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「船形山のブナを守る会」の2018年度の活動方針を決める「世話人会」があり「お呼ばれ」してきた。自然観察会でお会いすることがなく今日の席で初めてお会いする先輩方が10名ほどいらして この会の奥行きがさらに深いことを知った。 会場は雪が残る三本木町公民館、40人ほど参加。お昼にお餅が搗かれ、軍鶏?肉うどんが提供され和気あいあい。 写真は「餅つき」の一コマ。「腰のいれ方」が完璧に農家の男衆のソレだ。 四升の餅を搗くのはじつに手慣れたもの。手つきが上手いし 年季の入った杵の担ぎ上げ・振り下ろしに体の軸がブレず、それはそれは見事だった。都会の人間じゃこうはイカない。。。


「船形山のブナを守る会」活動36年を振り返る 
宮城県岳連:斉藤善雄先生の「講義」が聴け、当時の「空白部分」がスッポリ僕の心に収まった。

「空白部分」??? それってどういうことなのか 横道にそれるけど説明しなくちゃならない・・・、じつは「ブナを守る会」の発足当時の背景とか?、社会的使命感とか?、具体的に対外交渉がどんな風になされていたのか? 宮城県知事との交渉はどんなだったのか? 運動はどのような広がりをみせたのか? 実際に船形山の伐採状況はどんなだったのか?、、、これらの疑問点(未消化部分)が心に残されたまま今に至っていた。これらについて当時のYMCA山岳会は庶務・渉外係の担当者任せになっていて、、、「ブナを守る会」活動の細やかな息遣いまでは担当者の報告だけでは知ることができなかった。深野さんが「ぶなを守る会」で論陣を張っている割には(内輪の話で恐縮するが)山岳会はパイプ詰まり?をしていたんじゃなかったか な?(笑) 

なので大崎、黒川の近郷近在の発起人に名を連ねた皆さんたちが「ブナを守る会」を発足させた当時の状況、生の苦労話を直接耳にすることがなく 様々な資料、機関誌などから朧気ながらも事実経過を知り、配られたアジビラで運動の争点を識る…それ以外に情勢を知る手立てがなかった。ネットのない時代だから、公平に与えられた「時間力」、山岳会という「組織力」がフルに使われずにいた…じつに勿体無い話。今日のような講義が聴講でき、当時の「空白部分」がようやく僕の心に埋め戻された気分に至っている。ありがとうございました。


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発刊されてきた機関誌「ブナの森」。8号と9号は「ゆうゆう館」から戴いたもの、10号は大和町のチバさんから戴いたもの。これが「運動の礎」であり会活動の内容が多岐にわたって掲載されている。今日の斉藤先生の講演は8号、9号の掲載内容に添っていた。幸いにも全ページ読了しており、赤恥はかかずに済んだ。
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1990年前後 白神山地など「自然保護運動」の盛り上がりもあって能動的に運動に参加することに僕は一片の疑問、一抹の不安もなかった。「山をやる者なら当然の構え」と自然保護に関心を持った。また当時、朝日スーパー林道開削、博士山のイヌワシ保護、吾妻高山の山頂電波反射板、只見八十里峠国道化問題、尾瀬ブナ平伐採、奥只見・奥利根ダム問題、、など問題山積。船形山(20000ha)は白神山地(17000ha)よりも広大なブナ林を抱えていたのだが 伐採が途中でSTOPされ皆伐を免れたとはいえ全面積の3/4を失ってしまったのである。この事実も当ブログ読者には知ってもらいたい。

仙台でもその頃、市民の森である蕃山の開発問題が浮上した。”仙台市蕃山の森を守ろう!”の市民運動が興き、大梅寺付近の開発予定地(登山道東側)の立木を一本一本購入する「立木トラスト運動」にまで発展した。 さらに、定義山林道のブナ伐採&除草剤デゾレート16000キログラム散布問題等で大倉ダム(仙台市民の水源)に赤信号が灯り、市民は知らずに暮らしているんだろうけど?実は、、、山間部というのは環境問題に関して無造作に公的機関の一部局で扱われ 開発という美名のもとに影響多大な「環境ホルモン問題」が野放図に扱われ実行が為されていた という事実があったわけ。 

あの頃、、、真実を吐露すれば、”反権力意識」が強すぎた”かな?と僕は今に反省する。「生態系を守る」観点から運動に参加されていた皆さんと自分とは どこか意識が違っていた(´艸`) そう、僕は何につけてもすべからく青二才だった。極論を言えば… 反対を叫べばそれで済む「お題目」のような自然保護で終わっていた。山岳会の実動会員のくせに「環境ウォッチャー」にさえもなり得なかった。昨年から「ブナを守る会」の観察会に参加するたびに 反省多々 お恥ずかしい。
 
今日は 当時の30代、40代の宮城の青年たちが「奥山伐採」に反対し社会的な包囲網を作り「中止させた」ということ 熱い情熱をたぎらせ毎週情勢討議に参加し、正義感に燃える会員たちの地道な戦いがあったこと などを「まとめ資料」で識った。特に斉藤先生の講演には「懐かしい顔ぶれ」という紹介があり 当時の写真に出てくる顔ぶれとお名前とがやっと一致した。凄い男たち 熱い女たちが居たからこそ「伐採凍結までの10年間」とその後に「継続された26年の歩み」があったのである。

今日、この運動を理解するのに時間はかからなかった。「支持を得ない運動は消滅する」ぐらいのことは理解していたから。「10年」という長期にわたり伐採反対運動を継続された皆さんの強い意志、、、相当のパワーが注がれたであろうことは直ぐに理解した。僕のような「反権力」や「権益」という政治的動機だけでは 息の長い「社会運動」が形成されなかったことだろう。 思い知らされた「命を守る」という大命題。。。当時、このボンクラ頭ではハッキリ捉えきれなかったのである。


今もなお「36年」という会活動は継続されている。「核廃棄物の一斉焼却」や「女川原発の再稼働」に反対表明をし またさらに「地下30cmに焼却ゴミの鋤き込みをする」という県方針のマヤカシに反対し 「地下水を放射能汚染から守ろう」と「放射性物質の隔離保管」を訴え 地道に社会運動を展開させている。併せて「女川原発」県民投票問題にも取り組んでいた。

ブナを守ることは ふるさとの山、森、自然を守ること、台風・大雨などの自然水害から郷土を守ること、ゆくゆく我らの「命の水」を守ること、、、いまの原発問題にも通じてゆく。必然的に現在の「女川原発再稼働反対」運動に取り組むことになる。 実に「先を見据える目」がここにあった。「船形山のブナを守る会」の「底力」をヒシと感じる瞬間だった。「団塊の世代」は自己主張を持った世代・・・、まだ これからもやらねばならぬ。この老いぼれ人生 なかなか「終わり」が来てくれないかも…よ。 それは よかった(´艸`)(いや、じつに良くはない話だが 笑)



たまたま偶然なんだが・・・

この集まりの三日後に ネットで映画「父と暮らせば」(監督:黒木和雄)を観ることになった。
偶然の映画鑑賞になったが 戦後3年の広島を舞台にした問題作。原田芳雄と宮沢りえ 二人芝居に見入ってしまった。


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搗いたお餅、「小エビと大根おろし」で食べたのが一番美味しかったな~
あんこ餅も 納豆餅も 美味かった~




英語教科書に採用された「船形山とブナの森」
1991年度の英語教科書に採用された 一部を紹介します。。。
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WORLD ENGLISH COURSE 1
Lesson 9 The Mather of Woods
”森の母”


日本語訳例

俊夫 「リンダ、ブナっていう木を知っていますか」
リンダ 「ええ、知っているわ、book という単語はブナ beech が語源なのよ」
俊夫 「ほんとなの」
リンダ 「紙がなかった大昔には、ブナの木の皮をひっかいて文字を書いたのよ」

俊夫 「へえ~、知らなかったなあ、ところでリンダ、ササニシキというお米を食べたことあるのですか」
リンダ 「ええ、あるわよ、とてもおいしいわ。そのお米とブナの木と何か関係でもあるのですか」
俊夫 「うん、あるんだ。ブナの森に降る雨はね、落ち葉でふかふかしている森の地面の中にしみ込んでいくんだよ。
    その水は地下水に溜まり、それからササニシキが栽培されている田畑に流れていくんだよ」
リンダ 「わかったわ、それでその水が味のよいお米を育てるのに役立っているというわけね」

俊夫 「そのとおりだよ、ブナの森は洪水を防ぐのにも役立っているんだよ」
リンダ 「それでは自然貯水池ですね」

俊夫 「そうですよ、ここ宮城県の船形山地では昔はブナの森は350平方キロメートルもの地域を覆っていたのです
    今でも一年中美しい風景をつくってくれます。ブナの森は植物や動物にも素敵な住みかになっています。」
リンダ 「イギリスでもそうなんです、だから私たちはブナの木を”森の母”と呼んでいるのです。」



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# by tabilogue2 | 2018-02-04 19:05 | アラカルト | Trackback | Comments(0)