ダイトウ/ショウトウ vs オオアズマ/コアズマ どっち?

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南面白山から見た小東岳「こあずまだけ」



呼び名だけど・・・小東岳って コアズマダケって読むの? ショウトウダケなの? どっちなの? 
迷っちゃうなぁ。
「大東岳」を音読みでダイトウダケと読めば 必然 「小東岳」も音読みでショウトウダケになっちゃうよね。
でも 正しくは 
訓読みでコアズマダケと読ませてる。ならば「小東峠」もか?というと、こちらは音読みショウトウ峠 
かなり複雑だね。
 
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何故 大東岳はオオアズマダケではなく ダイトウダケと読ませたんだろう? 
由来は時代とともに変化する… 言葉や名称も変化する… これがいつもの答えになるんだろうけど? 
調べてみようか? 

平安時代 坂上田村麻呂の東国(蝦夷)征伐に関連し、歴史的には「オオアズマ」と読むべきものだろうと 押し付けず 婉曲なとらえ方をなされて 「一高山の会」の柴崎先生は説いていたね。*柴崎徹:仙台神室岳のパイオニアとして宮城の登山史に名を残す、揺るぎない「宮城の岳人」の一人

平安時代 関東以北は東の国アズマノクニ 黄金の国 棲んでる人をアズマビトと読み権勢があったようだ。アズマビト、蝦夷(えみし)…とは 私たち関東や東北人のご先祖ね。阿弖流為(アテルイ)の支配は下野(シモツケ)下総(シモウサ)…辺りまでだそうでだからけっこう遠大だよね。黄金で栄えて、政治も軍武も統率力があったといわれ、大和朝廷への納税を拒否していた、対抗できる実力もあった。阿弖流為の征服過程、朝廷軍の東進北上に連れ「四阿山」「東岳」「吾妻山」「大東岳」とアズマ アヅマが点在していった…と考える、、、”ニュアンス”的に柴崎先生は著書で簡略に記しておられます。

音訓重箱読みの「ダイアズマ」とは読まないので オオアズマダケと訓読みしたんだろうなぁ。深野稔生さんは「東、吾妻は地名学でも難しい分野に属する」に留め、地元野尻での呼び名オビス岳を紹介していた。多賀城に国府が置かれるまでは 広瀬川を挟んで長町郡山の地に大和朝廷軍が砦を構えていた時代に西に大きくどっしりとした山容は否が応でも目に入る。「オオアズマダケ」と征夷軍が呼んでも何ら違和感を持たないわけだ。

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左が大東岳 右が南面白山 カモシカ尾根より撮影


上州「四阿山」に似て台形の山で、これを蝦夷国(エミシノクニ)のオオアズマと呼ぶ…これが起源か。征夷軍の中には戦に破れ「俘囚」となった関東勢が含まれもしたか? 大東岳を見て上州の故郷を懐かしんだのだろう 

眺めれば東側にある山だから…と 西側(山形)の何処から眺めていたんだろう? 山寺から観て?・・・などの疑問も付随しがちだけど?、 仮に例えば、船形山の呼び名を「御所山」という山形の呼び名がそのまま宮城側に入ってきて、宮城でも「ゴショサン」と呼ばれていたというなら納得もするが。宮城では「フナガタヤマ」であって「ゴショサン」ではなかったわけで ここ大東岳に於いても山形の山寺側での呼び名を秋保5村側に持ち込むことは『納得の行く説明』が存在しないことになる。

というわけで 「東」という字には「アズマノクニの征服」「征夷の意図」が隠されており、なかんずく「黄金の国」の奪取という大きな「狙い=支配」が込められていたのだろう。こんな自説である。それほど大和朝廷は 黄金の国である東の国に利権を馳せていたわけだ。征夷軍が東進北上する路に「アズマ」「アヅマ」が遺されていく。アズマ アヅマが増えるたびに黄金に近づいていく。そう考えると凄いスペクタクル映画を思い浮かべるね。「えみしの国」という誇り、先祖の偉大さを改めて感じます。

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秋保の里の稲刈り風景 左に糸岳 右に大東岳


話を現代に戻して 地元にダイトウ村やダイトウ町があったのだろうか?という点だけど 長袋・境野・湯元・馬場・新川の旧秋保五村に「ダイトウ」の文字は見受けられないようだ。なので、どうして音読みのダイトウダケになったのか 変遷過程が分かっていません。庶民は由来、伝記などの物語には興味が無いだろうから 解りやすい読みやすい方に流されやすい。仙台神室岳の「駄んこ平」がネット時代の現在「だんご平」と濁り、誤って呼ばれるようになったように・・・ね。 この「伝播」に関しては・・・以前、ネットで「自称:宮城の岳人」さんが「袖泉」と書いていた、あの一件を思い出します。取り巻き連が各自のブログで「袖泉の伝道師」となってネットで普及・伝播した そのパターンなのかもしれませんね。

呼び名の変遷で結論は出なかったけれど 山の呼称から民族の歴史を識ることは、山を「総体」として捉えることの端緒だと思うし 横っ飛びに100、200、300と名山を追いかけるより どれほど知的好奇心を深耕させうるのか計り知れませんね。山や自然に目覚めるきっかけにもなり、登山者としては基本的な心構えであるとも思うので
特に付け加えておきます。

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で、「オオアズマ」の出ドコを諦めかけていたところ、当家次女の彼氏が秋保に実家があるので 聞いてみました。なんと!驚いたことにw秋保小学校校歌には「ダイトウダケ」ではなく 「オオアズマダケ」という歌詞がありますよ というじゃあ~りませんか! しかも作詞が土井晩翠だっていうんで さらにびっくりしました。びっグリコ。

旧名取郡の秋保地区小学校三校 秋保 馬場 湯元 これら3つの小学校の共通校歌として1947年(昭和22年、ちなみに青葉通りの拡幅工事は昭和25年)に晩翠は献歌したというのですから 再び 気を取り直して調べ直しましたw 戦中の「秋保国民学校」、戦後市町村制の発布により名取郡秋保町立秋保小学校になった。1947年(昭和22年)のこと。校歌一番は ”おうあずまだけ しせんじゃく~♪”(四千尺1200m)で始まるんです…、嬉しいじゃありませんか 唄も聞きました 確かに「オオアズマ」です

土井晩翠は「国粋主義」な歌詞を各地各校に残していたようで 現代にそぐわない歌詞が目立つようですが それもこれも「売れっ子作詞家」、戦前、戦中に全国各地に校歌を遺した土井晩翠であればこそ とは思いますが 少なくとも 旧名取郡秋保町地区住民 東北大学関係者 学識家 文檀 新聞報道関係におかれては「ダイトウダケ」ではなく「オオアズマダケ」と呼んでいたのでしょうね?…秋保一帯では 校歌を口ずさむほどパブリックだったのかもしれません その 一端が窺えました。もし、これが虚偽であるならば、鼻にもかけず 晩翠は校歌として書かなかったことでしょうから。

歴史を軽んじるな!と言われているようです。歌詞なので、曲に合わせて訓読みもあるんでしょうけど まあ そういうわけで、、、この件は ここで一応オシマイです。( ´艸`)ゴメンナチャイ 旧名取郡秋保町で「オオアズマダケ」と読んでいたのなら 俄然「コアズマダケ」も成立しますね。これは納得です。

東 あ「ず」ま・・・「ス」にテンテン 四阿山 東岳  大東岳 
妻 あ「づ」ま・・・「ツ」にテンテン 吾妻山 吾嬬山 吾妻屋

言われてみれば 岩手県の胆沢城下、東山から千厩に掛けて大東町(ダイトウチョウ)って町があったけど こちらは下閉伊郡に点在する町や村が合併されできた新しい町名なので・・・ 征夷軍には無関係と思う。現在は平成の大合併で大東町は一関市に編入されていた。
 

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岡田喜秋著 「青春の山想」より *山想会々員nakacyから写しを送信してもらった very very thanks !


追記 12/01
 
岡田喜秋(おかだきしゅう)が仙台市民に向けて「山想会」の発足と会員募集を河北新報で呼びかけたのが1947年。ちょうど 土井晩翠が秋保小学校に校歌を献上したのも 1947年と同時期でした。

これは何を意味しているのか?

これを考えますと 戦後の民主化と時が一致するわけです。占領軍が支配していた時代ですが それまでの軍国主義の圧政のもとでは知り得なかった・・・ 憲法 主権在民 国家と国民 機会均等 自由 民主 権利 男女平等と言う言葉が生まれでて「市民文化」が花開き 歩みだしたことを意味している と、無頼漢な私が登山史をパラパラ捲っただけでも感ずることができました。

そこのところで 下のコメント欄で ”ばやん老人”さんから ナイスな情報を戴いたわけです。山想会の起草者である岡田喜秋が かつて「大東岳の呼び名」をその著書「青春の山想」にて書きとどめていていたことを新たに知ったのです。やっぱり秋保地区では「オオアズマダケ」と読んでいたのです。あぁ、よかったぁ、地域には地域なりの文化がある、その通りでした。これぞカルチャーショック! 部外である強い文化圏が地域の文化を「地域の文化 誇り」を考えずに押し退けてしまったようです。じつは、こうして名前は「変化させられる」わけです。「文化の南北問題」まさにそのサンプルのような案件です。これで失われた言葉「大東岳」の一つの結論にしたいと思います ご協力ありがとうございました。



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少々頭を使ったので疲れました。この程度のことで???www エネルギー補填しようと(´艸`) 日吉台の「とがせ酒店」まで愛車ミニを走らせてきました。空気が冷えているので キャブレターの被りが目立ちますけど そんな時は…一旦シフトダウンして 高回転域で吹け上がらせシフトアップしてしまえば 何の問題もありません 
京浜キャブがチリチリチリチリと鳴いて もっとアクスル開けろ、もっと開けろ、ほらもっと開けろ と囁くw たまりませんなぁ 小型車でこその一体感www 

さて 昨夜から慣れない古代史に踏み込んだので 日本酒が恋しくなりました(´艸`*)カンケイナイダロ 古代万葉の里:大衡の酒を望んだのですが 大衡産酒米の該当なし。てなわけで中新田町の酒でキマリ。こちら、米の香りが最初の一口にかすかに残ります 酸が切れ味鋭く吟醸酒となればスッキリ感が。。。夏場にギンギン冷やして飲むなら最高でしょうね 冬場の鍋、食中酒でもきっと楽しませてくれるでしょう。どちらかというと女性向け ここのところ華やかなお酒ばかりを店主に勧められてる感じw
どれも売れ筋だそうですけど アミノ酸が前面に出た「九平次」や「磯自慢」が20年前のトレンドならば この爽やかな味が当世のトレンドでしょうか。 

中新田町 山和酒造 山田錦100% ”山和” 純米吟醸 Pulito

お値段3割UPでしたが 美味しい味が楽しめました。しっかし、女性向けだなぁ。。。ぶつぶつ…今日まで塩釜の”阿部勘”辛口純米を越える酒には まだ出会えていませんねえ。日本酒度6前後、キレのある酸度を持ち、ポン酒好きな男の脳天にガツンと来る酒、、、なかなか現れません。日本酒度 酸度で男らしい酒とあれば 澤の泉か 日高見か くどき上手か いやいや会津の… 答えを言ってしまいそうなので この辺までにしておきます あえて。

山形の十四代、 ”本丸” を温燗でやりながら 暫く次を待つとしますか。。。あ、そうそう 「本丸を 温燗で!」とお願いしたら 怒り出した飲み屋の店主がいましたよ 昔。「十四代を燗して出すわけにはいかない」ですって おどろ木ももの木さんしょの木です。そういう思惑が清酒にプレミアを付けてしまうんですよ ネットで観ましたか?獺祭の一面広告。。。「当店のお酒は希望小売価格で買ってください」「お客さん、2萬円も3萬円も出してお酒を買わないで!」って

たかが「十四代」w、本丸は国分町「きゃりっこ亭」で昔も今も温燗で戴いておりますが・・・なにか? 「きゃりっこ亭」といえば日本酒愛好会「蔵元見学会」の奔りでした。十四代や綿屋や於茂多加、日高見など 月イチで蔵見会を開催してました 25年前です。懐かしい 皆さん元気かな?


追記:開栓二日目なら 酒が甘く感じるものですが この酒は酸が強く表に出てきます。これは開栓して2日目から呑んだ方が旨いんじゃないでしょうか。天婦羅や肉料理に合います。そういえば酒屋の店主が云うには この酒はヤブタで搾リに搾って(専門用語で「セメ」といいますが)最後に出てきた酒で作られてます 酸が強い酒ですと 言っていたのを思い出した。 なるほど!





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Commented by mt1500funagata at 2017-11-29 18:18
うーん!東の国のオオアヅマ、ですか?僕は単純に山寺が基準になって、大きいのを大東小さいのを小東としたのかなあ?って程度に認識していましたが、仰る通り奥は深く単純ではないのかも知れませんね。
本文にもある通り、時代とともに呼び名が変わって行くのは当然て致し方ないところだと思いますが、情報が瞬く間に広がってしまう今の時代に、突然誤った方向に転換してしまうのは避けなければならないと思っています。
七つ森のタガラ森と地形図に記載されてしまった「たんがら森」。タガラ森と書いて「たんがらもり」と呼びましょうよ。大和町の資料や刊行物は、全て「たんがら森」です。
七薬師掛けも新とか旧とか元祖とか間違った認識が目立ちますね。
Commented by tabilogue2 at 2017-11-29 18:56
> mt1500funagataさん
山寺だって??? 何を言ってる奥之院! 酔ってる最中 水をかけないでくれw 
アズマの意味は「金塊奪取」にあったのだ! という自説 まんざらでもないっしょ?
たんがらもり? なにそれ? 地球上のニキビ?、七ツ森のことは・・・君に任せる!

ハマグリ トンガリ だんご平も なんとかせいよ! 知識人諸君 宮城の岳人諸君!
ついこの前まで正式名称があったではないか! こうしよう!と「誰かさん」云えばいいのにw   
Commented by tabilogue2 at 2017-11-29 19:13
七ツ森、お薬師掛けは70歳からしようと考えとんねん あと3年経ったら七ツ森登るんだ。
なんせ初めてなんでご案内たのんますう。蕃山しか知らんがねえ。他 まったく不案内でおま。
山が低いのに あだこだいっても始まらんぞ・・・っていうたら怒るかの?w 
とはいえ 正しいのが一つあったら それが一番 いいんだね。アチコチ言うのもメンドイし。。。
Commented by ばやん老人 at 2017-11-30 21:47 x
30年以上昔の記憶なのですが・・・岡田喜秋の書いた文章に、大東岳「オオアズ(ヅ)?マダケ」とルビが振ってあったような記憶があります。
その本が今見当たりません(''_'') 処分したかナ?
見つかったら報告します。

Commented by tabilogue2 at 2017-11-30 23:35
>ばやん氏
こんばんわ。岡田喜秋といえば山想会 仙台市民の山岳会の草分けであられた人ですね。
やっぱり 当時の記録には オオアズマダケ とされていたんでしょうね 
まあもっとも古い仮名遣いでしょうから 「オウアヅマダケ」となっていたんだろうと推測はできます。
貴重な生き字引、ばやんさんのお陰で資料が出てきそうでありがたい。

当時は オオアヅマ コアヅマ で 笹谷は 仙人岳(ハマグリ) 外蕪岳(トンガリ) ダンコ平 だったんだと思ってます。
一高山の会の記録にも 旧い呼び名が記されていますもんね。ありがとございました 期待しますw  
Commented by tabilogue2 at 2017-12-01 00:56
本が見つかりました オオアズマダケ とありました。
ありがとうございました。
by tabilogue2 | 2017-11-27 12:11 | 面白山 | Trackback | Comments(6)