ワンダーフォーゲル的山遊び 試案 2

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2回目の計画修正版が送られてきた。 まだ沢登り体験がたった1回だけなのに ここまでドロウできるとは…(;´∀`)、、2泊3日の沢登りを実行したことのある人なら「ド素人がここまでヤルの?」ってほど、立案の難易度が分かるはず。誰しも驚く内容だ。飲み込みが早いんだね、多分。 実際、案が面白くてついつい5回もルートをナゾってしまった。一部、非現実的ではあったけど(笑)既成概念で眺めていると、途端にガーンと殴られてしまうほど新鮮だった。ちょっと、公開するには勿体ないので掲示は来年の実行日まで「お取り置き」だ。来年はもっと専門的な集団に入ったほうがいいかもしれないね。同人的遡行集団「YMCA」のメンバーに紹介しておきますが・・・?

しかし、これぞ沢登りの原型だ!といえる「観点」はさすがだ。イロハのイから「沢を研究尽くしていく」地域踏査主体の「姿勢」を思い出させてくれた。計画を作って行く中でコレはどうだろ? この先はどうなんだろ? 等高線の詰まり具合で大きな滝が想像できる と同時に 自分たちが登れるだろうか?と不安が過る。色々試行錯誤が繰り返される。2回目の試案は「湿原の探索」に重きをおいたようだが 考えあぐねたと云うか?一部、予測できる難しさ、不可能さがあったようだw

この「探索」とか「踏査」とかいう言葉自体に「未踏」とか「ログに残っていない」「未知の世界」とかそんなイメージが託され、秘められているようにも思う。他人のコピーじゃないよ!敷かれたレールじゃないよ!という基本的な考え方、それが「沢登りの面白さ」というもの。昔、ネットのない時代に、一つの流域を全員で分担して踏査してきたことを思えば 今の沢登りはその質的満足の度合いは相当に劣化している。すべてが他山岳会の遡行記録のコピー! いいとこ取り! 無駄のない… とでもいうか、合理的すぎている。ゆくゆく「いいとこ」ばかり歩いたのでは飽きが来てしまうだろう。なかには、「無駄な沢登り」があってもいいわけで「ダメ沢」も勉強のうちだと思うが。だんだんと、専門的集団は面白味を求めて奥地へと追い込まれてゆくし また「非公開」「秘匿主義」にもなってゆくんだろうね。

今後毎年、夏の「活動拠点」となるためには まず地域全体を頭に入れておく必要があるので、今回は踏査を主体に湿原をつなぎ合わせて全体を頭に入れることをメインテーマとして具体化しよう。基本は「上図」の通り。 大丈田代ー(駿台田代)ー山犬田代-七兵衛田代-犬田代-花沼湿原-赤安田代 これらを今年は繋いでみようと思う。駿台田代は僕も未踏の地、行ってみたいという思いがあるが時間的に無理かもしれないので今回は省いても結構だ。赤の実線で繋いで置いた。あとは…転戦するので幕営地の指定だね。それと いちばん重要な8月の「日にち指定」で具体化してください これで「課題」も卒業だね。エスケープは実川右岸道へ もしくは 帝釈山脈を小淵沢田代経由で尾瀬沼へ。


----- コピーは、他人の沢登りの「検証」に過ぎない ----------------------------

近頃、とある有名山岳会が歩いた記録を教則本のようにしてトレースする趣向があるらしいw それも日本人特有の「同調指向」からくるものなのだろうか。 地形図を眺めていれば…他人に影響されずともオリジナルなルートは浮き彫りになるはずなのに、手持ちのカードの切り方を変えるだけで…オリジナルな山旅ができるはずなのに、そこを安易に過ぎようとする。時間のない人にとっては合理的な方法なのかもしれないが 先人が生きた時代の苦労など爪の垢ほども理解もせず ただ記された遡行図をトレースするだけ。先人の意図、苦労などを理解したフリをして、租借しているだけだ。

他山岳会の遡行図が元だとか、ガイドブックが元だというなら、その沢登りはコピーそのもの。純然たる自分オリジナルの遊びではない。 それは先人のルートをハウツー的にコピーした沢登りという「スポーツ」にすぎない。どんなに山行を重ねても「オリジナルな沢旅」とは成らない、言わない、ましてコピーだから…言えない。そんな時は 地形図を眺めてオリジナルな沢歩きのルートが頭に描けるようになるまで、「経験の差」を埋め込んで貰いたい。 容易にアレンジすることと 努力してオリジナルでいようとすることとは根本的に違いがある。

ただ、、、それらでもないとすれば…単純に「ブランド志向」なんじゃないかな? 他人の記録が「すばらしく見えてるだけ」だと思う。ネットで見た画像と同じ風景を手に入れて自己満足する・・・まさに「沢登りのブランディング化」そのもの。 夏道歩きのハイカーと同じで、名山の「その場所」に行かなければ楽しめない…という観光的な要素が反映されるのは 元になる発想が貧困だからと思える。「同調志向」を煽るネットがそうさせているんだとも思う。それ以外にブランディングの動機が見つからない。グループ化 仲間同士のコミュニケーションが進めば ネットで飛び交う画像が否が応でも 何度も同じ画像が目に飛び込んでくる。それが最高なものとして、人に押し付けてしまう可能性も否定はできない。インフルエンサー的ブロガーは注意が必要だ。

せっかく臨んだ南会津の沢なのだから 自分だけのオリジナルな行動計画をたずさえ 自分だけのオリジナルな実践で 最期まで楽しく歩きたいものだ。 


岡山の A山くん 時間が合うなら らもイッチョどうだろう?

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Commented by repertum at 2018-07-04 22:34 x
ご講評ありがとうございます。

第二版を計画するには 「未知」と「既知」、「オリジナルな旅」、この辺りが手掛かりになりましたが、沢登りについてのイメージの転換が必要でした。最初、単純に沢を遡行するのが沢登りと思っていましたが、沢を伝って山を自由に歩くのが「沢登りの本質」(6/8付記事)だったのでしょうか。考えれば、登山道がなかった時代は沢を利用して山を歩いていたわけで、マタギや杣は「沢を使うも沢に捉われず」に深山を自在に往来していたのでしょう。

登山道や既知のルートに縛られずに山を歩きたいという動機で雪山・藪山を始めたのですが、そこに沢が加わると更に山行の自由度が広がりそうですね。
Commented by tabilogue2 at 2018-07-05 00:21
> repertumさん
そのとおりです。20数年 沢を歩いてきてますので ピークを踏むということに無頓着でしたし ピークハントという言葉自体 まるで異世界の言葉でした。それと「遊ぶ」という言葉に馴染みが出てくるようになり、流離うことも 彷徨うことも 遊ぶという動詞の中に含まれているということが理解できたのは40歳を過ぎてからでした。 同時に いろいろな山を登ることが無意味に思われてきて 自分のお気に入りが2つ3つあれば 四季をつうじて月2のペースで登るのには充分な山数でした。沢登りというのは 徹底して人の価値観をガラッと変えてしまうので なかなか人付き合いも悪くなるようです。というか 人のアザトサがもう見え透いてしまうんですよね。人間嫌いになるのが自分でもよく分かるようになりますし 本当に真面目に山が好きなのか 今だけ山を愉しめばいいのか・・・ココらへんが人間観の基準になってしまいます。


沢は交易と近親相姦を避けるための通い道であることもお忘れなく。道行く沢を 会津ではミチギノ沢、道行沢といいました。隣村との夜這いも沢伝いに通ってましたから。。。
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by tabilogue2 | 2018-07-04 12:51 | 会津・越後 | Trackback | Comments(2)