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画像をボカしてみた 想像力を働かせて… 岩の斜面を見上げてくださいね 
斜度は60度ほど、、、作並温泉駅近くにある鎌倉山の「左方カンテ」同様の仰角かなぁ?
いや? ソレより10度ほど寝てる かな? これが取り付き。 
100mほど この斜度が続くわけだから ちっちゃいのに たまらん♪


蒲生岳のような登りと違う点は・・・蒲生岳は登るに連れて角度が急になるが
この山はいきなり イントロドンで急登になる所 かな?


空が見えて山頂がもう直ぐ・・・と思うけど、、、が、まだ着かない。
最後までブッシュを 手繰り寄せる。
振り返り見るが、枝木の「隙間」が空いていない 
景色は…山頂に登ってから ゆっくり堪能することにしよう。



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中央部、龍ヶ岳532m


西会津から新潟に抜ける際に高速道路は「龍ヶ岳トンネル」を潜っていく。
そのトンネルの根本にあるのが 「龍ヶ岳」という岩山だ。

この辺り、安座(あざ)地区は雪が多く 雪崩で山肌が削がれ白いスラブ肌となり
 尾根筋には松の緑が残り これらの筋が縞模様になり その微妙な美しさが一帯にある。

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例えて云うなら 一頭のシマウマが寝そべっている感じ



龍ヶ岳と御神楽岳はセットで昨年10月に計画されていたが 雨天順延で、、、今日になった
「仙台ゆうゆう館」でも5年前に催行企画され 歩かれている小さな山だ
隣の山が目指岳で「九才坂峠」で有名なところ 弘法岩もある


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6月24日10時 この小さな看板標識から右が すぐさまの取り付きだ
標高は532mと低いが 登りはのっけから急登で泣かされる。

でも愉しい山だ。山頂まで ロープあり~の ブッシュあり~の
ひたすら ただ ひたすら 急斜面を登る。


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449m峰

左 反時計回りで帰り道を採る。細い馬ノ背状で時々パノラマが展開される
地形は沢を真ん中に挟んで グルっと馬蹄形に一周りする城壁のようになっている。

ブッシュが多いが 明日の「足馴し」には面白い山だった。こういう山もあるんだね。

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馬の背あり~の
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目指岳650m 
細尾根あり~の

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ロープを出し~の

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グルっと一周して ブッシュが終われば 下山口

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14:00に下山。(朝、こちらの民家の門をまっすぐ谷に降りていく・・・)
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弘法岩方面






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by tabilogue2 | 2017-06-28 15:04 | 会津・越後 | Trackback | Comments(0)

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山伏尾根と山伏ドーム 

ドーム直下にはテントが張れるらしい、、、
25年前のこと、
もう記憶には 印象の強いイメージしか残っていないが
この山伏ドームを 
この尾根の反対側、もう一本向う側の水晶尾根の各ピークから 
眺めていた そんな自分が 居た。



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オトメユリ


6月25日 今日の天気は曇りで昼頃から雨降りの予報。
その中で「山伏ドーム」を拝むことができた。。。 じつに痛快 満足だった。
悔いは一つだけ、「湯沢の頭」で雨に降られてしまい、
写真を撮れずに通過したこと。あと30分早ければ、、、撮れていたなぁ。

雨が降る前に「湯沢の頭」を通過すべし
コレがこの季節、このコースのポイント・・・。



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10:57 「高頭」直下。 
右手、楢山ゾネに立つ「覚道の頭」(カクドウノカシラ)
オトメユリ 白い花はキバナウツギ 

他に ドウダンツツジ ウラジロヨウラク キバナニガナ シロバナニガナ タニウツギ 
ハクサンシャクナゲ アリドウシ トキソウ ニシキゴロモ ゴゼンタチバナ ヤマボウシ

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栄太郎新道の頂点「高頭」(コウツムリ)
 
この頭から本谷に向かって 左斜め下方に落ちる尾根が「中央稜」
栄太郎新道から最初に目指す稜線・「高頭」は右肩から目指す


数年前のこと、、、
今となれば「遺物」のような会報誌
「いろりばた」68号(昭和62年9月発行)を読んでいたら
こんな記事が載っていた。


「1985年9月14日、偶然 栄太郎さんのキリツケに遭遇」
場所は笠倉山と赤綿尾根とを結ぶ稜線の藪の中

栄太郎新道を「高頭」に向かって登る時、背後に「笠倉山」はある。
つまり「栄太郎新道」は周回する円の「初め」と「終わり」部分だ。
他の尾根部分は昔からの登拝道、交易道、マタギ道だ。

ブナのキリツケにはこう書いてあった
「登山道切開キ記念 昭和三十四年七月中 熊倉栄太郎五十九才」


59歳・・・って、、、還暦前の一仕事でしたか? 開いた口が塞がらない。
栄太郎さんは最終集落「蝉ヶ平」の生まれ。
還暦前にあの急峻な登山道を拓いたのは 何のため?
どんな使命感があったのだろうか? 
…今でも それを思うと 不思議な思いになる。

昭和32年(1957年)は
ようやく新潟の雄、峡彩山岳会が
飯豊の沢登りを開始したころ、、、?
新生間もない新潟山岳会も 
御神楽の沢や冬尾根を登り始めたのは昭和40年ごろ
だから 
熊倉栄太郎さんの御神楽登山道開拓は
それらより5~10年ほど以前に始まっていた。
逆に言えば、新潟にジャルピニズムが浸透しだす前に
「登山道」を開削したことになる。
どこから こんな「ヒント?」をもらったんだろう? 
御神楽の七不思議だ。

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湯沢本谷の大伽藍

画像左から右上中央の湯沢の頭へ向かう尾根が「山伏尾根」(ヤマブシオネ) 
山伏尾根上の2つの岩塔、小さいほうが「ピナクルⅢ」 大きな岩塔が「山伏ドーム」
正面真ん中のピークが「湯沢の頭」(ユザワノカシラ)湯沢本谷スラブ群の要 
「湯沢の頭」直下に向かって三本の光るスラブ(アバランチシュート)が見える 
左から本谷スラブ(山伏の頭の右) 中央スラブ ダイレクトスラブ(湯沢の頭直下から奥壁にかけて)



湯沢の頭の左下が「山伏の頭」(ヤマブシノカシラ)
ここで「水晶尾根」が分岐する
湯沢の頭から右へ向かう稜線は楢山ゾネ
写真最右翼のピークは「正面陵」の頭で 
その下、右斜めに落ちるのが正面ルンゼ 

25年前、これら上部のピラミッド(三角錐)群を「湯沢本谷の奥壁群」と呼んだ
湯沢本谷最下部にある雪渓下の滝を「湯沢の大滝」と呼んだ 
たぶん大滝は雪で埋まってるはず
今日 誰にも邪魔されずこの景色を眺めてきた。 
いやはやまったく 懐かしい。


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7:06 広谷川の左岸沿いに断崖を巻き込むように道は付いている


御神楽岳には15年ぶり、8回目の登山だ。
今日は山クラブKAMUROのグループ登山。参加者は12名。

栄太郎新道は水晶尾根の岩登りで歩いた道、
過去に2回ほどこのコースを下っていた。
この道の怖さは充分知っているw
この栄太郎新道を登りで使うのは25年ぶりで、
2回目と少ない(登りのルートは岩か 沢か 夏道か?だったから)


「高頭」(コウツムリ)で靴を脱ぎ、
水の溜まった豆とグチャグチャな靴ズレ痕を テーピングで応急手当をしようとしたら
 偶然、「高頭」にいた新潟三条の男性が 応急処置をしてくれた。

新潟の三条と云えば… 福島側、本名村の隠里に「三条集落」があった(今は廃村) 
僕が本名側から狢ヶ森や日尊ノ倉、霧来川から前ヶ岳南壁に通っていた頃は 
暗いジメッとした「分校跡」もボロボロの茅葺き家もあった。 

その昔 越後三条に砦を築いていた豪族で
「三條掃部頭兼任」(サンジョウカモンノカミカネトウ)という人がいて
その流れをくむ三家(三条、下山、丸山)の一族が落ち延び、
県境を越え福島県金山の本名村の奥地に住むこととなった。

家筋は新潟の三条家の人たちだ…、
墓碑には代々「道明」と彫るなどして家系・血筋を守って暮らしていた、
その物語が三条集落にある。
宝刀も法典、書物、巻物もすべて残っていたが 
里人に見つけられたと同時に 庄屋である栗田家が持ち去ってしまった。

噺はかわるが、「源賴義時代の言い伝え」だと云うことから・・・ 
「当時」とは 平安時代中期まで遡ることになる。
ということは 三条と下山、丸山の家柄は荘園制の「地頭」と「家人」の関係に
当たるのかもしれない…(物語が長くなるので止めるが)


そこへ今日、偶然に三条市出身の男性が現れ 靴ズレの手当をしてくれた。(何かの縁か?w)
今日の自分は「靴ズレと痙攣」のダブルパンチで 修行僧のように苦しんだ。
歩いても攣る 休んでも攣る 冷えればもっと攣る 
痛みには行動食と白湯、漢方薬で耐えてきた

遅れはしたが… 自力下山ができたのはもっけの幸い。
皆さんもキツカッタんじゃないだろうか?
Aさんからインドメタシンの塗り薬と リーダーから痙攣止めの漢方薬とサロンパスを戴き
良いペースで けっこう降りの強い雨に打たれながらの下山となった 
長い人生 こんな日もあるんだね(´艸`) 



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8:00 湯沢の出合い着、地元では「スモ平」(スモヒラ)と呼ぶ。
ここは沢ヤの天場で4人用テントが張れる 焚火もできるし水は湯沢からすぐ汲める

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9:08 50m後方からの撮影。
ルートが松の尾根から先が見えない。不明になった感じw
登ってみたら、岩壁の基部を左から回り込み 
バンドを左上し 岩の上部にたつ… 巧いコース設定だ。
向かって左側は「前の沢」 右は「覚道沢」


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9:32 その上の 鎖のない岩場を三点支持で一人ずつ通過する。
そのご休憩だから時間がかかる。
この頃から「靴ズレ」がひどくなってきた、昨日処置したテーピングが剥がれたみたいだ。
踵の皮がベロっと剥けたかもなぁぁぁ???
ヒリヒリ 塩を摺り込むように痛い(T_T) あと3時間はかかるのに・・・。

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9:37 リーダーの的確な指示で「またずり岩」を一段下がって難なく通過
ここからは斜面も急になり 靴ズレがさらに酷く痛む
景色を楽しめず(写真は撮ったけどw)、「高頭」までひたすら耐えた

ところどころの岩に穴がポコポコ空いており 小さな水晶が光っている。
昔、「水晶尾根」登攀時に2cmほどの水晶をハンマーで採集したことがあったっけ。

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ココは”Y字バランス”で、、、イヤイヤ 一段降りて、、、稜に手を添えながら進む。
左右ともスッパスパの断崖絶壁。落ちたら死ぬ。どうせ落ちるなら湯沢側へ?
岩はボロボロ、手でモロっと剥がれるほどだw

「高頭」~「湯沢の頭」稜線では 2つほど悪場が待っている
三点支持でゆっくり確実にホールド&スタンスをなぞる フリクションは充分ある。

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おそらく ここは「正面陵」のピークになると思っている岩場だが、、、
下を覗いちゃうと腰がすくむ感じのクライムダウン箇所。
ココを過ぎれば まもなく「湯沢の頭」(ユザワノカシラ)だ。 
gas gas! 何にも見えない。稜線で唯一見えると言ったら、
白い十字の花で着飾ったヤマボウシの木。見事でした。

湯沢の頭には 小さな山名プレートがあっただけ
25年前にそれを抱えて撮った写真がアルバムに残っている。今は文字が掠れているが…。

雨が降ってきた。合羽を着たが、装着してる最中に大腿筋が痙攣しはじめた。冷えたかな?

湯沢の頭を越えれば「小岩塔」が一つあるだけ バランス保持以外は危険個所はない
「殺生窪」(セッショウクボ)の最低鞍部から いよいよ最後、ズルズルの急登にかかる 

右手の大蕎麦谷側に道がつけられたり 岩場を登ったり ロープがあったりするが 雨乞峰まで我慢の登り
難所・悪場が続く場面だが ガスでスラブ群が見えずに残念無念。
見えずに助かった人もいるか? 左の御神楽沢のスラブは恐ろしいよw

昔、ヘッデン一つで最後のスラブ壁を攀じって 
20時に本名御神楽岳に上がってきた男が居たっけ・・・思い出す

湯沢出会いを8時に発って 計画予定時刻の1時間遅れで湯沢の頭を雨中通過 
痙攣がもとで 雨乞峰までさらに30分遅れたが 急いでも仕方ない。歩きの速い人はリーダーだけだろうし。
皆に遅れてすまない…と思う前に この稜線では先ず慌てないことだ!

これで「積年の個人的思い」は達成された…。。。


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ニシキゴロモ

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トキソウ


湯沢の頭で 雨に降られ大事なカメラを仕舞い込んだので 画像はない 
景色がガスで遮断されているので怖さはない 
逆に妙に記憶の残りやすい部分が頭に入った

汗で躰が冷え、休むとまた痙攣しそうになる 動いてる方が楽チン
申し訳ないが リーダーに許可をもらい雨乞峰で本隊と別れ、
2名先行し「予定通り室谷コース」を下りた
体が温まると… 筋肉痛も収まってきた 動いてる方が正解だった

追いついてきたリーダーから 行動食の餡パン差し入れがあった。半分食べ半分はポケットにしまった
いちおう チョクチョク行動食を摂り続けていたのだが さすがに炭水化物がないと 空腹は治まらない

下山口まであと30分というところで、胡桃砂糖も貰い、白湯と食べかけの餡パンで落ち着いた。
山行リーダーのMさんには細々と気配りしてもらい、世話になりっぱなしだ。ありがたい。
水はペット2本半のんだ。


ツェルト ガスバーナー ビバーク用アルミ箔 120cmのテープスリングは
個人装備にしたほうがいいと思う テン場で緊急時に凌げるし暖も取れる 我身の安全が第一だ
特定小電力トランシーバが2台ほど必要かな? 500mは電波が飛ぶ。リーダーは助かるはず。 




私のブログで使用している地名や名称は 1993年に検証を済ませてあります。
新潟山岳会で用いた1993年当時の名称(会報くちなし100号 特集御神楽岳)と呼び名を使っています
面白いことに「高頭」が コウツムリか?、タカツムリか? 国土地理院でも呼び名に変遷があります。
ちなみに当時は「コウツムリ」と呼んでおりました。「覚道の頭」も当時は「カクドウノアタマ」と呼びました。
ネットでの山名呼称を追うと「カシラ」という呼び名が目立ちますが 昔からカシラであればそれが正式なんでしょうね。
で、津川町上川支所に尋ねたところ「音読み訓読みでの山名呼称雛形がないのでこれが正解だとは言い切れない」とのこと。
次に 新潟山岳会にお尋ねしたところ「高頭」以外は「カシラ」で統一な?お話しでした。昔は「アタマ」もあったのに…
仮に 音読み 訓読み 現代呼称などで違和感があればコメント欄にお知らせください。


湯沢の頭 ゆざわのかしら
覚道の頭 かくどうのかしら
山伏の頭 やまぶしのかしら
赤松の頭 あかまつのかしら
高頭 こうつむり
蝉ヶ平 せみがたいら
スモ平 すもひら
大蕎麦谷 おおそばだに
死谷 しだに
常浪川 とこなみがわ 
広谷川 ひろたにがわ
室谷 むろや
大九蔵 小九蔵 おおくぞう こくぞう
棒目貫 ぼうめき
志無燈山 しぶとやま


*当ブログも「カシラ」に統一・変更する  2017.07.04



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by tabilogue2 | 2017-06-26 14:46 | 会津・越後 | Trackback | Comments(5)

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この栗駒山の「千年クロベ」は樹齢1000~1500年の推定。このクロベは1本の幹であることがオンリーワンの特徴だ。「全国巨樹巨木林の会」に今まで登録されてきたクロベの巨木は「数本の幹が合わさっている」ものばかりであるが、栗駒の千年クロベは1本で幹周り9.4mという比類なきもの。つまりはナンバーワンなのである。このクロベの発見は1998年の冬で、初計測は2000年5月(YMCA山岳会運営委員長:佐野豊)、初公表はYMCA山岳会(会長:深野稔生)による。当時、新聞紙上には場所やルートを特定せずに発表した。後日、案内看板の設置 普及パンフなどは宮城北部森林管理署、宮城県経済商工観光課、栗原市産業経済部の三者の内、世界谷地を観光資源とする当該受益者=栗原市の責任で設置、作成したものが多い。

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クロベ太郎


古の道、栗駒古道の一つ、湯浜街道(ユバマカイドウ)を歩いてきた。羽後岐古道(ウゴキコドウ)とも言うらしい。気仙沼からの海産物が運ばれ珍味の”ホヤ”が国境いを越えて小安から成瀬川沿いに湯沢十文字に入ったらしく湯沢方面では”ホヤ街道”とも呼んだ。

「羽後岐」の名からして、この街道の何処かで分かれるもの?と想像する。仮に「文字越え」(モジゴエ)を岩手の「萩荘」(ハギショウ)へと辿ったとすれば単なる想像も現実と符合させうる。つまり空想や妄想ではなくなる。その昔、藤原秀衡に匿われていた義経は藍染で有名な「文字」から「一迫」の一帯まで遠駆けしていたそうだから連絡路はあったようだ。どこかで街道は分岐する。羽後岐の「岐」はどこか…?(”奥州藤原”の話なら旅館くりこま荘の館主菅原さんに尋ねれば消化できないほど伺える)

もう一つ素朴な疑問だが… 道や沢が2つに分かれるのと、3つに分かれるのとでは使用文字が違うと自分は思っている。2つなら二股 二俣 二又であろうし、3つ以上なら ディストリビュート的な「岐」の文字を宛てがうのではないかと思ってもいる。 ここでは檜枝岐と同じ「岐」という字を使っている。檜枝岐なら 群馬の沼田にも抜けられるし 栃木の日光奥鬼怒にも抜けられるし 新潟の栃尾又にも抜けるし ダム湖に沈む以前は大津岐峠から田子倉・只見にも抜けたようだ 木賊・湯の花にも抜けられる。まさにディストリビュート的な役目の宿場なのだ・・・、国語的にはどちらも「マタ」と呼ぶけど こだわれば「違う」はず、、、それ故、「三つに分かれる道」にこだわって推考してみた。「第一義の仮説」である。


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手前に大地森 奥に駒の雪形が鮮やかな栗駒山の御駒山と最高峰大日岳


話は変わるが、、、街道名というのは…例えば「奥州街道」の場合は”主たる江戸から従たる陸奥へ”と人や物が流れていく… そのように名付けられた。そう考えると、江戸を背にし目指す方を向いて…陸奥に向かえば「奥州街道」となり、江戸から日光へは「日光街道」、日光から会津へ向かうと「会津街道」だが、だけど?、反対に会津から日光へと向かうと「日光街道」と名前が変わる…だから複雑怪奇、ややこしくなる(´艸`)。福島から米沢に向かうのは「出羽街道板谷峠」 国見から七ヶ宿街道を通れば「羽州街道七ヵ宿」とかなり複雑になる。藩政時代と明治維新とで縦軸・横軸が乱れて呼称もわからなくなる。

「羽後岐」の場合は 主たる陸前側から従たる羽後側へ人や物資が流れる という理解で良いのか? だとすればこの「羽後岐」という街道の名は陸前側が羽後側を指して命名したと考えるべきだが、、、そうなると、羽後側に分岐する道があるはずだが?しかも3つ。 柔軟じゃないけど、この仮説が後にドンデン返しを招くこととなる。逆説的なのはショックだw。

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揚石山(アグロシヤマ) 昔は上げ下ろし山(上下山)とも書いたそうだ。今日のガイド役、「栗駒の自然を守る会」の副会長、佐藤(定)さんからの聞き覚え。世界谷地から大地森南部近辺と揚石山の間を万坊平(マンボウダイラ)と呼んだ…らしい。佐藤さん曰く、「僧兵がうじゃうじゃいた」の意味だそうだが、(私はその文献等を拝見していない。確かめてみたい)。大地森南麓と揚石北面との間、木立に2軒「お助け小屋」があったと言われる、大地森、田代沼にも。これは近代史に記述があり「史実」である。


宮城側からの峠越え、一つ目は…なんとさらに、下道と上道の2つに分かれるという資料読みの結果だった。岩ヶ崎から「文字越え」して二迫川(ニハサマガワ)沿いに寒湯番所-湯浜-花山峠を越えて秋田側の皆瀬川沿いに「小安街道」へ、別名:下道 明治15~16年に開削された。岩ケ崎から大地森の南にある杉が植えられた「お助け小屋」を通過し-万坊平-湯浜-花山峠-「小安街道」へ、別名:上道。これは藩政時代からあった道で まさしく本日歩いてきた「古の道」であった。

二つ目の峠越えは一迫川(イチハサマガワ)沿いに花山から寒湯への途中、越戸から上沼、国見峠を越えて鬼首地区に入り、荒雄岳の北を巻くように流れる江合川の支流、仙北沢から国境いを越えて秋ノ宮へ さらに役内、院内へ下った。沢の名前も「仙北沢」なので秋田仙北郡との”道行の沢”(ミチギの沢=峠路に用いた沢)として大崎と仙北の交易に利用された。

三つ目の峠越えは三迫川(サンハサマガワ)に沿って東栗駒山を越え赤川沿いに湯沢十文字へ向かう道。これは「御室の沢駆け」コースではなく、ずうっと耕英地区の下、行者滝辺りから裏沢-東栗駒山の西鞍部を越え、笊森-真湯道と合わさって赤川に下りている。この辺の資料は柴崎先生の著に出ている。 というわけで、、、宮城北部と秋田との物流、商流の道が大きくは3つ、小さくは4つ数えることができた。

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臍下谷地


もう28年も前のことになるが…、YMCA山岳会では「栗駒山の全流域・踏査」を行ったことがある。その頃、深野さんから以下のように教わっていた。「なぜ 世界谷地などとオーバーな名前を付けたんだろうか?」という会員の素朴な疑問に、彼は既に答えを持っていたようである。もともと湿原のことを「臍下」「谷地」(セイカ、ヤチ)というようだ。彼は既にその「一般的(?)表現」を文献上で拾っていた。

ただ、地元としては「臍下」という呼び名では栗駒観光には活かせない、「格好」が悪い…と云うので「臍下谷地」がいつの頃か(たぶん戦後、第1次登山ブーム時代?)「世界谷地」に転化した。なぜ「格好」が悪いのか?といえば、”臍下丹田”などという言葉どおり 臍下とは「ヘソの下」のことで「湿地」「谷地」を指す。淫語ではジメッとする「女陰」「ホト」を意味する。きれいな湿原が”女陰”じゃどうにも「格好」が悪い、観光の妨げになる…ということで「臍下」が「世界」になったようだ。これには会員一同納得したものだった。

こんな淫靡な話は山ではよくある、例えば二重山稜の地形ゆえに尾根上に湿地を持つ山…例にあげれば、南会津の黒谷川沿いにある二重山稜の山といえば”火奴山”(ひどさん・ほどやま)が有名だが、まさに「女陰」の淫語”ホト”がそのまま山名になっている。他に 会津志津倉山では「細ヒド」コースがある。或いは七ヶ岳の「程窪沢」とか・・・探せばたくさんある。会津では「ヒド」といったり、福島では「ホド」とよんだりしたが 一般的には「ホト」と読む。

とまあ「臍下谷地」から「世界谷地」への転化、その成り立ちを、今じゃ珍しい言葉を使って当ブログに書き遺した。インターネットとしては「初公開のネタ」になる。初めて眼にして妙に納得のいった方も居られたろう。このネット時代にブログにしたためておかないと「因を含んだ言葉」が闇から闇へ葬り去られてしまう。50年も歩いた中で、山に関する些事や言説はこのボケた頭にほどよく備蓄されている…が、呆けて取り出すのに少し手間取る(´艸`)。また、「世界谷地」は古くは「八ツ頭原」といったそうである。水芭蕉を里芋の葉と見做したのかな? それでも「世界谷地」と称したのには深いわけでもあるのだろう。観光産業の芽生え? これも付記しておく。

仙台YMCA山岳会というのは徹底して「沢遊び」をし、単にフィジカルに登るだけじゃなく「総体」として山をとらえ、山を「学び」の場にしていたんだなぁ…と、今さらながらに思った次第である。


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小関代表が覗き込んでいるものは・・・???

それはともかく 宮城側の何処かに荷物の中継・分岐ができる「飛脚便」のような荷の受継ぎ所があったのだろう。となれば…岩ヶ崎か? 大きな集落で、峠越えの人足や牛馬が斡旋されていたと見るのが常套だろう。街道筋の便利が良くなれば良くなるほど…木賃、駄賃も多めに落とされる。その運送業を「背負子」(ショイッコ・強力)と呼んでいた…、背負子は4,5人で団を組んで歩いたという。旅人や商人たちをも案内しながら往き来した。ますます町の潤いは好循環となる。話のついでだが秋田側の中継所は御番所のある小安温泉、各旅籠で秋田の商工品との取引が為されたそうだ。背負子の強力たちは商人のセンスを持っていないと務まらなかったろう。

栗原の「史談会」に尋ねたら私の幼稚な疑問は一度に解け、答えは明解だった。番所の一つは岩ケ崎・沼倉木鉢(キバチ)に在り検断屋敷、もう一つは文字・柿の木に在り、他に花山の寒湯番所(ヌルユバンショ)もあって羽後岐街道の荷駄を管轄したとある。羽後岐街道の番所は3つ。これが「岐」を考えるヒントだった。答えは…「秋田側から宮城側を覗う」と出てくるのである。羽後岐街道は秋田側から国境いを越えて宮城側に入ると三分岐して径が続いた…と考えれば解りやすい。だから「岐」と付くのだった。これがドンデン返しの大本だった。中でも「岩ヶ崎・沼倉」の街道は繁盛し、太平洋へも延び、沢辺(サワベ)を通って石巻まで…とも。ネットじゃなかなかサーチできなかった。宮城側にあった4つの交易道のうち、羽後岐街道としてはそのうちの栗駒山寄りの3つを指すという結論だ。宮城・大崎から鬼首を通る仙北沢道はこれら羽後岐の「岐」から除かれる(行政区が違うから)。これでスッキリ!した。


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鉞(マサカリ)山神さまでした。背負ってきたんでしょうね、、、この石像


秋田側の峠道に関しては 一つは皆瀬川沿いに田代沼-板井沢-大湯-小安番所-稲庭-川連(カワヅレ)を経て湯沢十文字へ。上流部にある春川、虎毛沢、赤湯又沢などはYMCA山岳会在籍時代にさんざん通わせてもらった。二つ目は栗駒須川の龍泉ヶ原を源頭部とし小仁郷沢-赤川-成瀬川へ、途中の手倉(手倉越え)で胆沢からの仙北街道を併せ増田へと下る。あれほど綺麗な湿原:龍泉ヶ原を上部に戴くが小仁郷沢、大仁郷沢と赤川の合流地点は硫黄を含む灰色の泥が堆積していた。月の表面?みたいに沢の中が一面灰色だった。数十センチも泥濘んで歩き難い地点でもあった。いづれ栗駒を源頭部とする皆瀬川と成瀬川の2つは増田で合流し湯沢十文字へ下る。もう一つは仙北沢から秋ノ宮の峠を超えて役内川沿いに下り、院内、横堀、小野へ。というわけで 逆に日本海側の海道からは松前の昆布や京都の衣類・紅・技巧品、地産の川連漆器、稲庭饂飩などが陸羽の国境を越え宮城側に入る。これが「寒湯街道」(寒湯番所)、「文字越え」(柿の木番所)、「岩ケ崎街道」(沼倉木鉢番所)と分岐するので3つに分かれた「羽後岐」街道となったのである。宮城大崎との交易幹線である役内川-鬼首越えはそれに含まれない。これで「仮説」がやっとスッキリした。

所感・・・
宮城側で3つに分岐するというのは「羽後側で付した」街道名と考えればなお分かり易い。考察に際し、既成概念をもって臨んだので混乱してしまった。てっきり宮城側が秋田側の峠につけた名称だとばかり思いこんでしまった。なので、地形図で秋田側の一番通りやすい沢筋を追ってはみたが、成瀬、皆瀬の2つまでは数えられても、3つ目はなかった。一端の沢ヤとして沢筋を追ったがどうしても湯沢十文字への道は三口にならなかったのである。一転、宮城側は一迫川、二迫川、三迫川とで三口になるのである。さらに二迫川は湯浜で寒湯筋、文字筋、岩ケ崎筋と三筋に分けることができる。この分流を地図で理解するのにまる2日もパソコンの前から離れられずにいた。いずれの道も同じように「羽後岐街道」是也というのだから公平感があっていいにはいいけどw ま、百聞は一見にしかずの調査だった。羽後という名称は陸前から見ての言葉だから、てっきり羽後側にこそ三口に分岐する道が続くものとばかり思ってしまった。固定観念が強すぎ「思考狭窄症」に陥ってしまったようだ。


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さてと… 「道」の起源は生活のための仕事道である。標高の上げ下げに無駄のない一筋の山菜・ゼンマイ道だった。それが古くは坂上田村麻呂と地方豪族阿弖流為(アテルイ)との戦いに軍用道として人馬が通り、「手倉越えの仙北街道」(胆沢から皆瀬への道)も同様に「後三年の役」に胆沢の拠点から発せられ雄勝砦の応援に向けた義家軍勢の軍道として利用し踏まれた。時に権力者の道となり、また黄金の道として雄勝の銀山と平泉の砂金とを結んだ道になり、明治になって山師や鉱山夫も通る。鉱山で賑わえば 遊女も通い、茶屋で賑わう街道となってゆく。この千年、人が歩き牛馬に荷を背負わせ往来し、宿場ができ、やがて番所が設けられ、庶民の物見遊山の街道にもなったことだろう。だがその道も 明治になって鉄道が敷かれ始めると要筋を終えて草むらに覆われ廃道と化してゆく。 諸行無常の流れにある。

「前九年の役」では源義家の軍勢は安倍貞任軍に大敗を喫し劣勢だった。出羽国からの清原勢が15000の大群を率いて義家に加勢し 栗原上野の屯ヶ岡(たむろがおか)にて待つ義家軍と合流。その清原軍合流後 安倍貞任を討取るまで僅か2ヶ月とされる。その際、秋田からの清原軍が歩いた道は「鬼首道」(仙北沢)とされる。この湯浜街道は「前九年の役」では使用されていない。ちなみに「後三年の役」で清原軍を応援するために義家軍勢が歩いた道は 主に胆沢城から「手倉越え仙北街道」を通って秋田湯沢に入ったとされるので「後三年の役」でも湯浜街道は用いられていない。 七ヶ浜のSさん ご注意あれ。。。

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大地森の裾を南から西へと半円を描くように巻いて横断している


今日我々が辿った古の道はブナやミズナラが隙間なく立つ緑濃い道。それらは栗駒古道といわれ、今に歴史を尋ねる道として語られ歩かれている道である。道は栗駒山の山頂近くを通る道と栗駒山の裾を通る道があり、昨年の秋に、栗駒山の山頂部を通る古道の一つ「笊森」と「真湯」を結ぶ道を歩き、昔人の通った道に思いを馳せた。もしかするとそれらは 義経が弁慶を随い逃げのびた道かもしれぬ。日本海側の海道から奥州藤原の郷に帰還する山道へと何処かで接点を持つ古道だったやも知れない。そして今日、栗駒の裾を縫うようにして通る「湯浜の古道」を我々は訪ね歩いてきた。

「山なのに、どうして浜なんだろう?」…還り道に七ヶ浜の Sさんから「湯浜の謂れ」を尋ねられた、、、帰宅後、湯浜に関しても色々と調べてみた。湯浜温泉・湯主三浦家の系譜からも追いかけた、また地名からも追ってはみたがそれらしい答えは出なかった。栗原市の教育部にも尋ねた。そちこち調べていただいた挙句、答えは私と同様「わからない」であった。湯浜は湯破魔ともとれるし、湯浴みすることを「湯をはむ」ともいうので、湯喰む、湯ばむ…湯ばま という迷解wも考えた(´艸`) ごめんなさい わかりませんでした。

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大地沢の渡渉点 ヌルっと滑りやすい


今日の催行は「船形山のブナを守る会」の観察会だったが、ご当地栗駒の「栗駒の自然を守る会」の副会長.佐藤(定)さんのガイドを得て歩いてきた。前回5月は「仙台のブナ林と水・自然を守る会」の佐藤(雄)さんの案内だった。それに今年3月の観察会では「船形山のブナを守る会」の千葉さんの案内だった。こうして自然に親しみ自然保護の理解を訴える団体のネットワークが構築されているようだ。

今日は贅沢にも、キスゲやレンゲツツジ、ワタスゲの花が揺れる世界谷地を巡り、時折 樹木の種類を学び、山菜採りの真似事をし、街道の証しを案内されながら歩いてきた。目的は「千年クロベ」と銘打たれたクロベ(ネズコ)の巨木を観ることである。僕にとっては17年の時を経て再びクロベの森に接する山旅でもある。


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クロベ花子


だが・・・事前の期待感とは違って結果は意外なものだった。かつて白い雪原にこんもりとした「黒い巨木の群れ」の印象があまりに深く心に残っており、今日見た笹藪の中に立つそれらは 17年「抱き続けていた印象」と大いに違って、いかにも『貧弱』?『困窮』そうに思えた。 

一晩、その理由を考えた。その謎解きで得た理由は・・・17年前、YMCA山岳会の山スキー山行中に雪原の中、吹雪の中にこのクロベの森を発見した。それはそれはとてつもなく大きな巨木たちでモノトーンの世界に赤い樹皮を露わにしていた。写真に撮ればどの雪面からでも、いかなる角度からでも立派なスケールで全容が画角に収まるほどだった。巨木たちとモロに向き合えた。視界には気を散らすモノは雪に覆われ、我々は心から巨木との対話を楽しむことができた。厳冬の雪原に立つ孤高の巨木こそが心の中に「絶対」としてあった。再見してみて藪の中に立つ姿に憐れみを覚えるほど今日のクロベは輝きもなく赤い樹皮もくすんで見えた。かつて、凍てつく白い季節に彼らの前に立てたことは一期一会の出会いだったんじゃなかろうか・・・。「秘匿され続けた神秘性」を失った今、「絶対」であった巨木の印象は180度変わるものである。



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クロベ花子


発見から今年に至るまで 冬になると栗駒耕英地区の「数又養魚場・イワナの館」に寝泊まりし そこを起点として”大地森~内院”に冬の企画を組んで遊んできた。「クロベ太郎」「クロベ花子」と愛称もつけられ見守ってきた巨木たちではあるが その当時の印象が最も彼らの輝かしい姿だと思っている。またそれは、何者にも移し替えられぬ姿で私の内に生きてきた。山岳会活動が充実し盛んであったからこそ…この世に初めて紹介できた という”妙な自負”があるにはあるが、反面 世に紹介し千年の眠りから覚醒させてしまったという自責の念と、その彼らに防護柵の一つも建ててあげられない「無為」という罪をただただ申し訳ないと思ってもいる。専ら「懺悔の17年間」でもある。

むしろ今後どう保存するかが鍵となる。登山ブームが過ぎ去るのを黙って待つか?、縄文杉のように環境省を動かすか?、何らかの手を打つように宮城県北部森林管理署に要請を出すか?。今後、自然を愛する者たちの『意図』になるはず。今日も今日とて 幹周り9.4m 樹皮表面周り9.7mと17年前に計測された既知のデータを無視し巻尺計測を始めていた。私はそのようなパフォーマンスは無用と考えている。むしろ、巨樹の根本に立ち入る行為は自然樹の養生を考えれば ”以ての外”の振る舞い。元来、立ち入りを禁ずべき囲いがあれば為し得ぬことである。。。気づいてもらいたい。。。「自然保護を訴える会」の観察会であれば「心得」を事前に喚起すべきであったのでは?とも思う。反省である。


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樹皮に見る何十何百もの幾筋。。。


今日 ガイド役を買って出られた「栗駒の自然を守る会」の佐藤(定)さんがいいことをおっしゃっていた。要約すれば「山は総体だ」ということであった。私と同じ考え方をお持ちのようで、そんな彼に共感を覚えた。古代と現代を繋ぐ道として千年以上歩かれ続けた道をこうして我々が今日歩けたことに「知的な学び」を感ずるものである。企画をされた「船形山のブナを守る会」に感謝である。千年を生きぬいて来た巨木に触れることで 少しは自分の生きてきた60年の道のりを考える良いきっかけになったかなぁ…と省みる。 
次回、来年の観察会は一泊山行として桑原山塊を提案したい。YMCA山岳会では大胡桃 小胡桃 栃ヶ森 大薊 桑原山近辺は沢を繋いで歩いているが、縫い集めたような”仙北街道”を秋田側か岩手側かいずれかを歩いてみたい。沢屋は沢しか見ない…悪例をもつ。アプローチしながら ブナの森の古道から現代を考えていく・・・生活に必要なものが有りさえすれば「自給自足」は最低でも賄えた昔、どこでどう狂ったのか?この日本、経済と軍事とが先行すれば余計なものに行き当たる。それを安倍語でいえば、「ズブズブの関係」とでもいうんだろうか。


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by tabilogue2 | 2017-06-19 08:01 | 栗駒山 | Trackback | Comments(0)

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踏査し発見した当時の写真 YMCA山岳会 発見者:佐野さん



●1998年の冬に 小桧沢(こびのきざわ)周辺から虚空蔵山に向かった時 クロベの森に気づいた。
広大なブナの森のその中心部に 大きな地形的な盛り上がりがあった そこがクロベの森だった。
翌々年、2000年に測定を2度試みた。4月には5mのメジャーでしかも積雪2mもあった。2度目5月には巻尺で計測。

●2000年4月15日 YMCA山岳会第1回目調査。 残雪が2mほどある時期の計測。幹回りが1mほど細い。
測定の結果
幹回り8m級 1本
幹回り6m級 1本
幹回り5m級 2本
幹回り4m級 9本
幹回り3m級15本
合計 28本 (残雪2mあり)

●2000年5月21日 YMCA山岳会第2回目の栗駒山南面「クロベの森」調査記録である。
測定の結果
栗駒山の大地森(だいちもり)西側にある「クロベの森」(ネズコ繁殖地)に生息する巨木たちの実態。
決められたルールに従って地上から1.3mの幹回りを借りた巻尺で測定する。結果は9.4m。表面をなぞると9.7m
栗駒山一どころか、ひょっとしたら日本でも有数の巨木に 数えられるかもしれない。
というか、クロベ=ネズコは日本の特産種だから "世界一"ということになるかもね。残す ということが「key-word」ということだ。

落雷によるひび割れで焦げたあともある。落雷を受け商品価値がなく切られずに残ったようだった。
そういえば 隣に立つ「愛称:花子」も落雷を受けていたっけ。その手前の木も。。
ヒノキなら1本あたり数百万円の市場価値があると言われるから この辺の28本を掛け算すると…?(´艸`)

●話は飛ぶが その後 2004.04.23 に宮城北部森林管理署との話し合いをもった。
1.小桧沢林道を延長しない 中止とする 
2.ネズコの伐採はしない 
3.保全を今後考慮する
との回答を得たのは 2004年5月17日 実に発見から4年が経過していた。(YMCA山岳会 会報 やまびと 37号より抜粋)
この回答の他に小桧沢林道を挟んで クロベの森は2つのカテゴリに分けられている。北側が「森林生態系保護地域」に属し
南側は「森林と人との共生林」に属する。この南側のクロベを北側に組み込む方向で検討したい旨の回答も口頭で得ている。

●当時の朝日新聞紙上(2000年11月14日)に掲載された記事によると・・・
「地上2,3mのところで大きく幹分かれしている。樹齢は1000年~1500年の間
「全国巨樹巨木林の会」に問い合わせたところ「日本最大級」であることがわかった。
林道のそばに残った貴重な巨木だけに今後が心配だ 保存を真剣に考えてほしい」との深野さんのコメントも載った。

●「自分たちで見つけた森 そして巨木であることに意義があるのさ」会報に記された深野稔生さんの言葉である。
それにもまして運営委員長だった佐野さんの言葉が光る この頃は深野会長と一緒に行動していた…(と思うと切ない)
環境ウォッチャーとしての役を担った佐野さんの存在は大きく、重い。誰にも真似のできない行動力はじつに感服するしかない。

●2002年3月の記録・・・ 
吹雪は去った。つかの間の青空も去り、再び雪が降り始めた。
早朝、いこいの村から栗駒山頂を目指し お駒ケ岳からクロベの森まで滑りおりてきた。
「クロベ太郎」の傍らにテントを張って 翌朝まで17時間余りを会長と二人きりで過ごすことになった。
クロベと同じ空間そして時間を共有したせいなのだろうか、上手く表わせないけれど、今までとは感じ方が違う、
などと偉そうなことを書くのはよそう。しょせん17時間なんてクロベにとってはほんの一瞬なのだから。
何しろ相手は「動かない」「静止」することに関してはプロ中のプロ。年季の入り方が桁違いである。
「不動の者」を理解するにはこちらも同じ環境に身を置き「動かざる者」になること、それ以外に方法はない。
                   YMCA山岳会 佐野豊 記(会報やまびと37号より抜粋)

●YMCA山岳会の栗駒踏査による巨木発見から、今日で17年が経過した。
羽後岐古道(うごきこどう)は登山道が刈られ、案内看板が設けられ、一躍人気のコースとなった。皆さんも一度は歩き ご覧になったことだろう。
だが2004年に林野庁当該森林管理署に申し入れた「クロベの周囲に柵をもうけてほしい」との要望はまだ適えられていないようだ。
多くの来訪者らに根本が踏み固められるのは時間の問題。枯死しないとも限らない、断定できないが、樹勢が落ちるのは他の事例で分かっている。
それまで無作為にいるのも辛いものだ。一度でも、このクロベをご覧になった方々、保存運動にも興味をお持ち頂けたら 尚いいね。


●2017年6月18日、その巨木「クロベ太郎」に 17年ぶりに再会できそうである。「クロベ花子」も写真に収めてこようか。
船形山のブナを守る会主催 「千年クロベ」見学会 
6月18日 7時集合 世界谷地駐車場 
参加費500円。
どんなアカデミックな話が聞けるのか楽しみです。要望としては、「カルチャー教室」のような「テーマの展開」を希望します。 

2017/05/12 21:36
 


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第二次国有林野施業実施計画図より 小桧沢林道とクロベの森付近を抜粋コピー
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2000年発見当時は まだ案内経路を示すべきかどうか?決まっていなかった
小桧沢林道を明記しない概念図のみで マスコミにネタを流した。






 

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by tabilogue2 | 2017-06-17 21:36 | 栗駒山 | Trackback | Comments(0)


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帰路途中、裏磐司岩を眺め休憩する



今日は暑くもなく 時折の風に癒やされながら ”今年の沢登り”のスタートだった。山クラブKAMUROの皆さん(沢登り経験者8名、沢登り初体験2名)とで二口渓谷・大行沢に遊んできた。汗をかかなかった、でも冷汗ならたくさんかいたw

初心者体験コースとはいえ、大行沢の2km以上も続く巨岩帯をのっこして歩くというのは けして「初級者」のレベルではない、どちらかと言えばハード、お間違いのないように (´艸`) かつて初心者を連れだしたことが数度あったけど 皆さん一様に疲れを訴えていた。大行沢を遡行するというのは”中級/上級編”といっても差し支えないほど「体力」がものをいう。初心者にとって 大きな、とてつもなく大きな巨岩帯をのっこして、あるいは潜ったり、高巻いたりなどして歩くというのは あらゆる技術を各場面で駆使して2kmをこなさなくちゃならない、修練された技術の要る場面がそうとう頻繁に出ることを意味する。なので訓練の沢としては「総括的」であり 体力勝負の堂々の上級コースと私には思える。

いちおう 山クラブの「初心者の体験教室」という企画だったのだが。。。初体験の2名はおそらく思ったことだろう、「きつぅ…」って、たぶん3日間は筋肉痛だなw。まあでも ハーネスを身に着けた時点でいちおうの覚悟はされているように思っている。この大行沢で初心者向けの訓練というなら、途中の京渕沢から上流部だろうし、栗駒でいえば麝香熊沢、虎毛でいえば湯ノ又沢になるだろう。 しかも花の季節なら 麝香熊沢には終盤お花畑が待っている、お薦めの沢登りになるだろう。

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ベルト折り返し基本ですぅ



今日は…真っすぐ立って歩くという当たり前のことが思うようにできず、それが故で2度もコケた。体が硬い? おそらく…視覚障害から来るのだろうけれど 河原歩きでのバランスが悪い 三半規管も悪化か? ましてや油断もあった。装備後、フェルトを充分に濡らさずに砂地を歩き、石を跨いだ。滑るのは当然の帰結。岩場のバランス感覚は今日「できた」という感じ。視野の狭さをカバーしようと無意識に右手を突く癖もわかった。

そもそも「隻眼」で沢を歩くってのは かなりのハンディキャップであることに違いないわけだが。去年よりさらに追い打ちで、「老い」があらゆる点で躰に現れるということ。 沢シーズンの始まりで既に「無理」という文字がちらつくw、弱音を吐きたい気持ちになるけど、医者の世話にならぬように「生きる」を頑張らなくちゃ( `ー´)ノガンバル 

眼球動脈閉塞症で右眼を失明し何をするにも隻眼に泣いた。失われた視野に慣れるまで、右側方の視野の補助を相方にお願いしたりもした。一番町を歩くにも右後方からの追い抜きにぶつかることがあった。今は…、人の気配が解るほどになってるけどね。失明し、寝たきりになり、介護を受け、それまでして生き長らえたいとは思わないが 最悪、「生き抜く精神力」が先にやられちまうのかと覚悟だけはしている。それまで 山に登り続けるんだろう、おそらくね。

ふつうにキャッチボールさえもできなくなった。正面からのボールがまるで掴めない。距離感がつかめず、、、沢で跳ねて飛ぶこと自体が脳裏でパッと計算できずに居る。転石を飛び跳ねる際、ショートしないよう余計多めにジャンプしてしまう。飛び過ぎて「おっとっと」だ(´;ω;`) 枝を掴み損ねたり 岩に伸ばした脚が届かなかったり 眼から来るフラツキまである。 高低差・段差は今まで数十年の経験でなんとか補い登ってる感じ。自分でも訝るほど不慣れなギコチナサだ。

なので今日、カメラはザックに仕舞いっぱなしだった。まあ、なんとか、、、課題がクリアできたのは…もっけの幸い、良しとするかなw それはともかく ビール飲んで 風呂に入って 筋肉をほぐそう といっても 青タン 赤タン ヒリヒリだろうよ、 ひえ~!

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イイ男だね♪ Sさん


次回25日、山クラブでは広谷川・蝉ヶ平からの「御神楽岳」と西会津安座の「龍ヶ岳」の計画になった。どちらも岩山だ。「仙台ゆうゆう館ツアー」で「九才坂峠-目指岳-龍ヶ岳」が2012年に組まれたっけなぁ。そっちはともかく、まずは御神楽岳・・・、車がない身にとって「栄太郎新道」に連れてって戴けるというのは好機。ありがたくお願いした。40代当時に遊んだ日尊の倉、狢ヶ森、雲河曽根から中ノ又まで越後山脈の藪尾根をこの眼、脳裏に焼き付けたい。御神楽稜線から水晶尾根、御神楽槍、山伏尾根、山伏ドーム、湯沢本谷、各スラブ壁、雪崩で磨かれた異次元の”大伽藍”を眺め下したい。

●トラさんのブログ ”ソロで生きる” 御神楽岳 リンク張っておきます

昨年、雨で流れたこの計画、今年もリトライだ。そろそろ梅雨入りだが、晴れるといいなぁ御神楽岳。皆さんに迷惑をかけずに楽しみたい。雨が降ったとしても、室谷登山口からの往復にすれば24年ぶり、8度目の稜線に立てる。諦めかけていたので素直に嬉しい。70歳前に再見、登れる、しかも横断っだなんて・・・、「山クラブ」のお陰だと思う( `ー´)ノガンバル 同じ山に8度も登っても…いや何度登っても、新鮮な山だと自分は思っている。厭きることがない。

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裏磐司岩を眺める ”夏子” (´艸`)
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終了点に到着 今日のコースを地図で確認する
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ナメの始まり
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巨岩帯をのっこした者へのご褒美… 「天国のなめ」
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かしましく咲くのも中にはあるが・・・フタリシズカ
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アマドコロ?

余計なことだが・・・
じつは私の場合、夏道の段差はストックでその深さを計っている。「白い杖」代わりにストックを携行している。なので、下山中の段差は気にならない。問題なのは木道や直に地面をストックで突く際、ゴムキャップの所為でストックがツルっと滑る場合があること。なので一律にゴムキャップ着用を強要するのは善くないというのが持論だ。
隻眼となって障害者の立場を理解したのだが 尾瀬で「ゴムキャップ無し」を咎められるのも面倒、かといって「白い杖を突いて歩けば?」というのも「差別」的感覚だと思うし… 自然保護の名のもとに「画一的に」ゴムキャップをつけることが即「善行」と言えないのはそんな理由からだ。
木道で挨拶を交わす人の中には眼の悪い人も・耳の悪い人もいて普通に尾瀬の自然を楽しんでいる。木道を削ってしまうから、植生を荒らすから、土を崩してしまうから、、、と「偽善者?」たちが一律に「善行」を重ねるが、マイノリティである視覚障害者にとってはその「善行」がキツイ一言に変わることもある。
ゴムキャップを付けない人たちの中には 身を守るために『意図して装着しない』人たちも居る ということを忘れないでいてほしい。






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by tabilogue2 | 2017-06-11 18:51 | 二口山塊 | Trackback | Comments(3)

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鳥海山、船形山と薬師森


太平洋側の低気圧、梅雨前線のせいで?上空に冷たい空気が入り込んでいるためか、日本海側の空気が澄み遠くまで見渡せる。まるで山形側は9月の長雨が明けた10月のような空気感。ブナの緑と空の青が… 山を引き立てとても綺麗だった。こんな時もあるんだなぁぁぁ。左肩に白い鳥海が浮き立つのを飾りとして、初夏の緑に覆われた船形山の姿が…じつにいい。

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梅雨入り前のとても良い季節に とても地味な山を選び( ̄ー ̄) とっても長く緩い尾根を半日ずうっと登りっぱなし。この山、この両辺の大倉川・横川で遊んできた身だが尾根上からの晴天の眺めは初体験だ。沢をやると夏道はほぼ歩かない、逆に藪の林道歩きの方が経験的には長い。

今日のコース、深野ガイド本に”宮城県でもっとも標高差のある尾根”と書かれてあった。標高差1044m、宮城県一、ヘヘヘ (´艸`) 
それで深野本に県内一の標高差について ”屋敷平から登れば・・・” という条件が付いていたので十里平に向かう途中、定義林道とのT字路交差点に車を停め、出発した。どうせ、MINIじゃ林道は走れないし、一度は「県内一」をクリアしておきたい、納得できるし、、、。

「下空沢林道」は急登はないがとにかく長い、林道の登山道は緩く長く続く、半日もブナ林を登る、歩く。旧林道らしく広くて窮屈さがない。道幅だけは飯豊の三国-五段山コースの道幅に似ている。五段山コースとの違いは、展望ないけどブナが茂る日陰の小径…という感じで涼しい、いい径だ。下空沢までずうっと、変化のない林道跡の登りが続く。ある意味、忍耐力が試されてるみたい。休憩込みで4時間チョイかかった 久しぶりに歩いたなぁ…こういう自虐的なのが好き。

熊プーが出ないとは限らないけど 熊笹の迫る所に昼寝できそうな平場がたくさんあった。

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アレからひと月が経つ、、、「アレ」とは先月14日に開催された「ブナの森観察会」のこと。そのお手本通りに今日はアプローチしてみた。すこし違うところというのは…スタート地点がグっと下がって、標高385mの屋敷平であるという点だ。先日、升沢コースも復習した。それと同じで今日は先月登ったばかりの後白髪山の復習をした。『同じ山、同じルートを季節を変えて味わって…』他の参加者よりもコースに深く馴染めばまた違った思いが生れるか? それとも5月14日に教わったことが深く記憶に残るか? まあどちらにせよ、それが俺流なんだと思う…、山はあちこち飛ばない。(イヤ、飛べないw) もしかして、課題が尽きるまで、個人山行はすべて船形連峰になるかも? 冬は面白山ばっかりだったし(´艸`)


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遠くは鳥海から… 近くは船形 薬師森 蛇ヶ岳 宝森 三峰山 北泉 泉ヶ岳とつづく尾根。船形連峰を眺めるには…後白髭は「特等席」だと思う 狙い通りだ。180度の視界に入る近景は左に寒風山から右の泉ヶ岳まですっかり見える、遠くに蔵王 朝日連峰 月山 鳥海。。。次回は蛇ヶ岳に登って写真撮影のアングルを試行錯誤しようかな・・・近すぎるか? 宝森の頂きから撮影してみるか? んっ? ズームレンズがないとダメ?(重いんだよなぁ 260mmは)


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定義に向かう途中 大倉ダムから後白髭と三峰山を臨む
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”You are here” と英語でかかれているコース案内看板が
立っている地点からのスタート(クリックで拡大します)
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ノビネチドリ
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「水茶屋」だなんて…古風だね、水場があるの?、”知的遊び心”つうやつだね
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先月、この赤布から左へと藪に入り雪堤に上がった 思い出したこの赤布
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ユキザサ
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時代を物語る標識
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タチツボスミレ
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マイヅルソウがずうっと続く


話は変わるが・・・、手元にある「一高山の会」の遡行図集を見ると、、、
下空沢の位置が1077mピークに突き上がるように記されているが
実際には1124mピークに突き上がるように下空沢は記されるべきである。
(深野本が正しい)
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このコースの魅力は 
下空沢の涼味あふれる雪渓にある ( `ー´)ノ イチオシ 8月までには消えるけど

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上空沢は既に水がチョロチョロ


25000地形図の登山道は 上空沢から300mほど東へトラバースする。
上空沢を過ぎてそのトラバース後に 直登尾根を200mほど登るようになるわけだが 
25000地形図上では コンタ1250からその直登尾根の取付きが始まっている。
実際には コンタ1150に近い標高から直登尾根に乗るので…この標高差が100mある。
最後にオマケが付いたと同じで直登も300mほど続く。ここが唯一の急登箇所になる(笑)

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最後に負荷のかかる直登部分を終えて、上から眺める。 
写真じゃ平坦にしか見えないけどw
さて、ココからは頂上まで少し長めの稜線歩きになる 
山頂までの横歩きだが 20分もかかる 長い(泣)

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ようやく頂上付近、、、ヤンビツ尾根・横川コースが合わさる。この合流点も地形図と違う
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ミツバオウレン
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サラサドウダン
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長嶺の頂は大東岳に似てじつに長い コバイケイソウが出てくればもうすぐ
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山頂ポスト
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蛇ヶ岳から右隅の点=王城寺ヶ原の上に自衛隊の軍用ヘリ 
手前に中高年のパーティ10名ほど
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北泉ヶ岳・泉ヶ岳は西側から見ると こんな風に見える
泉ヶ岳はガスの中、北泉ヶ岳から長倉尾根が左へきれいに裾を曳く
梅雨時には分水嶺を境に 太平洋側はもっと悪天になる
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手前に白髭山から仙台カゴ 大倉川源頭部 楠峰 
奥に黒伏、沢渡黒伏、白森、柴倉 そのずっと奥に 真白なガッシャン

なかなか涼しくて 楽なコースだった


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もう一度、、、鳥海と船形山
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屋敷平8:15-4km地点9:24-水茶屋10:02-下空沢11:03-上空沢11:12-やんびつ尾根分岐12:10-山頂12:30-13:20-4km地点15:15-屋敷平15:55
所要時間 登り4時間15分 下り2時間35分(カメラデータによる)








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by tabilogue2 | 2017-06-06 18:30 | 船形連峰 | Trackback | Comments(0)

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この肌寒い天気… どう見たって梅雨前線のいたずら
南岸に構えた梅雨前線が 大陸の冷たい空気を呼び込んでいる
こういう日は 旧車でドライブと初夏の湯宿に限る!



贔屓にしている岩出山の蕎麦屋さんに出向いて 
地粉で打った玄蕎麦を 
昨年11月以来 約半年ぶりに食べてきた 

あいかわらず美味しい 
今までは… お客は温泉オバサンばっかりだったが
数年前からの蕎麦ブームで
若夫婦、カップル、若者が来店するようになった

一日に35食しか打たないから 
午前11時ごろに着かないと蕎麦にありつけない
それを今日に限って2枚も戴いちゃった
旨いから やめらんないw

この店のOpen情報は「ひとつぶ堂」さんから…、
岩出山のパン屋さんから戴いた 
そっか、もう8年ほど???前になるかな?

当時…のこと、、、聞けば…
なんと、週末だけ? Openしてる蕎麦屋さんだという
おそるおそる初訪したのを覚えている

なんてたって、もともとが「工房」だから
蕎麦屋さんらしさは何処にもない 
風体はむしろ工作所だ

何度かお店の前を行ったり来たりしながら 
確信に至って ここぞとばかりドアを開けた
ホント 緊張したぁ(´艸`)

通常というか、平日は本業に就いておられる
家具・調度品の受注製作が本業、ドアの隣が木工所、工場だ
いわゆる木工職人さん・・・なので、几帳面さを地でゆく人

といってもけして無口な方ではない 笑顔が素敵な人
ただし、四隅が合わないような仕事は けして しない

人柄 そのまま 蕎麦の味に出ている人
…って 直ぐに わかる




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自家製きゅうり 自家製無農薬野菜のお漬物



暑い夏には 温泉もそれ向きに・・・
いつものように「湯巡りノート」から  温めの温泉を選ぶ

蕎麦屋さんから10分ほどで川渡(かわたび)温泉につくが
温めの湯となれば ”山ふところの宿 みやま”に限る

外光が浴室に入るが けして眩しい光ではない
自然光の ほの暗い湯部屋が 意外にリラックスさせてくれる

紅茶色した”東鳴子伝統の赤湯”という処、 いい湯だった
のぼせることなく ずうっと入っていられる



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宿の庭に咲いていた芍薬の蕾

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宿の入口に咲いていた金雀枝(エニシダ)




帰り道は・・
牧草地帯をうねうねと MINIを走らせてきた
ピョンピョン、茶色の夏毛で跳ねる野ウサギの森を通過した
坂を上がると牧場にでた 馬が2頭 草をのんびり喰むでいる

車を停めると… 大きいほうの馬が近寄って来る 
ついでに? お呼びもしないのに番犬も もれなく、、、

番犬の目は半分が赤、体毛が赤いのに瞼も赤い 
他の野生と闘ったのか? 放し飼いのリスクをその身が背負っていた

宮崎を過ぎ 中新田で団子を買い求め
気楽な初夏の 気兼ねのないドライブを楽しむ
助手席では得意のチョイ寝もせず、風を感じているようだ

ときおり冷たい風が吹く、どんよりした空も、 わが心も・・・、
すっかり 若葉色になったよう…だ



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by tabilogue2 | 2017-06-04 11:17 | Cafe/ Bar/ Foods | Trackback | Comments(0)

地域山岳会の方向性

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やまびと 1988年 30周年記念誌

2015年に書いた記事を見直してみる・・・



●地方山岳会の氏素性とは

地域山岳会と名がつくからには 地元に根付いていなければその名は使えない とか 東京に籍を置く山岳会だから全国に行くしかない とか。 仙台という地域山岳会だから 栗駒 蔵王 二口が中心になるだろう・・・とか そういうわけではないのだが 

地域に根差すということは、根本的な「地域」という拠りどころがあるという前提だ。つまり過去においては「氏素性」が明確であるということだった。 これがネット社会となり コピー文化・トレース文化の横行となれば 東京でも大阪でも仙台でも皆一様に 同じ有名どころの谷や山を登って 皆一様に同じコースを記録に落とし込む 
、、、だとして、そこには 「らしさ」がなく、ローカルだからこその「面白味」がない ということになる。

それこそ ネット社会での「知り合い」がまさに元来の「友人」であるかのように、知り合いと友人とでは大きな違いがあるのに・・・画一的にイコールに近い。その意味で山岳会も昨今は「氏素性」「所番地」「根っこ」が分からなくなってきている。


●金太郎飴ならブロガーには敵わない

どれを観ても 同じ山で 同じコースで・・・まさに記録は個性喪失、金太郎飴だ。まして地方の小さな山岳会の記録は文章巧みなブロガーにも追われ、消えゆくのみになってしまう。ここで、「一考」が必要となる。 

つまり、、、逆をいく。 今このような時代だからこそ「おらが山 おらが谷」を強烈に愛し、通いに通って愉しみつくす、そのような活動をすれば 地方山岳会の生き残る道は前途洋々な(?)わくわく感が出てくるのではないか と。

個性を大事にしなければいけない という「呪文」を云っているのではなく、日常の活動が「地域 地方」に大きく偏ってる、意識的にどっぷり地域・地方に大ブレな活動をする、そんなローカル性を前面に押し立てた山岳会じゃないと今後は生きる道を失う ということだろうか。 

もしくは、会活動から解放され「同人」となって難易度も興味度も高い沢、岩を追うだけになるか・・・。ゴルジュ記号の毛虫マークを追い求め、難易度をしめす5+などと記号を愛してばかりいたのでは(個人の興味は尽きないとしても)山岳会として、組織としての面白味は消失するのではないか?、グレード記号の世界に「人間集団の雑味、面白味」が滲み出る、味わう余地はあるのだろうか という問題が残る。すでに「同人」の域に存在する会は論外ではあるが。。。


●山岳会の進むべき方向とは

これら地域山岳会の発行する会報誌を読んでいると、40年、50年の「重みと危機感」がおしなべく巻頭言に記されている。併せて 今後の方向性も各会みな同じように示されている。共通することは、何故に半世紀以上に亘って会活動をすることができたのか?という「総括」だろう。

そこに今後の生き残りの答えが示されている。地域性を尊重し、それを会の個性だと言い切れること。それと現代にマッチする組織の軽さ、軽快感を持つような組織にするのが一番ということ。北ア 南ア 谷川 上越が気になるのではなく それを越えうるインタレストな活動が地方山岳会活動に見いだせればよいこと・・・だろう。

登山活動の活性・活発化のほかに 人間関係、会運営に関してもどんどん若い人に任務を振り分け、組織に軽快感をもたせることも重要になってくる。「自分のため」と思える質の高揚が期待できれば すでに御の字なのだ・・・である。


●雑感だが

今の世、若者・女子が普通に山岳会の扉を叩いているんじゃないのか? 僕らの頃にはなかった現象が いま興っているということだろう。入会者の増減は会活動の活発化に比例すると以前にも書いてきた。ブログを逆手にとって利用する、どんどんブロガーに変身する若手会員の身軽さも 今後は重要になるんじゃないかな(笑)



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峡彩
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くちなし
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すかり
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ふみあと
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語らいの山々
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南会津郡 西部の山と谷
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南会津郡 東部の山
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溪 1991年 創立20周年記念号
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やまびと季報
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神室岳 深野稔生 著














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by tabilogue2 | 2017-06-03 08:26 | mount | Trackback | Comments(0)

シト…っと 雨の船形山

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今日の天気予報じゃ晴れ間が期待できそうだったが・・・裏切られた。予報はどこまでやっても予報ということか? まぁ、外れても…頭を掻いてりゃ済むし、高射砲で処刑されることもないし…、助かるなぁ、日本の気象予報士諸君よ(笑) 

霧雨の中 さて どこに行こうか? 思いあぐねて( ^ω^)・・・車を升沢に向けた。駐車場は「山開き」ということで?満車に近い状態。警察関係が3台ほど。マイクロバスまで駐っていた。運転手さんが暇そうにしている。皆さんとっくに開山祭に出かけたあと、再び静けさが戻った状態だった。今冬の雪山登山の復習をしておきたかった。冬のポストと夏のポストの「見え方の違い」を心得ておきたかった、水とオニギリと合羽をもって森に入ってみた。

結果は 案の定、やはり撮り漏らしたポストがあった。難行苦行の坂の途中だったか?梢の陰だったか?17番は撮り忘れた。 22番は見落したか???帰り道にも注意を怠らなかったが見つからなかった。夏道では初心者同然の身、秋にたった一度登っただけだ。冬山か沢登りでしかこの山には通っていない。今夏は船形山のお勉強という風体である。意外に…、知ってるようで知らないのが近くの山 なのだ。

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ポスト一つ一つを撮ってみてわかったのだが 冬と夏とじゃその見え方が違うことに気づかされる。白い世界に赤いポストは視界に入っただけですぐにそれと分かるが、夏場の見え方は複雑だ。地形的に特徴があれば、より一層ポストの位置や状況は登山者の印象に残ると思われるが…、平地や平易な箇所、位置にあるポストというのはそうそう印象に残らない。そういうポストこそ「迷いやすい地形」にぞ立っている というのも解ってくる。この事は 平地のポストは極めて重要だ…に繋がってくる。

今度行ったら こちらから関心を持って22番を探し出そう。見落とすには何らかの理由があったはずだ。それを「自分の心理」、或いは「癖」として掴んでおきたい。赤い標識番号のポストって何時頃から何のために設置されたんだろう?って 根本的なことからして分からん。おそらく 冬に遭難事故とかがあって用意されたものなのだろうけど。
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この辺は まだ若いブナだ


それにしても 登山口から稜線手前まで、下から上までずうっと、ブナの森の中に登山路がある。これがこの山の特徴で、こういう山にはなかなかお目にかかれない。深さに違いはあるけど、白神を除けば朝日連峰の五味沢コースぐらいに匹敵するだろうか。 27番を過ぎて気づいたが、先ほどからずうっと頭上でツツドリが鳴きっぱなしだ。うるさいっ!托卵族め(´艸`)  26番ポストを過ぎると…30mほど先に若いカモシカが現れた。目が悪いとされるカモシカだが、こっちに気づく迄ゆっくりと間を取ってカモシカが道をあけるのを待つ・・・。

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アオジシと異名を持つカモシカは なんとなく動きがスローモーな動物だと思われがちだが…、 とんでもない! 雪が消えつつある南会津の三本山毛欅峠(サンボンブナトウゲ゙)で、ウシ科らしく蹄の音を鳴らして疾駆するヤツに出くわしたことがある。目の前まで駆け寄ってくるので 即座にピッケルで身構えた。こっちに気づいたかな?と思った次の瞬間、パッと身を翻して藪に消えていった。身が軽いんだよアイツ。”野性”を見たって感じ。。。

こんな動物たちとの遭遇場面が得られることも… ゆっくり歩く「船形山スタイル」だからできること。”ゆっくり歩く登山スタイル”には動物との間隔、間合いがもてる。こっちが10m以内に近づく前に、動物の方から距離をとって離れていく。登山とはいえ 動物たちの棲むブナの森を訪ねに行ってるわけだから、動物優先に物事を考えないといけないのだろう。それとは逆に トレランや急ぎ足の御仁ならば、動物たちとバッタリ出くわすことになるんだろ。マムシを踏んだり 熊と遇ったり 猿の集団に囲まれたり、、、特に熊の奴は一度咬んだら、首を振って骨が砕けるまで離さないから…、片足や片腕を失ったり、落命をも覚悟して飛ばさないと。鈴の音が効力がないといわれる条件は・・・沢音、滝場、風の音、捕食中、風下・・・などが挙げられる。掛け声のほうがよっぽど効き目がある。

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山で熊に遇わない秘訣をお教えすっぺが? 会津の山奥を独りで歩くときには、、、「ホーイホイ、ホーイホイ…」って 大声だして山中を歩いてきた。会津のマタギが昔っからヤッている巻狩りの方法だ。藪に向かうときには勢子(セコ)になったつもりで ゆっくり歩きながら「ホーイ ホイホイ ホーィィホイ、ホーイ ホイホイ、ホーィィホイ」と追い立てるようにやってみたらどうだべ?藪の向こうでガサガサって笹が揺れたら熊が遠ざかっていく証拠だ(笑)そん時は「パォーパオパオパオ、パォー」って象のように叫ぶんだぞいw そーすっつど 熊のヤローは登山道に近づがねぇべ(´艸`) ほんじゃまだない♪   
 
明日は五月晴れ?28度まで上昇するのだろうか… となれば後白髭か 雁戸か いづれかに出かけてみようか。。。せっかく船形山塊に通い始めたので…後白髭かな?ここは一つ。にしても、船形山は、標高は1500mなのに、深くて、シトっとくる、、、じつにいい山だなぁ。

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27番の旗坂平
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この辺のブナは太っている
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一群平の25番ポスト
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歩き易いのはこの辺まで せいぜい鳴清水あたりまで 
笹が被ったり登下降が有ったり 遊歩道のような道から普通の登山道に変わるようだ
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23番のブナは立ち枯れ。
強風でいつかは倒れる 危険なポストだ。
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鳴清水 21番ポスト手前
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鳴清水の21番ポストはヒメコマツの倒木によって 薙ぎ倒された。
いずれカットされるだろう
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おお!、懐かしい20番ポスト

このブナから右の藪に向かって行ったわけだな ブナ平方面起点
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19番ポスト

ここが 冬の山行では要注意なところだ
19番ポストを見たら 登りならポストの左側を通過する 
下りならポストの右側を通過する
4mほどの急な崖を持った沢が走っているところ。
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16番手前から雪が出てきた 周囲を見回せば赤テープが…ある
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登りがややきつくなり 足元ばかりに目を落とし勝ちになる
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15番ポスト 三光ノ宮のすぐ手前
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溶岩流跡の”三光の宮”から見えるこの山は・・・たしか黒森
ブナ平の朽ちかけた老木の「愛称」になった山
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眼下の北丸松保沢と中間尾根を挟んで対岸はるか、、、今日の三峰はガスの中だ

蛇ヶ岳への夏道は瓶石沢から左折する…、冬は三光ノ宮を過ぎてから蛇ヶ岳への尾根を登った。
自分の癖で蛇ヶ岳に登ってから船形に向かった方がなんとなく気分が楽だった…ことを覚えている。
早く稜線に登って 後白髭や三峰の遠望が利くことを確かめたかったのだろう。

金田法務大臣は、ビールと弁当を持っていたら「花見」で、地図と双眼鏡を持っていたら・・・
「犯行現場の下見」という答弁をした。山でキノコを採ったらそれもテロの資金源になるとかならないとか。
三光の宮で その趣意を透かしてもらおうか。。。

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まんさくの花












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by tabilogue2 | 2017-06-01 07:04 | 船形連峰 | Trackback | Comments(4)