d0347140_13201378.jpg
2012年 本濃研太「ダンボール」展より



現在の北朝鮮情勢を受けて

もし戦争が始まったら を考えてみた。首都圏に住む身内・家族がとるべき行動は何か? 同様に仙台の家族がとるべき対応は何か? 何をすべきか? 何ができるのか? 最初に思いつくことは 首都圏に住む家族の安否。一歩間違えば、”運命的な死”を選択してしまう。機転が利く次女はGW休暇を早めにとり、帰省することにしたようだ。残るはもう一家族。如何に「混乱のない逃避」が可能か? 案を練っておく必要があると思った。

平和ボケの日本人

ガソリンは急騰するし 紙類も不足するし 冷凍食品は底をつくだろう JR各線は止まるだろうし、奥利根 奥多摩水源に毒を撒かれることだってあるだろう 無防備なのは原発で、民間ガードマンのみで隙きだらけ・・・不安要素は際限なし。車はガソリンを常時満タン。オイル タイヤ 冷却水 整備点検を済ませる。水も 食料も 紙類も 寝具も 着替も 事前に車に積んでおく。ロシア系停止衛星のカーナビサービスが制限される? 道路地図を用意し、退避ルートに赤線を書き込んだり?・・・平和ボケの日本で戦争を想定すると 人殺し 殺戮 爆死 粉砕 という文字が浮かびでない。

ミサイル発射

9分で迎撃をくぐり抜け東京上空に到達する。都民は何もできない 逃げ惑うだけだ。いづれ、攻撃される側は不意打ちを食らうことになる。慌てるだろうし、逃げ惑い、パニックになる。地下室、地下駐車場の仮シェルターなぞは 津波の防潮堤程度の気休めにしかならない。首都圏脱出したとして 緊急食糧と医療先とセカンドオフィスの設置等が「次に来る日常」の課題か? 

核爆弾であれば

核搭載ミサイルであれば、首都圏上空2000mで炸裂。爆心から半径50kmは一瞬にして灰になり 爆心地の都民は焼け死ぬだろう。近郊の市民なら 都心からできるだけ離れなくちゃいけない。 地下シェルターに潜るというのは 都心部の、地下鉄の走る、ごく一部に限られた、一時的避難構想だし しかも食料備蓄量は未完だが 2011年後に想定された「500万の地震難民用」とされる。 

具体的に、、、

千葉には地下鉄もシェルターも無い?・・・どうするか? 首都圏が攻撃された場合 できる限り短時間で100km圏外へ脱出する必要がある。シミュレーションすれば、若い母親は勤めを早退し小学校に立ち寄って子どもを引き取る。 混乱し始めた千葉の市街を車で脱出、柏市>水戸市>いわき市>仙台だ。義母と旦那とは柏か水戸で落ち合う。「首都圏に近寄らず」が命題になるだろうから 新幹線利用は論外。しかも都内発の電車は動かないだろう。高速道もパニックになるだろうから 首都近郊ICは利用不可能かもしれない。都心から100kmの宇都宮か水戸を過ぎれば・・・これさえ可能なら 仙台まで避難できるだろう。

これらの手筈が・・・

考えた手筈が混乱なく実施可能かどうか? 可能であれば、一連の上記想定が鍵になるのだろう。しかし、、、無事に避難できても、今後の問題が新たに発生する・・・転職 住宅 教育 医療 介護 住めなくなったマンションのローンは? 売るにも売れない、支払いだけが重く残る? 親が不安になれば、、、子ら、孫らはさらに不安だろうし。。。

平和であることが最善努力なのだが

現状は軍事バランスでの平和。これでは不安はなくならない。第2次大戦末期、ヤルタ協定後いわゆる「東西問題」が世界を覆った、「東西冷戦」の幕開け。僕が生まれた1950年、大戦後5年。東西イデオロギーの対立激化で「朝鮮動乱」が勃発した。アメリカとソ連の代理戦争で 東西イデオロギーの激突で 朝鮮半島は分断されたのだった。その片割れが北朝鮮だ。キューバ イラン ベルリン 東欧諸国 なども同様だった。いつの日にか冷戦は止んでベルリンの壁は崩壊した。北朝鮮に権益を絡めた中国、インド、イラン、アフリカ諸国が「禁輸政策」に出れば、その時には北朝鮮の体制瓦解は避けられない。

「ボタン戦争」と「平和憲法」

戦後70数年・・・ 我らの世代で 再びこんなことを考えねばならなくなったとは。。。安倍内閣になってからというもの 嫌韓・嫌中が強まり ヘイト、武闘が叫ばれる。。。平和が一番望まれる時に 混乱に乗じて「改憲」・「自衛隊の国軍化」・「テロ等準備罪」・「軍備増強海外派兵」を企む。。。 それは日本の周りに「敵」を作ることを意味している、国民はそんな保守政治を選挙で選択してしまった。 戦争勃発の危機だ ミサイル発射だ サリンだ… なんだかんだと言ってる割には 休日にゴルフですからね。 安倍晋三という男は国民を見下げてみているようだ 煽れば煽るほど国民は安倍から離反する 選挙で落とされるのは安倍i一派だ。 北朝のミサイルは「危機」ではなく 彼らにとっては「嬉々」かい?という程度だ。

そのツケが いずれ 日本に回ってくる。 煽られる国民にすれば、嫌な情勢になってきたということ。





[PR]
by tabilogue2 | 2017-04-27 13:23 | アラカルト | Comments(0)

八重桜  三神峯公園

d0347140_16110973.jpg


女の人って 
どんなに どれほど 話題が尽きぬものかと 
感心しきり

花を愛でるって 
平和であるからこそ 
平和を愛するからこそ です

あるべきものが そこにある… 
そんな日常こそが
平和なんだと
そう 思います。。。



d0347140_17484065.jpg

d0347140_17481240.jpg
鬱金桜

d0347140_17472874.jpg

d0347140_17474246.jpg

d0347140_17475789.jpg
御衣黄


d0347140_08194758.jpg
ワイド判 スマホ撮影です



[PR]
by tabilogue2 | 2017-04-26 06:57 | photograph | Comments(0)

三神峯の古桜

d0347140_22101439.jpg




今年も 三神峯公園の古桜を愛でることが できた
公園のベンチに座って 買い求めたお団子をたべながら花見を味わった

昔は・・・、 一斉に咲く豪勢なソメイヨシノが比較的好きで
さらに夜の公園・・・、 行灯の下で燗酒浸けて盛り上がったものだが
年齢とともに「花見」の有り様も変わって来ている

既に花見客が去った公園で 遅咲きの八重桜を観るのが性に合ってきた
味わい方 趣向は、、、歳によって変わるものだ

落ち着いて 桜を愛でる 
・・・という心境には なかなか至らないものだが
それでも こういうパターンを3年続ければ 板につくというもの
お茶を飲みながら いい気分にさせてくれる

今日は 車仲間のSさんに公園でバッタリお会いできた
BMWバイク仲間と「京都、四国へ1000kmツーリング」を駆けるそうだ
若いなぁ( ^ω^)・・・その意気をほんの少しでも戴かなくちゃ


d0347140_06500982.jpg



d0347140_17470463.jpg


[PR]
by tabilogue2 | 2017-04-25 22:13 | photograph | Comments(0)

d0347140_19310527.jpg
一切経山と噴煙 : 東吾妻山頂から

d0347140_20442263.jpg
吾妻小富士と樋沼、浄土平 : 東吾妻山頂から
信夫山を南端にして、北へと信達平野が広がる

d0347140_19285433.jpg
磐梯山と猪苗代湖 : 東吾妻山頂から



積雪期シーズンの最後になって ”群青”の空を得た。
少し早いがこの碧さは5月の天気だ。

思えば今季今冬を通して初めての晴天山行となった。
きょうは「山クラブKAMURO」の皆さんと2回目のグループ登山 東吾妻山だ。 

吾妻は 目を瞑ってでも歩けるほどの 我が郷里の山ではあるが 
じつに、コレほどの好天の中を登るのは 僅か数回の記憶しかない。

それほど今季は 強風と曇天と雪降る中で「仙山線」利用の登山が続いた。

本日同行のヒロシさんから「今季の面白山は?」と尋ねられ、指折り数えてみた
面白山カモシカ尾根が4回(うち雪稜が2回) 奥新川から2回 南面白山1回・・・のうち
丸一日晴天だったのは奥新川からの新川岳登山のみ。

今シーズンは通して強風に泣かされた。

東栗駒は恐ろしいほどの強風だったし ほぼ毎回、冬風に吹かれまくりだった。
船形山と北泉ヶ岳ともに、午前中の晴天は午後になると崩れていたのだった。



d0347140_19301196.jpg
西吾妻山 西大巓 奥に 飯豊連峰が僅かに見える : 東吾妻山頂から


d0347140_19032470.jpg
もうすぐ山頂だ



「山クラブKAMURO」の男性陣は山スキーがうまい
古巣YMCA山岳会よりも 上手い人が多いんじゃないか?

もっともスキーは目的じゃなく「移動」手段として捉えているのだけれど・・・w
にしても どんな斜面でも飛び込んでいけている

ショーアップに耐えうる技術を持ってる 見ごたえがある。



d0347140_17353979.jpg


ヒロシさんは 実にきれいなフォームで滑り降りてくる
無関係な人にも 見せてあげたくなるほどだ(´艸`)
春山の少し薄汚れた斜面に きれいなショートターンの白い弧を描く

ひとつ 僕も・・・と 
20数年振りに?再開しようか…と 武者震いするほどに刺激を受けた

今、、、
道具は一つも無い、、、が (´艸`) 

いづれ 負けない(笑)


d0347140_19092543.jpg

女性陣も トレーンで離れずついてくる

d0347140_19102989.jpg
とまあ この辺で…、

あまり 深くは突っ込まないのが ”吉”かとw

d0347140_19123755.jpg
肘を身体に近づけすぎると、その分だけ後傾が強調されてしまう
特にターンイン側の左腕を前へ構え、視野に入る位置にするとバランスが保てる
d0347140_19140559.jpg


d0347140_19152253.jpg
簑輪山 鉄山 安達太良山を背に滑る 


おっ? なかなかいいフォームだ 外足に乗れている

内倒せずに・・・?  といっても 
なにが ナイトーで??? どれが ガイケーなのか???
本人さえも分かっていないだろうけど?(´艸`)

ターンの外足、外腰、外板で 雪面を押さえる意識で挑むと
エッジが立ち、自然に腰から上は「起きてくる」 

それを 言葉では「くの字」というけど
巧く滑れたときには 自然に「くの字」になっているもの

なかなか 意識して気づくものではないのだが
エッジが立ち、シュプールも細く、ターンも切れ上がりを見せてくる

次のターンに「入り易くなった」・・・ 
そんなことが 頭に浮かび イメージが描けたとき・・・
たとえば「くの字」姿勢が「できている」という理解の仕方だ
(実際には ビデオで納得すべき だが)

左右のターンに対応できる=「中間ポジション」
このポジションが重要だと気づくようになれば
テクのランクは(その技術レベルにおいてだが)「上位」になる

技術は「修練の結果だ」、というのが 初めて具体的に解ってくる

----------------------------------------


今日は 典型的な「春スキー」の一日だった 
最後に蓬莱山の山頂からダウンヒルで 今日のフィナーレとした

僕は この時のために 狙っていた「あること」を実行した 
わざわざ『その為』だけに スコップと長めのピッケルを背負ってきた
スコップにピッケルの柄を差し込んで それを尻に敷いて
ピック&ブレード部とに足を載せ 左右の足で舵を切った
 山頂付近からの一気のダウンヒルに興じた

少年時代に戻ることができた(笑)首尾は上々、狙いは上手くいった 

まだまだ 「オイタ」が止まらないらしい…(´艸`)


d0347140_19180842.jpg


おまけ。。。
d0347140_09380730.jpg
d0347140_09374436.jpg




[PR]
by tabilogue2 | 2017-04-23 19:32 | 吾妻連峰 | Comments(4)

d0347140_23542475.jpg


しばらく更新すねえでいだったもんだがら~昔の記事を前にもってきてみだぁ
ちょっくら 読んでみでくんち~♪  

次の登山は東吾妻なんだげんと 鎌沼の雪 解けでっといいな~♪
東吾妻から鎌沼の写真とっかな~ て思ってんだげんちょ
どんな あんべえだべがぁ?

----------------------------------------------


*会津学研究会」とは? たとえば・・・こんなところ。。。



奥会津・昭和村で 節約することを「カボイカタ」という。
現代の言葉に言い宛がえれば、”かばう”「庇う」に該当する。

集落の周囲の山(コナラ林)を伐り、薪を燃やし、湯を沸かす・・・
風呂のことだが、新しい水を張った風呂は「あらゆ(新湯)」といい、
翌日にまたその水を汲み変えずに湧かせば「たてかえし」。
三日目に水を入れ替えると「二晩でたてかえす」という。

新湯は 熱量を必要とすることから薪の使用量が多くなる。
「たてかえし」は新湯より薪の使用量も少なく、また使用する水も量が少なくなる。 
我が家だけで風呂をたてずに、村の家では数日おきに風呂をたてることとし、
そのかわりに 隣家に「もらい湯」に行くことも多かった。
そうして集落全体で使う薪を節約した。
これを「木をかぼう」といった。(木をかばう。薪が減らないようにする) 

県北の福島でも同じ。
福島では「たでげえし」と言っていた。
あら湯は「シンキ湯」とそのまんま呼んでいた。
家と分家の関係筋では本家に風呂を貰いに行った。

木をかばう 米をかばう… とは、
誰の立場で 何を 大切にしているのか?というのがわかってくる。


米の減りを少なくするため、トチの実をアクだしして混ぜる。
それを「コメかぼい」という。
ダイコンの葉を乾燥させて、コメに混ぜる「カテメシ」もよく食べられた。
主食である穀物、とくに米を節約する。
秋に収穫した米など穀類・野菜を節約するために、男衆は冬期間に地域外に出て暮らす(出稼ぎ)

そのことで自家の穀類等は減りが少なくなる。
こうして自家の「米を節約する」のである。これが「出稼ぎ」の主目的であった。
「雪が降ったから コメカボイに行ってくっかあ、、、、」と語られていた。 

戦前までの出稼ぎの目的は自家の「食料の節約」であり、
「得られる労働報酬よりも 冬期間に他地域で寄食することに主たる目的があった」。
それは「会津の茅手」と呼ばれた茅葺き職人としての出稼ぎでもあったろうし、
漆器商人としてでも、あるいはホイド(物乞い)として
無雪地帯を冬のみ、物乞いして歩ということでもあった。
そして 雪の解ける春先に集落に帰るのである。
南会津郡はまわりが山ばっかりで 田畑の耕作面積が限られ 
なかでも 水耕田となる土地はごく限られた地域だけ 他は自給する野菜畑だ。


*会津学研究会」とは こんな伝承・記録を今の世に遺している集まり

------------------------------------------------


ここからは 私、もときち本人の小さい頃の話(´艸`)

福島・伏拝(ふしょおがみ)の母の実家では・・・暮れにホイドが家々を回ってくると、
必ず裏木戸に回るように声をかけて 
婆ちゃんが黒札(拾円紙幣)と米、豆などを
手拭いを縫い合わせたけの「手拭い袋」にザーッと一生升分けてやっていた。

福島・佐倉の実家では・・・裏磐梯・木地小屋辺りの人が
座敷箒や笊、桶、竹籠などを天秤棒に下げ各家を回って売りにくる。
お袋が庭に出て品定めして、箒は2本、笊や桶は2個つ、
まとめて買って、さらに 米を分け与えていたのを覚えている。

その人たちは 日ノ倉橋という荒川にかかる橋の下で、
ゴザ掛けして仮小屋をつくり煮炊きし寝泊まして 日中は曲物、木地椀を売り歩いていた。
その仮小屋には子供もいたが、学校には通っていなかった。
日たって橋の下に行くと、橋の下のゴザ掛け小屋はなく、
供も、大人も消えていた。昭和35年ごろの話。
小学4、5年生の頃だったな?少年時代。

サンダラボッチ」とかって一種の「不思議」な世界観をもった人たちが暮らす
そんな「文化圏」みたいなイメージがあって、
その人たちは「流離の人」というイメージもあった。
実在するとかしないとかではなく 子供心に湧いた「イメージ」なのだが、、
そのイメージと木地小屋の人たちとをこかで結びつけて見ていたよな気がする。
思えばそれが「差別意識」だったんだろう。
大人が持てば子供の心にも どことなく それがうつる。

それと「牛買いの博労」たちが来ると「女子供がさらわれる!」という噂が流された。
牛を買い集めて県北から県南、宇都宮の方へ牛買いたちが渡り歩くのを
子供心に怖ろしげに「夢想」したこともったかな? 実際に見たわけでもないのだが。

「人さらいが来て サーカスに売られるぞ!」
遅くまで遊んで家に帰らなかった子らをそうやってたちはたしなめたんだなぁ 
って、大人になってフンフンと分かってきたもんだ。

木地小屋部落も、牛買いも、サーカスも 「差別用語」だと知ったのは
「橋のない川」いう映画を見てから のことだった。

---------------------------------------------------


口暮(くちぐらし) 稼ぎのために他国に出て暮らすこと。
「鋤取(すきとり)=働き手の長男」は口暮に出て、、、帰村しないものも多い、、、
つまり食糧が無くなり、生きるために冬期間に家を空ける。
食べ物を得るための行為であるから 物乞い(乞食 ホイド)も含まれると思われる。

伊南伊北(いないほう)地区、現在の南会津郡伊南川から黒谷までの流域では、
「若者どもは 関東へ口竈(くちかまど)にまかり出た」とあり、
冬に「口減らしのために出稼ぎに行く」とのことを言っていた。

「クツギ」  
富山県五箇山の話。明治までは、一人前の若者は「クツギ」に出た。
家に食べるものがなかったので、冬はどこへでも行って 働いて 食べさせて貰う。
クツギに行くと、盆にはたいてい夏着と五尺五寸の白木綿が貰えた。
お盆に家に帰ってきて、この新しい夏着を着るのが何よりも楽しみであった。

・・・とまあ、「奥会津の暮らし向き」がどんなに大変であったかを知る、
「語り伝えられる資料」である。
これらの「学び」をせずに会津は語れないし、
現代生活がいかに飽食をもとに日々暮らしが営まれているのか
知るきっかけにもなる。

伝承を学び知るのが「*会津学研究」の一端と。
当面は研究会の刊行本を読み漁るだけだが。

------------------------------------------------------


以下は「*会津学研究会」の「会津学」による


トチモチ(栃餅)は、「コメかぼい」どいう。
昭和のはじめのころまで、秋上げは三斗五升で一俵。六から七人家内で一冬喰った。
大正期までは耕地整理をはじめ、コメがとれはじめた。大正の十二・十三年ころ開田した。
湯ノ花で田ができたのは百年たらずと言われている。

塩ノ原と熨斗戸は田どころだ。 
うちのジサマはよく「コメは塩ノ原から持ってくっからいい」といっていた。
トチはトチガユ。灰汁に入れ煮たものを、「米入れ粥」にして喰った。

トチモチは、ヤマノクチ(入山解禁*訂正です 日だけで、一から二俵も拾った。
留山(トメヤマ=入山禁止)になっていて、お彼岸のお帰りの日がヤマノクチで、その日から拾える。
トチとカヤノミがそうだった。 
(ゼンマイ わらび きのこ 茅 雑木など 大字単位の地域ごとに入会権を仕切っていた) 


昔から温泉がある。

湯の利用はトチノミのアク(灰汁)だしで湯に浸けた。流水のより早く灰汁がぬける。

共同浴場は三十四人の共有だ。利用している人で掃除している。

正式に集落に加入していない人は除く。一年のカカリ(経費)を払わない人は酒を買う。


イシクラにトチクボがある。

タカモリにもトチがいっぱいある。粉をいって、「トチッケイ」をよく食べた。

ツッツメ(つっつめ)という燃えない丸太、太い丸太を燃やして、アク(木灰)をとった。

アクがたんにぇくなっから、アク抜きに使ったアクを、また、ユルイ(いろり)に入れ、乾かして使った。

トチは何俵も拾ってた。

(1986年2月16日、金山町上野沢 若林武喜さんから聞いた話)


カブの食べ方は、カブ漬け、煮ても食べた。ご飯を少し入れカブ雑炊。

そばがきが中心。煮たカブを温めてそばを入れて練りつぶす。

カブの菜は、干し葉にしてカテメシにするし、おつゆのミとした。

ぜいたくな漬け物として身欠きニシンとカブ漬け。

身欠きニシンは三センチくらいに切って、カブと一緒に入れた。

葉っぱと茎を少しづつつけて、丸ごとつけて八十八夜の雪溶けたあとに食べるものだった。


ダイコンは丸漬けが長持ちした。

茎葉を少し付ける。丸漬けダイコンを千切りにして、納豆や豆腐でよごして食べるととてもうまい。

切り漬けダイコン、古くなって酸っぱくなったダイコン漬けを煮てカラシを入れて食べる

アザキダイコン(辛味大根、 ネズミ大根)。野生のダイコン。

そのタネをこいてきて、畑にまいた。花は六月に紫のが咲いてきれいだ。

荒らしてしまうと出ないが、耕すとまだでる。

ソバに負けない。塔がたっても食べれる。とってすぐ水につける。空気にあたると硬くなる。

からい、硬いので福神漬けの材料にはよい。

アザキダイコンは、外皮が固くて百年も腐んね。弘法様のお授けだ、なんていう。

食糧難のころ(戦中・戦後)、カテにしてよく喰った。

タネになる前に、おひたしにして喰ってもよい。


-------------------------------------------------

この記事は 2015/12/03 ブログにUPした









[PR]
by tabilogue2 | 2017-04-21 10:14 | 会津学 | Comments(0)

北泉まで足を延ばした

d0347140_07553848.jpg
四本桂からの北泉ヶ岳




ソロ山行をするようになって・・・6年か?
泉ヶ岳駐車場を起点に、北泉ヶ岳から長倉尾根を通って船形山に抜け・・・ 
循環して、、、再び泉ヶ岳駐車場にもどってくることを考えてみたり・・・

逆に船形山登山口である旗坂駐車場を起点にして船形山と三峰、北泉を経て旗坂に戻る・・・
コッチのほうが 「藪漕ぎ」が下り坂なので現実的なのだが? などと妄想したり・・・
 
どちらの場合でも 「南丸松保沢」を抜きには考えられない。
どうしても沢ヤの場合は、「沢の遡下降を思考した計画」になりがちであるw 
南丸松保沢を使って北泉に循環する記録が 当会では昔からトレースされている。

もう一つ 大倉尾根を使って残雪期限定で循環が考えられる。
雪尾根をベースに「循環の輪」を描く・・・。
大和町のチバさんはその円周の一辺を大倉尾根を使って描いてくれたようだ。

自分としては 水源-大倉山-桑沼林道-藪漕ぎ697P-升沢の遊歩道に降りる。。。
幾度となく考えてきたルートだが、実践にあたって「ソロ」は色々とめんどくさいw
というか、交通手段や年齢的なものからくるのか?、心を過る「翳り」いうか・・・笑



4/15 は10時過ぎから風が強まって
「四本桂」を10時20分に通過する際に、けっこうな小雨に遭う
せっかくワカン不要の堅雪になってきたのに この雨まじりでまたズボズボ雪になっちゃうのかい? 
進退を逡巡するが、時折り日差しがさすのでついつい北泉まで 滑る斜面に足を延ばした。

強風、、、
11時まで 8合目にあたるのか?泉ヶ岳展望所に一旦下がって
泉ヶ岳を眺めながら風除けをしたが 
梢を渡る風の音、ゴォーっと吹かれれば無性に寂しくもなり
煙草をやらぬ身にとり暇は酷であり 落ち着かない
山頂の3パーティ7人ほどが降り始めた。 
風に煽られる登頂を悔しがっていた。
パーコレータで珈琲を淹れランチしたかった♡という彼らに、
そりゃあ残念だと同情もした。

ついに 我も下山。
水神にて合羽のまま昼飯をこさえ、時折り降り注ぐ陽光を見やりながら
コーヒーも飲んだりして過ごしたが、
ここでまた小雨がパラツキ しつこくまとわり
追われるように駐車場までくだった・・・
Pに着いたのは13時半だった。

小雨に濡れる水芭蕉たちを観光して、帰宅した。 まっ、こんな日もあるさ。



d0347140_08185851.jpg

d0347140_08192842.jpg

[PR]
by tabilogue2 | 2017-04-16 08:32 | 船形連峰 | Comments(0)

d0347140_22412132.jpg



今年も HCCSが開催されます
4月15日・4月16日 
仙台市役所前 勾当台公園市民広場
入場無料です

********************************


1972年の11月、、、
ケン&メリ ”愛のスカイライン”として
この歌が テレビCMで流された時には・・・
もう頭が ガーン!・・・でしたね

カレッジフォークから 歌謡POPSとして
フォークバンドがPOPSバンドとして再編・再生され始めた時代でした
タクロウ、こうせつ、陽水、いるか、小椋佳、ガロ、青い三角定規、赤い鳥、、

当時まだ21歳、
政治や社会問題に明け暮れた時代でした




BUZZ  愛と風のように


いつだって どこにだって
はてしない 空を風は歌ってゆくさ
今だけの歌を
心はあるかい 愛はあるのかい

スプーンとカップをバッグに詰めて
今が通り過ぎてゆく前に
道の向こうへ出かけよう
今が通り過ぎていく前に

愛と風のように 愛と風のように

いつだってどこにだって
しらない町を風はうたってゆくさ
二人のうたを
心はあるかい 愛はあるのかい

見なれた時計を 部屋にのこして
今が通り過ぎてゆく前に
朝がきたら出かけよう
今が通り過ぎてゆく前に

愛と風のように 愛と風のように 愛と風のように

YouTube https://www.youtube.com/watch?v=Eunqtuc7i-8

d0347140_22354350.jpg

[PR]
by tabilogue2 | 2017-04-13 22:37 | Car | Comments(0)

d0347140_22572366.jpg

仙台のアチラコチラから銘木が集められ
ここ榴岡公園にて第二の人生?を送ることになった …のかな? 

でなきゃ こんな古い桜がこの場所だけにあるわけがない
新寺小路・駅東地区の区画整理で ここに集められたんだろうか?

ちょっとした疑問だが、、、誰かに聞けば…解るだろうか?
で、調べたら 仙台市広報に載っていた 
樹齢300年ほどの桜が数株あるそうで これらを藩主伊達綱村が植えたようだ

 四代藩主綱村が京都から取り寄せたシダレザクラ1000本 それが始まり
  • その後 文化年間に、大火により それらの桜が焼失している
  • 1928年(昭和3年)、サクラ100本が植えられた。
    大戦後、荒廃や樹木の老衰などによって木々が少なくなったため、
    枝垂れ桜の名所として甦らせようという気運が高まり 植樹が行われた。(仙台市広報より)

    ということで 大火で消失した枝垂れ桜を今日まで 
    昭和3年と、終戦後と 大きくは2度ほど大量の植樹が行われてここに至ってるんですね。

    中でも 樹齢300年前後の桜が数本、大きな枝を下垂れています
    これらが生粋の伊達綱村が植えた桜なんでしょう 幹が割れて空洞になって、枝ぶりが凄い。


    d0347140_12141970.jpg


    d0347140_12272643.jpg


    d0347140_12292514.jpg
    保育所の子どもたちが散歩しています
    犬の放し飼いはいけませんよ~♪ リードを付けて散歩しましょー!


    d0347140_23010112.jpg



    [PR]
    by tabilogue2 | 2017-04-11 13:22 | photograph | Comments(0)

    d0347140_11063744.jpg


    枝垂れ桜の大樹が林立する仙台市榴ヶ岡公園にて 


    桜花撮影の途中で いつも撮る被写体 ”噴水”
    桜の花が咲き始める頃 
    冬に止められていた「止水栓」が開けられる 見事だ

    噴水彫刻「杜のうた」

    待ちわびた春の兆しの中 水が勢い良く吹き出ている
    公園って やっぱりこうでなくちゃ・・・

    「あるべきものが ちゃんと そこにある」
    ・・・これって 凄くだいじなこと



    d0347140_11071473.jpg


    d0347140_11075187.jpg

    d0347140_11093283.jpg

    d0347140_11095926.jpg


    明度と彩度とを 落としてみました 以下2枚

    d0347140_11223068.jpg
    まるで 時計の針を逆回しにしたみたい
    吹雪みたいですねw
    d0347140_11220432.jpg


    [PR]
    by tabilogue2 | 2017-04-11 11:11 | photograph | Comments(0)

    石橋屋の枝垂れ桜 2017

    d0347140_13190458.jpg



    毎年 毎年 楽しませてくれている名楼です

    舟丁に在る、仙台駄菓子で有名な

    明治18年創業、石橋屋さんの枝垂れ桜です

    いまが満開です どうぞ行ってみてください



    d0347140_13221816.jpg


    d0347140_13193052.jpg
    門のところに行灯があります

    d0347140_20321773.jpg



    d0347140_13274800.jpg
    土壁と板塀と瓦屋根と・・・

    d0347140_13283170.jpg



    [PR]
    by tabilogue2 | 2017-04-10 13:31 | photograph | Comments(0)