名山指向なるカルマ

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それにしても「今の」平ヶ岳、日帰りハイカーが多いのには驚いた

土曜の朝、下山時に出会った50人ほどの内、8割がソロのチューコーネン、
その半分が おじいちゃんたち定年組 (´艸`)オレモダッタ
早朝3時、4時から 往復22キロの山旅をスタートしている
 
深田久弥が かつて 二岐沢から2日がかりで登山していた時代
アプローチにさえ 小出の町から2泊していた時代
それに比べれば 単純に便利にはなった 


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だが、その便利さの反面 
山から何かを教わる 受けとる 授かる そんな登山者は少なくなった
逆に 克服の対象に山を据える そんな人が増えた・・・そう感ずる

日帰りじゃあ、勿体ない山だよ、ココって・・・
頭で分かっちゃいるのだが
山の何処を眺め、額に汗しつ、登って、日常にないものを得ていこうというのだろう?

 朝方に移動し 車中仮眠し 睡眠時間を5時間以上摂らず 栄養ドリンク3本一気飲み 
ほの暗い3時から 熊に怯えつつヘッデン灯し 
寝起きに歩く・・・血圧を一気に昇らせる

身体に悪いことだらけだが それさえもスポーツの対象にしてしまう 
百名山ブームが起こした「軽薄短小」文化? 
山の愛しかたが「日本だけの特異現象」、フィジカルな方向に偏向し過ぎ! 
登山ブームは けして情緒的じゃない
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池ノ岳の野営地で 蛙の大合唱を聴きながら 山への想いを深める・・・
なんてことは もう時間の無駄、彼らの辞書には「ない」・・・旧態な行為なのだろう


深田久弥の功罪を 名山ブームの渦中で語るとすれば・・・ 
「山の賛歌・物語」を捨て、フィジカルな踏破行為で
「100山登る チェックリスト」と化してしまっていることに尽きる 


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そうさせたのが・・・

物販オンリーの登山産業界や 公共交通網などによるツアー需要喚起、
雑誌「山渓」によるファッション性を取り入れた「山ガールスタイル」の定着化
克服・攻略を対象としたハウツー本による「消費型登山」「圏別50名山」への誘い、
ヤマレコ信奉者の再生産など 消費型登山の「底辺構造の仕組み」強化

これら「百名山をかたる商法」にこそ ほとんどの功罪があるのでは? 
単に僕らはそれらあざとい戦略の環に「消費」という行為で填め込まれているだけ

「山を消費するだけ」の登山に未来はない 食い散らかすだけ・・・かも? 
つまり百名山を語っているのは 山を商売の道具に貶めた業界である

気づかず ただそれに乗っかっただけの登山など 所詮 長続きするものではない 
・・・ということが 既に 僕には透かし見えている


こんなこと 今だからこそ 言えることなんだろうけど、、、ね
でも、気づいちゃったんだから しょうがない ( `ー´)ノ モウ ダマサレナイノダ

どこまでも あざとい 人間たちの「業」カルマに 
私らは どこまで奴隷になっていれば気が済むのか?
その業によって現れ出る「因果」は 自然界に蘇らぬ生類を吐き出すこと になる



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by tabilogue2 | 2016-06-13 20:52 | mount | Comments(0)

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いつもの「ゆうゆう館」で ヘルメットを購入してきた。。。

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「どうしたんですか? ヘルメットなんて 突然???」 
続けて店主・・・「深野さんも本を出したし・・・、何かYMCA山岳会には有終の美を飾るに 
なにか過激なことでも流行ってるんですかね?異変?」ともいわれて、、、
あ~また彼、出版したのか・・・と知った。 

お彼岸に山に登るような男じゃない と店主は観ているのか・・・、
「お暇でしょうから・・・」の一言で、新刊「てっぺん駈けた記」を読んでみることにした。

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話をヘルメットに戻そう、、、

長年愛用のGalibier製も手元にあるが 「黄ばんだガリヘル」じゃ、向かう山に申しわけない。
それに新調したのには ちょいとした目的と確固とした意志があって・・・
「今夏は沢を遡って遊ぼう」という魂胆だ。
出羽丘陵:弁慶山地を沢から訪ねようと、かつての仲間に声がけしていたものだが 
いよいよ今年、現実味を帯びてきた。片眼を失い、昔日のように登れるのか?ちょいと不安だが・・・。

というわけで 大袈裟だが「出羽丘陵3ケタ遡行同人」(仮)を結社した( ´艸`) 
たかだか標高3桁の山だが、弁慶山地の標高200m~400mあたりの沢がじつに面白いのだ。
沢の詰めは滝だらけで稜線に抜けだせないかもしれないけれど、それはそれでまた面白い。
 
先日、大阪からMが来仙したので さっそくイロハ横丁に集まって計画をネタに一献やった。
YとMと俺とでのスタートだが徐々に昔の仲間が集まるだろうと予想するのは容易だった。
「このメンバーなら心底楽しい」とかつてのメンバーらの濃厚な記憶として残っているからだ。

弁慶をどの辺りから入渓し、どの辺りで幕を張るかも決めた。さしあたっては中野俣峡谷。
オシメ沢、白糸滝がかかる小滝沢は登っているので 次の矢櫃沢、四熊沢あたりになろうか。
沢の名称にも四足動物の名が出てくるほど出羽丘陵は自然の色濃いところだ。
北には鳥海富士があるが、その気高き標高のもつ呪縛には全く捕らわれぬ山域で
沢遊びに興じることを誇りとしたい。

「技術」と「遊び心」が備わらないと、この地の沢登りは愉しめないし面白くもないだろう。
自己愛に耽るなら自身を美化できる標高もなければ、登山体系を揺るがすようなネームバリューもない。
 
どんな小さい沢でも僕らは登る時、遊ぶ時には大真面目だった( ´艸`) 
かつてのように入山する際には虚栄心を捨て、得意の技を持ち寄り、ゾロアスターの如く焚火を楽しみ、
数日を遊び尽くすことに「遡行同人」の楽しみ方がある。

だから・・・、価値観や気心がピッタシ合うヤツでないと?遡行同人は無理なのである。
お酒は庄内の酒と決め、日本海の酒肴があれば焚火の他は要らない。
今年の夏、15年ぶりの弁慶山地。やり残した沢登りを完結できそう。今からワクワクしている( `ー´)ノ

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おじいちゃん ことし いくちゅ~ぅ? ・・・って
声も聞こえてきそうだが 仲間がいれば 実に怖くはないのだ。




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by tabilogue2 | 2016-03-20 16:37 | 弁慶山地 | Comments(0)

HCCSからのメッセージ

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僕らは・・・「車は文化だ」と捉えており、その文明の利器を「時代の通過者」である僕らが独り占めするなんて、とてもできないものと思っています。

文化的遺産という言葉が全てに合うかどうかはわかりませんが そんな車を個人の利益・資産価値として 押し込めた風に捉えるのは勿体無い とも思うのです。そんな風に考える仲間がたくさん出てくれば・・・車は「より社会的に存在する」ようになってきますから 長い目で見れば 市民交流イベントに参加するオーナーが年々増え、逆にストイックさに引き籠もる傾向は少なくなるだろう と思ってもいます。

しかし そもそも車趣味って・・・、「趣味の蛸壷」と称されるほど(?)没個的な一趣向として成立するものですから、時々それが顔を出したりして世間との隔絶感を生んじゃう、そのエゴ感もまた否定できない事実なんですね。つまり 弄るのも運転するのも楽しいのは自分だけ。それを一種のメランコリーと喩えて済ませる内はいいのですが、その「憂鬱」つまり「エゴ」が台頭しはじめると、没個的に改造や爆音やドレスアップに勤しみ更ける人たちや ストイックにコーナーを攻め満足を得ようとする人たちが増えるようにもなるわけです。

いわゆる 弄り倒しっ!、まあそれも「趣味の一つ」ですが、HCCSの考え方と対立するメランコリーでもあります。「個」の対極にある「市民」や「家族」「世間」「社会交流」には その没個的な憂鬱に抗う薬効があると僕らは思っています。だからこそ HCCSの存在意義があるのだし イベントの実行や発展や継続がその意義を深耕してくれるとも思えるわけです。

若者のクルマ離れやファミリーのハイブリッドカー礼賛が続く中、半世紀以上経過した車を眺め、そもそもの原点「車は文化だ」を捉えなおしてもらおうと広範な実行委員会形式により楽しい2日間を演出したいと思っております。

4月9日、10日の2日間 10時から16時まで催されます
仙台市役所前広場 入場無料 撮影自由
*馬車のような旧いロールスロイスに先着で試乗できます

是非 遊びに来てください。 半世紀前に生産された小さなFIATも僕と一緒に参加します。


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by tabilogue2 | 2016-03-18 10:35 | Car | Comments(0)

助詞で山語り

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白髪というか銀髪というか? リーダーのT (撮影者 KSさん)





山を登る 山に登る ・・・ これらは同じか?

伝統芸に生きる という感じで 山に生きる とすれば、山を生活の舞台にして何十年も
生きてきた人生観が醸し出される。たぶんこちらの助詞の使い方に関連するのだろうけど
山を登る といえば具体的に「その山」を指すのだろうし、山に登る となれば概括的な
山を意味し、「山に生きる」的な使い方になるのだろう、、、

いづれ、終助詞で使えば・・・ 山に生きた となる。

あと数年で体力が落ち 病気にもかかり易くなるだろうし なにぶん「意欲」という面で
相当の後退を意識せざるを得ないだろう。そうなった時 山に生きた という終助詞が使
える人は おそらく日本山岳会の重鎮たちの面々が占めることになるのかな?( ´艸`) 
自分程度じゃ せいぜい「多趣味な男」と括られて終わる?w 願わくはそうありたいが。

さて そろそろ今年の雪山は終わりどころ、先が見えてきたように思える。エルニーニョ
のもたらす暖冬もこの辺りで逓減期に入ったようなので 来季の冬は期待できそうだが? 
今期の冬は先が見えてきた感がある。毎年毎冬スキーに命を燃やす御仁にしてみれば悲嘆
の連日でもあろうか。昔も、今も 少雪の年は同じ思いに駆られるものだ。

春山に登る、この季節が早まる。時の流れに速度計をつけるとすれば・・・春は例年より 
1/12年月だけ速度をあげて来るのだろう。春に登る山々を頭に想い描いておかないと、、、
ソロソロ行くか! と思った時には 皐月の夏がやってきちゃうぞw
マンサクが咲き イワウチワが咲き フキノトウが出るころ どの山に登ろうか?

老いの速度を落としめる方法は 知っている。
儚いながらも それは 「夢」を現実の白地図にドロウすること・・・ 

そして それは   
南会津の黒木の森と 新芽の淡い色を被ったブナの森への 連綿たる想いか・・・。




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イワウチワ







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by tabilogue2 | 2016-02-16 11:14 | mount | Comments(2)

県境の山

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城郭朝日岳 ジョウカゴアサヒ




松が明けた。。。

そろそろ今年の第一峰に登り始めるかな さしあたって 面白山通勤登山だが。。。
寝正月で重くなった身体をいかに鍛え絞るかが 春への最初の課題だ。


地勢図「新潟」と「日光」とを、この正月も 自分への励みとして眺め続けていた。

かつて 郡山時代と、仙台転勤後に 南会津の県境に位置する山を繋いできた。
越後山脈は御神楽岳を起点に日尊ノ倉山、雲河曽根、中ノ又山、赤崩、浅草岳、鬼ヶ面山・・・
横山、猿倉山、村杉岳、会津丸山、坪入山、窓明山、三岩岳、大戸岳、会津駒ヶ岳、大杉岳。
燧ヶ岳から延びる燧ヶ岳外郭稜線の帝釈山、田代山、枯木山、安ヶ森、荒海太郎と登ってきた。

残された峰は 黒岩山、孫兵衛、台倉高山、それと毛猛、前毛猛、未丈だが? 
奥鬼怒の黒岩山は登れても、、、毛猛の稜線を繋ぐことは・・・もう「果たせぬ夢」だろう。
僕は残りの山を登ることで かつて30年間、抱き続けてきた南会津の山々の「夢物語」を終える。




ネットのない時代に育った旧い山ヤだから言えてるだけ って???・・・そうだろうか?
「創造的登山」という言葉には 少なくとも他人の「ブログのコピー」は存在しない。
何故?って ブログに求めることのおおよそは「ハウツー」、どうやって登るか? ただそれだけだろう。 
心に湧いて出た「夢」とは全く違うのだ。

山物語の読み手にとどまっているだけであれば気づかない、むしろ それはそのままでいいのだろうけど・・・、
一度 物語の読み手から書き手へと 変身するキッカケがあろうものなら 君も気づくことだろう。
求める心を動かす源が 例えば地図の「広がり」にあることを。未踏のルートを眺め どこをどう登るかを思案する。
地図を眺めていると・・・新たな冒険物語が 心に騒ぎだし始めていることに気づくはずだ。

今やネットに抗えないのか? てっとり早く短絡に考え、結論付ける前に、、、 
「そうだろうか?」 と自問してみよう。
オリジナルな「冒険」、 自分の心の内の「夢」、そもそも何故 君は山が好きになったんだい? 
それらの答えは 沸々と心に湧きあがるものだ。他人のブログにはキッカケやハウツーは書いてあるけど
「なぜ」?その山に登るのか、、、答えは書かれていない。おそらく そのブログも他の誰かの「コピー」だから。

想いを巡らし自分の答えを出そうとする、それこそが 夢物語、君の冒険物語のはじまりなのだ。 
山はその「舞台」。 一つ 喩えれば、「新潟」「日光」の地勢図は その「ひろがり」の端緒ということだ。




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サムアップする、エエカッコ氏の丸山、縦走に向かないヘタレ男w
三本ぶな峠でも バテて・・・時間を押しまくったwそれでも懐かしく想うw












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by tabilogue2 | 2016-01-11 22:06 | 会津・越後 | Comments(0)


山に登るのは誰でも出来るけど 深く山を味わい知るのはその中の一部の人でしかない。その味わいを知るには・・・どんな山にも一泊でもしないと 本当の山を知るチャンスには遭遇できないだろう。基本、例えば「山に泊まって朝夕に食べる」ということに長けていないと その上を望むことは不可能になる。

生活技術の一つである山料理に長けていないと縦走などの一連の登山は成立たない。つまりは 真の山を味わえない。為さずにいると、それこそ「具なし」カップ麺や 「具なし」レトルトカレーに頼った登山になる。先を急ぐ心を抑え、じっくりジカンをかけ 山料理の腕を上げないと 山の深み、山の楽しさ、紀行としての山は味わえない。

山小屋での焼肉は迷惑なものだが、小屋の隅でカップ麺をすすって寝袋にくるまるというのは よほどに格好が悪い。「継続登山」という課題に食事面で取り組む、宿泊前提での登山。山に泊まる(生活する)のに技術がいるの?という素直な疑問が(いずれ体験を積むことで)納得に変わるはず。

同行の初心者には手始めに 小屋泊まりの「朝夕2食のレシピ」を考えさせることから始める。「フリーズドライ」をもとに加工するとどうなるか?また朝の食事に工夫を凝らし、「煮炊きの水」を要さず、「時間」もかけずに摂り込める食事・・・という課題を設定した。 「ぱぱっと料理」ができて 「ガス」もあまり喰わず 「ゴミ」も出さないことが前提でレシピを考える。前日、料理の具材を一緒に購入しながら 料理の完成イメージを伝えただけだったが・・・はたして?

今回の初体験メニュー計画は・・・
夕食・・・アマノフーズ 香る野菜カレー + 副菜 
朝食・・・アマノフーズ 香るグリーンカレー +副菜 + 味噌汁

・・・であったが、
初食当の判断で・・・下記となる。

夕食・・・主菜 アマノ 香る野菜カレー 
     副菜 野菜炒め ピリカラ燻製牡蠣 福神漬 みかん
     具材 玉ネギ ピーマン ナス ミニトマト バジルソーセージ 牡蠣燻製 福神漬
     汁物 乾燥ホウレン草とブイヨンでスープ
朝食・・・主菜 お粥 余ったオニギリと梅干しと福神漬と塩で味付け
     副菜 三分茹で上がりのパスタ トマト風味で味付け 福神漬 みかん 
     具材 玉ネギ ピーマン ナス ミニトマト スパイシーソーセージ  
     汁物 玉ネギ スパイシーソーセージで出汁をとったコンソメスープ
オイル  オリーブオイル(使いきりパッケージ)

食器・・・コッヘル(大) カレーを作るのに使用
     コッヘル(中) お湯を沸かすのに使用
     コッヘル(小) カレーご飯の盛りつけに使用 
     フライパン   スパゲティを茹でる 野菜を炒める際に使用
鼠対策・・・食材とゴミは小屋内のロープで吊るしネズミ被害の予防とした
水場・・・ネットで事前に情報を得ていたので特に問題はなかったが、水場の案内が小屋のどこにも掲示されていなかった
その他・・・常夜灯にロウソク(燃焼4時間)を2個使用、携帯ラジオを使用、発電型LEDを使用

総じて 初心者としては 美味しくできあがったと思う。
時間も短時間だし ゴミも出なかったし 無駄に水を使わないし 味も良かったし 食欲をそそる味付けに合格点を差し上げた。




以前に書いた記事 「最近の山事情*」を読み直した。

2年前は「山ガール」が流行し 今や「山ボーイ」なるものが流行だそうな。SNSの世界に浸った若者が 「山小屋の冷蔵庫でサムアップしながら寝そべってる写真」を ブログに掲載しないとも限らないw 現実、ますます危険な?登山者が増えたと感じる。積雪期のGW、穂高にスニーカーで登る奇人も出たほど・・・。100とか、200とか、300とかの名山を追い求め、たった数日の時間を宛がい、車で移動し車内で寝泊まりしながら数山まとめて目的を達せんとする中高年も同類に思えてくる。

それに 最近は「B層の論理」的な人や、登り始めたばかりの高齢者のブログ発信が増えた。気をつけなければならないことに、「素人発信」が増えるほど 例えば標識を備えない山を管轄下におく役所側の立場はどんどん悪くなる。「B層の論理」が過ぎた結果だ。「俺は悪くない!悪いのは標識を立てない役所の方だ」「危険な山に登る初心者を制止しない役所が悪い」となる。自己責任の登山を役所や警察の責任にすり替えてしまう。 

「B層の論理」もいい加減にしないと。地球という自然、理屈で語って挑めるほどの相手じゃないことは知っておくべきだ。


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山への畏敬の念を養わず、怖れもせず、夏季に単独で名山を追いかけたとして実力は早々には付かない。体力はつくだろうが(?)生活技術、観天望気、危険回避、自己脱出、山への畏敬など精神も含めての「総合力」は付かないということだ。

他人様のブログに記してある通りにコースを選び、コースタイムの載った昭文社の地図しか読めない実力の程度で、木道完備の尾瀬やホテル並みの山小屋が揃った北アルプスや登山者の列が山頂まで続く富士山など、人の流れに乗って標識の指し示す道を歩いたとしても「登山の凄みや醍醐味」は味わえない、実力などつくものではない。せいぜい「グループ登山」ができる程度、「夏場のソロ山行」ができる程度の「体力登山」が関の山だ。

それなのに「北アで実力がついた」と自分で勝手に勘違いするから 山の難易度を勝手に高めて 上級者向けの山岳(便宜上のクラス設定だが)に独善的に挑むようにもなる。それがクリアできたら自分は上級者だとすっかり勘違いする。ブログにもラッキーな「結果オーライ登山」が見受けられるし、他人の成功体験をブログで読んだだけで、「よ~し俺も!」と勇み立つのは考えものだ。それらの「認識違い」の結果、受難者がまた増えることになる。



今や発想に豊かさが消え、その代わり「ヤマレコ」「トポ」など他人の記した「トレース」をこよなく愛す中高年が闊歩する時代。基準は「標準タイム」より早く歩くこと。他人のトレースを追うだけの登山、オリジナルな山の楽しみ方なぞ どこ吹く風 ?? 「トレース文化」を愛し、ブログでそのインフルーエンスを極める、、、一体 君らの 「自分の山」はどこへ行ってしまったのか? 



「独り善がり」は総てが勘違いの元なのだ。それを正しいと思い違いしているのは他の何方でもない、「好天ヤホー+宴会大好き」な貴方だ。難題だけど「組織に入ることがイヤ」「ガイドもイヤ」というなら覚悟して入山しないといけない。そもそも「ソロ」というのは「登山技術、生活技術、登攀技術を併せ持ち、謙虚に構えて入山する人」という意味に理解すべきだ。誰もいない深い山で 一人朴念と数日暮らすこともせずに、実力など養われないし計れるものではない。束縛されたくない?・・・組織に入ることを嫌い、団体行動がイヤ 身勝手な理由で単身登山するのとはわけが違う。

自分の山を持つ、持ちたい 山を知りたい そんな時は・・・謙虚に地元山岳会の門を叩くことを勧める。

山岳会では幾つかの個人山行計画が提出されているので 自分の経験や力量を伝え 見合った山行を選べばよい。思想信条が問われるわけでもないし所得制限があるわけでもない。生活技術は公平に教えて貰えるし事故回避術も同様だ。本格的な雪山シーズン前に冬山のセオリーを覚え込めば 「何故そのセオリーがあるのか」その理由を一つ一つ実践で知ることになる。セオリーを理解すれば我が身大事に思えてくるし 身勝手な登山を慎むようにもなるはずだ。山岳会のそれは蘊蓄などではなく、生存技術そのものなのだから。


昔は 「三人寄れば山岳会」と揶揄されながらも 経験が人から人へ伝わる手段、いわゆる「空間」(インシュレーション・中間の機能)が存在した。

だけど今は違う。

若者の登山ブームも老齢者の独善的「トレース登山」ブームも、どちらも危険回避を経験として積む「集い」「時間」「伝承」などの手段(空間)がない。PCを開けば手軽に教えてくれるが、だがネットでは「知識」しか手に入れることができない。知ってはいるけど実践では試せないし活かせもできない、そもそもそれらネットで拾い集めた知識をあてがう「現実」や知識を活かす「状況」との「ヒモつけ」が理解されていない。さらに無目的な中高年登山者は深田百名山のような「価値基準」「既成の目的」、他人の「行為の結果」に寄ってすがろうとする。


自分という主体もなく、他人の結果に身を任せるという心配(事故の元)は今後も増える一方のようだ。それでいて 自分は登山界のセオリーから逸脱しているだろうか?と半信半疑になる。山岳会に入れば その道のプロたちが過ちを諭すように教えてくれ・・・、前述の「ヒモつけ」が実践で理解できるようになるのに。何故 自信過剰な自分?(独善的な、傲慢な自分)に留まるのだろう。 山岳会のドアを叩けば 全てが正回転で廻り始めるのに・・・。。。


長年山をかじってきた私には「他人の結果に身を任せる」「独善的な自分」などの考え方がどうにも分からない。過信するほどの体力もないけど 好きな山が2つ、3つ程よくあって 季節を変えルートを変えつつ年中登れたらそれでいいじゃないか とピークハント欲の無い者として考えるのだが もし貴殿が「それ以上」を望むなら 今現在の「独善」を捨て去らないといけない・・・。いかがなものだろう? 今の独善的状況から一歩踏み出すことによって もっと高度な組織的登山が可能になる。その新たな世界を体験したい 高みに上がりたい 垣間見たい、、、とは思わないのだろうか?。。。

一昨年に書いた「*文章」だが、じっくりと正月にでも読んでもらえたら・・・ 素直にうれしい。


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朝日連峰小桧原-大桧原川遡行を終え、大桧原林道を歩く・・・












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by tabilogue2 | 2015-12-29 15:00 | mount | Comments(4)

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「なんとなく 気持ちを山に置いてきたような・・・」


今の季節、、、秋が深まるこの季節になると・・・


新入会員は、落葉に埋もれ 茶枯れ色に染まった沢を眺めて
こんな言葉を残し センチになったものだ

秋の終わりかけに、心は夏に置いてきたまま 
季節がどんどん移って 自分だけが取り残されてゆく・・・

「沢」を覚えたばかりの新入会員は
季節に取り残された我が身を 哀愁めいたそんな言葉で表した


夏の終焉から秋に移り、、、愉しかった沢の季節が終わる
遊びつくした自然への畏敬と感謝
いやがおうでもやってくる冬への緊張感 
覚悟もできぬまま シフトするのか・・・

できるのか?自分、、、「冬山」

・・・そんな気持ちがグチャグチャにからまって
「なんとなく 気持ちを山に置いてきたような・・・」

長年、沢をやっていると・・・
解りすぎるぐらいな そんなセンチな想いが詰まった言葉だ

そろそろ 沢から雪山への「シフトチェンジ」が頭を過ぎるものだが
「思った以上に難しい」と そう思ってる

新入会員のそんな気持ち・・・
おそらく 今も昔も 変わりはないだろう



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アパートの自室で 研究用の蠅を飼っているフセ。 大行沢にて


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岩魚の捌きに手慣れていたアベミ。 入会後初の沢登り  吾妻大滝沢

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春川ダイレクトクーロアールのオオタ。 (ロープを着けない悪癖があるなぁ)

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ダイレクトクーロアール。大滝の岩に抱きつくオオタ w

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会慣れしたてのテルヨ婦人。 吾妻大滝沢 大滝直下にて

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アッチも登りた~い♪  春川の三滝にて

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増水し激流となった吾妻大滝沢での新人訓練
前列左から SLのマツムラ アベミ ヤスダ 
後列左から オオタカ オオタjr

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緊張のダイレクトクーロアール遡行を終えて 
池塘の山頂草原を 小屋に向かう 迎えに出たのはカガミ君か?

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虎毛ダイレクトルートのSLを務めたミトベ(赤ヘル) ごくろうさん!
左から オオタjr てるよ トップのヤスダ SLのミトベ

それに マツムラ フセ を加えて・・・
どこへ出しても恥ずかしくないリーダーの玉子たちだ。

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愉快なフセ・・・雨合羽を忘れて、ゴミ袋を着込んで凌いでいる(笑)


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by tabilogue2 | 2015-10-26 15:53 | 二口山塊 | Comments(0)

虎毛に遊び 友を偲ぶ

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湯ノ又大滝




虎毛山を囲んで十数本の沢水を集め、
皆瀬川は夏に入ったばかりの渓谷をゆったりと流れている。



ブルーグレーな沢床を一層濃くさせながら、
水面はキラキラと光の反射を繰り返し 
ゆったりと明るい渓相の連なりである。
黒い幽谷から流れ出る奥会津の渓とは大きく違っていた。

田代沢林道から皆瀬川を徒渉し、
いとも簡単に春川の出合いに達した。
出合いはトロッコの軌道敷跡のコンクリート支柱を立てて、
いつもの虎毛沢へと誘う。

思い出多い、青味を帯びた戸沢入口は
数年前の大地震で崩れた倒木によって遮られていた。
赤湯又沢の出合いに至るまで
山肌は大きく崩落の痕跡を連続させ、
情感さえも抉り取り去るかのようだった。


赤湯又の出合い・・・。

ここの小さなゴルジュは
硫黄泉質の混ざりあいのためか 
この溪の中では異様さを際立たせる。
ここで、先日この出合いに吊り下げた
無為な赤布をようやく回収する。




知沙子なる 逝きにし友を 偲びつつ 
 赤湯又の ゴルジュを越える




虎毛の沢は山人を楽しくもさせ、
浮かれた夜にはさぞかし心を打つ宵を与え、
見過ぎ世過ぎの身の垢をも洗い流してくれたことだろう。
この赤湯又はそんな魔力をことさらに秘めたところだ。

ここからは少しずつ竿を出しながら行くはずだったが・・・
先行したであろう釣師は
我らを嘲笑うかのように、重そうな魚籠を抱えて立ち止まる。

殺生を自慢するような奴は早く立ち去ってくれ! 
数十尾を釣り上げてどうするというのだ?

情景を破壊した先行者は
虎毛に黒雲が発生しつつあることを言い残し去っていった。
素麺を茹で沢水に晒し、啜る。
真夏の沢にはこれが実に堪らん。
飯を終え、山女魚止めを過ぎてから竿を出し始める。



一尾二尾と上げ 竿をしまった。
黒く重い雲が見え雨の予感がして 
左右のスラブ壁を一瞥しながら滑床を小走りで駆け抜け、
今宵の幕場を得ようと急いだ。

赤紫の亀甲紋様が鮮やかな滑床に至って幕場に着いたことを知る。
右岸台地にフライを張り、ツェルトを構え、柴木を集め、
疲れを癒す今宵の地味な宴の場をこさえ終わると、、、
我慢の限界とでもいうのか 大粒の雨がブナや笹を打ち始めた。



土砂が沢を濁す前に、コッヘルに水を汲み米を研ぎ 
やがて来るであろう夏の嵐を待った。
稲妻が走り 反響を繰り返しながら雷鳴が頭上に近づく、
轟音とともに沢が濁流となる。

この間 僅か小半時。
生と死の境というものはこんな場面を指すのか? 
安心の場を得たと思った途端、、、
かつて遠藤甲太が記したように「カタストロフィに飾られて」恐怖は襲い来る。

その濁流の沢を バリッ、バリッ、音をたて
今日の陣地を襲わんと岩が押し出される。
今は天が支配する時。
自然という舞台で弄ばれた三文役者の如く、
我々はのた打ち回って5m上の段丘に退却した。



すでに、、、
テン場には上段のブナ林に
退避用ロープを結わえ済み 準備よろしく垂らしてある。
こういう勘所はまるで「訓練」でもしてるかのよう。

沢泊まりの際に逃げ道の確保には手抜きをしない証しだ。
思わぬところで 証のそれが役に立つ。
計算したわけでもないのに巧くいって 
苦笑いする余裕が生まれた。

詰めれる物はザックに投げ入れ、担ぎ上がった。
オオタが最初に上がり、次にミトベが
洗い終えた米をいれ、炊きあげるだけの飯ゴウを
上段のオオタにリレーする。

銀マットとツェルトを首にぐるっと巻き
ザックを背負って、所持品の有無を確かめ退避した。
オオタは慌てたのか?
行動食の握り飯をポケットから落としてしまい、
泥に転がり落ちるそれを見やって悔しがっていた。

恐ろしくも激しい濁流を眺めつつ、明日の山行を慮りおろおろする。
人間など如何に在ろうと、これほどの猛威に為す術もなく
ただ茫然と立ちつくし 荒れ狂う沢の治まりを待つだけである。

「おい、男がブルッてどうする!」 

若い二人は初めての経験に泡を食ったようだ。
が、生きていれば こんなことの一つや二つ 
無かろう筈があるまい。



飛びかう泡沫が消え 流れも落ち着きを見せた夕刻、
テン場に下りた。
ツェルトを貼り直し 焚火にメタを投じた。

いつもの宴は 小さな明かりを灯すように静かに始まる。
焚火がどれほど心を癒し、勇気づけてくれるものか、、、 
この時ほど焚火のありがたみを感じた時はなかった。

熾火で岩魚の肉汁をじっくりと飛ばす。
焚火に放り込んでおいた焼き茄子を口にほおばる。
瞬間、生姜醤油の香りがツンと鼻をついた。

アルミホイルに包んで火床に置いた玉ネギが、
ホイルの穴から湯気を吹き出している。
レーズンバターの1切を加え、
醤油を差し美味しく戴いた。

地味ではあるが じつに落ちつき払った、心豊かな酒飲みだった。
酒をキュンと煽り、恐怖からの解放を筋肉の弛緩とともに味わい 
ことさら楽しんでいるかのよう。
消えていた笑いが安寧とともに蘇る。

大いに実感したであろう危機回避の手づるを
各々とも反芻したに違いない。
これはこれで山を肌で感ずる貴重なひと時なのだ。

じつのない浮かれ愉しむ山など 
男どもには似合いはしない。 
中年になって・・・、
そんなことはとうに知り尽くしている。

静かな夜更け、天を仰げば星、、、
明日の青天は克ち得たり・・・。
しとどに濡れる闇がその深さを増したころ 
張りなおしたツェルトに 酔いの回った身を転がり込ませた。



朝もやの中、、、
濁りが僅かに残る沢床に おそるおそる足を踏み入れ 感触を確かめる。

ああ これで帰れる・・・。 

歩みを進めながら、
変わり果て 荒れ果て 薙ぎ倒されたいくつかの台地を眺めて・・・
昨夜 我々に与えられた台地が
いかに最強最善の陣地であったかを知る。

保水能力を持たない沢の宿命か、
虎毛の沢は山肌からの倒木で埋められていた。
沢は底荒れの所為か浮石で男どもを悩ませた。 

両岸のスラブに僅かに身を支えていた根さえも 
耐えきれぬ程に浮かされていた。
その頂点にあるべき梢が沢水に浸って長らえている 哀れである。

雪渓の残骸があるのか?、、、靄が漂う。
崖を回り込めば 案の定、スノーブリッジ・・・。
その片足を失い 山肌に半身を預けていた。

昨夜は荒れたであろう二俣には1時間で着いた。

この二俣はタマガワホトトギスの黄色い花で
左岸はすっかり埋め尽くされていた。
ホトトギスの緑の茎葉はしっかりとしており、
昨夕の増水など夢のようで戸惑ってしまった。



いよいよここからの右俣は小滝の連弾となる。

途中、高度を上げた滑床で
黒蜜入りの紅茶を味わい、ミトベ家の畑で採れたトマトと
朝に茹でたばかりの玉子とを戴いた。 

とうに背景の一つと化した前森山の頂を見ると、、、
こちらと水平になりつつあることを知る。
高度はコンタ1200あたりか。


あと30分程で稜線に抜け出ようという地点 
水量は豊富で源頭にはまだまだと思わせる。

忠実に窪を追い続け藪漕ぎなしで夏道に飛び出し、
草原に覆われた虎毛の山頂へ向かった。

平らかな頂は 幾百幾千ものアキアカネが 舞い蔽う。
まるで 雲母のような きらやかさの浮楊 だった。

6度目の山頂、、、。 

草原は秋風に靡いていた、、、 
この山の「去りゆく夏」を感じ取った。
既に移ろいの時は 夏から秋へと扉を開け放ちつつあるようだ。



「もう 行っちゃうのか?」

後ろ手にしながら 拗ねた仕草で体を捩らせていた知沙子が 振り向きざまに呟く。

「ああ いろいろと楽しかったよ そろそろ帰らなきゃぁ」

「・・・」

「んんっ?そうか! 昨日の嵐、あれは君の仕業だったのか?」

「・・・」

「こいつはウカウカしておれんな、君の悪戯にお返ししてあげなきゃな・・・」



この秋の会山行、、、「虎毛山集中」を楽しみに 山頂をあとにした。



                         
2002年発行「やまびと季報」Vol.23(上巻) 
故 池田知沙子に捧ぐ
文 もときち



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by tabilogue2 | 2015-10-25 12:40 | 虎毛山 | Comments(0)