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「なんとなく 気持ちを山に置いてきたような・・・」


今の季節、、、秋が深まるこの季節になると・・・


新入会員は、落葉に埋もれ 茶枯れ色に染まった沢を眺めて
こんな言葉を残し センチになったものだ

秋の終わりかけに、心は夏に置いてきたまま 
季節がどんどん移って 自分だけが取り残されてゆく・・・

「沢」を覚えたばかりの新入会員は
季節に取り残された我が身を 哀愁めいたそんな言葉で表した


夏の終焉から秋に移り、、、愉しかった沢の季節が終わる
遊びつくした自然への畏敬と感謝
いやがおうでもやってくる冬への緊張感 
覚悟もできぬまま シフトするのか・・・
できるのか?自分、、、「冬山」。。。

・・・そんな気持ちがグチャグチャにからまって
「なんとなく 気持ちを山に置いてきたような・・・」
長年、沢をやっていると・・・
解りすぎるぐらいな そんなセンチな想いが詰まった言葉だ

そろそろ 沢から雪山への「シフトチェンジ」が頭を過ぎるものだが
「思った以上に難しい」と そう思ってる

新入会員のそんな気持ち・・・
おそらく 今も昔も 変わりはないだろう



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アパートの自室で 研究用の蠅を飼っているフセ。 大行沢にて


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岩魚の捌きに手慣れていたアベミ。 入会後初の沢登り  吾妻大滝沢

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春川ダイレクトクーロアールのオオタ。 (ロープを着けない悪癖があるなぁ)

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ダイレクトクーロアール。大滝の岩に抱きつくオオタ w

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会慣れしたてのテルヨ婦人。 吾妻大滝沢 大滝直下にて

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アッチも登りた~い♪  春川の三滝にて

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増水し激流となった吾妻大滝沢での新人訓練
前列左から SLのマツムラ アベミ ヤスダ 
後列左から オオタカ オオタjr

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緊張のダイレクトクーロアール遡行を終えて 
池塘の山頂草原を 小屋に向かう 迎えに出たのはカガミ君か?

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虎毛ダイレクトルートのSLを務めたミトベ(赤ヘル) ごくろうさん!
左から オオタjr てるよ トップのヤスダ SLのミトベ

それに マツムラ フセ を加えて・・・
どこへ出しても恥ずかしくないリーダーの玉子たちだ。

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愉快なフセ・・・雨合羽を忘れて、ゴミ袋を着込んで凌いでいる(笑)


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by tabilogue2 | 2015-10-26 15:53 | 二口山塊 | Trackback | Comments(0)

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樋ノ沢避難小屋




山での「恐い話」はいくらでもある。。。

寝静まった幕営地を歩くナーゲル(鋲靴)の音が近づく、
ちょうど、靴音はこのテントの前で止まった。
気になって テントから辺りを見回した。
でも・・・ 誰も いない。

月明かりの中、濡れた足跡だけが点々とし闇に消えていた。
その後 まんじりともせず朝を迎えた。

こんな谷川岳にまつわる話はたくさんあるし 大学先輩から聞かされてもきた。

これから書くのは、
先日の小東峠の行き帰りに立ち寄った「樋ノ沢避難小屋」で 実際にあった話。
会の記録にも残しておいたほど不思議な話。
15年前の記録だが・・・ブログにも書き残してみようと思う。。。


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2000年11月11~12日 沢打ち上げ/大行沢

「山の中での奇妙な体験」

例えば、よくある話として、、、
幽体をみたとか 臨死体験の実話とか テレビで放送されるもの・・・など。

山の中の話では・・・、
前方に誰かが歩いてるような気配がする 
でも 尾根を回り込むと誰もいなかった とか

霧の中を下山中に、登山道脇のブナの陰に 
誰かが潜んでいるような錯覚に遭遇した とか 

暗いゴルジュにかかる滝、釜を泳いで渡るのだがなかなか届かず、
むしろ足を誰かに引かれる感じがした とか、

吹雪の中、風音とともに叫び声がした。
すると 今にも崩れそうな雪庇に乗っかっていた。助かった・・・とか、

焚火を囲んでいると 背後に何かがうごく感じがして 
振り返って暗闇を見透かすと赤い目が光っていた とか

そして・・・
 
小屋泊まりの夜、誰もいない闇の中に 
スウーッと何か黒いものが小屋の中に入ってきた とか、

泊まりの登山者は自分一人の筈なのに 
ミシ、ミシ、ミシ・・・と、二階を何ものかが歩いている とか、

階下で何かが動く音がしてる。
ヘッドランプを点けて階下を覗くと誰もいない、
ただ、床が濡れていた とか



18歳から長年、山に登っていると・・・いろんな幻覚や恐怖体験に襲われてもいる。
今回は「樋ノ沢避難小屋」で実際にあった「淫靡な恐怖」体験。
信じようと信じまいと実際にあった話だ。


11月も半ば、沢シーズンの終わりに「打ち上げ」をしようということで大行沢を遡行し、
樋ノ沢小屋の外で仲間と三人で焚火をし酒飲みをしていたが 
あまりにも寒く早めに切り上げて寝入った。

朝方に変な状況に陥り、話していいものやら悩んだが、
明らかにしておいたほうがいいかと思って 
いちおう話すことに。記録にも残しておく。一笑に伏されても構わない話だ。





「誰だっ! ヤメロ! 手を離せ! 」

朝方に違いないのだが、、、白い手が背後から伸びてきて、俺を羽交い絞めにしてくるでは
ないか。息苦しくなって腕を振り払おうと 体を横に寝返りさせようと必死だったが もが
こうにももがけず。金縛り状態で 思わず なんどか 叫んでしまった。

「やめろっ 離せ! テメエ誰だっ?」

と叫んでも、むろん返事などなく、振り返ってその顔を観ようと必死で後ろを向くが、
これが、見えない。ひょっとして? 首から上がないんじゃないか、首なしっーーー??? 
けっこう 冷静に 振る舞う自分だった。

しばらくして 羽交い絞めにされたまま 下腹部をぐうっと押してくる 
後ろからも前からも ぐうっと。
俗にいうレイプ状態になったといえば、その方が解りやすいか? 
なんか 男が「される」だなんて変な表現だが・・・。

相手が女体なのか 男なのかもわからない。 
温かいという感触も 冷たく硬直する感触もなく 
ただ分かっていることは 無機質な白くて細い 腕 これだけ。
今にして思えば 女のような・・・白さの?

羽交い絞めの状態から脱しようと必死で寝返りを打っていると、、、
腰のあたりに乗っていたものが 突然 すうっと失くなり 
同時にまとわりついていた白い腕も消え、
尻あたりの圧迫感もなくなっていた。

そう。金縛りが解けたのだ。
目が醒め寝返りも普通にうてる解放感が凄い。
まことに隠微な話だが・・・己れの性器が硬直を終え 
ゆっくり萎えてゆく感覚もあった。

まじ真剣に自分の性器を確かめ、夢セイの痕跡もなく安堵した
いやあ じつに怖かった。そのことだけは覚えている。

それから朝まで恐怖の中にいた・・・
空が白み始めて少しの間、眠ることができたが 
朝に焚火を熾して昨夜のサワリを仲間に話した、

昔ここら辺は間道で抜け人、罪人や咎人が処刑・斬殺された・・・
みたいな話をするから 余計に怖さが増幅されて心に残ってしまった。


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まあ こんな夜の体験をしてきた。忘れじの(笑)樋ノ沢避難小屋、
もう泊まることはないと思っていたが 
今回の小東峠ふたたび・・・で あらためて泊まってみたいような? 
気がしている(笑)

そのときは・・・だれか 一緒にいってくれないか~? なぁ お~い?














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by tabilogue2 | 2015-10-25 15:56 | 二口山塊 | Trackback | Comments(0)

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湯ノ又大滝


虎毛山を囲んで十数本の沢水を集め、皆瀬川は夏に入ったばかりの渓谷をゆったりと流れている。ブルーグレーな沢床を一層濃くさせながら、水面はキラキラと光の反射を繰り返しゆったりと明るい渓相の連なりである。黒い幽谷から流れ出る奥会津の渓とは大きく違っていた。田代沢林道から皆瀬川を徒渉し、いとも簡単に春川の出合いに達した。出合いはトロッコの軌道敷跡のコンクリート支柱を立てて、いつもの虎毛沢へと誘う。思い出多い、青味を帯びた戸沢入口は数年前の大地震で崩れた倒木によって遮られていた。

赤湯又沢の出合いに至るまで山肌は大きく崩落の痕跡を連続させ、情感さえも抉り取り去るかのようだった。赤湯又の出合い・・・。ここの小さなゴルジュは硫黄泉質の混ざりあいのためか この溪の中では異様さを際立たせる。ここで、先日この出合いに吊り下げた無為な赤布をようやく回収する。

知沙子なる 逝きにし友を 偲びつつ 赤湯又の ゴルジュを越える

虎毛の沢は山人を楽しくもさせ、浮かれた夜にはさぞかし心を打つ宵を与え、見過ぎ世過ぎの身の垢をも洗い流してくれたことだろう。この赤湯又はそんな魔力をことさらに秘めたところだ。ここからは少しずつ竿を出しながら行くはずだったが・・・先行したであろう釣師は我らを嘲笑うかのように、重そうな魚籠を抱えて立ち止まる。殺生を自慢するような奴は早く立ち去ってくれ! 数十尾を釣り上げてどうするというのだ? 情景を破壊した先行者は虎毛に黒雲が発生しつつあることを言い残し去っていった。素麺を茹で沢水に晒し、啜る。真夏の沢にはこれが実に堪らん。飯を終え、山女魚止めを過ぎてから竿を出し始める。

一尾二尾と上げ 竿をしまった。黒く重い雲が見え雨の予感がして 左右のスラブ壁を一瞥しながら滑床を小走りで駆け抜け、今宵の幕場を得ようと急いだ。赤紫の亀甲紋様が鮮やかな滑床に至って幕場に着いたことを知る。右岸台地にフライを張り、ツェルトを構え、柴木を集め、疲れを癒す今宵の地味な宴の場をこさえ終わると、、、我慢の限界とでもいうのか 大粒の雨がブナや笹を打ち始めた。土砂が沢を濁す前に、コッヘルに水を汲み米を研ぎ やがて来るであろう夏の嵐を待った。

稲妻が走り 反響を繰り返しながら雷鳴が頭上に近づく、轟音とともに沢が濁流となる。この間 僅か小半時。生と死の境というものはこんな場面を指すのか? 安心の場を得たと思った途端、、、かつて遠藤甲太が記したように「カタストロフィに飾られて」恐怖は襲い来る。その濁流の沢を バリッ、バリッ、音をたて 今日の陣地を襲わんと岩が押し出される。今は天が支配する時。自然という舞台で弄ばれた三文役者の如く、我々はのた打ち回って5m上の段丘に退却した。

すでに、、、テン場には上段のブナ林に退避用ロープを結わえ済み 準備よろしく垂らしてある。こういう勘所はまるで「訓練」でもしてるかのよう。沢泊まりの際に逃げ道の確保には手抜きをしない証しだ。思わぬところで 証のそれが役に立つ。計算したわけでもないのに巧くいって 苦笑いする余裕が生まれた。詰めれる物はザックに投げ入れ、担ぎ上がった。オオタが最初に上がり、次にミトベが洗い終えた米をいれ、炊きあげるだけの飯ゴウを上段のオオタにリレーする。銀マットとツェルトを首にぐるっと巻き ザックを背負って、所持品の有無を確かめ退避した。

オオタは慌てたのか?行動食の握り飯をポケットから落としてしまい、泥に転がり落ちるそれを見やって悔しがっていた。恐ろしくも激しい濁流を眺めつつ、明日の山行を慮りおろおろする。人間など如何に在ろうと、これほどの猛威に為す術もなくただ茫然と立ちつくし 荒れ狂う沢の治まりを待つだけである。「おい、男がブルッてどうする!」 若い二人は初めての経験に泡を食ったようだ。が、生きていれば こんなことの一つや二つ 無かろう筈があるまい。(付記 この山行記から9年後の2011.03.11.東日本大震災の日、6号線上り線側に在るミトベ宅は地震で多大な被災を受けたようだが 幸いにも津波からは免れた。今は 嫁さんを貰って安住していると聞く。相馬の野地くんの家はどうなったんだろうか?音信が絶えている。オオタは市内の女子高で教鞭をとっている。引率する山岳部顧問「オオタ先生」を山で見かける)

飛びかう泡沫が消え 流れも落ち着きを見せた夕刻、テン場に下りた。ツェルトを貼り直し 焚火にメタを投じた。いつもの宴は 小さな明かりを灯すように静かに始まる。焚火がどれほど心を癒し、勇気づけてくれるものか、、、 この時ほど焚火のありがたみを感じた時はなかった。熾火で岩魚の肉汁をじっくりと飛ばす。焚火に放り込んでおいた焼き茄子を口にほおばる。瞬間、生姜醤油の香りがツンと鼻をついた。アルミホイルに包んで火床に置いた玉ネギが、ホイルの穴から湯気を吹き出している。レーズンバターの1切を加え、醤油を差し美味しく戴いた。

地味ではあるが じつに落ちつき払った、心豊かな酒飲みだった。酒をキュンと煽り、恐怖からの解放を筋肉の弛緩とともに味わい ことさら楽しんでいるかのよう。消えていた笑いが安寧とともに蘇る。大いに実感したであろう危機回避の手づるを 各々とも反芻したに違いない。これはこれで山を肌で感ずる貴重なひと時なのだ。じつのない浮かれ愉しむ山など 男どもには似合いはしない。 中年になって・・・、そんなことはとうに知り尽くしている。静かな夜更け、天を仰げば星、、、明日の青天は克ち得たり・・・。しとどに濡れる闇がその深さを増したころ 張りなおしたツェルトに 酔いの回った身を転がり込ませた。

朝もやの中、、、濁りが僅かに残る沢床に おそるおそる足を踏み入れ 感触を確かめる。ああ これで帰れる・・・。 歩みを進めながら、変わり果て 荒れ果て 薙ぎ倒されたいくつかの台地を眺めて・・・昨夜 我々に与えられた台地が いかに最強最善の陣地であったかを知る。保水能力を持たない沢の宿命か、虎毛の沢は山肌からの倒木で埋められていた。沢は底荒れの所為か浮石で男どもを悩ませた。 両岸のスラブに僅かに身を支えていた根さえも耐えきれぬ程に浮かされていた。その頂点にあるべき梢が沢水に浸って長らえている 哀れである。

雪渓の残骸があるのか?、、、靄が漂う。崖を回り込めば 案の定、スノーブリッジ・・・。その片足を失い 山肌に半身を預けていた。昨夜は荒れたであろう二俣には1時間で着いた。この二俣はタマガワホトトギスの黄色い花で 左岸はすっかり埋め尽くされていた。ホトトギスの緑の茎葉はしっかりとしており、昨夕の増水など夢のようで戸惑ってしまった。

いよいよここからの右俣は小滝の連弾となる。途中、高度を上げた滑床で黒蜜入りの紅茶を味わい、ミトベ家の畑で採れたトマトと朝に茹でたばかりの玉子とを戴いた。とうに背景の一つと化した前森山の頂を見ると、、、こちらと水平になりつつあることを知る。高度はコンタ1200あたりか。あと30分程で稜線に抜け出ようという地点 水量は豊富で源頭にはまだまだと思わせる。忠実に窪を追い続け藪漕ぎなしで夏道に飛び出し、草原に覆われた虎毛の山頂へ向かった。

らかな頂は 幾百幾千ものアキアカネが 舞い蔽う。まるで 雲母のような きらやかさの浮楊 だった。6度目の山頂、、、。 草原は秋風に靡いていた、、、 この山の「去りゆく夏」を感じ取った。既に移ろいの時は 夏から秋へと扉を開け放ちつつあるようだ。

「もう 行っちゃうのか?」
後ろ手にしながら 拗ねた仕草で体を捩らせていた知沙子が 振り向きざまに呟く。
「ああ いろいろと楽しかったよ そろそろ帰らなきゃぁ」

「んんっ?そうか! 昨日の嵐、あれは君の仕業だったのか?」
「こいつはウカウカしておれんな、君の悪戯にお返ししてあげなきゃな・・・」

この秋の会山行、、、「虎毛山集中」を楽しみに 山頂をあとにした。




                         
2002年発行「やまびと季報」Vol.23(上巻) 
故 池田知沙子に捧ぐ
文 もときち

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by tabilogue2 | 2015-10-25 12:40 | 虎毛山 | Trackback | Comments(0)

72号 本元飯豊山

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前回と同じ「山名考」を掲げた。先日は「三菱伸銅(株)山岳会」の森澤堅次さんの寄稿による
ものだったが、今回は江花俊和さん日本山岳会・科学委員会委員」による山名考だ。
お二人ともに南会津山の会の会員であり、地元の名士でもあられる。

森澤さんは「ホンモトイイトヨサン」と呼び 江花さんは「ホンモトイイデサン」と呼称する
が どちらも同じ山である。どちらの読み方も拾えているので、一方を間違いと捉えるもので
はない。

この山の所在を知るにはこちらの江花さんの寄稿文によると詳細に解る。(南会津山の会いろ
りばた72号より抜粋)



「本家本元」という言葉がある。こっちが「大本」(オオモト)になるということを意味するが、こ
の「本元」と冠した山名が実に面白い事と 飯豊山の剣ヶ峰や御秘所に見立てたと思われる岩
が連なっていて、リンゴ大の穴を無数に持った岩窟(ハング状)がある と聞き興味を掻き立
てられた。

この山は大戸岳の北東、高畑山の中腹にある。しかし「山」といってもピークではない。
「高畑山の支稜の標高680mの岩稜」である。新編会津風土記によると 高畑山は昔飯豊権
現を勧進せし所なりと云、毎年八月村民此れに参詣す とある。






上三寄(カミヨリ)の南外れの大川にかかる橋の手前、旧道との分岐を少し行った左の店の所から入り
、すぐに右に折れる。道は田圃から急に山間に入り、闇川(クラカワ)の断崖沿いに変わる。
この奥に集落があるとはとても信じられない、そんな深山の雰囲気である。

菅沼、四ツ谷、闇川の集落を過ぎ、大戸岳への道を右に見て、桑曽根、そして最後の集落の入小
屋に着く。参道入口はさらに1キロ先である。本元飯豊山参道入口の小さな標識が左側にあって、
少し入ると薄暗い木立の中に飯豊山の大きな石碑があった。

今にも倒れそうな鳥居をくぐる。田畑の跡地から林道を横切ると道がはっきりしてほっとする。
小沢のほとりのお姥様に頭を下げてしばらく行くと杉林の登りにかかる。本当にこの先に飯豊山
があるのだろうか、間違ったかな?と思ったとき 注連縄が鳥居のように頭上にあるのを観て安
心した。

見上げると岩の続く急登になる。注意さえすれば危険はなく困難でもない。すぐに右に大きな岩
が現れ「若木大権現」と記された木札があった。明るい尾根から再び大きな岩が現れ 幾つめか
の岩を左に捲いて、無数に風化した穴のある異様な奇岩が立ちふさがる。

岩の下は広く ざらざらした白っぽい裸地で賽の河原という感じである。「一之王子大権現」、
「御裏三宝大荒神」などの木札と七寸の鉄剣が祀られていた。岩の左下をまわって今にも壊れそ
うな梯子を上って 鎖の登りを終えると松の大木の間から社が見える。

本元飯豊山神社は 岩稜の南面の岩棚にある。幅二間、奥行き一間ぐらいで、「金躰大日大聖大
権現」の木札と三十本あまりの剣が祀ってあった。社の左の胎内岩へは鎖があり、二人ぐらい入
れる岩穴があった。回り込むと稜線となった。

帰路は参道とは反対側、鬱蒼とした道だが入小屋の村外れにでる。二十三夜塔と飯豊山の石碑が
ある。ここから車を置いた入口まで長い道を徒歩で引き返す。

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旧暦八月八日(新暦9月12日前後)が祭礼の日
村人たちがお神酒や肴を背にして登り
先達か法印が詔りを奉じて
五穀豊穣と村内安全、家内安全を祈願する



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by tabilogue2 | 2015-10-24 21:11 | 会津・越後 | Trackback | Comments(0)

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あれは<青春>と呼ばれる時代の一夜の夢だったのだろうかー。
それにしては長くその〈夢〉を引き辷り続けてきたようだ。




かれこれ28年になろうとするこの山との関わりの背後にあるものに
思いを巡らせていると、高地岳北壁1ルンゼから自然落石の乾いた音がする。
咄嗟に身構えてみたものの、落石はあらぬ方向で炸裂、
幽かに硝煙の匂いを残し静寂に還る。




そういえば初めて海谷を訪れた1965年の冬、
退散する原因となった大雪崩が発生したのもこの高地岳北壁の1ルンゼだった。
それにしてもあの雪崩は凄かった。
1ルンゼを突風のように駆け下った泡(ホウ)雪崩は、
海川本流を渡り、対岸の仙丈ヶ岳南西壁に突き当たって坂巻き狂騰していた。








振り返ると高地岳北壁が象の顔の相貌を見せて大迫力となってきた。
この岩壁にどうしてもカール・マルクスの名を与えたいと
主張して譲らなかった徳永憲一は、当時学生運動に熱中し、
山にも全学連のヘルメットで現れたのだが、
それが卒業と同時にコロッと寝返り、”米帝”の先端企業IBMに入社して
私たちを唖然とさせたものだ。




”学生時代のハシカ” ”脳嚙りの身勝手な熱” 様々な批判があり、
それも確かに一理はある。それでもなお、確かにある時代に夢に溺れ、
社会主義と変革の想いに自己の存立を確認したいと願う心情はあるのだし、
残念ながら生きるためにそうした夢を削らずに過し得るほど私たちは強くない。




だがそれでいいのだ。
互いに生きていく道筋が違えば、自ずから関りを深める相手も変っていくのが当然。
そうして少しづつ青春の蒙み(クラミ)から脱け出し、
年老いてゆくのが人の定めというものだろう。




岩を攀り損ねて、墜落することよりも社会的に失墜することの方が恐ろしく、耐え難い。
”死ぬ気になれば・・・”と人は言うが、ジワジワと真綿で首を締めつけられ、
社会的に葬り去られるのではないかという不安に較べれば、瞬間の死など気楽なものなのだ。







幽かにそれと判別できる程度の焼山の噴煙を眺めながら、
そんなことを考えていると、早川谷を渡る風のさざめきに乗って誰かの声がする。

「駄目だよ、まだ・・・・・」 藤平の声だ。

「まだ終わってないだろ」 これは木村の声だ。

木村秀雄、彼は私が約束を破って参加を取り消した駒ヶ岳南西壁の試登中、墜落死した男だ。
木村は冬の海谷の岩壁登攀を提起し、私に強く実行を迫ったのだが、
その最初の試みで遭難してしまった。




昼闇山(ヒルクラヤマ)、それは、海谷のすべての課題が終わったら一緒に登ろうと、
ひと足先に旅発った彼らと約束していた山だった。



















大内尚樹 昼闇山(海谷山塊)白山書房より抜粋




注:大内氏は 駒ヶ岳南西壁 冬季単独登攀を成し遂げた。
昼闇山に登って、回想したのがこの「約束の山 昼闇山」である。



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by tabilogue2 | 2015-10-16 20:10 | art | Trackback | Comments(0)