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冬至の10日前、、、今ごろ 冬眠に入るんだ 
秋田マタギは「おさまりジジ」といってたなぁ
なぁに 熊のことだぁ

穴に収まる頃合い… ってこと 
今年は 雪が早いから 尚さらだぁ

春の 餌場に近いどこ 
意外と 里山に近いどこ
南向きの斜面な 
岩や土手の裾の藪が被った窪に入るんだぁ

こうなってくっと 山も安心して歩ける
その代わり 
日の暮れるのが早いんで 
目の悪い者にゃあ、ちょいと厄介だげんと


はて 南面白からの景色がイイもんだ
大東岳がこんなにも でっけえもんだって
なかなか気がつかねで居だった


北面白のカモシカ尾根も歩いてみっかなぁ
雪の積もり具合を確認してくっぺ

50センチは 積もってっかな♪
わかん用意して登っぺ 雪のヤロ 膝下だべなぁ

にぎり飯とお茶っこ ビールと富有柿もって 
仙山線で面白山に行ってみっかなぁ?
また 一段と寒くなったべ~

今日は12月12日 山神様の日
今日は終日 山留めだ

あと2回も登れば、、、 んだぁ 正月だなぁ♪


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by tabilogue2 | 2017-12-12 12:54 | 面白山 | Trackback | Comments(0)

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今朝は冷えたけど山は暑くてアノラックなしでもいいくらい。  晴天は午前10時まで。ご覧の山は南面白山から眺めた「大東岳」。雪は多いんですが先週の凍てついた感じはない 雪も解け 重くて重くて さすがに北西側=山形側は湿雪になる。霧氷は10時を過ぎたあたりから カラカラと氷の音を立てて解け落ち始め、都合の悪いことに登る歩調(標高)に同調し 解けた霧氷がアノラックにあたる音に 1時間以上付き合わされた。自然の中、枝から落ちるチリ雪と氷が シャワーのように降り落ちる、雪煙る白の世界に彷徨ってきた。登山道がないってのも 自由でいいもんだ


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面白山って 近いよなぁ・・・ 仙台駅からたったの1時間だ 電車の中で装備を整えてりゃトンネルに、、、抜け出たと同時に面白山高原駅に着く。仙山線は「自動ドア」じゃない、ドアの「開ボタン」を押してドアを開けるんだけど ホームに下りたら 即、前も…後も…横も…全部で4つも! オール登山口だ。感心 感心 考えてみりゃこんな高効率な 登山者のための山は他にないのだ♪ (あ?、あるか?そういや南会津の七ヶ岳も駅に接続していたような? 接続登山口は2つ) それに面白山高原駅の待合室で仮眠も テント(泊)だってできるんだ 最高だwww


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熊もいたぞ 数分前? ゴロゴロ石の沢を南へ渡っている


さて、せっかくの「初冬」。 感触を忘れないうちに その初冬の雰囲気や状態を午前中の晴間に この眼で覚えておこうと 金曜日に続いてやってきた。 二度味わう?・・・ じゃなくて 再確認のために登った。


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ローリングストーンの登路、先週のベルグラはすっかり消え 重い雪が岩に乗っている。気持ち良いほどソールパターンがくっきり。LOWAのビブラムソールがバッチリ雪面に食い込む。あ、そうそう 前回は軽登山靴で指先が冷たかったが さすがに今日はプラブーツなので指先が温かい。



さて・・・今日のリピートの課題だが いちおう隻眼でも見えているんだけどw 心眼が「まだ見てない 見たい」といっている? 初冬というものを 心眼が覚えきれていないと言ってる。とまあ こんな自分だけの課題。そんなアホなことってある?と誰しも思うんでしょうが でも隻眼になってから、、、見えてるんだけど見えたことを自覚し切れていない…感じがしている、言葉にすれば変だけど。沢登りもイケてるけど脳が復習して…見えた部分に気持ち上の「納得」がゆっくり追随する 8年前まであり得なかった症状? 右脳で捉えていても左脳が捉えきれていないという いや 逆かもしれないけど・・・ 私の眼と脳の認識のチグハグがあって行動が鈍る そんな感じだ。

「右眼 眼球動脈閉塞症」っていう病気。。。解りやすく言えば 「右眼 失明」。でも ロッククライミングも 沢登りも 残雪の山も 厳冬期の山も ヤル気一本で行けてます。8年前までの経験が活きてる、老いの一言で甘えさせない。サーキットも ツーリングもいける 慎重だけど。

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帰り道に振り返ると なんとなく理解が深まる


一度お会いしているのに お名前が…パッと出てこない?仮に貴方を利き目の左眼で見てるんだけど じつは右眼では見えていない。ボケ老人みたいに思われちゃう…かもしれないけど、違うんですよ。 認識しない、見えてない右眼の情報量ゼロを左脳が「情報をくれ、よこせ!」と言ってる。今まで60年間、右眼の信号を普通に受け続けてきた左脳が 8年前の発症時から「信号不足分」を補おうとしている感じで2度3度、見て聞いて、名前と顔とを一致させてる このようになりますですぞ 失礼多々ですが・・・。納得しきれていない「左脳」が「リピート行動」を右眼にさせている(?)

他には、、、 心眼が追いついてこないんで じっくり見ているうちに・・・あ、この人嘘ついてる って 意外に分かっちゃうもんなんですよ あ~こわ(´艸`)

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ここまでくれば 多少の凸凹もさして気にならない


まあ慣れてきてはいるけど 右眼と司っている左脳神経との関連で 「認識して納得したい」>「納得」というプロセスを 左脳が右眼に要求している たぶん左脳の方で 今まで何事もなく見て感じて過ぎ去っていたものがワンシーンワンシーン、納得しないと前に進めない?みたいな ガンコな所が出る。勿論 ソロ行動なんで 納得のためのリピート行動はいつでもできるんだけど。なのでまた南面白山へ 前回ガスだったので 今日の晴れ間を狙ってきた。見えなかったものが見えて納得できたので下山してきた。左脳が認識できたら もうそれでいい。

雪が藪をひれ伏せ 消えてしまった夏道や 雪で見えない段差や ゴロゴロ岩のガレ場の通過や・・・いろいろリピートして ああこうなっていたんだ・・・と左脳に納得させてきた。もちろん かつて何度も経験済みの風景だけど、「左脳の悪戯」とでもいうのかなぁw そんな自分、「隻眼な山びと」の現状。晴れていれば何ともないことなのに・・・「認識すること」、、、そのためにリピートするって なかなかメンドイ。片眼が見えない人ってけっこういるんだけど 現実 静かにキッチリ登って居られるんだ。生きてるんだから、人間の理性をつかさどる脳の働きには とうてい逆らえない。

伊達政宗なんか どうやって間合いをとり、斬り合いしたんでしょうかねぇ??? 遠近感がないのに不思議だな・・・彼は幼少の頃から失明したんでしょう? 還暦から失明した自分とはだいぶ落差があるが少年時代は悩んだろうね。大人でさえも悩むんだから。

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登りはここまでくれば大丈夫 反対に 下りはここからが緊張の連続
転んだりしたら 必ず 岩角にぶつけて青タン赤タンか出血だね


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北面白 中面白 矢尽(奥新川駅から見える頂点)

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中面白と矢尽をアップで
奥の白い山が船形山 右へ蛇ヶ岳 ▲の南宝森 三峰 左に大倉川、右に矢尽沢の川筋を抱いた後白髭山 


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矢尽1205m 1025m峰 1010m峰、奥新川峠、1040m峰、権現様峠
中ほど、チョンと頭を出した1043m峰 船倉山仮称:1069m) 新川岳1013m 
奥に北泉ヶ岳 泉ヶ岳

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白く登路が浮き出た「猿鼻山」 この山をYMCAでは「中東岳」(チュウトウダケ)と呼んでいた。
中央奥の黒い山が後烏帽子 その右が屏風岳 最右手に熊野岳

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左手前に中東岳 右手前に小東岳 中央どまん中に山王岳 秋取峰 糸岳の三連連荘
蔵王熊野岳との重なりに仙台神室 その奥に雁戸山だが 拡大しないと判別不能?
中央奥の小さい尖りが山形神室 右手奥の黒い山が蔵王連峰の瀧山

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手前中央右寄り、雪枝の上に小東岳(こあずまだけ 通称 ショウトウダケ)
左手奥の小さい尖りが山形神室 中央奥の黒い山が蔵王連峰の瀧山

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がっしゃん

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朝日連峰 、、、 湿度が高くてコンデジは限界だった

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ほんでもって 今日は計画通りに 6時に自宅から徒歩で駅に向かい仙山線。 
さらに 行き帰りとも徒歩で歩き通したので自分で自分にご褒美w。 

三本木町の新澤酒造店 おりがらみ「あたごのまつ」 純米吟醸 ささら 旨いす
食中酒として綺麗でさわやかな味 でも僕には甘すぎるかな? 女性向け!!!
「伯楽星」という酒の名前ならご存知だろうか? 日航国際線で出されていたそうだが
そこの蔵元で造っている酒。 今は286号線 川崎町の新工場で生産中ですね

僕は「あたごのまつ」よりも 清酒「愛宕の松」の燗酒が好き。
仙台生まれの土井晩翠も 晩酌に愛飲したと言われてます 

”匠の技”という意味でなら 「伯楽星」が最高なんでしょうか!
魚料理にはぴったりの酒、上品。適度に酸があってボディはしっかりしている。

一度は飲んでみて欲しい でも 一度飲めばもういいかな やはり日本酒度の問題だろうか?
僕には スカッと頭に記憶し難い味だ 弱いんだね、酸の出方を押さえた味
これなら「山和の吟醸」のほうが自己主張している と評ずるけどなぁ。酒は難しい 好みだからね。

酸度、日本酒度については 別のお酒購入時にお話したいと思います。





by tabilogue2 | 2017-11-22 20:01 | 面白山 | Trackback | Comments(0)

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前回の記事 「捕獲された親子熊」において、ブログ主としての「結論」「立場」は出さずじまいだった。それは自分の熊に対する考えが浅いことから間違った判断をするかもしれないという予測からだった。ゆくゆく米田一彦さんの講演を聞いてからでも遅くはないとも判断したからだったし、熊の保護団体 (日本熊森協会)の意見も識ってからでも遅くないと考えたからだ。米田さんの講演は昨日に開催されたのでここで「捕獲された親子熊」(9/30の記事)拙文の結論を出したいと思う。

主催側(東北歴史博物館)への注文だが、、、90分の長時間の割に講師プロフィール案内コピーはあっても講演内容のレジメがないとはどうしたことか? 演題に沿ったサブタイトルの投影もなく、講師の熊に対する想いも語られず、「事件話」だけがアチコチに飛ぶ・・・久しぶりに疲れた講演会だった。最低でも進行内容に沿って「レジメタイトルと数行の補足」をハードコピーして配布いただければ良かったのでは? マル秘の「高速メモ書き」もアチコチに矢印をひく始末だった。


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僕らの世代では日常的に、鰻や蛇は捕まえて 皮を剥ぎ 焼いて食べてきたし 兎もご馳走だったりもした。鶏なんぞはお祝いの都度、目隠しをさせて鉈で首をチョンとはねたりする。首のない鶏が5、6歩走る姿を見ることがあった。子供心にあまりの気持ち悪さに嘔吐したものだったが…馴れっこになってしまえば笑って観たりもした。。。 そう、東京オリンピック以前は、どの家庭もつつましく暮らしていた。その中で、鯨も イルカも 鮪も 熊も 鶏も…人間の食料として供される、その構図以外はなかったのだ。

最近ペットブームとやらでペット霊園なんぞの看板を見ることがあるが むしろそっちの方に違和感を覚えるのだが…。一線を越えて里に現れた「害獣」一般を「ペットに接する目線」で、または「動物愛護の論理」で、同一次元に持ち出すのは間違ったアプローチだと思うので注意が必要だ。むしろ 餌となるゴミは外に放置しないこと 菜園の芋類 果樹等も気を付けて。

しかし、それにしても 一日2~3万円を稼ぐために一家総出(ジジババ+ムスコ)で笹薮に入るタケノコ採りの姿・危険性を理解していないと 熊だけが悪者にされてしまう。 先ず、「人間が熊のいるエリアに入っていった」という事実が矮小化され、「熊に襲われた」事実のみがクローズアップされる。これじゃあ ゆくゆく熊の生息数は激減し狼と同じような絶滅に至る日を早めてしまうのではないか?とも思う。

タケノコ採りが鳴らすラジオ、、、「そこに弁当がある」ことを熊は知っている。NHK第2放送”スペイン語講座”を聴きながら 熊は忍び寄る。今年になって秋田県では533頭ものツキノワグマが捕殺された。「人食い熊 ”スーパー K”」というあまりにもセンセーショナルな「見出し」だったが ここは冷静に「種の保存」を考え管理することも上位に立つ人間たちに課せられた課題ではないか? ということに着目した。そうした動物たちとの「棲み分けの理解」がないと ゆくゆく「絶滅の道」に至るだろうし、”狼”同様に後世にあってはどうにもできない と考えた。
 
唯一わかっていることは「絶滅させるもさせないも総てが人間たちの判断・行動にかかっている」ということ。極端にいえば、、、仮にタケノコ採りを禁止すれば?熊との事故も起きないと言える。また秋田の争点は「タケノコ採りが熊との縄張り争いから来ている点」という見方が成立する。それならば 熊との争いを避けるために人間側のタケノコ採りを合理的に指定地だけに限る施策も必要だが、、、残念ながら…人の欲はあさましく、立ち入りを規制すればするほど「人が入らないからタケノコがたくさん採れるはず…」とひらめくらしい、そんなタケノコ採りに入ろうとする人たちの「業」「身勝手」を見過ごしてはならない。

タケノコ採りたちへの「自己責任」論をかざすつもりはないのだが・・・結構、事件が起きても…「襲われた奴が不用心だったんだべなぁ、でも大丈夫だぁ…俺ならヘマしねえし関係ねえ」…と厚顔である。「笹薮の中でヒョイと顔を上げたら 熊のケツが目の前に見えた 泡食った」「カッターナイフで奴を切った、笹竹を槍のように削って目をめがけ差込んだ」などと…自慢話は茶飲み話になって展開される。当会の若手でも 冬眠中の熊穴に誤ってアイゼン履きの足を突っ込んでしまい 慌てて飛び出してきた熊とスノーリッジの先端で対峙。危うく目の下に爪痕が3cmついたがアイスバイルで応戦、大格闘をした者がいたけど、、、じつに笑い話で済んでよかったと今更ながらに思う。

”スーパー K”も含め熊は人間たちの欲、業の犠牲者ということを この問題に対する僕の「立場」としたい。奥山で暮らしていた熊たちを”スーパー K”に仕立て上げたのは 他でもない我々人間だということである。人間側の一方的過ぎる「熊の評価」には注意が必要 むしろ その評価には「反対の立場」を採ろうと思う。これが一連の熊問題に関する私の結論。 

米田さんの話では「人肉を食べた」食痕がたくさん挙げられたが、、、しかし かと言って、「生きた人を食べるため」に熊が「人を襲う証拠」とはならない。その証明もされなかったという事実と、「死肉」であるなら「熊も含めて他の動物も食べる」という事実もある。米田さんは人心を煽るような講演タイトル「人を襲う熊」を付けたが このタイトルでなら…全国の「タケノコ採りに対して有効だ」と思えた。以上が… 僕の立場、考え方である。

それにしても 「2年子」は来年夏までには親離れする。その直前、今朝ほど罠にかかってしまった。その瞳、、、碧い色味懸かって感情的には愛くるしいものがある。






by tabilogue2 | 2017-10-29 17:23 | アラカルト | Trackback | Comments(0)


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「船形山のブナを守る会」:千葉さんのブログに特別展「熊と狼」の案内が記してあった。
暇なのでいい情報を拾ったと思った。
山との関わり・暮らし・歴史には関心があって、自分的にはヒットした。

僕のブログは あくせく山に登る人たちには役立たずで 
原則的な話ばかりで 活字が多くてつまらん(´艸`)
そんな中、前回の記事「捕獲された親子熊」の読者数が伸び、
珍しいくらいにアクセス多かった…皆さんも興味があるんだなぁ・・・? 
ぐらいに思っていた。

極めて活字が多かったし~w最後まで読めましたか?(´艸`) オツカレサマ

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さて 横道にそれるが 千葉さんとの出会いを少し語らねばならないか・・・な?

昨年の梅雨前だったか? 面白山を流れる紅葉川の支流、、、
南沢を権現沢ととり違えて遡行顛末記を書いていた七ヶ浜の S (maro7) さんのブログが目に付いた。

「権現沢を間違えて書いてるよ このオッサンたち。。。」(この時点ではお二人とも面識なし) 

世のオッサンたちは 昭文社の濡れても破れない地図をベースにしてる… だいたいの見当はつく。
50000図…地形を読めない素人さんは 必然的に 目の前の小さな沢の出入りを見落とすことになる。
25000図…であっても 沢一本の見落とし、ヨミ違いで遭難しちゃうかも。素人の沢登りは危険だよ。

あ、ネットで地図をダウンロードするのはいいけど、毎回縮尺度を変えて持ってくるオッサンがいる
毎回縮尺度が違って パット見てどれくらいの距離か?って直ぐに見当つくの? 疑問だな
雨、コピー紙がヨレヨレになっちゃう、雪の湿気も馬鹿にできない、インクが滲んで等高線が滲んでしまう
基本、25000図を買って「4cmで1kmの規格」統一しといたほうがええヨ オッサンたち


若かりしころ、僕が権現沢を遡行した際の記事を↑↑↑当ブログに「思い出」として書いたものであるが 
この記事がキッカケで「大権現にからかわれたオッサンたち」の一人、千葉さんを当方に呼び込んだ形になる。

「ゆうゆう館」で初対面の挨拶を交わしたのが昨年の初秋。
南沢を権現沢と取り違えている「マチガイ」を伝えた。彼からこの間の経緯を聴いた。 

それから互いに考え方を知りあうようになり 
違和感のない関係に至るまで時間はかからなかった。

「ブナを守る会」「仙台YMCA山岳会」ともに山では名が知れ、互いにリスペクトしていた。
船形山と栗駒山のブナ林保護運動には90年頃 YMCA山岳会として運動に参加していた。
その頃 千葉さんはまだ若造で 「ブナの会」にも参加していなかったと思う。

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ここから本題・・・前置きが長かったね (´艸`*)イツモノコトダ

その千葉さんから戴いた数冊の本、、、 その内の一冊のことだが…、
「白神山地 目屋マタギ」佐藤昌明 著という本。この本は面白い! 
ダムに消える中津軽郡西目屋村。炉端を囲みながらマタギからの聞き取り実録なので脚色がない。 

その一説に、「おさまりジジ(熊)の後はつけるな」というのがあった。
マタギと熊との根比べだが・・・熊は冬至の10日まえあたりから冬眠に入る、

穴に入る熊の足跡を追って 槍で一突き仕留めようと思っても、
熊は穴には入らないぞ…というマタギの言い伝えだ。
熊を追う人間の方が寒さや雪降りで「根負け」するまで 
熊は 穴に籠もらずグルグル逃げ回るという。
なかなかの知恵者である。
マタギたちは 知恵者として熊を「温かい目で見ている」そんな感じだ。

もう一つ、マタギには
「四つ熊にあったら 一つは残せ」という絶対の「掟」がある
クマは、初夏の繁殖期に受精卵がすぐに着床しない。
11月頃、秋に木の実が豊作でたっぷり脂肪をためこんだ冬に受胎する。
凶作だと着床せず、流産する。
これは母子共に倒れるのを防ぐためだと言われている。
そういう風に受胎の仕組みができている 野性の適応性だ。

冬眠し春を迎える2月頃になると、巣穴で子をを2頭産む。
体重は300~400gと小さく産み、冬眠明けには体重が10倍になるという。
翌年夏まで親子連れ、これが「三つ熊」、母1頭 子2頭で三つ熊。 
たまに子を3頭産むことがある、これが「四つ熊」。

マタギたちの間では この四つ熊を全部討ち取れば・・・
「祟り」が末代まで起きるという。
熊の乱獲を押さえるためのマタギたちの言い伝えで 絶対の掟だ。
よくよく考えれば、狩猟の「狩」という文字は「ケモノ偏に守る」の文字。

こうして マタギたちによって「熊の種は守られてきた」 
という歴史的な事実がある。

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さて、私個人的には「熊の今後」をどんな観点から、いかに捉えるべきか?
その考え方を学ぶことが目的。
マタギ発祥との関係もあって…それらのヒントを得ようと 東北歴史博物館に出向いた。

結論から言うと 
残念ながらマタギ発祥については一般的なものばかりで、
「既知」であり「論外」だった
 
新しく 具体的に 解ったことでは 
崇められた動物に”熊”と”狼”とがいたこと。
山神様からの「授かりもの」としての熊と 
神の「使い」としての狼とである。

狼には、イノシシなどを駆逐する「益獣」の面と 
家畜を襲い人をも殺める「害獣」としての面と両面あり
 「狼に馬や家畜が襲われた」「子どもが狙われた」
などの「訴え」が古文書に多く記されている。
神の使いではなく「害獣」としての狼

古文書に遺された事例に興味を抱く… 
夜半に小便しようとする際 子どもは「槍」を持って外便所に行く
夏前に繁殖する狼は、人家に入り込んで幼子を襲ったと古文書に書いてある。
 
さらに 江戸時代の古文書に記された「駆除嘆願」の数が多いのに驚いた。 
結果 明治時代に国家という概念がつよまり、警察制度が確立され
”狼”は滅亡へと進む。

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奥山に棲む熊は、もともと人間との棲み分けができていた。
近年人間が里山を放棄することで、その空いた領域に出没しはじめたのが
現在のトラブルの元。 

ココからが重要なことであるが・・・
「熊も…狼と同じ道を人間によって歩まされてしまうのか?」
「熊は…人間に駆逐(絶滅)されるのか?」という問題があることだ。

同じ論理で考えうる「争点」は人間社会に うず高く積み上げられたままだ
人種差別も 少数民族も 沖縄基地も 原発立地も イジメも ヘイトも モリカケ問題も
「絶対者」が生んだ「対立者」を抹殺するという人間社会の日常。
(戦後70年…変わらない 論点を避けて暮らしているからだが・・・)

駆除と駆逐…
今後のテーマになるわけだが どう考えるべきか? 山好きな皆さんも考えてみてね。

前記事でも指摘したように
「害獣」一般をペットに接する目線で、または動物愛護の論理で、
同一次元に持ち出して論じるのは間違ったアプローチだと思うので この際、無視しますね。
「人間上位」…人間社会が滅亡しない限り コレが根底に流れてるんだけど)

この後 記念講演会が2回組まれている。
大まかに言えば 人から見た”熊”と 熊の生態からみた”人”と 2つの観点。
第1回 10月15日「旅マタギを検証する 出稼ぎ狩猟の実態は」
第2回 10月28日「人を襲う熊 十和利山の熊襲撃事件の全貌」

どちらも楽しみであるが 好天日と重ならない保証はどこにもないwww
まあそうはいっても滅多にない機会 
大脳の延び切ったシワに ピリ辛を振りかけることにする(´艸`)




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今日の訪問で 僕の興味を惹いた…罠(ヒラオトシ)


秋田:阿仁の罠「ヒラオトシ」も 小国:古玉川や金目川の罠も 村上:三面の罠「クマオソ」も 
只見:伊南伊北の罠「オトシ」も すべて同じ作りであることに 驚きを抱いた。
「ヒラ」はアイヌ語で「雪崩が起きる急な所」を意味する。

さらに驚いたのは・・・
船形山の麓・升沢でも同じ罠「シャア(オッツ)」を作り 仕掛けていたことだった。
一つ違うのは「重し」で、石か木材かの違いだけだ。
升沢の猟師は罠の「重し」に木材を用いて「ヒラ」を落とした。

ココから以下は ボク個人の研究科目になるのだけれども・・・

これら「共通の罠」が持つ意味は、「秋田マタギ」が蔵王や吾妻、会津までものし歩いた行動範囲
「狩猟の猟場面積」を表しているんじゃないか? ということに繋がってゆく
・・・大きな興味を抱いた。実際には面積ではなく影響度合いだろうけど。

次に、彼らマタギの行動範囲を推し量れば、

天皇から菊の紋を授かった「木地師」たちの行動範囲と重なる。
つまり木地師とマタギとがどこかで繋がる糸を互いに紡いでいるのでは? 
ということを想像させる。

以前 会津金山の三条集落と関連して 
木地師は天皇から授かった「山野跋渉の許可」を受けたこと。
それとマタギの「巻物」とが「古来天皇からの許可制であった」こと 
それらに気づけば…即ち話が早い。

マタギも、木地師も、「流浪の民」から「土着」という居住形式を選んだ 
その変遷に次から次と興味が湧いてしまう。

さらに

平家ゆかりの温泉地といえば全国各地にあるが じつは「平家の落人」ではなく 
それは木地師たちに与えられた「菊の御紋」と「揚羽蝶の家紋」という
「御しるし」ではなかったか?

全国どこでも山野跋渉ができるという「御しるし」だった 
平家の落人とは無縁…という推論で修まるが 果たして真実は・・・どうか?

この老いた頭に付き合うのは 自分で言うのもなんだが 実に困ったものだ(笑)










by tabilogue2 | 2017-10-12 19:41 | アラカルト | Trackback | Comments(0)

捕獲された親子熊 

宮城には「船形山のブナを守る会」という”集い”がある。僕も彼らと一緒の山行や観察会にこの一年参加している。ブナの生態を調べたり、ダム開発の必要性を検証したり「学び」のある有意義な団体である。その集いの発信するブログに「捕獲された熊」が動画付きで載っていた。ブログ主は熊の行動を生で観察したり 無人カメラで撮影したり とてもユニークな方だが彼の考え方には筋が一本通っているので納得したり 啓蒙を受けたりもする。

今日はあえてその記事にリンクはさせていない、トラックバックもさせていない。が その記事を読んでの感想を自分のブログに述べてみたい。僕は僕の立場で 感想を述べるに留める。とはいえ 明日は彼らと、船形山の頂上避難小屋に燃料の薪を荷揚げすることになっている。私のブログを読んだ彼らも一緒に、熊談義に一花咲かせるだろうことは簡単に予見できるw


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第6回:せんだい「アンデパンダン展」より 作者:大塚 敬 9/26-10/8


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山歩きは18歳からなので、今まで何度も熊との異常接近はあった。その都度 熊もこちらが近づくとガルルルル…っと「コッチに来るな!」と言いたげに唸り声を発していた。潜んでいることが人間に解るように「無益な殺生はしたくないぞ!」と伝えていた。山で熊に遭遇する人は早足で歩いたり 走ったりする人たちに多いと見うける。早足の彼らも越えてはならない線を越えたために熊に襲われた。これは因果だ。熊だって襲うために人を待ち伏せたわけじゃない。
僕の場合は 熊との「間合い」という安全マージン 10m~12m を採るために 意識してゆっくり山を歩いている。

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人間と熊の間には他の動物と同様に隔たりがある…「人間上位」という考えだ。熊はやっぱり熊、鯨や鮪と同じように…である。人間が上位である限り、越えてはいけない線を越えてはならんのだが…餌を求めて里に立ち寄れば捕獲となる。熊にしても人間にしても区界を越えて「異世界」に踏み込めば…単に「生物」として扱われてしまう。ペットでも熊でも「殺処分」それが定めなんだろう。

人の住まわなくなった集落が増えたからか?、熊が増え続けているという実証からか? いづれ熊とのせめぎ合いのようにも見える。ジブリに「平成狸合戦ぽんぽこ」というアニメがあったけど、あれは設定が都市部近郊でのお噺。敵対関係が解りやすく筋書きが書かれている。しかし、東北の山間部は何が敵なのやら見えにくい「限界集落」を抱えて構図的(経済格差という南北問題、移住するにも金がない、頼る身寄りもない)にはさらに複雑だ。この親子熊の殺処分という問題も限界集落の抱える多くの問題の一つの典型になるのかな。限界集落で、「俺は人間だ」って彼らに向かって言ったところで何の効果もない、殺すか 殺されるか の結果だけが残る。

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世界ではグリーンピースやシーシェパードのようにやたら意図的な構図で「反捕鯨」、「虐待に抗議する姿」を表したがる人達もいる(資金集めという恣意が働く…)。それに対し、ニューヨーク在住の女性映画監督:佐々木芽生(ささきめぐみ)さんは伝統的な追い込み漁をする太地の漁師たちや 日常生活の中で食に召された鯨たちの魂を弔ってきた太地の人たちの「突然に外圧を受ける躊躇や苦悩」が 制作側の脚色の手が入らないドキュメンタリーとして映し出しているようだ。
それらに倣えば、熊の殺処分だけを殊更に捉えて「世論」を誘導するのは良くないと思うし、マタギという存在が消えゆく今にあって 世界各地での係争を教訓に「熊捕獲」問題だけがことさら発展しないように論理的に整合させる必要はあるのだろう。

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さて・・・、檻の中の親熊には覚悟しきった諦めというか?虚脱感めいたもの?を感じる。話が飛んじゃうんだが、それはISISによって斬首された「 I am Kenji 」の言葉を残した彼の覚悟しきった虚ろな目と同じように映る。熊と同列視するのは不謹慎だが、昨年はテレビでさんざん見せつけられたものだから一種のPTSDだ。越えてはならぬ一線を越えたものの定めという捉え方である。(誰が危険な地に行かせたのか?わからない。政府は一昨年11月ごろから情報入手していたというが、公表では、初めて知ったのは今年1月だという???この整合性のない政府談話はじつに謎の多い事件だということを物語っていた)。

この親子熊を実際に見てしまったら…この熊肉を食べることができるだろうか? 捕獲現場や殺処分現場を見ていない人たちからすれば 鯨や鮪と同様に食肉として食べることができると思うが。言い換えれば「食肉」という行為は一種の「踏み絵」のようなもの。一方では 何も考えずに”熊鍋”と称し食べる人たちがいる 他方では 吐き気を催す人がいるのも確かだろう。見てしまったら、、、食べれない、どちらかと言えば僕はそっちかもしれない。

----------------------------以下は10/29以降に追記した------------------------------------

僕らの世代では日常的に、鰻や蛇は捕まえて 皮を剥ぎ 焼いて食べてきたし 兎もご馳走だったりもした。鶏なんぞはお祝いの都度、目隠しをさせて鉈で首をチョンとはねたりする。子供心に 首のない鶏が5、6歩走る姿を見ることがあった。あまりの気持ち悪さに嘔吐したものだったが…馴れっこになってしまえば笑って観たりもした。。。 そう、東京オリンピック以前は、どの家庭もつつましく暮らしていた。その中で、鯨も イルカも 鮪も 熊も 鶏も…人間の食料として供される、その構図以外はなかったのだ。最近ペットブームとやらでペット霊園なんぞの看板を見ることがあるが むしろそっちの方に違和感を覚えるのだが…。

一線を越えて里に現れた「害獣」一般を「ペットに接する目線」で、または「動物愛護の論理」で、同一次元に持ち出すのは間違ったアプローチだと思うので注意が必要だ。 しかし、それにしても わざわざ一日2万円を稼ぐために一家総出で笹薮に入るタケノコ採りの危険性も理解していかないと ゆくゆく熊の生息数は激減し狼と同じような絶滅に至る日を早めてしまうのではないか?とも思う。

今年になって秋田県では533頭ものツキノワグマが捕殺された。「人食い熊”スーパーK”」もあまりにセンセーショナルな「見出し」だが ここは冷静に「種の保存」を考え管理することも 上位の人間たちに課せられた課題ではないかということである。そうした「棲み分けの理解」がないと ゆくゆく「絶滅の道」に至るのはどうにもできない。僕は グリーンピースでもシーシェパードでもなんでもない立場だが「一方的過ぎる熊の評価には注意が必要だ」という立場を採りたい。
 
唯一わかっていることは 絶滅させるもさせないも 総てが人間たちの判断・行動にかかっているということ。極端にいえば、タケノコ採りがなくなれば熊との事故も起きないと言える。また秋田での争点は 「タケノコ採りが熊との縄張り争いから来ている」という見方が成立する。それならば 熊との争いを避けるためにタケノコ採りを合理的に指定地だけに限る施策も必要だ。だが、人の欲はあさましく 立ち入りを規制すればするほど「人が入らないからタケノコがたくさん採れる」と閃くらしい、そんなタケノコ採りに入ろうとする人たちの「業」を見逃してはならない。スーパーKも含め 熊は人間たちの欲、業の犠牲者かもしれない。

それにしても 「2年子」は来年夏に親離れする。その直前、今朝ほど罠にかかってしまった。その瞳、、、碧い色味懸かって感情的には愛くるしいものがある。
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第6回:せんだい「アンデパンダン展」より 作者:高橋はる 9/26-10/8




by tabilogue2 | 2017-09-30 11:51 | 船形連峰 | Trackback | Comments(0)