御神楽岳グループ登山 栄太郎新道コース

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山伏尾根と山伏ドーム 

ドーム直下にはテントが張れるらしい、、、25年前のこと、
もう記憶には 印象の強いイメージしか残っていないが
この山伏ドームを この尾根の反対側、もう一本向う側の水晶尾根の各ピークから 
眺めていた そんな自分が 居た。



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オトメユリ


6月25日 今日の天気は曇りで昼頃から雨降りの予報。
その中で「山伏ドーム」を拝むことができた。。。 じつに痛快 満足だった。
悔いは一つだけ、「湯沢の頭」で雨に降られてしまい、
写真を撮れずに通過したこと。あと30分早ければ、、、撮れていたなぁ。

雨が降る前に「湯沢の頭」を通過すべし
コレがこの季節、このコースのポイント・・・。



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10:57 「高頭」直下。 
右手、楢山ゾネに立つ「覚道の頭」(カクドウノカシラ)
オトメユリ 白い花はキバナウツギ 

他に ドウダンツツジ ウラジロヨウラク キバナニガナ シロバナニガナ タニウツギ 
ハクサンシャクナゲ アリドウシ トキソウ ニシキゴロモ ゴゼンタチバナ ヤマボウシ

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栄太郎新道の頂点「高頭」(コウツムリ)
 
この頭から本谷に向かって 左斜め下方に落ちる尾根が「中央稜」
栄太郎新道から最初に目指す稜線・「高頭」は右肩から目指す


数年前のこと、、、今となれば「遺物」のような会報誌
「いろりばた」68号(昭和62年9月発行)を読んでいたら
こんな記事が載っていた。


「1985年9月14日、偶然 栄太郎さんのキリツケに遭遇」
場所は笠倉山と赤綿尾根とを結ぶ稜線の藪の中

栄太郎新道を「高頭」に向かって登る時、背後に「笠倉山」はある。
つまり「栄太郎新道」は周回する円の「初め」と「終わり」部分だ。
他の尾根部分は昔からの登拝道、交易道、マタギ道だ。

ブナのキリツケにはこう書いてあった
「登山道切開キ記念 昭和三十四年七月中 熊倉栄太郎五十九才」


59歳・・・って、、、還暦前の一仕事でしたか? 開いた口が塞がらない。
栄太郎さんは最終集落「蝉ヶ平」の生まれ。
還暦前にあの急峻な登山道を拓いたのは 何のため?
どんな使命感があったのだろうか? …今でも それを思うと 不思議な思いになる。

昭和32年(1957年)はようやく新潟の雄、峡彩山岳会が飯豊の沢登りを開始したころ、、、?
新生間もない新潟山岳会も 御神楽の沢や冬尾根を登り始めたのは昭和40年ごろ
だから 
熊倉栄太郎さんの御神楽登山道開拓はそれらより5~10年ほど以前に始まっていた。
逆に言えば、新潟にジャルピニズムが浸透しだす前に「登山道」を開削したことになる。
どこから こんな「ヒント?」をもらったんだろう? 
御神楽の七不思議だ。

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湯沢本谷の大伽藍

画像左から中央の湯沢の頭へ向かう尾根が「山伏尾根」(ヤマブシオネ) 
山伏尾根上の2つの岩塔、小さいほうが「ピナクルⅢ」 大きな岩塔が「山伏ドーム」
正面真ん中のピークが「湯沢の頭」(ユザワノカシラ)湯沢本谷スラブ群の要 
「湯沢の頭」直下に向かって三本の光るスラブ(アバランチシュート)が見える 
左から本谷スラブ(山伏の頭の右) 中央スラブ ダイレクトスラブ(湯沢の頭直下から奥壁にかけて)



湯沢の頭の左下が「山伏の頭」(ヤマブシノカシラ)
ここで「水晶尾根」が分岐する
湯沢の頭から右へ向かう稜線は楢山ゾネ
写真最右翼のピークは「正面陵」の頭で 
その下、右斜めに落ちるのが正面ルンゼ 

25年前、これら上部のピラミッド(三角錐)群を「湯沢本谷の奥壁群」と呼んだ
湯沢本谷最下部にある雪渓下の滝を「湯沢の大滝」と呼んだ 
たぶん大滝は雪で埋まってるはず
今日 誰にも邪魔されずこの景色を眺めてきた。 
いやはやまったく 懐かしい。


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7:06 広谷川の左岸沿いに断崖を巻き込むように道は付いている


御神楽岳には15年ぶり、8回目の登山だ。
今日は山クラブKAMUROのグループ登山。参加者は12名。

栄太郎新道は水晶尾根の岩登りで歩いた道、
過去に2回ほどこのコースを下っていた。この道の怖さは充分知っているw
この栄太郎新道を登りで使うのは25年ぶりで、
2回目と少ない(登りのルートは岩か 沢か 夏道か?の三択だったから)


我慢していたが、、、ついに限界。 「高頭」(コウツムリ)で靴を脱ぎ、
水の溜まった豆とグチャグチャな靴ズレ痕を テーピングで応急手当してた。
 偶然、「高頭」にいた新潟三条の男性が 応急処置を手伝ってくれた。

新潟の三条と云えば… 福島側、本名村の隠里に「三条集落」があった(今は廃村) 
僕が本名側から狢ヶ森や日尊ノ倉、霧来川から前ヶ岳南壁に通っていた頃は 
暗いジメッとした「分校跡」もボロボロの茅葺き家もあった。 

その昔 越後三条に砦を築いていた豪族で
「三條掃部頭兼任」(サンジョウカモンノカミカネトウ)という人がいて
その流れをくむ三家(三条、下山、丸山)の一族が落ち延び、
県境を越え福島県金山の本名村の奥地に住むこととなった。

家筋は新潟の三条家の人たちだ…、
墓碑には代々「道明」と彫るなどして家系・血筋を守って暮らしていた、
その物語が三条集落にある。
宝刀も法典、書物、巻物もすべて残っていたが 
里人に見つかり と同時に 庄屋である栗田家が持ち去ってしまった。

噺はかわるが、「源賴義時代の言い伝え」だと云うことから・・・ 
「当時」とは 平安時代中期まで遡ることになる。
ということは 三条と下山、丸山の家柄は荘園制の「地頭」と「家人」の関係に
当たるのかもしれない…(物語が長くなるので止めるが)


そこへ今日、偶然に三条市出身の男性が現れ 靴ズレの手当をしてくれた。(何かの縁か?w)
今日の自分は「靴ズレと痙攣」のダブルパンチで 修行僧のように苦しんだ。
歩いても攣る 休んでも攣る 冷えればもっと攣る 
痛みには行動食と白湯、漢方薬で耐えてきた

遅れはしたが… 自力下山できたのはもっけの幸い。
皆さんもキツカッタんじゃないだろうか?
Aさんからインドメタシンの塗り薬と リーダーから痙攣止めの漢方薬とサロンパスを戴き
良いペースで けっこう降りの強い雨に打たれながらの下山となった 
長い人生 こんな日もあるんだね(´艸`) 


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8:00 湯沢の出合い着、地元では「スモ平」(スモヒラ)と呼ぶ。
ここは沢ヤの天場で4人用テントが張れる 焚火もできるし水は湯沢からすぐ汲める

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9:08 50m後方からの撮影。
ルートが松の尾根から先が見えない。不明になった感じw
登ってみたら、岩壁の基部を左から回り込み 
バンドを左上し 岩の上部にたつ… 巧いコース設定だ。
向かって左側は「前の沢」 右は「覚道沢」


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9:32 その上の 鎖のない岩場を三点支持で一人ずつ通過する。
そのご休憩だから時間がかかる。
この頃から「靴ズレ」がひどくなってきた、昨日処置したテーピングが剥がれたみたいだ。
昨日とは反対の足も 踵の皮がベロっと剥けたかなぁ???
ヒリヒリ 塩を摺り込むように痛い(T_T) あと3時間はかかるのに・・・。

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9:37 リーダーの的確な指示で「またずり岩」を一段下がって難なく通過
ここからは斜面も急になり 靴ズレがさらに酷く痛む
景色を楽しめず(写真はバンバン撮ったけどw)、「高頭」までひたすら耐えた

ところどころの岩に穴がポコポコ空いており 小さな水晶が光っている。
昔、「水晶尾根」登攀時に2cmほどの水晶をハンマーで採集したことがあったっけ。

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ココは”Y字バランス”で、、、イヤイヤ 一段降りて、、、稜に手を添えながら進む。
左右ともスッパスパの断崖絶壁。落ちたら死ぬ。どうせ落ちるなら湯沢側へ?
岩はボロボロ、手でモロっと剥がれるほどだw

「高頭」~「湯沢の頭」稜線では 2つほど悪場が待っている
ゆっくり確実にホールド&スタンスをなぞる フリクションは充分ある。

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おそらく ここは「正面陵」のピークになると思っている岩場だが、、、
下を覗いちゃうと腰がすくむ感じのクライムダウン箇所。
ココを過ぎれば まもなく「湯沢の頭」(ユザワノカシラ)だ。 
gas gas! 何にも見えない。稜線で唯一見えると言ったら、
白い十字の花で着飾ったヤマボウシの木。見事でしたよ。

湯沢の頭には 小さな山名プレートがあっただけ
25年前にそれを抱えて撮った写真がアルバムに残っている。
今は文字が掠れているが…。


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雨が降ってきた。合羽を着たが、装着してる最中に大腿筋が痙攣しはじめた。冷えたかな?

湯沢の頭を越えれば「小岩塔」が一つあるだけ バランス保持以外は危険個所はない
「殺生窪」(セッショウクボ)の最低鞍部から いよいよ最後、ズルズルの急登にかかる 

右手の大蕎麦谷側に道がつけられたり 岩場を登ったり ロープがあったりするが 雨乞峰まで我慢の登り
難所・悪場が続く場面だが ガスでスラブ群が見えずに残念無念。
見えずに助かった人もいるか? 左の御神楽沢のスラブは恐ろしいよw

昔、ヘッデン一つで最後のスラブ壁を攀じって 
20時に本名御神楽岳に上がってきた男が居たっけ・・・思い出す

湯沢出会いを8時に発って 計画予定時刻の1時間遅れで湯沢の頭を雨中通過 
痙攣がもとで 雨乞峰までさらに30分遅れたが 急いでも仕方ない。
歩きの速い人はリーダーだけだろうし。
遅れてすまない…と思う前に この稜線では先ず慌てないことだ!

これで「積年の個人的思い」は達成された…。。。


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ニシキゴロモ

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トキソウ


湯沢の頭で 雨に降られ大事なカメラを仕舞い込んだので 画像はない 
景色がガスで遮断されているので怖さはない 
逆に妙に記憶の残りやすい部分が頭に入った

汗で躰が冷え、休むとまた痙攣しそうになる 動いてる方が楽チン
申し訳ないが リーダーに許可をもらい雨乞峰で本隊と別れ、
三条の彼と2名先行し「予定通り室谷コース」を下りた
体が温まると…筋肉痛も収まってきた 動いてる方が正解だった
下りなので カカトに負担が全くかからない

追いついてきたリーダーから 行動食の餡パン差し入れがあった。
半分食べ、半分はポケットにしまった
いちおう チョクチョク行動食を摂り続けていたのだが 
さすがに炭水化物がないと 空腹は治まらない

下山口まであと30分というところで、
胡桃砂糖も貰い、白湯と食べかけの餡パンで落ち着いた。
山行リーダーのMさんには細々と気配りしてもらい、世話になりっぱなしだ。
ありがたい。持参の水はペット2本半のんだ。


ツェルト ガスバーナー ビバーク用アルミ箔 120cmのテープスリングは
個人装備にしたほうがいいと思う テン場で緊急時に凌げるし暖も取れる 我身の安全が第一だ
特定小電力トランシーバが2台ほど必要かな? 500mは電波が飛ぶ。リーダーは助かるはず。 




私のブログで使用している地名や名称は 1993年に検証を済ませてあります。
新潟山岳会で用いた1993年当時の名称(会報くちなし100号 特集御神楽岳)と呼び名を使っています
面白いことに「高頭」が コウツムリか?、タカツムリか? 国土地理院でも呼び名に変遷があります。
ちなみに当時は「コウツムリ」と呼んでおりました。「覚道の頭」も当時は「カクドウノアタマ」と呼びました。
ネットでの山名呼称を追うと「カシラ」という呼び名が目立ちますが 昔からカシラであればそれが正式なんでしょうね。
で、津川町上川支所に尋ねたところ「音読み訓読みでの山名呼称雛形がないのでこれが正解だとは言い切れない」とのこと。
次に 新潟山岳会にお尋ねしたところ「高頭」以外は「カシラ」で統一な?お話しでした。昔は「アタマ」もあったのに…
仮に 音読み 訓読み 現代呼称などで違和感があればコメント欄にお知らせください。


湯沢の頭 ゆざわのかしら
覚道の頭 かくどうのかしら
山伏の頭 やまぶしのかしら
赤松の頭 あかまつのかしら
高頭 こうつむり
蝉ヶ平 せみがたいら
スモ平 すもひら
大蕎麦谷 おおそばだに
死谷 しだに
常浪川 とこなみがわ 
広谷川 ひろたにがわ
室谷 むろや
大九蔵 小九蔵 おおくぞう こくぞう
棒目貫 ぼうめき
志無燈山 しぶとやま


*当ブログも「カシラ」に統一・変更する  2017.07.04



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Commented by torasan-819 at 2017-07-01 11:13
今となっては想像するしかないのですが、栄太郎さんがどんな思いに突き動かされてこんなところに道を開いたのか興味が尽きません。仕事でも生活でもその必要性はないわけですし。何かがそうさせたとしか言いようがないのですが、それにしても…

靴擦れは辛いですね。ほんと辛い。私は山スキーのシーズン初めに何度か靴擦れになってやがて安定するということをずっと繰り返していますが、皮がはがれ肉が擦れるのはヒリヒリと痛いですよね。私もいろいろ工夫してはいるのですが、やはりなるときはなってしまいます。既にご存知かと思いますが、ガムテープを広い面積にぺったり貼ると結構よい感じです。靴擦れの予防や発生初期には効果ありありです。個人差ありますが。

下山状況がほとんど触れられていないので?でしたが、室谷口へと下山したのですね。24日に車を回しておいたということですか。リスク回避には正解ですね。室谷ルートは泥道も多いと聞いたことがありますが実際はいかがでしたか。

ところで呼称ですが「湯沢の頭」はたとえば「ゆざわのカッチ」とは言わないのでしょうか。頭をカッチと言う例が多いですよね。「高頭」は「たかカッチ」とか。地名の呼称は難しいです。私も地名の呼称を調べたことがありますが、地名辞典、行政で使っている呼称、郷土史にある呼称、地元で実際に使われている呼称など、多いものは4通りもありました。「正しい」呼称とは何なのか悩ましくなります。私の地元に「やずり」という地名があります。親も他の地元民もそう呼んでいましたので、それが私の正しい「地名」となっていました。しばらくたってその地名が「矢尻」であることに気づきました。今は「やじり」と発音しますが、親はいまだに「やずり」です(笑)

※こちらの画像を見ていて、私の一昨年のブログで画像に書き込んだ「高頭」の位置が誤っていることに気づきました。確認不足で赤面のいたりですが、さっそく訂正させていただきました。気づかせていただきありがとうございます。
Commented by tabilogue2 at 2017-07-02 18:04
> torasan-819さん
トラさん 事前学習が聞いて呆れるとはこのこと。室谷のルートがグッチャグッチャのドロドロぬかるみ と耳にしていたので 当初、短靴で登ろうと考えていたんですが、、、それに代えて登山靴で登ったのが運の尽きでした。案の定 室谷道は乾燥などありえない苗代田んぼでした。しかも新年に購入したばかりの”おNew”。山頂で履き替え覚悟で登山靴を担いで登ったほうが良かったです。いや?沢タビをザックに忍ばせれば解決したんでしょう。

山の呼称はいろいろあって… もう気にしないことにしてますけど(笑) たまたま上川村役場では「記録を取っていない」というのが実情でした。これが、只見町教育委員会ですと地名用語集みたいなものがあって昔の名前がわかる自治体もあるんですがね。
「頭」に関してはアタマ・ツムリ・カシラ・カッチ どれもが当てはまるんで「間違いというのは無い」、これが答えです。ただ私の場合、93年当時に呼んでいた呼称がしっくり来るんで その名称・呼び名にしました。新潟山岳会に準拠しています。

原則的な話になりますが・・・昔、マタギが入っていた山は「カッチ」と呼ぶところが多いんです。会津朝日岳・小幽沢のカッチ、飯豊のトットバノカッチ、浅草鬼ヶ面山のムジナサワノカッチなど「マタギの巻き猟」言葉がそのまま言い伝わっているところは「カッチ」だと思います。
御神楽岳の場合は東京「わらじの仲間」が戦後に入山しており、彼らが開発したルートも多いので、そのまま地元山岳会も使っていたようです。もともと東京の言葉や呼び方に「制圧された地区」というのも特徴に挙げられると思います。

まあ 蝉ヶ平というマタギの里で生まれた熊倉栄太郎さんは、松茸採りで歩いたんだろう?とは思いますがキッカケは分かっておりません。こういう時に文教/習俗を管理するセクションのない自治体というのは指をくわえるしかありませんね。

ガムテープではなくテーピングテープを足裏からアキレス腱まで3本張っていったのですが それでもグチャグチャに擦れまして最悪でした。次回 その上にガムテープで武装したいと思います。事前学習にトラさんのページを読んでいったので 皆さんもそれなりに岩山と遊ぶことができました 御礼申し上げます。
Commented by tabilogue2 at 2017-07-02 18:15
トラさん 

アソコは「正面稜」のアタマですよね。
高頭はもっと右に寄ります。
お気づきいただいて 良かったです。。。
それだけコマ目に当サイトをお読み戴いておるわけで
当方として 感謝申し上げるところでございます。
Commented by tabilogue2 at 2017-07-03 16:00
トラさん

新潟山岳会の阿部信一さんにお尋ねしてみました。
「高頭」以外、すべて「カシラ」で統一してるとのことでした。
とくに昔の呼称を重んじるとかいう感覚ではなく 統一してカシラと読んでる風でした。

おかげさまで 懐かしい方々とお話ができました。よかった~♪
Commented by torasan-819 at 2017-07-08 13:45
詳しくご教示いただきありがとうございました。呼称は難しいものですね。「カシラ」の件は私もそうさせていただきます。
by tabilogue2 | 2017-06-26 14:46 | 会津・越後 | Trackback | Comments(5)