており 
一瞬、(魚だけに)ギョッとするが 祭りであるからして余裕で見学できた 

ここで売られている「鮭の昆布巻き」が美味しくて
ちょうど地元には「〆張鶴」の美酒もあって その酒に合わせた酒肴を求めた

その夜は酒宴となり ゴチに供されたのはいうまでもない




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鮭をイヨボヤと読んでいたようだ イヨはウオのことで魚の意味
イヨ止まり イヨドメ(魚止め)という意味合いは他所でも在る



江戸時代には遡上鮭の孵化技術があったようで、
三面川本流から「種川」という人口の支流を設えて
そこで獲れた鮭の「受精-孵化-放流」までを「科学した」らしい
 
青砥武平次というお侍さんが
このような「鮭の回帰本能」を利用した人工孵化を「世界で初めて」編み出したといわれている
彼は「三両二人扶持」の身だったが、出世して「70石の石取り侍」になったといわれる
これは奉公人に換算して40人分の「食い扶持」を蔵米で貰う(200俵)ことと同じだ






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by tabilogue2 | 2016-10-09 21:30 | art | Comments(0)