<   2017年 07月 ( 16 )   > この月の画像一覧


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今日は「山クラブKAMURO」のグル-プ山行だった。

計画では中央蔵王の「ロバの耳コ-ス」だったが 
前線の影響で実施の判断がつかなかった。

現地に行ってみて、、、

脊梁から東側は雲に覆われ芳しくない 
刈田峠に出てみれば 薄明るくなっており 
これなら変更してでも 山行は可能ということだった。

7月の鳥海山百宅コースの山行計画にしても 
中止に追いやられたばかり

しかも展開する前線が暴れだして 
秋田北部に局地豪雨被害をもたらしたばかりだ

線状降水帯」という耳に新しい天気状況で 
次々に積乱雲が湧き起こる

さらに太平洋高気圧の未発達というか 
矛盾するようだが

亜熱帯性に感化された海水温の高めな状況に
四囲を囲まれ出口なし 台風5号も迷走する状況

前回の鳥海山は 
計画中止に安堵の声が上がってもいた。

そこへもってきて今日の蔵王山行。



結果から言えば、、、
南蔵王に変更して正解だった。

薄い霧状の空はほぼ一日変わらず 
点在する湿原に咲く草花の霧を纏った姿は
高山の雰囲気を醸し出していた。

晴れる日ばかりが好適日じゃない… 
「適否の判断」 
この言葉を地でいった


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先週の 花の追跡調査ができた 
前山の登路に ミヤマシャジンが見事に花期を迎えていた

屏風岳稜線はハクサンシャジンが満開を迎えつつある
ということは
岩手山、八幡平、秋田駒、鳥海山でも ハクサンシャジンが見頃

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タカネアオヤギソウ タデ ミヤマシャジン ミネウスユキソウなど

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オトギリソウも其方此方に咲いていた
先週は殆どが蕾だったのだが

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シラネニンジン エゾシオガマなども
屏風のテッペンまで ずうっと満開だった

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気になったのは こちらの画像・・・
ミネザクラの紅葉である
前回 7月19日にはなかったのだが???

これをどう占うかが今日の問題だ
6月の太陽は戻らないのか?
夏はもう終わりで このまま秋に入ってゆくのか?



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画像は 携帯カメラによる



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by tabilogue2 | 2017-07-30 19:38 | 蔵王連峰 | Trackback | Comments(4)

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40歳過ぎて 初めてリングワンデリングを経験した。

 実際、同じ場所に綺麗に1周して戻ってきた。いや実は2周していたのだが・・・
話には聞いていたけれど 実際に面白い現象、いや、体験だった。奇妙とでもいうべきか。 

冬の八幡平での泊まり山行で 朝に空身で山頂往復し八幡沼の陵雲荘に戻り 
帰り支度をして茶臼方面に向かったのだが 下山中に黒谷地あたりでやらかしてしまった。

トレースがあったので 何気なく追ったら2回も同じところを回っていた。
さすがに3回目は「同じ場所じゃないの?」という疑いの目で
周囲を見渡しながら歩いていたので問題は起きなかったが。

リングの大きさ的には 直径で言えば50m~100mだろうか? 
円周は150m~300mくらいか? 周囲が見渡せないので 
勘で言うと5分くらいで割と早く一周してきたように思う・・・。

自分たちの踏み跡なのに 下山ルートのトレースと勘違いした。 
奇怪なリングワンデリングの 始まりだった。

リングワンデリングのトレースは 今しがた自分たちが通過したばっかり 
昨日のトレースより濃く明瞭だった。
当たり前のことだったが それに自分たちがまんまとハマったわけである。

経験の浅い者にトップを任せる場合は リーダーは2番手に就くべきか? 
トレースが濃い > 皆が通る > 正しい > 安心  頭がこういう図式になっていた。
この時の天候もガスだったが アオモリトドマツや栂の木が見えていた。

ルートをリーダー任せにしていたわけではない。パーティ全員 いつもの八幡平で 
狐にバカサレタのだった( ´艸`)

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「ホワイトアウトの中、銀嶺を進んだ」という記述が 某ブログにあったとする。。。

が、、、「真の」ホワイトアウトという状況を 書き手は知らずにいるなぁ、
”ガスに捲かれた程度” を想像でホワイトアウトという「言葉」を書いてる、

使ってみたいのかな?この人・・・と書き手の心理を探っちゃうし、
冬山の経験度合いに関しても ピン!ときてしまう。

「真の」ホワイトアウトというのは・・・? 
自分の目先は勿論、自分の足元も、手も、隣にいるはずの仲間も
全てが見えない天候状態を言うわけで、

実のところ「進めない」「歩き出せない」
というのが 「真の」ホワイトアウトという状況だ。

「ホワイトアウトの中、銀嶺を進んだ」という件りはその厳しい真冬の「現実を知らない」
矛盾に満ちた記述ということになる。

何故、進めないのか・・・?
理由は、ミルクの中に居るという表現が ピッタシだからだ。

平衡感覚を奪われ、一歩踏み出すごとに宇宙遊泳する、
自分の意志とは関係なく、雪の斜面に倒れてしまうからであり、悲しい事故を招くからである。

「真の」ホワイトアウトに遭遇すると・・・? 「まっすぐ立ったはずなのに」「意志とは無関係に」
「眩暈がしたように」身体が斜めになって 重いザックを背負ったまま、特に斜面の下方に向かって
「頭から」ダイブして バッタバッタと倒れ込むことになる。

何をしようとも鉛直に立てない。まるで酩酊状態 立ち上がろうとして 
跪く間にもズッデーンと反対側に倒れてしまう。酒に酔った経験のある方なら分かるはず。
頭から深雪に突っ込んだ者もいた。姿勢を立て直そうと あらぬ方向に立とうとする。

「反る」「反り返る」という言葉があるが本人は鉛直と思われる方向にビンと立とうとする、
だが 傍から見れば仰け反るように。
本人は真っ直ぐに立つつもりで 反対側に頭からズッデーン!と倒れる。
本人はそれで正常に直立しようとしたのである。頭から突っ込んだのは予期せぬ結果だ。

傍から見れば異常だと見えるだろうが、本人は正常に戻すためにわけもわからず
前転後転し もがき続ける。

スキ-の事例では・・・、実際にスキーは停止している のに・・・
本人はまだ滑っている感じがしている、既にスキーは停まっているのだが頭の中は滑ってる。
本人が脳内で停まったと思いきや 身体だけが慣性の法則?のように
ズッデーン!と前へ倒れてしまう。しかも大袈裟に。 

その様を「ホワイトアウトの渦中」とでも云おう。もがけばもがくほど 体力を消耗する。
覚えておくとよい。

脱出方法を教えよう、、、
「ホワイトアウトの渦中」から脱出するには 濃密な白の世界に 例えば一本のロープを投げること。 
ロープがない場合は 真白な斜面に飛び出している小枝のたった一本でも見つけること。
冷静さが大事!たったそれだけ! 視覚から情報が入ることで直ぐに平衡感覚をとり戻せる。
これも覚えておくとよい。実際これで幕営地まで前進できた。
皆一様にホワイトアウトを実体験し、渦中のもどかしさなど話の花が咲いた。

ついでだが・・・赤いロープは雪面に投げると黒く見える、青いロープも黒く見える。
蛍光ピンクは???何が言いたいのかというと・・・
明るい色のロープは雪とのコントラストが悪いので効果的ではないということ
を思い出したので追記しておく。

山岳会なら、冬山に行く際には20mほどのロープをハンマーに結んで リーダーが秘かに用意している。
雪稜を攻めず、山スキーオンリーの会もあるので何とも言えぬが いずれリーダーは覚悟して臨んでいる。
ホワイトアウトの際には コンパスで定めた方向にハンマーを投げながら前進するわけだ。
何故、ハンマーなのか って?、 
そりゃぁ 冬山の烈風をたっぷり味わうとお分かりになりますよ(笑) 

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過去に、「山スキーばかりに興じていると山を見失うよ」と言ったのは、
「雪山の本来の姿」を味わおうよ という意図からだった。
基本、自然の恐ろしさに立ち向かうには 
GPSなどのデジタル機器の効力だけでは補えきれないもの。

生温かい無風の日、
濃霧が発生するということを 予測できるかどうか? 
午後から冷たい空気が入って 温かい地上との間で濃密な霧が発生する って
予測できるかどうか? その経験も含めて「判断」が生存のキーとなる。

アナログ的な「判断」「経験」がものをいう。
脱出か、停滞か、自分たちの居る高度や地形、体力、天候悪化の予兆
などの要素で意思決定される。

ホワイトアウトか リングワンデリングか 
いずれかを経験すると自然の怖さが分かってくる。つまり雪山に臨む覚悟が違ってくる。 



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by tabilogue2 | 2017-07-28 01:15 | mount | Trackback | Comments(0)

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三岩の小屋で 白秋の山を語りあう
 
夜は更け 月は高きにあり 透明な白で輝きをます 
小屋を囲むシラビソの木々を 白く照らしだす


シラビソの米つぶほどの葉先には 小さな雫が垂れ 
その一粒一粒の葉の 一滴一滴の雫を 月が透明な白で照らし出す
キラキラと幾千幾萬の葉先が 光の瞬きを繰り返す


とてつもなく大きい クリスマスツリーのようだ


闇に立つシラビソは 幻想のうちに薄衣を纏い 光を飾りとした
深く静かに魅入ると 突然 風が吹きあげた 
枝が揺れ 光の飾りが掃われ どぉっと「光」が降りかかってきた  


凄い 見惚れるばかりで 何もすることができなかった
この驚き、、、これが自然の茶飯事なのか? 
魅入る者に感動を宿らせ それに触れた心を震わせる

 
その感動に 崩しかけた身のアンバランスを知る
都会ズレした身の そんな浸し方でも いいではないか 
オオシラビソの光のシャワー・・・、少し早いメリークリスマス


振り返ると 薪ストーブの灯りが 小屋の硝子から漏れだしている
その硝子のこちらとあちらとに 人間臭さの境界が見えた


仕事に追われ 山にも行けないと嘆いたS
忙しがり屋の彼も そんな硝子の内側の人間だった
賑わいの夏が終わり 山もそして仲間もそれぞれに迎える秋


山との関わりを 静かに見つめなおしている
山は思考の場でもある 
白秋の宵に 想いを・・・、じっくり 語り 伝えよう   

1994年 山行記録より


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by tabilogue2 | 2017-07-28 01:14 | 会津・越後 | Trackback | Comments(0)

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若い時分にふとした縁で南会津山の会の会報「いろりばた」をお分けいただきました。
その会報での常連寄稿者は川崎精雄さん 望月達夫さん 中西 章さん。
知人の縁で、森澤賢次さん、笹川慶子さん 成田安弘さん、野口冬人さんなど・・・。

今から60年ほど昔、
当時は登るという行為と論壇というサロン行為との混合が 
当たり前に盛んな時代だったようです。山という一字に「深み」が与えられた時代ですね。
単に山に登るというだけの行為で「山を語る」のはどだい無理な話で、
尽きることのない山への情念が地域研究や「歴史が通った峠」史などの中身を伴って 
会報誌として毎号まとめられてきたわけです。
その陰には 果てなき山への熱情があったわけですが 

冬になり時間に余裕ができたら 
愛読書となっていた「いろりばた」をインデックスとして整理しようと思っています。
いつか誰かがデジタル化しないといけないのでしょうけど 
故人や古老たち会員に敬意を表する意味でも手持ちの会報25巻を
インデックスにでもできればいいのかなぁ などと思っております。

尻に火がつかないとなかなか実行できるものではないのですが、
昔の山行を学ぶ意味でもこの冬から内作しようかと思っております。


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私の書棚:「いろりばた」69号("昭和"の最終号)

かつて「南会津山の会が発行した会報“いろりばた”紀行文を 
デジタル化して遺そうとい私的な試み」である。 
この冬 暇を見つけてはタイピングを継続してきた。
約1ヶ月をかけ手元所有の「いろりばた」を全巻読み終え、
各巻ごとに貴重な紀行文、好みの文体をピックアップし
(但し、茗渓堂などで広範囲に販売された特集号・記念号などは省いた)デジタル化した。
この第69号が昭和年代発行分の最終号となる。

47~69号まで こうしてみると・・・登るという行為を基に
会員の想いや人生観が浮き出て、会津を基盤に様々な方々が集い、登り、
その会津を語っておられることがわかる。
(語れるほどの”山”を愛し持てておられることが今さらながらに羨ましい)

中西章さんの造詣深い短編詞に
「雪国に住む人は、冬になるといつも暖かき南の大地に想いを馳せるという」の行りがある。
どんな土地、どんな辺境にあっても
その土地を受け継いでこられた先住の方々が
住み慣れたその土地を払い新しい土地へ土着することへの困難さ、切なさ等を
「峠路の紀行」を通して理解しえた。
峠を越えることが旧来の生活との離別という
「辛さ」「哀しさ」を隠し持つことも理解できた。

特に今回、望月達夫さんの阿武隈紀行シリーズ
「阿武隈の晩秋」「阿武隈の低い山」「阿武隈の低い山(2)」「阿武隈日記」を
転載するうちに阿武隈との関わり方 
例えば「故郷の山を形容する地元人の敬い」、「風土や暮らし向き」、「会津や阿武隈、福島の人情味」
という点でビシリと伝わってきた。

ましてや3年前、原発事故で立入禁止、故郷を失ったことへの
怒りや口惜しさが尚更に理解できたという副次的心得も備わった。

それは、30年という時を隔てもなお、
「人の暮らしとは本来どうあるべきか?」という問いとなって伝わってくる。
「幸と不幸」「文明が文化を駆逐する」という背反性、
この不条理が見えてくる。


今となって会報「いろりばた」は老会員たちのアーカイヴに留めるのか?
今後如何に伝えるのか? ただただ消滅の一路をたどるのか?
甚だ恐縮ながら朽ちることへの覚悟をせざるを得ないのか?
仮に図書館の書棚の隅に遇されるならされるで
それも一つの終え方かもしれないが、
どの道を採るのかは誰もわからない。
老齢による会活動再生産がなされない現状を鑑みて、
いろりばた愛読者ならばこれらを「過去の遺物」とするのは
もったいないと考えるのも道理。


手軽に 広範囲に「インデックスから本編へ」PDFファイルをネットを通じて
「会員制にて読む」ことができれば
かつての紀行文の遺し方として 一つの良い方法かと思うが、
「権益」にすがるばかりじゃ「将来の形」は見通せない。
それを指し示すことが現存会員たちの任務であろうか。

版権を持つ版元(南会津山の会)や著作権絡みの受益者に損害が及ばぬように、
インデックスを各号記し不遜の備忘録としたい。
今号でこの「いろりばた」の「抜粋」ならびに目次と表題だけの
インデックスタイプ作業を終わりとしたい。
では何分宜しく願う。



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by tabilogue2 | 2017-07-28 01:12 | 会津学 | Trackback | Comments(0)

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仙台神室の「ダンコ平」が、最近は「だんご平」と濁って呼ばれる。
「ダンコ」より「だんご」のほうが親しみやすい、
安易に「だんご」が市民権を得てしまった。

さらに ネットでどんどん間違ったまま 
無制限に拡散されていく。
YMCA山岳会でも 歴史や史実に興味のない会員は「だんご」と呼ぶ。
私自身も いちいち面倒なので
相手を選んで諭すように話していた。

ネット伝播が真実味を帯びるようになると
「無理が通らば道理ひっこむ」の喩えどおりになる。
民俗学的な「検証」が頭をひっこめてしまう恐れがあるので
きちんと解説しよう。

秋保・馬場の古老に聞き取り調査を行なった際、
「ダンコ馬」の言葉を採集したとある。
荷駄を「駄んこ」、それを運ぶ馬を「駄んこ馬」といっていたようで、
仙山の峠となる平らかな地に荷駄を一旦集めて、
荷繋ぎ中継所のようにしていた(駄んこ平)
というのが「民俗学的考察」であろうか。

「荷駄を駄んこと呼び、駄馬を駄んこ馬と呼んでいたことに依る」
と口語検証が深野稔生氏によってなされている(「神室岳」・深野稔生著)。

駄んこの「んこ」は
犬っこ、どじょっこ、女ごこ(メゴコ)、野郎こ(ヤロコ)、どろんこ
 語尾につけられた愛称。

いずれ 「駄んこ平」「段こ平」が「だんご平」と変化するのは 
口語伝播の陥りやすい「罠」である。



歴史に興味を持ち、
地名と歴史との相関関係を紐解いてみようという気持ちがなければ、
否、山を単に「スポーツの対象」として観ているようでは、
「だんご」はいつ迄経っても「だんご」のままで終わる、
けして「駄んこ」にはならないものだ。

世の不思議さに
何故?どうして?と振り返り見る観点を持たないと、
何事も深く捉えることはできない。


山を始めてから10年前後の方々の特徴だが・・・

50名山、100名山、それに飽きると200、300・・・と 
横っ飛びにピークハントする。

「山」を深く味わおうとしない、
上辺だけのネット情報、ハウツー登山情報を求め、
それをコピーし鵜呑みにする。
これは、、、便利なネット情報、ガイド情報、トレース情報に
たむろする「ネット民」の共通点であり、
「他人の登山情報」を疑わない「コピー登山」指向の典型である。

ネット情報という他力情報を「疑わずに絶対視」し済ませる、
さらに引用先を明示すれば
「引用文の責任は自分にあらず」と意思表示したのと同じで 
こんなところにも 
責任を取らずに済ませる
ネット民たちの「軽さ」が現れ出ている。

いつまで経っても「山の妙味」に縁遠い存在である自分自身に気づかず 
今日も横っ飛びに山に向かうことになる。




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by tabilogue2 | 2017-07-28 01:10 | アラカルト | Trackback | Comments(0)

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本元飯豊山(闇川)と山都の飯豊山(昔噺)



何百年もめえの話だかぁ 判んねぇわし 
地夜ヶ嶽(ちやがたけ)さ、姉と妹 昼寝しに行ったんだど
起きたどぎ、自分の胸さ蓮の花が咲いていだら、
その娘が闇川(くらかわ)の飯豊山へ
咲いてながッたら、山都(やまと)の飯豊山へ行ぐ
と約束して 昼寝したんだど

そうしたら、妹はかしげぐって(ズル賢いという意味) 
途中でそおっと起ぎで 
自分の胸に咲いでいっと思って見だら 
姉の胸さ咲いでだんだど、
なんじょしても闇川の飯豊山さ行ぎっちくて、
我がの胸さぁ蓮の花を持って来て、
また寝だんだど

二人が起ぎだっけが 
妹の胸にたしかに蓮の花があったんだげんちも
動かしたもんで花が萎れっちまって 
姉の胸から取ったのがバレたんだど
それで 嘘っこきは家に置がんにぃ と、
妹は山都の飯豊山さやって
姉が闇川の飯豊山に行ったんだど 

それがら闇川が本元飯豊山になって、
姉と妹が昼寝して どっちか考えた山を思案岳(しあんだけ)と
呼ぶようになったんだど


この話 私ら子供の時分から年寄りに聞かされでいるし 
ここいら辺の人達は皆知っていで、
まるっきり でたらめな話ではねえと思うなぁ



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by tabilogue2 | 2017-07-28 01:09 | 会津学 | Trackback | Comments(0)

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塩と峠


奥会津は名の通り山に囲まれている山国である。
どこへ出るにも 何処から物資を運び込むにも山を越えねばならない。
それは今も昔も変わらない。

江戸時代の初めまで会津地方の「塩」は
小名浜一帯と相馬から仙台にかけての浜から採れた
「東入り塩」が中心だった。
その後、大阪から日本海を通る西廻り船で
播州や尾道で採れた良質な塩が新潟に陸揚げされた。
それが「西入り塩」である。

あまり 多くを耳にしていない話だが、
幕末に京都守護職になった会津の殿様:松平容保が
幕府から領地を加増された際に、
特に「新潟の一部」港地を希望したといわれている。
瀬戸内からの「西入り塩」を
安く安定的に手に入れようとしたわけである。 

文政三年(1820年)、
御蔵入地(おくらいりち):今の会津高田町以西、只見川以南の地方に
7000俵の塩が運ばれたという。
新潟の港より阿賀野川をさかのぼって津川町で陸揚げされ、
津川から野沢や西方へ駄馬で運ばれた。
瀬戸内の塩は十四貫入り(52.5キロ)の荷姿だったので、
津川での陸揚げの際に会津坂下(あいづばんげ)の叺(かます)と縄で 
米同様に一俵60キロに荷造りを仕直して運んだそうだ。

奥会津に入る「西入り塩」は
1 西方街道 新潟-津川-野沢-西方-御蔵入地の主として金山谷
2 八十里越 新潟-津川-八十里越-奥会津-伊北(いほう)
3 大山越え 新潟-津川-柴倉-柴倉峠-宮崎(大山越)
4 地元岩塩 塩沢でとれる地塩
だいたい以上のルートで 御蔵入地に用立てた。

大塩組では年に390俵が要り用で
津川廻りの塩と八十里越の塩が半々くらいだったとされる。
津川廻りの塩は八十里越の塩より金一分につき一升分ほど安かった。
野継ぎ荷駄賃が少なく済んだからだろう。
津川と西方には「塩囲い蔵」が置かれ、
西方には年間で6000俵から12000俵が入荷したそうだ。
蔵のおかげで潤った村だったという。

嘉永元年(1848年)の記録によると
大山越は1575駄、(ちなみに 野沢から西方へは1625駄) 
峠を越えるということはどれほどの苦労があったのだろうか。
宮崎村より柴倉まで三里、津川まで五里、
この三里の大山越を牛馬にて運べたらどんなに楽だったことだろうか。

*「大山越」おおやまごえ・・・
金山町宮崎より只見川を舟で渡り(現在は上田ダムを渡る)、
関根より北ノ子沢(北の湖沢)を越えて、
急峻な道を登り国土山を尾根伝いに行くと、
新潟県境に大山祇神社の石の祠が立っている。

そこから県境の稜線を登るとほどなく沼越峠(鉾峠)となる。
標高830m、ここまで関根から一里半6kmの道程である。
それより再び急峻な坂道を下ると柴倉川の支流・大川前沢につく。
さらに二つの小さな峠を越えると 最初の村落である柴倉に着く。
ここは大倉峠からの径もあわさる。

この柴倉までが峠より一里半の道程である 
現在は4キロほど行くと林道となっている。
この三里の道を 大山越(おおやまごえ)とよんでいる。
現在は東北電力の送電線:新潟幹線と鹿瀬線が通っているので 
道は狭いながらも良く刈り払われている。

江戸時代に何度も 大石、大塩、野尻、黒谷、古町、和泉田、熨斗戸(のしど)組の
農民は連合して嘆願書を役所に出してはいたが聞き入れられなかった。
野沢や西方の街道筋の問屋が裏で役人とグルになって反対したと言われている。
同じ金山谷でも水運に頼った滝谷、大谷組の名主は
大反対に廻ったと言われている。

ちなみに塩は十貫目俵を半分(20kg)にして大山越をしたとされる。
また 一駄は・・・牛馬の背中に「俵を2つ」着けることをいう。



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by tabilogue2 | 2017-07-27 06:00 | 会津学 | Trackback | Comments(0)

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なぜ 世界谷地などとオーバーな名前を付けたんだろう?」


もう28年も前のことになるが…、
YMCA山岳会では「栗駒山の全流域・踏査」を行ったことがある。

その頃、深野さんから以下のように教わっていた。
なぜ 世界谷地などとオーバーな名前を付けたんだろう?」
という会員の素朴な疑問に、
彼は既に答えを持っていたようである。

もともと湿原のことを「臍下」「谷地」(セイカ、ヤチ)というようだ。
「谷地」はともかくとして、、、”臍下”、、、?
彼は既にその「古い時代の一般的表現」を文献上で拾っていた。

ただ、地元としては「臍下」という呼び名では
栗駒観光には活かせない、「格好」が悪い…と云うので
「臍下谷地」がいつの頃か(戦後、第1次登山ブーム時代?)
「世界谷地」に転化した。

なぜ「格好」が悪いのか?といえば、
”臍下丹田”などという言葉どおり 臍下とは「ヘソの下」のことで
「湿地」「谷地」を指す。
淫語ではジメッとする「女陰」「ホト」を意味する。

きれいな湿原が”女陰”じゃどうにも「格好」が悪い、
観光の妨げになる…ということで
「臍下」が「世界」になったようだ。
これには会員一同納得したものだった。


こんな淫靡な話は山ではよくある、
例えば二重山稜の地形ゆえに尾根上に湿地を持つ山…
例にあげれば、南会津の黒谷川沿いにある二重山稜の山
といえば”火奴山”(ひどさん・ほどやま)が有名だが、
まさに「女陰」の淫語”ホト”がそのまま山名になっている。

他に 会津志津倉山では「細ヒド」コースがある。
或いは七ヶ岳の「程窪沢」とか・・・探せばたくさんある。
会津では「ヒド」といったり、福島では「ホド」とよんだりしたが 
一般的には「ホト」と読む。

とまあ「臍下谷地」から「世界谷地」への転化、
その成り立ちを、今じゃ珍しい言葉を使って当ブログに書き遺した。
インターネットとしては「初公開のネタ」になる。

初めて眼にして妙に納得のいった方も居られたろう。
このネット時代にブログにしたためておかないと
「因を含んだ言葉」が闇から闇へ葬り去られてしまう。

50年も歩いた中で、
山に関する些事や言説はこのボケた頭にほどよく備蓄されている…、
でも呆けて取り出すのに少し手間取るのが難点か?(´艸`)。

また、「世界谷地」は古くは「八ツ頭原」ヤツガシラハラ 
といったそうである。水芭蕉を里芋の葉と見做したのかな? 
これも付記しておく。



仙台YMCA山岳会というのは徹底して「沢遊び」をし、
単にフィジカルに登るだけじゃなく「総体」として山をとらえ、
山を「学び」の場にしていたんだなぁ…と、
今さらながらに思った次第である。

人間性はともかくも 深野稔生さんには学ぶ所が多い
私も 彼に学んできた一人である


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by tabilogue2 | 2017-07-26 18:20 | アラカルト | Trackback | Comments(0)

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「草付き、ドロ壁」で 
サッと取り出せ 泥壁に打ち込めるバイルを探していた
ヒョンなことから 旧い在庫の高価な?
アイスバイル「MIZO V-1」を戴くことになった

道具は 使ってこそ活きるもの
アイスバイル、、、そのシャフトを短く切断し
ピック部も短く削ぎ落として 重さの「バランス」をとり 
沢でも 振り回せる長さにしてもらった 

市販の半値以下で 良い物が手に入った

もともと 
MIZOのクロームハンマーは持っていたが… 
後輩に譲ったままで…18年(´艸`)
今さら 戻せ!などと言えるわけがなかった

ロックハンマーは仲間から譲られたカンプと自前のペツルの2本、
バイルは後輩に譲った1本、これで併せて2本目のMIZOになる
イヤ?、朝日大桧原・トッサカ沢で紛失したグリベルを含めると3本目だが
沢で使えるのは手元に残るこれ1本のみ。

とても振りやすい
雪山でもスノーバーの打込みに… ハンマーとして使える


 
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by tabilogue2 | 2017-07-23 15:11 | mount | Trackback | Comments(4)

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正面に 南屏風岳が見える いいところだ

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せっかく 芝草平についたんなら 
立ち寄らぬ手はない

いつも 時間があれば 
1時間ほどのんびり過ごすことにしている



ここにきたら…世事を忘れ 
しばし 山野、花に酔いしれ 
できうる限り「妄想の世界」を膨らませ 
時間を逆回転させるべき(?) 

そのことで時空を彷徨うことに成功すれば… 
少し若返りができるだろう(´艸`)



世事にかまけ ”自己喪失”気味のあなた
是非お試しあれ お勧め!






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トキソウの花期に当たったようで たくさん咲いていた
その代わり
いつものサワランには数輪しか会えなかった
どこぞでの
「悪の意図」に やられたりせねばよいが…


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黄色の花が夏花のキンコウカ

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同一種族の中で もっとも清楚な花と思っている
ミネウスユキソウ
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いまから 30年ほど前に戻るが・・・
あの頃は…登山者の絶対数が少なく ここ芝草平に木道などもなく
娘どもは この原っぱで それこそ自由に 飛んだり跳ねたり 寝転んだりしたものだった

今じゃ とても考えられないことをしていたわけだが それほどの「秘境」味があった 
まさか これほどまでに登山者が押し寄せるなど 誰が思っただろうか

登山ブームとともに入山者が増え それに社会的な「自然保護の通念」が後追いして
ここの原っぱもすっかり世間並みになり 足を踏み入れることは叶わなくなった

無論 自然保護の通念を抜きにして、「昔話」を語っているわけだが
自然保護の名のもとに規制が必要になったのは その後10年ほど過ぎてからだった
登山道が整備され 木道が敷かれ 失地回復とやらで「湿原」は保護された

それは世の流れであり 至極当然ではあるのだが
仮に…、登山ブームとやらが来なければ 野放図のままであったかも…?
当時なら 湿原は「自己復元能力」があったのでは? 今はそんな気がしてならない

罪作りなのは人間ということか、 良いにも悪いにも「主体性のないブーム」の功罪は大きい 



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南屏風が見える 池塘が点在する芝草平

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地味で小さなヨツバムグラの花 
いつも愛おしくなる



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by tabilogue2 | 2017-07-20 11:33 | 蔵王連峰 | Trackback | Comments(0)