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昨年の11月22日、M7.4 震度5弱の地震があって以来、毎週のように地鳴りがあって 
12月28日には震度6弱の大地震が発生しました その後、茨城北部で25回も余震が起きて
仙台でも毎晩5秒か10秒の地鳴り後に グラッと揺れ始める、深くて周波数の長い地震が続きました。

昨日も、今朝方も、あったんじゃないですか? 寝てる時に ゴオーーーっと地鳴りがしてて 
そろそろ 来るなぁーーーって時に ユラユラしはじめる。
今朝の震源地は宮城県沖だったそうで、東日本大震災の余震・・・いまだ余震は続いています。
太平洋岸が4mも後退していたのに、11月22日は50cm海側に戻った、、、と言うんで 
いよいよ房総沖の反発が始まったという学者もいます。実際、唐桑半島では5mも海岸が東にズレたし。

いつ来てもおかしくない、南房総沖の地震については南海トラフ以上に喫緊の課題とされているようです。
深さが地表から10kmと浅ければ 「激震」になるはず。津波も発生する。



千葉と横浜に住む娘たち、2家族5人分の避難用品を一揃い(大震災の被災地支援で考えられた必要品)
それぞれ50リットルザックに詰め、、、この正月に父親からの「お年玉」として2家族に手渡しました。
どんなことがあっても 「生き延びろ!」です。 気持ちは伝わったと思います。

バーナー ガス3本 コッヘル 軍手10足 子供用軍手 笛 ヘッドランプ 発電装置付きの携行ライト 歯磨き歯ブラシ
ろうそく 洗濯バサミ クリップピン カーテン用ロープ ゴミ袋(黒) サランラップ ガムテープ 洗剤 割箸
折畳式水槽 子供用ヘルメット ウェットティッシュ マスク 子供用マスク 携帯トイレ(大、小) ロールペーパー 
消毒アルコール コンタクト洗浄液 テント用シート シュラフ夏用 緊急保温用アルミシート 20000mAhUSBバッテリー 


関東地方に わが子を住まわせている親御さん 
孫子の心配をしてばかりいてもしょうがないんですが、やれるだけの支援をし 経験を活かして必需品を準備して
送っといたほうが宜しいんじゃないでしょうか? やらずに不安で過ごすより 「やって、安心」を選ぶ! 

「帰宅難民」・・・2011年大震災では 帰宅難民と化した勤労者学生が5百万人と推計されました
環状7号線の封鎖・通行規制と「備蓄」条例とで 都心部企業か公共機関への泊まり込みも増えるとしています
常に持ち出せるようにザックに当面の緊急用品を詰めておくことを 我が子には申しつけました。
既にあちらの勤務先では ヘルメット、水、食料などは社員全員分、ロッカー室に据え付けられたそうです。

登山も、山スキーも 気になるんでしょうけど・・・がまんがまん (´艸`) 


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今村雅弘復興相は マラソンに例えて「今現在は30キロあたりで、勝負どころだ」と強調したそうですが
福島県民はいまだにスタートラインに立てないでいる 「政府と現場との認識」の大きなズレがありそうで
福島県知事からも この大臣発言に苦言が出たようです。

さらにまた 大臣から「フクシマ フアースト」という 今流行りの言葉も出たそうですが
この言葉さえ「福島第一」原発を連想させるので 言葉遣いには細心の注意を図ってくれと苦情が出たとか。
自民党はオリンピックの綱引きとテロ「等」準備罪の成立に躍起だから・・・呆れる発言ばかりが続きます。







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by tabilogue2 | 2017-01-29 11:18 | アラカルト | Trackback | Comments(0)

「迎合」と「柔軟」

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私はもともと「里山を歩く」という概念を持っていない。というか「山岳部」「山岳会」指向なので 標高3桁の山、高低差700m以下、登りに2時間以内 などを「山だ」と指す感覚がない、もともと持ち合わせていない。体力的に登れるうちは 「山岳指向」でいたい。むしろ そう誓っている。逆に言えば、それができなくなった時、自分の「山という概念」を捨て去ろうとも思っている。その頃から 里山散策を始めたいと思ってもいる。

山岳会では・・・「陽だまり山行」という言葉はもともとない。「冬」にゆるい山域 ゆるい山行 などありえませんでしたから。 最近ですか?年齢層のバラエティ化で中高年の高齢者が入会するようになってから、、、個人山行で用いられるようになった言葉のように見受けます。ハイカーには使える言葉であっても「岳人」たちには不釣り合いな?使えない言葉?だと思っています。これに類似した事柄を以下に書いてみようと思います。 昔はなかった事柄が ネット上では普通に在る? 不思議現象です。

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「真冬に、冬山を登らない って?」
かつて、、、真冬に、冬山を登らない?、冬合宿に参加しない?というのは山岳会、山岳会会員ではありえないこと(でした)。真冬に冬山に行くからこその山岳会であり、会員であると今も思っています。自分の頭では、冬山というものをそんな風に据えております。けして残雪期ではありません。さらに「共同で成し遂げる山」、これが厳しい山行の定義だとも思っています。ついでですが、精神的な「リハビリ山行」というテキトーでいい加減な言葉もありません。退会するか?休会するか?の道が残されているだけです。本来はね・・・。

「ネット社会のB層的登山者」
今はネット社会というのもあってか?多種多様な人間や情報が集まるようになって、山岳会が元来営々と有している体質・・・例えば 伝統とか、本来の姿・あるべき考え方・・・「山岳会とは」「山岳会員とは」などの本来あるべき「原則論」や「理想」「セオリー」が消え、それに代わって「ネット上のリーダーが作った仮説」にすり替わりつつあるのが現状です。その状況は承知しているのですが かといって「迎合」と「柔軟」とを履き違えてはいけないなぁ と、このようにも思うわけです。「定款をもたない経営はない」とでもいうか。(硬いこと言っちゃうと、、、ますます会員が増えない山岳会になっちゃうかもですが 笑)

「10年未満はまだヒヨコ」
伝統的山岳会に入って10年未満はまだヒヨコ。なのに「名声」だけがネット空間で独り歩きだすと実力とのアンバランスに当人は悩むことになります。ネットで有名人になってしまう、おまけに取り巻く周囲が持て囃しちゃう。経験深い人から観れば幼子程度の実力なのに、ネットじゃベテラン扱いされいつのまにか?ネット上では「リーダー」の一角になる方がいますが、ネットの難点「無責任」さもいいところ、それに気づかないと、ね。

現実に「上には上がいる」ということを 取り巻きが「山岳登頂・遡行記録」から学び知ると、当の本人は「謙虚」こそが勇み足をしないコツだと思うようになります。せっかく伝統的な山岳会に入ったんですからもっと先輩から学んで、伝統とか理想とかセオリーとか、山岳会の本質を知ることが重要だと思うんです。それは当座のブログよりも先にあるべきこと、そう思います。

「社会的ブームの受皿を担うか?担わないか?」
登山ブームという「社会的ブームの受皿を担う」、、、仙台でも 中高年を大量に組織化されておられる労山山岳会がありますが、もはや山岳会も内部で二極分化してゆく方向なのでしょうか? 従来の「厳しさ」指向とハイキング主体の「軽登山」指向とに。100名を超えるまでに会員を増やせば 遭難事故も頻発するようになる。となれば、山岳会の内規(規定/規約)の解釈を変えてまでして、昨日まで山と無縁だった「底辺」を受け入れ高める必要があるのか?という問題が一方であって それとも 多種多様な意見を認めつつも 会の原理原則を個人に理解してもらって、ゆくゆく努力して組織に馴染んでいってもらうのか?という「迎合」と「柔軟」とで、根本的なところで考え方が分かれ、論じられるようになってくる。 

「社会的ブームの受皿にはならない」
逆にこんな山岳会が世の中にあってもいいと思うんです。多角・多指向の時代だからこそ、敢えて「迎合せずに高く理想を掲げ、毅然、敢然とした山岳会」があるべきだとも思います。言いかえれば「同人」に限りなく近い山岳会が理想です、そのように個人的には思います。コンサバですが、むしろ古巣であるYMCA山岳会にはそうであって欲しいと思います。YMCA山岳会は今の世に在っては稀有な山岳会だと思うし、「深野稔生」という看板が在るうちは「トラッド指向な山岳会」に含まれる と思っています。 成りは小さくとも特徴や方向性を明確に打ち出した山岳会、味のある人間集団になってほしいと思います。

「二者択一的な結論でいうと」
オルタナティヴな意見や生き方が今後の社会趨勢を逆転させうるとしたなら 今は極小で支持されない「異見」ではあっても、この登山ブームが去った時に忽然とマジョリティを得ることだってありうるわけで・・・とすると、今現在、基本的で原則的な「異見」は むしろ 大衆に迎合させず、筋を曲げず、姿勢を崩さずに、主張しておくべきか・・・と思っています。仮にこの登山ブームが去れば・・・隠れていた本質が見えてくるはず。「人は何故山に登るのか」「どうして冬山なのか」「共同で為し遂げる厳しい季節と山・谷」という山岳会の本来の姿が 原則を求める人たちによって表に引き出され、やがて、、、大衆にも解ってもらえるだろうと思っています。期待したいです。




山岳会会員であること

◆「組織の壁」、一見 邪魔くさい壁ではあるが・・・

じつは この壁が組織を護ってくれているということにお気づきだろうか? ココが山岳会、組織の人間にとって特に重要な問題なのである。楽しいネットは命や組織を護ってくれるのか?と言い換えてもよいほどの問題でもある。

山岳会はある意味「趣味の蛸壺」。覗けば・・・伝統ある会組織であればあるほど基礎をきちんと学びかつ遭対訓練もキッチリやっているのが窺える。彼らは組織原則を護るという不文律な壁を等しく心に持っている。組織原則を護ることは自らの命を護ることと同じだ。会員が少ないと嘆く弱小山岳会であれば、組織原則の壁をガッチリ組んで会活動を絶やさず個人山行を増やし未組織者を堂々と「勧誘する」この原則的活動・行為が肝要だ。

既に分かっていることは、、、ザイルを結べば結ぶほど パーティを組めば組むほど「党派性」への理解は深まること。反対に未組織者にはそれが何故なのか?理解されることは恐らくないだろうということ。突き詰めればそこが山岳会組織と一般登山者との境界線だということ。

「冒険」と「危険」とは隣り合わせだが、夜を徹して歩くことも、自分の限界に挑むことも、冬山も、谷も滝も・・・、「冒険心」を抜きにして語れはしない。それがあるから 僕らは山岳会の門戸を「意を決して叩いた」のだった。山行の経験を積めば積むほど、安全対応へ技術も上がる。もちろん遭難などしたくない!から 春と秋と遭対訓練もするし登攀技術も雪山技術も高め合う。会の事業活動・事業目的にもそのことは謳われているはず。

一般登山者にそれらを理解して!とは言わないまでも、何のために?命のやり取りまでしてリスクを冒し山に入るのか?って問われれば、、、それは貴殿よりも「比較的に冒険心があるから」、 貴殿よりも「比較的に探求心が強いから」、 そして「より高度な自己実現のため」、 まとめて我らは「山岳会という組織の一員だから」としか言いようがない(笑)

「個人では不可能なことも、仲間がいれば可能になる」 組織の力で自己実現を得る。会社であってもどの組織であっても集団のパワーで困難を乗り切り目的を果たすものだ。山岳会とて同じである。

同じ釜の飯を食って寝食を共にし深山幽谷に入らない限り、日帰り・夏道山行の一般登山者にはとうてい理解されないだろう。未知の面白味があるから沢登りに興じるわけだし、難しい滝がクリアできたらそれだけでも楽しいものだ。夏道しか歩かない者に沢登りや藪漕ぎの楽しさがどうして解りえるだろうか。

山岳会という「目的を持った集団」とそうじゃない一般登山者とでは埋まらない溝、彼我の違いは厳然としてある。もしかすると 理解されることは永遠に無いかもしれない。山に求めているものが・・・「厳しい山行」であるのか「お花畑」を夢描くのか この二極はどこまでも二極のまま 交わるものではない。

ただ、少なくとも僕らが一般登山者に言えることは「毎月の会費は伊達に支払ってるわけじゃないんだよ」「組織の大義(事業)、その目的のために僅かな会費を支払って結束し活動しているんだよ」ということぐらいか(笑) 毎月例会に出て会費を払うというのは山岳会員としての義務であり、組織集中・自覚の証である。目的を持たない未組織登山者とは イロハのイからして違うのである。




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by tabilogue2 | 2017-01-25 21:53 | mount | Trackback | Comments(0)

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972mピークにてさらに上を窺う安田君 とにかく速い男だ


完全JR登山 の part2・・・今日も面白山(´艸`)。。。 片道840円の山旅w いつもと違い、現役会員:安田くんに先導されての「大名登山」でした。

今までと同じ電車で、同じ装備で、同じスタート時間で、堰堤脇から迂回してのカモシカ尾根です。初っ端、堰堤からの「迂回コース」では、ラッセルは深いが モナカではなかった、雪がしまってきてること カモシカ尾根上は雪が重くて 固まっており ワカン無しでも行けそうであったこと もうひとつ、このダイレクト尾根の2ヶ所の急登が 深い腰下までのラッセルだったこと それでも 結果は・・・ いつもより30分早く長左衛門水平道に至ったこと 

自分でも早い方だと思っていたんですが 現役はもっと早いんですねえ。いつでもどこにでも、上には上がいるもんです。 自分の鈍足さ加減に嫌気がさします とはいえ 30分のスピードアップができましたけど。。。鈍足なのに時間短縮 って、いったいどーいうこと? それはつまり・・・、お茶しない 一服しない ミカン食べない 珈琲のまない 撮影しない ・・・単に休憩3回。おそらく・・・景色は後ろへ流れるもの、そんな哲学めいたものが彼にはあるんじゃないのかな?w もっとも 行動食などは 文字通り歩きながら摂っていますけどw

昔の俺みたいなことを安田くんはやってるw 笑っちゃった それって伝統的?で山岳会らしいか?w おかげさまで・・・圧倒的な雪を、すべてヤツに、彼に、安田様にラッセルして戴きました ラッセルして戴いたというより 速すぎて追い付けなかった というのが真実!ですけどね。。。 さすがは山岳会の現役会員! 体幹が鍛えられており重機みたいなラッセルで狙ったラインを直上していきます。今の僕にはできそうもない 夢物語。20年前は・・・大学出たての黄色いお口のヒヨッコだったのにぃ。。。(´艸`)


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高度700mのピーク 


ハイクは始まったばかりだというのに すでに「ズーム」で追いかける状況?(笑)いちおう 面白山のコース取りを道々説きながらいくつもりが、、、逆に提案されてしまった。「奥新川駅から 中面白へ行きませんか?」 ですと。。。厳冬期の深雪にタイムオーバーで断念していたらしく その雪辱をやらないか?ということらしい。現役組も「厳冬期」に面白山を心に据えているという点が 地元の山岳会らしく誇らしい限りだ。僕の考えていた、面白山高原駅→奥新川駅と逆パターンだが ワカン走破で何処まで行けるか?まるで見当がつかないけど、逆コースなら斜度もないし、延ばす「距離」勝負ということらしい。

けっして「南沢林道跡」や「小山田新道跡」を使わずに行こうとするのは山岳会らしいこだわり方で、好ましい。一般登山者であれば、林道に、即刻食らいついちゃうだろうけど、、、「人工的」なので冷静に避けたい。会津の山々と違って、宮城県は山が浅いせいか林道も山自体も人間臭くて「奥山に入ってる」といった実感がまるでない。目標は、新川川(にっかわがわ)の北沢と南沢のどちらも眺められる地点、1069mピーク(船倉岳の対岸、東船倉岳というのかどうかわからないが?)とした。ま、手前の新川岳1013mでもよかったが、高差で60mも上がれば東尾根に上がる、なんともないラインだ。もし一泊なら、矢盡(やつくし)手前で野営し、南峰からの吊尾根をコンテで進み、頭を取ってからカモシカ尾根で下ろう。現役:安田くんからの逆提案だが、現役から一緒に行こう♪だなんて、、、くすぐったいお誘いなので いちおう疑問符付き?「体力には自信があるのか?」だがw でも断るわけがなかった (´艸`) イツデモウケルヨン


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740mピークで ケロッとした風で休憩する、イヤミな?安田w
こっちは汗だく 鼓動ばくばく やっとやっと追いついたばっかだっつーのに

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地図読みで地形を頭に入れている。GPSで現在地を求めるなんてことはしない(持ってはいるが…)

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いつもの850mピーク 中面白展望台は前回同様 まっ白な雪景色 

常緑樹林も、、、「アスナロ」から「ネズコ」に変化すれば 長左衛門道は間もなくだ。

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長左衛門水平道には 30分ほど早く着いた 
この積雪状況で・・・30分のスピードアップ いったいどうなっとるの?


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「駒新道」いわゆる「長左衛門道」  コンタ880m

仙台市在住で「ゆうゆう館」に集うベテラン、Sさんから戴いた貴重な資料によると・・・宮城県側では「長左衛門道」を「駒新道」と呼ぶ記述も出てきますが、これについて 山形県側の道は奥新川峠から長左衛門平を経て「長左衛門道の途中から現在の面白山高原駅の北側斜面へ下る道」と記されており、廃道となって久しく歩くことはできない と書かれておりました。30年前は、現在の堰堤沢沿いから天童高原に登っていたものだが お花畑の斜面は比較的ゆるく長命水に至っていた。また 山寺千手院に繋がる道を駒新道と呼ぶ説もあるようだ、とも記されていました。

駒新道は現在、ササダニの道w、崩落で一部道形がなく尾根にあがる覚悟をしないと歩けない。初小屋-大すど-よもぎ平(八森山南面)-追越-腕腰(大笠山と円子山の鞍部)-高倉山北面-三ノ沢登山道-猿倉山-奥日川峠まで

明治15年に関山トンネル開通により衰退し今や廃道となってしまった。当時 三島県令はトンネル掘削の新技術を試し、その実力を知りたかったようす。また、こういう話は各地に多く残っていて、、、、明治になって、三島県令が出した新道開墾令ゆえに 廃道になった旧道は数多くあります。「勝てば官軍 負ければ賊軍」で旧会津藩領が故に「会津三方道路」は鹿児島藩士三島通庸によって振り回された感があります。


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さてさて、、、長左衛門道からの上部斜面ですが、今日はフッカフカの深雪で斜面が埋まっています 一歩踏み込めば「当たり」を感ずることなく、そのまま ズズズッと沈み込んでいきます(笑) 沈む前に次の一歩を踏み出すのがコツですが つまり「体重を両足に分散させる=沈まない」です。でも、、、急斜面で一歩を出すというのは難しいかな? 勢いで上がっていかないと…。

話は変わりますが、、、まあ、2000mクラスの雪山は春5月、残雪の季節でしょうから「パウダー」は関係ない話ですが、例えば朝日連峰清太岩尾根・ゴロビツ手前あたりを参考にイメージしてみてください。厳冬期の「深雪パウダーの急斜面」を登るにはコツが要ります。

ピッケルを水平に構え、胸あたりの雪を腰下まで崩し、上体が前傾し易いようにシャフトで雪面を削る 崩した斜面をヒザで固め打ちし、固めた雪に片足ずつワカンを蹴り込んで、一段ずつ上に登ります その際、ピッケルを深く刺し身体を持ち上げる時、ピッケルの助けを借りて、グイ~っと足場を崩さぬように上がる 刺したピッケルを抜いて 再び水平に構えて 胸元の雪をシャフトで膝下に崩す ヒザで固める ワカンを蹴り込む ピッケルを刺してグイ~っとステップを崩さないように上がる・・・この繰り返しです。

これが深雪の急斜面を直上する登り方のコツです。頭でわかっても練習しないと身につきません 練習あるのみ! 最初は、急斜面でワカンを蹴り込んでも崩れない程度の雪質で練習スタートします。(実戦ではもっと崩れやすいですけど)スノーシューでは不可能な急斜面を登る際に…、「ワカンの蹴り込み」が特に威力を発揮します。


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972mピークを越えて 空身で先を偵察する (ここはテント張れますね)
未だ、、、雪稜はできていないようだ これから2月いっぱいが山

群馬県では「アブラチャン」というを曲げ木し「輪かんじき」にしていたのをテレビで観ました
安田くんは 軽い木製ワカンを使用している 最近はスノーシューが在るが、やはり急な細尾根はワカンに限る
パーティを組む時に足前の統一は意外に重要なのだ 仮にスキーとワカン混成ではパーティが2分する
スノーシューでジグザグに進むときでも 輪カンなら直登できる、、、この場合もパーティが2分される


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P972m いつもより圧倒的な積雪なのに 30分も早く到着する

下山も早いのなんのって、、、夏道タイムとほぼ一緒、972m地点から1時間半で駅に着く(前回は長左衛門道から2時間だった) この分だと山頂からでも2時間? ほぼ 夏と同じだ(笑) おかげさまで、、、列車待ちに1時間も余すことになる その間 ボケっとすることにもなる?(笑) これなら 山頂を往復してくればよかった。 仮に遅くなっても、下り列車の山寺駅行きに乗って 山寺駅から16時台の上り快速列車に乗り換えて仙台に戻る方がゆっくりできる、いいかも(´艸`)

さらに彼からの提案、、、「関山峠から北面白山まで」の県境尾根、やりませんか? 既に船形まで冬季は踏破済みで、残す関山以南は冬季記録の少ないコースだったので、笑って即決 約束した。あそこは「山ヒル」がたかるので、夏場は遠慮している。冬場なら願ってもないチャンス。山岳会の観点で「小山田新道」を掠め、さらに争奪地形(水分)を確認し、最後の急斜面を山頂まで。そうすれば 面白山を起点として放射状に放たれた各支稜をほぼ歩き通したことにもなる。いかにも山ヤらしい(笑)

普段はいつも無口な彼だが、今日はもう一つ提案があった。。。 南会津・三岩岳から丸山岳を経由して会津朝日岳までの縦走はどうか? だって。。。昔、自分は「会津駒ヶ岳-会津朝日岳」の完全踏破を狙っていたけれど、大幽朝日山(三角山)からの「激」藪、カモシカの糞から大量の羽虫が一斉に発生したのには閉口し、完全に果たせていなかった。
 
思い出した!、、、じつは現役の頃、彼とは南会津の坪入山まで 偵察を掛けたことがあったのだった。安田はそのことを知っていたようだ、15年前の俺の「夢」。。。彼は共有してたのか・・・。というか 南会津デビュー戦の彼には申し訳ないことをしたのだった。あの日、登山中に僕は仕事のことを考えていた。

ありがたく提案を受け入れた。問題は車の回送。本数の少ない路線バス利用で どうするか?だ。黒谷からタクシーか?、町営バスを乗り継いで山口に戻る、山口からバスで内川に出て、乗り換えて小豆温泉へ移動か? 車の回収に一日を費やすのか?、それともマイカー2台でいくか?、または郡山の「カーネルおじさん」に回送を依頼するか?ちなみに 黒谷のイワナの里から小豆温泉までタクシーなら13000円也・・・4人なら安いか?イワナの里に有線電話があるので それを借りると朝日タクシーに通じる。20分ほどの待ち合わせ中に山の荷を解けばいい。現実的には、「カーネルおじさん」に 日帰りで山に付き合ってもらえれば・・・すべてが御の字だが(笑)

今でこそ現役・OBという間柄だが、、、安田くんは現役時代、私とロープを結んだパートナーでもある。 頓挫したままの その「とある完全踏破計画」、その雪辱戦ということだろうか? 雪辱の極み?wそうなりゃ話は早い、、、4月ならいつでもOK!(5月じゃ雪が腐って踏み抜いてしまう)


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安田くんが入会したのは 今から18年前、1998年の年末の朝日連峰でした。当時の山岳会発行の季刊誌「やまびと季報」を眺めていますと・・・いろんな思い出が蘇ってきます。そのページをめくると・・・朝日連峰日暮沢から清太岩に向かっていた時、初めて安田くんに出会ったと記されています。11月末、異常なほどの雪降りに驚き、思いの外進まないラッセルに焦りを感じていた頃 冬装備の我々の前に、夏装備の青年が単独で この大雪を駆け上がってきていました。 ショック! それが 安田くんでした。 今や YMCA山岳会のエースとでもいうべき 立派な御仁にお成りにあそばしましたw


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安田くんが入会したその一ヶ月後、もう冬合宿参加です。朝日連峰・清太岩付近での写真
新入会員はこの当時8名ほどいました、皆さん 先輩方に可愛がられていましたね
前列左から・・・太田さん、岸さん、そして幡野
後列左から・・・私、新入会員:安田、野口、小関、新入会員:太田

YMCA山岳会というのは 昔から山岳関係のリーダー養成所みたいな特徴がある
あらゆるジャンルで揉まれてきた集団だから 何処へ出しても通用する













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by tabilogue2 | 2017-01-22 17:38 | 面白山 | Trackback | Comments(0)

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今日も 仙台ゆうゆう館で油を売っていたら、この映画を観てきたばかりのお客さんが
興奮冷めやらない口調で ストーリーを 一気にまくし立てるものだから・・・
こりゃヤヴァイ ってなわけで、MOVIX利府へ シルバー料金で観てまいりました (25日まで?)

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ヒマラヤ山脈 「メルー中央峰」 にそびえる岩壁 ”シャークス フィン”
この壁は過去30年間 一人のクライマーも寄せ付けなかったキワモノ

コンラッド アンカー、常に冷静な彼が唯一私情を挟んでサミットに挑む・・・
世界のビッグウォールをこなしてきたウォールクライマー達による
ヒマラヤ未踏の”大岩壁”に挑んだ実録映画です(メインスポンサーはノースフェイスです)

今まで・・・、ヒマラヤに挑んだサミッター、ヒマラヤ遠征隊とは、まるで違う角度からの
アプローチ、そして企画、撮影がなされています 言ってみれば「私的なヒマラヤ登攀」です

1度目の登攀、、、
世界の屋根に挑む彼らは 90キロを超える登攀具、食料、テントなどを
ポーター無しで、自力で担ぎ上げて、ベースキャンプからルート工作をします 
無駄に資金をかけず、純に目の前の壁に命をかけた 3人のビッグウォールクライマー、

完登まで僅か100mのところで ギア類が尽き 壁を諦めざるをえないシーン
ギアを納めていた空っぽのツールバッグが 6000mの大岩壁を舞いながら落ちていく
このシーンの虚無感、、、「無情」を感じました ここが一番見応えあったかな 
この重要なシーンを いとも簡単にサラッと流してゆく・・・しびれました。。。

この映画は彼ら、登攀家の手による企画、撮影、自らの手に依って為された実録映画です
過去に制作された、どこかの国の、どこかの企業が提供し、宣伝までも仕組まれた
企画・脚本通りに撮影と編集がなされ 意図的に制作された「大遠征隊」の映画とはまるで違います

大掛かりな遠征隊を組むでもなく、5000mでコックが料理の腕を振るうわけでもなく、
医師が健康状態を診るでもなく、そんなド派手なベースキャンプシーンやら、
アタック隊との無線交信シーンなど これっぽっちもない 専ら「壁の中の3人」でした

2度目の登攀、、、
スポンサー企業の思惑に左右されずに、壁に挑む3人のクライマーたちの夫々の内面が
くっきり露出されます、関わる人間たちの内面に照準が当てられた珍しいドキュメンタリー映画でした
そう、これこそが、、この映画の魅力であり その無駄な演出を省いた映像が
ヒマラヤサミッターたちが有す葛藤を 純粋に「言葉」「動き」として前面に浮き立たせます



完登シーンでは 涙こそ出ませんでしたが、
この日に至ることを悟り、プロのクライマーを夫に持った婦人の ”「死辺」に佳人を送り出す気持ち”
しかも前夫(アレックス ロウ)を雪崩で亡くし、2人目の夫(コンラッド アンカー)は前夫のクライミングパートナー
しかも コンラッドは現在進行形のバリバリの登攀家 そんなビッグウォールクライマ-たちとの「関わりかた」、
じつは そっちの方に、強く胸を打たれました

世界の屋根に挑むクライマーたちの友情は すごく気高いんですね、、、
映画を見て、もしそれを察して頂けたなら 僕と同じ観点に一緒に立てたことになります

是非 ご覧になっては如何でしょう?


*コンラッド・アンカー

アメリカでもっとも著名な登山家のひとり。
ロッククライマーとして北米の数々の岩壁を攻略。
ラトックⅡ峰の西壁ルート登頂など輝かしい記録を持つ。
エベレストではマロリー捜索隊として遺体を発見した。

*アレックス・ロウ

1999年10月5日、チベットのシシャパンマで雪崩により遭難
アレックスはコンラッドの最大の友であり、クライミングパートナー。








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by tabilogue2 | 2017-01-17 19:45 | アラカルト | Trackback | Comments(0)

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「会津学 vol.3 」 発行人:会津学研究会 \1540

三岩岳に登った帰りに「道の駅かねやま」に立ち寄って 「会津学」3,4巻とを買ってきた。
冬に手に取る雑学書として もってこいの分厚さである (´艸`)

ようやっと雪が降って山は大荒れ、今冬一番の寒い日、今日は本を読めとのお告げか?手に取る時間がやって来た。
特集1「雪と暮らす」、特集2「会津に生きる」を一項ずつ 読んでいきたいと思っている。

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日中集落の人々が猟場にしていたというのは 現在の日中ダムの西側にそびえる日中飯森山(1595m)だ。かつて田を持たない日中の人々の生計を支えてきたのは山仕事によってだったという。春のシバ山を始め、炭焼き、山菜採り、カゴを編むためのブドウ蔓などの採取、秋はキノコ採り、木材の伐りだしなど、生活の中心に山があった。そして同時にこの山は飯森山神社を含め九つの社を祀っており(上から 飯森山神社、種播神社、子安神社、鉢伏神社、高倉神社、大倉神社、地蔵神社、薬須神社、小倉神社)かつては成人儀礼の参拝の山として、日中集落の青年団あるいは氏子が毎年参道の刈払いを行い守ってきた。こうしてみると日中飯森山は、日中の人々の生活と信仰を支えてきた大切な場所だったということが伺える。

日中飯森山のクマ狩り 遠藤 戌(まもる)さん

熊が生まれんのは寒中、1月下旬から2月初めの頃だ。4年に一度、必ずオス、メス2頭産む。たまにメスばかりって時もあったようだが、必ずだ。生まれたときにはパンダの赤ちゃんと同じぐらい。それを穴の中でおっぱいで育てるわけ。あんまり小さいのをちょろちょろ外に出すと目立つ。上の方ではクマの子をさらうほどの力を持ってるクマタカってのがいつも待っている。だがらその子を外に出すのは青葉が出て、上からあんまり見えなくなって、狙わんにぐなってからでないと出さないんだって、子を産む「ネス穴」はあんまり険しくないが天敵を防げる場所を選ぶ。そしてその穴のあんまり遠くない所に、水場があるっていうんだな。この日中飯盛山あたりの話な。

朝、暗えうちから待ち合わせ場所に集まって、その中の長老が「ジュンダテ」といって熊狩りの持ち場を決める。例えば大倉にいたどすっと(大倉という場所に居たとすれば)尾根の方に何人行け、「ホンブッパ」(鉄砲を撃つ場所)、「ナカブッパ」(中間の撃つ場所)にベテランが立つように決めていく。たとえば目立つ石があるところは「石ブッパ」とか「一本松のブッパ」とか、立ち場所を指示する。追い上げる勢子にも長老格の「セコゥ長」って配置を決め、「どこどこの沢からお前が出てこい」「どこどこの途中からお前が出てこい」とか、そうして包囲網をつくる。「巻狩り」って言うんだ。

ウサギを追う時は「アッアッ アッアッ」なんて言うんだげんとな、熊は「ホーイ ホイホイ」って高い声で追うんだ。目あて(尾根で見張る人)が見つけると「〇〇にシシ出たぞ-ーーっ」って合図する。シシつうのはクマのごと。次に「〇〇の方 強くがなれ-ーー」って(ガナルというのは大声を出すこと)指示が出る。熊は遠目が利かないようだが耳と鼻はよく利く。タバコの匂いとか絶対駄目な。熊は頭を高く上げて匂いを嗅いで耳を澄ますようなごとをする。テッポぶちなら声出すでないど と言われた。

合図は鉄砲の薬莢を笛にしたり、指笛。熊が包囲網を抜け出したときの合図は、見通しのいい場所で「雪の上を腹ばいで進む」。クマの真似をするんだな。それが見えた人は 何か違う動きだから・・・何かあったぞと気をつけて見るわけだ。クマが行ってしまったと言う時は「這って進んで歩いて戻る」それを何べんか繰り返す。そして「クマがここにいるぞ」っていう時は「這って進んで、また這って戻る」。それを繰り返す。そうして連携して「ブッパ」まで追い上げる。。。

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今では無線があるし携帯だってあるけど、、、昔は手合図 身ぶり合図で伝達していたなど 当時のクマの巻狩りを口述記録された本編特集がまことに面白い。時々 福島弁というか会津弁が混じって心地よかった。サワリを紹介しました。




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by tabilogue2 | 2017-01-15 14:09 | 会津学 | Trackback | Comments(0)

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山岳会の会員であればこその”厳冬期”計画・・・「面白山県境を横断する」 



冬、、、山岳会では厳しい山域、厳しい山行ほど入念な山行計画を立てます。なんだ あたりまえじゃん? と思われるようなことですが、まず一つは思いつきの発想など入り込む余地がありません。厳しい山域・厳しい山行に対し、具体的にどんな対策が必要か?というと・・・厳しい山域ほど、夏に合宿が組まれた時点から その山域・流域を実践的に研究し 秋に荷揚げをしながら下見をして 冬に再びとりあげて冬合宿の計画をたてる・・・一つの山域を、一年というタームで考えていきます。厳しい山域には多重で構えていくのが安全対応だと思っています。その基本線上で日程やパーティ各メンバー構成とその役割分担(各自の能力とそれに対応する負荷の度合い)を決めていきます。特にチーフリーダーCLやパーティリーダーはルートの困難箇所を地形図を見ながら何度も机上登山を繰り返し問題点を洗い出し対策を立てます。その上で計画会議に臨むわけですが、、、各ベテランリーダーからの指摘されるであろう問題点に既に応えられるように、例えば・・・、慣れ親しんでいる面白山の例で計画を練る場合は 以下の観点で「実行計画」をたて準備して会議に参加します。

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横断計画作成にあたって問題点を探ってみました。パーティが奥羽山脈の脊梁を進み、野営し、横断するのに どんな支障が出るのか?
①行動予定時間の推量 ②幕営地の検討 ③ルートの検討・稜線からの下降ポイント ④メンバー構成などを考えてみました。

行動予定・・・6時間か8時間か?
面白山駅からカモシカ尾根(アオジシ尾根)をとって 初日どこまで行けるか? 昨年末の降雪時、年長の私でさえも単独ラッセルで水平道まで3時間半の実動でいけた。とすれば、山頂までプラス2時間 、5時間で稜線に立てるとみていい。これは夏道タイムの約2倍であるが、初日に北峰での幕営は充分に可能とみる。さらに吊尾根を南へ下って続く登りを1時間で頑張れば南峰を越えることができる。計画通りに北沢への尾根を下降してテント設営予定地点まで1時間で行けると見越し、行動時間を約8時間とすれば 矢盡(やつくし1205m)直下まで行ける。3月の硬雪ならできても 2月は厳しいかな? ま、問題はラッセルの持久力だが、連続5時間と南峰までの1時間がもつかどうか?である (´艸`) 次に 稜線の風(風を避けた適地選び)それと、この寡雪が影響しそう。安全マージンという観点なら 初日の行動時間は稜線まで5時間 設営に1時間 都合6時間としたい。 条件が全て好条件なら(体力 気象 積雪 パーティシップなど)8時間ほど行動できるはず。

幕営地・・・北面白山東部直下か? 矢盡東尾根鞍部か?
積雪量次第で幕営地を何処にするか?がポイントになりそうだ。雪が降ったとして ラッセルワークで遅れた場合でも北峰山頂東面・雪庇下の鞍部に張れる。ベストは順調に進んで「矢盡直下の平坦地南面」にも幕を張れる。(中面白付近は風が強く適地がない)次に もし悪天であれば?エスケープを考慮して稜線手前か、あえて長左衛門水平道に戻って、計画変更・好天待ちの幕となる。あまりにも雪が少ないので、大藪小藪が出ていて設営サイトに戸惑うはずだ。2月の連休までに 雪が降り積もって固まることに期待をかけよう。最悪の場合は4人用テントを2人用テント✕2張に変更し装備する。幕地は当日に判断決定する。

下降ルート・・・矢盡からの下降ルート
矢盡南面の600mに及ぶ断崖と雪庇を避けて、矢盡山頂の手前を北沢への支尾根を高差150mほど下降する。下降尾根から東側の谷へトラバースし、スッカスカの深雪が積もる谷を若干遡上すれば矢盡下の東尾根鞍部に出る。この山行で最短でベストなコース採りを迫られるところ。灌木が密生する間をトラバースするので繰り出すロープはシングル50m、灌木を縫うようにロープを這わせトラバースする。ルートファインディング能力が最も問われるところとなる。此処を「夕闇迫る中でやるか?朝陽の中でやるか?」は当日のお楽しみとなる。

エスケープ・・・
①カモシカ尾根上でかつ脊梁稜線手前であれば、そのままバックする。 
②南峰に進んだ場合は 南尾根を下降し紅葉川を渡渉して 面白山高原駅に戻る。 

次に電車・・・
当日参加・・・面白山高原駅下り07:09着 上り06:52着で集合。
前夜集合・・・登山口で幕営し宴会するのがもっとも良さそうだ。
下山後、奥新川駅発 上り仙台行は17:29 下り山形行は17:44

装備(厳冬期)・・・ 
共同装備・・・ 30mロープ ゴアツェルト コッヘル バーナー  ランタン 鍋食材 ちり取り たわし 雪取袋 
個人装備・・・ スワミ 8環 環付きビナ スリング スコップ ピッケル アイゼン 水1㍑ 防寒着 テルモス 赤布 GPS


幕営予定地について(足並みを考えて)事前に一度 試登をしておくことにしよう。
参加の現役・OB諸氏は 私案①、②、③を練って連絡ください。(「同人」の場合、日程調整が面倒だな)


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以前にもYMCA山岳会ではこのルートを計画したことがあった、しかし実現されなかった。コレとは別に最近では2006年に「奥新川-駒新道-中面白山-トンネル尾根の冬季横断」をワカンで実行した。ただ残念なのは厳冬期外の3月頭であった。さらに当時の記録も調べた。二口山塊は沢の遡行記録ばかり 冬は蔵王からの縦断山スキー踏破記録ばかり。「一高山の会」「東北大ワンゲル部」の記録も調べないといけないが、おそらく(当会に記録がないということは)「厳冬期」の県境横断は未踏なんじゃないか?と思っている。今冬に実行されれば「厳冬期」の初登記録となるはずだ。少なくとも YMCA山岳会での初登となる。

記録の「落穂拾い」には違いない が、やり残しを片付けたいという気持ちだ。奥羽の脊梁を縦断ではなく横断するというのが「厳冬期」のオツな雪稜かな。現役会員 後輩たちよ、、、「楽しい」山スキーばかりに興じていると、「冬山」「雪稜」、山ヤのDNAが消えてしまうぞ(´艸`) 以上が、机上での試登で考えられる問題点だ。これを片付けて 3月は栗子山塊だし 4月は南会津が待ってるし・・・沢が始まるまでは雪稜に行こうかな。


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ここで何故か・・・US-5 (笑)



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by tabilogue2 | 2017-01-10 22:29 | 面白山 | Trackback | Comments(0)

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山に 泊まって 星空を仰ぎ・・・

 賢治の星たちを 謳ってみるか・・・♪


星座と一口に言うそれらを 賢治は

一つ一つ 色や形で愛で 謳った


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あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ


あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ


オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす


アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち


大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ


小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて








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by tabilogue2 | 2017-01-08 12:11 | mount | Trackback | Comments(0)

何のために 登るの?

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南会津・田子倉ダム村杉半島にて、横山よりダム湖越しに浅草岳・鬼が面山を臨む
GW4泊5日、20キロ超のザックを横に置き 山旅のメモを録る今出さん
ラクダシャツが印象的な、「奥羽山脈冬季単独縦走」を遂げたYMCAの鉄人だ



皆さま 本年もよろしくお願い申し上げます
(喪中につき 失礼いたしております)


年頭に当たり、自分の「山の捉え方」を述べてみたいと思います 
長文・・・!?、不慣れ・面倒くしぇっ て 御仁はパスしてくださいね
無理して読んじゃうと 既成の考え方とぶつかり頭が混乱しちゃうかも♪

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ふた昔も前ならば、、、
電車とバスとで登山口の民宿に一泊し、それからニ泊三日の縦走をおもむろに楽しんで下山したものでした。その際、下山口の温泉地にも野営し、また夜行列車とバスとで帰宅したものです。さらにもっと以前ならば、深田久弥の百名山にも書かれておりますように 入山に際して町場から登山口まで2日をかけ、下山口から町場までも2日を要した とありますので 交通面では難儀だったようです。山も一大決心しないと入山さえも怖じ気ずく、冒険心がないと困難に立ち向かうことも敵わない、そんな時代だったんでしょう。実際にそんな「さすらいの旅人」風な登山スタイルが多かったのです。 そうです、その昔 山は「旅」そのものでした。大袈裟に言えば、全山縦走という「山旅」に出たものでした・・・最悪の事態を覚悟もして。

「海から山へ」、、、
亡くなられたYMCA山岳会の岸先輩は「海から山へ」のエッセイを多くしたためられました。秋に発表される彼の「紀行文」が毎年私の楽しみでもありましたが、趣向の変わった?その山行記は決まって「海」から始まりました。 盛夏、海から山へと向かう道中で、見知らぬ「旅人」である自分に声をかけてくれて、触れ合った地元人との心温かな交わりに 彼はドンと背中を押されて山に登ってきた とも、「海から山へ」シリーズの根っこがそこ(人情や旅情)にある とも、仰っていました。

一つの山旅が、、、
かつて 一つの山旅が「人生讃歌」の一遍に加えられた瞬間がそこここにありました。海から…、不便を乗り越えて旅を続け、世間の多くの事象と触れ合って、車中の、旅の宿の、その時その時の旅情を味わい、人生観に備わる何かを心に据えることができたようです。でもこの話はたかだか十数年前の話であり、しかも仙台の身近な人の話です。山と触れ、地元の人たちと触れ、旅を続けてこられた岸さんの紀行文には 「旅情」という現代では失われたものを発掘しにいく「旅」、そのように僕は受け止めておりました。

今日ではどうでしょう?
車で誰もが簡単に山に行けるようになり、誰もが「日帰りピストン」する山登りスタイルが主流になりました。世の中が「さすらいの旅人」を拒絶した?かのようです。(スローライフは「奇人・変人」扱いの現代社会、それに抗うには勇気もいるのですが) 山に登ることが一般的になりますと、山はただ「消費されるだけの山」に変わっていきます。だいぶ「山」も軽くなったものだ と率直に思います。 反面、手軽に山に行けるようになった代償として、私たちは山の、山旅の、「旅情」を失うことになりました。

自分の人生だから、、、
自分がいいと思えばそれが一番ですが、そんなに「生き急いでどうするの?」と強く思います。ゆっくり「山旅」を愉しむことはできないの?とも。 自分は18歳で山を覚え、郡山・仙台で山岳会を20数年、仕事の関係で陸に上がって10年程のブランクがあり今にいたって、定年で再び夏道を歩き始め7年目になるのですが、、、山を再開して気づくことは、行き交う登山者の誰もが「同じ顔・同じ匂い」に感じてしまうこと・・・です。

まるで「金太郎飴」、、、。
他人のトレースをコピーするのが当たり前の世になり、「山レコ」のGPSトラックを辿る「他人任せのコピー登山」が横行し、オール日帰り登山?、てっぺんまで登らないとせっかく来た甲斐がない?、なので 雷雨にも歩く?、冒険と危険の違いも分からず?、無駄せず?、遊ばず?、徹夜で「効率優先」?という捉え方、コースタイムが山歩きの基準となり?、行き着く土地に金も落とさず?、薀蓄を垂れる割には山を歩いた「泥臭さ」が感じられない、そんな「華麗臭」漂う人に多く出会うようになりました。

しかもその誰もが、まるで「金太郎飴」のようです。山を再開するまでの、たった10年のブランクですが、日本のお山関係はすごい様変わりになってしまったようです。メーカーに踊らされ、山ガールが雑誌”山と渓谷”に囃され、さらに一家に一台のネット社会、一人一台のモバイル社会で、一律に同じ方向に走った結果がこの始末かと思っております。山に登る登山者はすっかり「個性」を失ったといえます。

この現象はつまるところ・・・、
しがない初心者向けガイドブックや、他人のヤマレコや、他人のGPSトラックで・・・、メーカーの宣伝もその一つの因子なんでしょうけれど、「右向けっ 右!」の号令一下、皆な一斉に右を向くってことになるわけです。少しヘンじゃないですか? 自分の「個性」を失うことに通じませんか? 個の存在が否定されてると感じませんか?・・・と、そう思うのです、いかがでしょうか? どうして想像を膨らませないんでしょうか? 僕の言ってることは間違っていますか?



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右から 前毛猛山 中岳 百字ヶ岳 太郎助山 毛猛山 ビンビンに尖った峰々をバックに緊張する



山を深く味わうこと? 
老人はある意味、経験を積んだ「老獪さ」の持主のはず・・・、でも残念ながら、山で出会う中高年人種は画一的であり 平易であり、常に動き回っており、同世代として情けなくも映るようです。40歳になって登山に目覚め、過去の20年を取り戻さんと、少しの時間も惜しい勿体無いとでも言いたげでしょうか? 余生は100名山を登るのに余念がなく、100登れれば幸せで99なら成仏できないとでも言いたげかな?(´艸`) ましてや50を過ぎて山を始めれば負い目もあるというんでしょうか? 山をスポーツ的、高効率的に捉えることが抒情的に捉えることより即座に心に適い、面白いとでもいうのでしょうか? 今の登山者は山の深みも知らず、、、そんな浅瀬で座礁しているか?または”名山”という「落とし穴」にハマっているんじゃないかな?、逆に 彼らに捉えられた山がもつ価値とはその程度なのか?、と登山という概念に根本的な疑問を抱きます。

「山が勿体ない」なぁって、、、
大らかに、山を味わいながら歩きたいと思うのですが 沢から陸に上がれば、自分の周りには抒情を介せぬピークハンターばかりが占めたりします。いつのまにかブログにアップすることがイコール、山に登ったことになっていたり? 自身が感じとった山での感想は「素晴らしい」の一言で終わらせ、あとは素人写真のオンパレだったり? 行間さえもそれで埋め尽くす そのように見受けられます。

理解できない超常現象だ、、、
いったい誰のための山でブログで、何のための山でブログなんだろう?と。して、貴方にとっての登山行為はどのような意義をもつのか?と思わずにはいられなくなります。そんなブログを覗けば、山への思い入れや山での実感がいっさい書き込まれていません。まるでガイドブックのような「無感動で平易な山道案内」と「写真日記」が続くのです。いったいこれで、大人として(言いすぎかもしれませんが?)満足できる何かを捉え得たと言うのでしょうか? 何が深く記憶に残ったといえたのでしょう? 考えさせられました。たとえば、先述した深田百名山は著者深田久弥が山を旅して、感動しそして称えた「山の讃歌」です。けして「百名山の記録簿」ではないはず、、、そのことを読まず気づかずに今日も抑揚なく、起伏のなさで山を語る大人が多いということなのでしょうか? ついつい横目で見てしまいます。

「山を登ること」と「山を旅する」こととは次元が違う、、、
旅もせずに点から点へと ETC特典で「移動」、深夜に現地着でそのまま「車中泊」は彼の計画通り。その計画には地元の文化に触れる時間や 地元の民と交わることなどは予定されませんで、汗と汚れた垢を地元の温泉で落とすだけ。せいぜい、地元でラーメンを食べたと書かれてあるだけ。明日に登る山へ移動するだけの今日の終わり方しか書かれていないようです。その今日の登山さえ既に八合目から始まるわけで しかも 100、200、300を目指すんだそうです。 これって?、一体全体、日本の、今の登山ブームは、、、何なのでしょう? 

「山を登ること」と「山を旅する」ことは次元が違う、、、考えればお分かりになることですが、それに今日も気づかず、単に「移動」し「無感動な記録」の「個性のないコピー登山」を今年も続けるというのでしょうか。 嗚呼、もったいない! 評ずれば、皆一様に横並びの人生でしょうか?、個性と感情の喪失でしょうか? 自分はそう思うのですが・・・言い過ぎてたらごめんなさい。

最後に、、、 
登山ブームがもたらす此等って・・・、先日 豪雪に閉ざされた千歳空港で100人余りが集団ヒステリーに罹り、暴徒と化したどこぞの国の観光客にある意味似てはいないでしょうか? 皆一斉に「右向け~ 右!」、、、エキゾチックジャパンならぬヒステリックジャパンとでも申しましょうか?・・・文明大国の日本ですが、創造的文化という点では まだまだ「惰眠の中」のようです。

オリジナリティ、個性、自分らしさという面は 「右倣えの国民性」の何処に見受けることができると言うんでしょうか?、、、今年は これらを一緒に考えて山に登りにゆきましょうね。



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とまあ 年頭にあたり、チョイと述べてみたくなりました。 
これを携え 本年も山に向かいたいと思います( `ー´)ノ
よろしくお願いいたします。 


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以東岳冬季合宿 茶畑尾根パーティ、、、左から 町田、佐山、今出、佐野、菅原、舘岡、秋山、故佐藤、神崎
偶然、このパーティは会の歴代運営委員長たちで構成された、、、すごいメンツばかりだった
深雪ラッセルを3日間、ただ専らの毎日でついに稜線を得た だが、CLは猛省しきりのようだったが?
                                    撮影:大鳥繁岡にて

そういえば、、、写真の町田くん 彼とは「酒の縁」で今でも繋がっているような?気がするのですが(´艸`)
当時、彼は「早池峰にゴミは似合わない実行委員会」(菅沼賢治会長)の提唱する山頂トイレの屎尿担ぎに
参加していましたっけ、気合がじつに違ってた!こだわる男でした。東北山岳写真家集団にも入っていました
 今は、NPO:川崎-仙台薪ストーブの会会員、宮城県森林インストラクター協会会員とのメールでした                  


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禿岳集中3パーティ 火ノ沢尾根P 水上沢尾根P 花立峠稜線P
前列左から 故佐藤 私 秋山 丸山 
後列 佐藤(芳) 西田 坂本 舘岡 太田 故岸  

当時は 明けても暮れても朝日、朝日、朝日、でした。夏も秋も冬も朝日連峰
時々、こうして禿に登ったりはするけど、頭の中は朝日の銀嶺と緑の谷でした
この時代 YMCAには20代 30代 40代 50代 60代と各世代が打ち解け合って
何とも言えない「黄金期のような」山岳会活動でした。粒選りな会員のあつまりでした。
もう二度と やっては来ないでしょう。











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by tabilogue2 | 2017-01-03 23:29 | mount | Trackback | Comments(2)