”ストレイシープ”な喜善研究の評価

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社会人になってからも ソレを終えた今も…「とおの」、「とほの」という言葉の響きに一つの淡い思いを抱いていた。未だ見ぬ「とほの」という響きを持つ街に足を踏み入れその言葉の響きの正体を見にゆこうと暇に任せて勇みだった。

遠野の昔語りに「遠野三山」の話があって、それが神社の開祖の関係からか、修験道の関係からか?会津の思案岳(ちやがたけに伝わる民話「本元飯豊山と飯豊山」の民話に出てくる「姉妹の嫁ぎ話」が…ここ遠野では「三姉妹と三山」になりかわっていた。まるで筋書きが重なり、おや?と思った。いつの日にかこれら三山に登らねば…と心に懐いて月日が意味なく経つというのも 三山を目指して登る一つのキッカケとなった。

遠野三山の一つは言わずと知れた早池峰山であり、さらに一つは鉄梯子の石上山、もう一つは六角牛山であるが そのニつ目、三つ目の山に登ろうとも思っていた。やり残してきたともいえる「遠野への想い」が私に登らせている山たちでもある。それで どうせ山に登るのだから、遠野の山に登りながら遠野の民話と「とほの」という言葉の響きそのものに身を横たえてみようじゃないか!ということになったわけだがいずれ怖いもの見たさの範疇を逸脱することは決してないw

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”とほの”という言葉の響きに巨きな影を落とすものとして柳田国男の「遠野物語」がある。そこに書き残された多くの短編が遠野の文学者、民俗学者ともいわれる「幽霊譚の蒐集家」佐々木喜善の口述によって成就できたもの。その佐々木喜善の何たるかを探究するのに多くの教授、諸氏諸兄が当たられていることを改めて驚きとともに知った。ことに「会津学」でお世話になっている奥会津の「地方文化史・生活史の紐解き」をご指導なさった赤坂憲雄先生もまた遠野物語や佐々木喜善の研究に時間の多くを当てておられることも知りえた。

「遠野学 vol.2」で赤坂先生が「遠野物語における述者:佐々木喜善」をこれまでの評価とは違う角度で「怪談、お化け話で別の世界観を持った”学者”」として再評価しようとする向きがあると仰っておられたが 今現在それは「迷える羊」に喩えて”評価の際に立つストレイシープな立場”に それ「佐々木喜善研究」はあるようだ。これからもなかなか興味深い趣である。

そういえば 柳田国男と佐々木喜善とは「遠野のお化け話」の捉え方に根本的な違いがあるようだと何処かに書いてあったような?。どういうことか解りやすく誤解を承知で言い換えると…、柳田は全国の中での一事象として遠野の民話を記録したに過ぎないのかも?であり、反して喜善はお化けの正体である「怨念幻影 おんねんまぼろし」をグッと深く知って、専にそれを伝えようと柳田に口述していた、そこに両者間のギャップがあるのだろう…ということになるのだろうか。

こちらもさらに深く知らなきゃ「遠野のお化け話」が先に進まない(笑) 佐々木喜善の「お化け談」「幽霊譚」に耳を傾け、「オマク」「念惑」「怨念幻影」という喜善の言葉に含まれる「幻影の素なるもの」を理解する方向で彼に向き合うことも「有り」と思った。山にも土地にも触れながらの良い刺激になるかも。

ところが、足の踏み入れ方が悪かったのか?はじめの一歩からしてどんどん深みに嵌りだした。先行き、今年のお盆の頃には現実お化けを見ることにもなりそな勢いだ。今から期待に足を震わせている(´艸`) ゆくゆく佐々木喜善と同県人で5年ほど親交のある宮沢賢治の理想郷「イーハトーヴォ」の世界観とも関連させ、佐々木喜善の「村民運動」などにも触れながら彼の人柄を見てゆこうと狙ってもいる。おもむろに「遠野学」も齧って行こう…と夢は描かれる。しかし「門前の小僧」であることには違いないのでこれからも間違いは多々あるのだろう…それも愉かし・をかし、途上人の常であると諸先生方にはお赦しを願いあげるものである。

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「とおの」という言葉の響きを持ったこの町。東麓にたつ六角牛山より眺めてはきたが、南部の殿様が城を構えたその裾野に四方から流れが集まり一つになる豊かな盆地の姿がわかる。馬による物資・木材の搬送が生業としてあった時代から現在まで時計の進むスピードがゆったりと流れた街。だからこそ佐々木喜善の人柄が育まれたのだとも思う。そのせいか、彼は東京で女性たちにモテモテだったという(´艸`) 都会に在っては、少し吃りながら岩手訛りで話す彼のお化け話を聞けば…その周囲は時計の針が一瞬遅く進む不思議さに虚を突かれ、ついつい母性をくすぐられるのだろう。その鈍臭さの残る人柄に惚れた、、、という人もいるくらい。

昔話の宝庫、そこいら中の川の淵に河童が棲んで(遠野市の文献では常堅寺を含め20箇所ほど淵が数えられた)、「マヨヒガ」の昔話が語られ、重く暗い居間に「座敷童し」が顔を出す、その幻覚めいた物語をあたかも実話のように、そう日常性に転化できるほどに、「日常と非日常、夢と現実の境界が曖昧になっていてヒョイと越えられる」(赤坂先生談)感覚の”土地のユーモア性”が確立されているからこそ、「遠野」を懐かし味のある「とほの」と世間に云わしめるのだろう。

遠野」というキーワードにストーリー性を持たせた会心のだった。幸いにして六角牛山に登った折に、SL銀河号の汽笛がボー、ボー、ボッボーーーと山裾の遠くから聞こえてきた。遠野の遠野たる情景に懐かしい「音色」も添えられたことで「心象風景・遠野」がより深く我が心に刻まれたのかもしれない。 そうか! もしかするとそれは 「とほの」の河童たちの土産だったのかもしれんなぁw どんどはれ。





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by tabilogue2 | 2018-05-07 23:09 | 花巻 遠野 岩手 | Trackback | Comments(0)