宮沢賢治と地人協会

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当時の時代背景、政治と当時の人々の暮らし向きを充分に理解していないので
此のページは写真だけ貼って 内容は保留にしておくのがいいのかも
労農運動とも社会主義とも関係するのだろうが それがどんな風に花巻 賢治に関係するのか?
この時代は民主主義が未発達で 未知なことが多いし「排赤」の運きもあって  
今の世ではあり得ない言論統制など 自由主義が蹂躙されていた時代

そんな時代背景に 凶作の年に身を削ってまで農民のために尽力し命果てる そんな生き方
 農民楽団オーケストラも 化学肥料の調合も 法華経も エスペラントも含め 
これだけ「人間博愛の精神」に身を捧げられる素地はどこからくるのだろうか

当時の花巻、盛岡、遠野、、、岩手、東北、日本の農民全体に関わってくる問題も含め
当時の社会状況の”根本的な理解”をシないと
「献身という生き方」を語れるような気はしない

この生き方が「ジョバンニ」に通じ 「銀河鉄道の夜」の夢物語に成るのか 
今は 彼のもつ「世界観」を学ぶことが 
後世の我々ができることなのだろう



現代なら、、、
民主的に政治を司る権力の構築に献身する政治家または指導者
ということになるのかな?

「アベ政治」ではありえないこと




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Commented by ばやん老人 at 2018-05-23 21:57 x
 裕福な家庭に育った賢治の周りには、深沢七郎『楢山節考』『みちのくの人形たち』に書かれている生活をしている人たちもいたでしょう。
感受性が強く宗教観を持った賢治少年は、それを見聞きしていたと私は想像します。

 『楢山節考』の舞台は、俳人故飯田蛇笏・龍太の屋敷がある山梨県の境川村。山麓の村に桃と杏子の花が咲いていた頃、
隣の芦川村との境界尾根を歩いたことがありました。さほど深い山ではありませんから、親の子を思う気持ちが痛いほどわかりました。
脱線御免。
Commented by tabilogue2 at 2018-05-24 10:28
そうです。裕福だからこそ、感性が豊かに育ったんでしょうね。活動資金も療養資金も皆お父さんが出してくれたわけですから。で、それがいつどういうワケで博愛や慈悲の心に成っていったのか?死をも覚悟して労農へ心血を注がせたのか?そこに変遷という言葉を宛てがうと 賢治の青春時代に有った、起こった事象が影響因子と成っていることが解ります。

岩手の山村の習わしについては 前段の記事「会津学」で述べたとおりですが、、、「辻」が理解できないと死界との境界で繰り広げられる人間ドラマは語れなくなります。

デンデラ野の在りかたは岩手の人たちのもつ優しさであろうと私は考えています。楢山節考では理解し得ない岩手の山村で村落全体での「老と死」の捉え方というものに感心しております。
by tabilogue2 | 2018-05-07 18:29 | 花巻 遠野 岩手 | Trackback | Comments(2)