「会津学 vol.5」 発行人:会津学研究会

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2015年の冬に「会津学」vol.1と vol.2を読み始めて 2018年今冬でvol.5まで読み続けたことになる。
vol.1~vol.4、今号のvol.5も 奥会津に棲む人々の暮らし向きを「聞き書き」を通じて「昭和時代の会津」として知るところになり 
それは大昔のことではなく、つい先ごろまでの「爺ちゃん婆ちゃんたちの暮らし」なのでとても興味深いものだった。

読み物だから難解な活字がつきまとう、奥会津の方言が入り、独特の因習があり理解に困る場合もあった。
まあそんな時には、ご迷惑様でも発行元に電話して 仕事の邪魔をしながら 具体的な意味合いを習ったり  
まあ色々と活字以外のことでも教えて頂き  理解してきたつもりである。

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個人的に「岐 マタ」については 一種の「辻 ツジ」ということであろう…という自説をもっていたが 
それが「檜枝岐」や「羽後岐古道」を考えてゆくうちに、「辻」という捉え方で良いことが徐にわかってきた。
この特集で赤坂憲雄先生もおっしゃっておられたが、、、海のものと山のものとが出会うところ 
物々交換のために近郷の人々が往来し、「市」が立てば「辻」ができ、人が集まれば「巷」(チ)マタができる。

例えば、、、「辻占い」という言葉がかつて生まれた。 では、何故、「辻」で占うのか???
それは「辻」に立って耳をすませば 死者たちの呟きが聞こえ 何かを教えてくれるから…といわれる。
では何故?「辻」に立つと死者、亡者、亡霊の呟きが聞こえてくるのだろうか? 
ふだん「死後の世界」なんて考えたことがない、、、ので 次々と疑問が湧き上がる。読者の皆さんもそうですよね?

今回は「マタ」について 赤坂先生の考えの一端をうかがい知る。
岐 又 股 亦 俣 胯・・・それが「ミチの岐」ミチノマタ=「巷」チマタ を意味するものであり、
「辻」でもあり、、、「巷」そのものは 霊を葬る場所、葬送の場所・・・でもあったと先生はおっしゃる。   

柳田国男の『遠野物語』に拠れば、
村の老人は還暦になると「デンデラ野」(姥捨ての地)に追いやられ そこで死を迎えるまで「老」を生きた
よその地方と違ってか? 農繁期には村に出て来て農作業を手伝いながら現世の「村」と行き来する
デンデラ野から野良に出かけることをハカダチといい、野良から帰ることをハカアガリという。
60を越えた年寄りたちは 生ける亡者か? 

「異界との重なり」にも共通して、村という「生」の地を挟むように、一方に「老」の地「デンデラ野」があり 
その反対側に「ダンノハナ」と呼ばれる共同墓地の「死」の地があって それらが村を挟んで対になっている。
つまり、「老」と「生」と「死」とが横並列に捉えられていた ということになる。

「楢山節考」のように、”七つの山を越えたところに荒涼とした姥捨ての地がある”とされた考えとは対象的で 
生きている者の営みが見えるところに「老」の地「デンデラ野」があった…と語られている。 
「老」の社会と「死」の世界とが、「生」の地である村の隣り(村外れ)に地形的に並列にデザインされていた。

つまり この世とあの世の「堺」を行き来するものたちの声が聞こえる場所 であったり、
この世とあの世の「境界」、魔物や病から村を守り 魔物を村から追い出す場所(境界)であったとされ
「境界」とは「異界」への入口でもあり、この世とあの世が重なり合う場所、そこが「巷」「辻」だと。

前述の「辻占い」の意味する疑問を「異界との重なり合い」という角度で捉えると 自ずと答えが出てくる。 
なんかとてつもなく「世界の果て」に旅するその門に立った境地で今特集を読んだ。
じつに不思議だった。いや、不思議な「死・老・生」という”終生の旅”だった。。 
境界を「線」で考えがちの今の自分であったが 昔の人はそれを「点」で考えていたようだ。

「軒下」という言葉があるが それは屋根が防いでくれる雨との「境」、ここにも意味が含められている。
家の中にも「扉」と「窓」の違いがあり、「扉」は異界へも行き来できる入口だが「窓」は外から入れぬ境界。 
ただ同じ境界でも「壁」とは違っていて、「窓」は内から眺められるという、つまり「異界」をである。
壁(境界)に開けられた異界を眺める穴」それが「窓」だということ。この考え方が面白かった。

つまりは「生」と「死」とが 「点」という境界であらゆる所で「異界」と通じていた。
家の「敷居」を踏まない、何故なら敷居は「境界」だから。。。あの世とこの世の重なる場所。。。
などなど 昔から言われる「暗示」「ことわざ」の意味を 「マタ」を通じて色々と教えて戴いた。
「マタ」について 日常的に言い伝えられ崇められてきた「異界」をわれわれ一般読者が考える切っ掛けになれば 
この話の続きはさらにおもしろく展開するはずだ。

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山形県小国町金目のマタギ猟の現状と今後のマタギ猟について 
現代マタギの「種の保存」と「乱獲」についての一考が興味深い。
昔からの熊皮の「抜荷」の背景考察。
江戸時代の文献にこそ載ってはいないが現存した「抜荷」を紐解くのが面白かった。

何度も何度も同じページを前や後ろに戻りながら理解を進めてゆくので じれったいのであるが 
五巻まで読んでくると いざ読むに当たっての「苦労、苦痛めいたもの」が薄らいでくるのは確かだ。
これからも 初刊に戻りながら何度も往復して 読み耽りたい冬の読み物になることだろう。






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by tabilogue2 | 2018-01-26 11:24 | 会津学 | Trackback | Comments(0)