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道を外す、、、

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「へ~、、、 そんな考え方もあるんだ・・・」  考え方、捉え方の違いで「対局者」の存在に気付かされることがままある。「沢ヤ」であれば尋常であっても? 夏道ピークハンターにとっては普通であっても? さらに冬山をヤル人にはセオリーであっても?・・・これらに対峙するもう一方方にとっては理解しがたい面があるようだ。

たとえば、「登る」という一つの行為でしか山を捉えず、表現も「夏山」でしか捉えきれていないという、、、僕にとっては違和感だらけであるが そんな対局者は常にいるものだ。まあ、夏山的なアプローチ、明るい山や、楽しい山行に偏った理解の仕方しか持たない故か?、「経験知の狭隘さによる」ものか?、それが考え方や物事の捉え方という思考の根底にあるからだが。

たとえば、山の風景写真一つ例にとって、、、「冬山」の写真を撮らずに「山岳写真はこうです」めいた表現はできない。もっと解りやすく言えば、「悪天の春山」を撮って「冬山めいたタイトル」をかざすプロ写真家には辟易するだろうし、「残雪の春山」を冬山と置き換えることは到底できない。でも?素人ならば往々にしてありがちだ。

雪がありさえすれば?それを「冬山」と捉えてしまう写真愛好家が多いのにも驚かされる。「雪山」でも「冬山」と「春山」とは厳然として違うのであるが、、、「真の冬山を撮り切れていない」という撮り手側に大きな問題がありそうだ。 因子の一つには「冬山の経験がない」ことによる。一つには「山を識った経歴が浅い」ことにもよる。一つには「年齢的な問題」があって厳冬の山に向きあえない・・・、左様な理由から山岳写真として一括りするには「無理」があるようだ。

極く最近の傾向だが、総てが「花」「雲」「湖・水」のアングルに朝夕の光を加えて・・・だが これだけでは山を表現しきれない。断片的にフォトジェニックシーンを並べられても、こっちはお腹いっぱい、多すぎて困る。よって「風雪の冬山」を撮った写真がとんと少ない。同じ雪山でも厳冬期がこの趣旨の対象であるのだが、暖冬の影響で1月と2月に限定されてきている。それ以外は極くふつうの雪山。そして3月からは残雪の山そして4月の春山となる。冬と春とでは光の質がまるで違う。昨今、登山ブームとともに冬山未経験者のネット発信が増え、表現に厳格さが求められず、曖昧に済まされるようになったが それに起因しているのだろう。 たとえブログにしても それが公開が前提としている限り ますます「撮り手側」に大きな責任があるなぁ と思うに至る。


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山の捉え方も、「冠された名」で山を捉える方と もう一方に「冠だけで捉えることは充分じゃない」ことを既に知っている方もいる。経験の違いからだろうか?体力面と知力面とでは明確な線引があるようだ。スポーツ的体力志向の登山で満足する方もいれば、歴史を尋ねる知的志向の登山を求める方もいる。見方や愛で方一つとっても山を理解する深さに違いが出るだろうし、山への通い方にも違いがでてくる。

特に「日帰りか?泊りか?」の違いは重要なポイント。山の「深み」という捉え方で見れば大きく違う答えが用意されてくる。山に通う理由にも「朝夕の光がつくる陰」によって深みや多様さが存し 山の楽しみの一項目として用意される。だから、テント泊で夜の帳(とばり)から静寂、黙(しじま)まで山を見つめる登山者も一定程度いるのだろう。文学的に もっとも重要な?「夜と朝の一瞬の切りかわり時」、シンと締まった「しじま」との遭遇を望むなら、夏の朝、2時には現場に居ないといけない。 

「遊び方」でいうなら、「ピークで山を捉えない」のが沢ヤさん。山に刻まれている皺のような沢から山を捉えていこうとする。一つの山に刻まれた幾筋もの沢を東西南北の四周から、さらに季節を変え、数十回と同じ山に登る。他方には夏道を三季登って、年3回登ればその山を知ったことにするピークハンターがいる。山の捉え方の違いに大きな格差ができる。沢を知るということはその山の地肌を知るということ。

で、そのピークだが、ピークを踏むのには理由があって(地形や現在地の確認 遡上&下降の継続)、その必要性が無い限り踏まずに済ませる。つまり「沢遊び」はピークを踏まずとも遊びが完成するからだが、逆にピークハンターにおいては三角点タッチが必要のようだ。それなくして山に登ったという実感がわかないからだろう。だからか、100も200も300も?量で満足度を計りたがる。

まあそんなわけで・・・世の中、奥利根の「ジッピ」を渡り歩いても なお地味に控えておられる方々が多くおられる。彼らの求める山は深い と最後に記しておく。



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20mはあろうかという山ぶどうの蔓 それに揺られれば童心に帰れる 
お~い 愉しいかい? 教えてくれよ~w



今回 「船形山のブナを守る会」三月度の観察会に参加した。道々、柏さんから多くを学び取ることが出来た。「水神」から「お花畑」を過ぎ「ウグイス坂」の手前から登山道を外し、、、樋沢川(ヒザガワ)に下る。道々、雪に遺された山鳥の足跡「矢印」マーク。それから柏さんの講釈が始まるw

雪の残る山中で、エンジン音のような音を聞いたことがあるだろうか? ドドドドドドド・・・という低音。山鳥の「ホロウチ(母衣打ち)」というのだが。その話になって「母衣打ちの音」を真似てみせた。舌先をタラララララ・・・と巻き舌で震わせた音に似ているはずだが。で?どんな訳で母衣打ちをするのか?、、、それはエンジン音のように大きく野太い音で それに雌鳥が惹かれるのだとか、、、つまりは山鳥たちの求愛話になる。

突然 リスとネズミの足跡が現れ出てきて・・・それらの違いはどうとかこうとか、聞き漏らしてしまったw、、、キツツキのドラミングの音から その食痕の話、、、キツツキの舌の長さがクチバシの何倍あるか?とか、、、それがゼンマイのようにくるくる丸められ喉の奥にあり、採餌の時に彫った穴にそれを伸ばすのだとか、、、キツツキはなぜ脳震盪をおこさずドラミングできるの?とか、、、まるで聴診器のように幼虫の在り処がわかるのは何故?とか、、、不思議な質問が柏さんから、またはその逆からどんどん浴びせかけられる。 

不吉なことに、、、テンが50m先を金色の毛皮をシナらせ北泉ヶ岳方面に駆けていった。なぜテンを見ると不吉なのか? 昔から言い伝えに出てくるテンは「魔物の化身、不吉の象徴」だとか? どうして?の話もでたし 捕れたテンの毛皮は米俵で2俵分(120kg)の価値があったといわれた時代の話も出た。まあ いづれも 季節が春に巡ったことの証である。中国の漢詩を思い出す それしか知らないのだがw 


探春   戴益 
尽日尋春不見春
杖藜踏破幾重雲
帰来試把梅梢看
春在枝頭已十分


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イワガラミの枯れ花



柏さんの話題はたくさんあってこれで全てではない、漏れているのは確かに…w あ そうそう 雪の上に落ちてるアジサイに似た枯れ花だが 柏さんにそれら2つを示した。昨年の復習だ。一つは4枚の花びらが付いているツルアジサイかノリウツギの花 一つは1枚の大きな花びらだけのイワガラミの花。どちらも学習成果があって正解した。よかったw

というわけで、柏さんとともに行動すると諸々の山知識が造作なく手に入るのだ。彼と歩調を合わせるだけで、観察会の事象以上に想像が膨らむ。山がこれほど楽しく思える、山の愉快さを提供できる御方というのはなかなか他におられない。話に興じていると尻セードのできる急斜面に至る。思い切って40mほどを滑って、昨年と同じ場所に降りお昼の休憩とした。

洞の大きく空いたシナノキが立つあたり 昨年も遊んだ大きな山葡萄の蔓が下りていた。目の前の蔓に大きなブランコをイメージして女性陣が大はしゃぎしている。今も昔も変わらぬ「女子部」の姿だ。それは「登山道を外す」ことで、、、白いキャンバスに描かれた憧憬が手にできることを意味した。 撮影したものを数枚掲げよう。



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表題の話に戻るのだが、、、「道を外す」という言葉が持たされた意味について少し、、、たとえば「道」という教えや、「道徳」という言葉のなかにある「道」というもの。それそのものの存在によって「心が縛られ」、それ(道)を外すことができなくなった。「道を外す」という行為は「非道」「外道」「極道」を歩むことだとされ、「非道は悪」と教育されて育ち、しいては自由に森を、道なき道、「非道」「外道」を歩くことができなくなってしまった・・・それが「呪縛の中の現代人」だ。

曲がって育ってしまった青ネギ、虫のくった葉野菜、小石が邪魔した股割れ大根、僅かに曲がったキュウリ、それらは全て「規格外」品、、、市場から締め出された。高級果実であっても「落果」すれば二束三文。ワケは、つまり「非道」「外道」「極道」だから。

登山道を外さないで歩いて! 雨の日は危険だ! 風の日は枝が落ちるから危ない! 森は怖いぞ!、、、指図の全てが「非道」を避けるためだ。そうやって近年は育てられた。逆に、人が歩いたトレースなら安心、コピー登山は楽チン とばかりに「安易さ」が軽装備、冒険度の低い登山に繋がって「自然から身を護るという概念」さえ心に持たず、遭難事故へと導かれていく。優等な「規格品」に育ったはずだが、生き様という点では掠んで見える。

冒険という文字に危険という文字が大きく覆い被さって 冒険の二字は隠されてしまった。冒険そのものは非道じゃないのにまるで「極道扱い」。自然の中で、自由さ奔放さを感じる喜びは見い出せなくなってしまった。

「冒険」は中庸という曖昧な誘導路(モラル)に息を詰まらせ、死んだ。




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れと、「自然保護」という言葉が「いつ生まれたのか?」ということについて。。。「何故このことを述べるのか」ということについてもだけど。。。 「自然保護という言葉は人間どもの奢りだ」という話が どなたかのブログに書かれてあった。そもそも「自然保護」という言葉が出てきたのは60年代の半ば。それは「護る側」からではなく「破壊する側」から出てきた言葉である、、、このことを知らないといけない。この「経過」を知れば「人間どもの奢りだ」という言葉が暗示する先、つまりは「政治的カラクリ」を識ることになるのだろう。

かつて 貿易黒字解消のため日本は国内営林策を捨て 外材輸入本位に切り替えた。当時の政権による「世論誘導」に引き出された結果、今の「奢りだ」という論旨にまとめられた…ということに気づく。対峙者による圧力の結果だということを識る。

60年代の半ば、当時「農林省」の御用学者たちが「山毛欅」を「橅」と読ませ、何の役にも立たない”無価値な木”として伐採促進を正当化し政治の補完を担ったという過去がある。かつて、この「世論誘導」・・・誘導され「行きつく道」の先に「リゾート法の成立」があった。広大な林野が開発の名のもとに「伐採」され「枯葉剤が撒かれ」、北海道トマム開発では「生態系に支障をきたす」までになった。この状況の「主犯は明確」であり 杜撰な工事をする資本家とその上部構造の政治家であった。そんな時代背景があるのにも関わらず、それを無知でか?、無視して論ずれば、「自然保護という言葉は人間どもの奢りだ」といった「無知による過ち」に陥る。この表現では「眼前の敵」が明確化され得ないではないか??? じつに片手落ちな論理だ。

そう云わせて陰で喜ぶのは魔の手」企業家、権力者たち。じつに、自然保護という言葉には「”開発”という名の自然破壊、その犯罪の手から守る」という現実的な意味合いがあったのだ、つまりは「敵の存在」があったわけだ。

直近の事例で言えば「辺野古の埋め立て問題」、珊瑚やジュゴンの海を人間どもが埋め立てるという。この問題の「敵」は誰なのか? それを敵も見方も一括りにして「人間どもの奢り」だとするならば、、、原子力再稼働にも、辺野古問題にも、県民投票にも、その反対派と云われる人も「人間ども」という枠の中に入ってしまうではないか?!。つまり この論調の狙いは「敵味方の争点を曖昧にさせること」だった…このことに気づかねばならないのだ。

無論、知れば知るほど「自然保護」がいかに大事か…に至ることにはなるのだろう。「カラクリ」を識るにも歴史的、政治的な洞察力が必要だ。が・・・、それも「人の道」を歩むという、人生という「時の積み重ね」、つまりは経験の内ということか。

まあ 「道」について、「道を外す」について、「中庸という曖昧な誘導路」(たとえばモラル)について もう少し話もしたかったのだが 長くなるのでそれは後日ということにしましょう。


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by tabilogue2 | 2019-03-18 11:35 | 船形連峰 | Trackback | Comments(0)