d0347140_19270036.jpg

浦和浪漫の面々(赤崩にて)。。。 見てのとおり小綺麗な男子は一人もいないw、「ザ・沢ヤ」専門集団。奥利根を渉り歩く猛者ばかり集まっている・・・といえば嘘になるか?…じつはその真反対、一人ひとりは とても繊細で、恥を充分に弁えており、自己アピールを特にせず謙虚、にこやかだが、己の殻にこもるのを得意とする面々だった。だが一旦 組織の力をまとめ上げれば、どんな険しい奥利根の沢でも越えて集う、「ジッピ」の険谷に入り縦横に踏査し続ける、会を愛する「帰属意識」の高い連中だった。今は解散しており会名称は誰も使えない。高桑さんだけが「ろうまん山房」を名乗ってマスコミ業界の端っこで過去を肥やしに著作活動しているけれど?傍から見れば、おかしな話にも見える。 なんせ山岳会が為した偉業を崇める人は全国で数多だったから。その多くは「解散したのは何故?」と尋ねるが、、、すべては闇の中。 ”すったもんだ”は世の常というところか? 現在、旧会員たちは新たな山岳会を立ち上げ活動している。




せんだって 谷川岳の帰りに秋・黄葉の山を下見しながら「六十里越」を通って会津若松に抜けた。

入広瀬の村から眺める山は 昔々に歩いたお山が居並ぶ。ホント懐かしい。国道252号線から見える山は 横山、猿倉、前毛猛、毛猛、百字、太郎助、浅草、中ノ又、蒲生、大峠、御神楽、、、残念ながら会津朝日、城郭朝日、丸山、村杉、守門はその奥に据えており国道からは見えない。

もともと村杉(半島)を巡るというのは 只見から田子倉の集落、銀山平、日暮平、大津岐へと陸路による往来道があったからだが、ダム完成(1960年)以前からここの水利権はここで暮らしていた田子倉集落の人たち(50戸 290名)の生活権でもあったわけだ。また当時の記録(昭和29年南会津山の会)には大鳥下流に「カゴ渡し」が記録されており、ダム完成以前の只見川がいかに深い谷であったかが推察される。そんな奥まったところにも開墾の出戸小屋があったそうだ。すべからく埋もれてしまった。その生活補償問題で大いに揺れたということだが 曽野綾子『無名碑』、城山三郎『黄金峡』に当時の補償交渉(田子倉ダム補償事件)やダム建設に絡む人間模様が描かれている。


d0347140_13043228.jpg
只見川のカゴ渡し(昭和29年)「いろりばた 59号」より



六十里峠を越えてトンネルを抜け田子倉ダムサイト駐車場に車を止めた。20数年前、ここから小舟をチャーターし向かいの村杉半島に渡った場所だ。かつて歩いた尖った山並みが続く。表正面には村杉半島の先端がもう少し右手に見えるはず。半島には白沢と岡沢の中間に突き出た岬があるがそこに船を横づけして(下の画像)、いよいよ半島に取り付いたものだ。稜線で待ち受ける大藪はこの世の終わりかと「悲壮感」で登った、漆の木ほどの潅木の嵐だった(´艸`) 送電線下を抜け、横山、猿倉山を目指した。氷と雪壁と密藪と険谷と、、、目を瞑れば一筋となって思い出される無名な山たち。

ちなみにマタギたちは猿をベイと読んだらしい なので「猿倉山」の読みは「ベイクラヤマ」が正しい



d0347140_13152134.jpg


「六十里越」の話に続き、「八十里越」の話に変わる。入広瀬から来ると只見の駅前で黒谷宿場への道を右に分け、まっすぐ只見の街中を過ぎ叶津へ向かう。その集落を左折し浅草岳への登山口である入叶津から 司馬遼太郎の長編時代小説「峠」に記された八十里の峠道が始まる。(旧)八十里越は、山神杉(さんじんすぎ)を通り、小三本・大三本沢・木ノ根峠・田代平・鞍掛峠・ブナ沢・番屋乗越・吉ヶ平となっているがまさに大三本・小三本を渡っている。天保時代に造られた古い石積みも平石山に確認されている。いま現在は建設中の国道289号線 そのアスファルト道の途中、大麻平(おおまだいら)からの(新)八十里越だが難度がかなり違っている。さらには「天保旧道」と「明治新道」の間、遅沢左岸に「化け物谷地」のある「明治中道」とされる道もあったようだ。長岡藩の敗走には「天保旧道」が使われた。

新潟側下田(しただ)・三条と会津側を結ぶ道は律令時代から既に交易で存在していたわけだが(たとえば霧来川の三条集落の形成のように)、たまたま北越戦争時に 落城とともにそれを伝って継之助が落ち延びた。目下、明治維新150年ナンタラ企画で「逃避行」「敗走」が話題にはなっているが、”河井継之助の存在があって八十里の峠路がある”と考えたか?小説のように…官軍に追われる長岡藩士1200名(総勢5000名 子女・家人も含む)さながらこの峠路の悲話を追い求めるファンが後を断たないそうだw。その点からしても 主客を「逆さま」にして峠路を想う方もおられるのだろう。そこで、まずは「人々の往来 生活 交易のために道は開かれた」ということ。それがすべての道の基本だということ。それを時の権力者たちが利用したということ、、、事実はそれだけのことなのだが。。。全国各地で古道復活・温故知新などを旗印に「武士階級や上位者の立場」で物事を観るばかりで 今の古道ブームには当時の「生活者」の立場、観点が備わらない。

たとえば、暮らしにとって重要な「塩」であるが、、、江戸時代の初めまで会津地方の「塩」は小名浜一帯と相馬から仙台にかけての浜から採れた東入り塩が中心だった。その後、大阪から日本海を通る西廻り船で播州や尾道で採れた良質な塩が新潟に陸揚げされた。それが西入り塩である。あまり聞かされていない話だが、幕末に京都守護職になった会津の殿様:松平容保が幕府から領地を加増された際に、特に「新潟の一部」を容保は希望したといわれる。瀬戸内からの「西入り塩」を安く安定的に手に入れようとしたわけだ。文政三年(1820年)、御蔵入地:今の高田町以西、只見川以南の地方に7000俵の塩が運ばれたという。新潟港より阿賀野川をさかのぼって津川町で陸揚げされ、津川から野沢や西方へ駄馬で運ばれた。瀬戸内の塩は十四貫入り(52.5キロ)の荷姿だったので、津川での陸揚げの際に坂下の叺(かます)と縄で 米同様に一俵60キロに荷造りを仕直して運んだそうだ。奥会津に入る「西入り塩」は 1新潟-津川-野沢-西方-御蔵入(主として金山谷) 2新潟-津川-八十里越-奥会津-伊北 3新潟-津川-柴倉-柴倉峠-宮崎(大山越) 4塩沢でとれる地塩 だいたい以上のルートで 御蔵入地に用立てた。 この「塩」の記録が示すように ここは厳然と古来からの「塩の道」なのである。なかには時代錯誤した「明治」「権力の復古」を標榜する諸輩もおられるので 立場の違いを明確にしておきたい。あくまで「歴史は歴史のまま」、この考えが基本。権力を美化する「歴史修正主義」に陥ってはならないし、それこそ会津藩「什(じゅう)」の教え「ならぬことはならぬものです」を学ぶべきと思うが。。。

話が大きく逸れてしまった。もうひとつ、「間道」としての「 裏 」八十里越がある。それは只見からの道をさらに北進し蒲生から入る。異様な姿の蒲生岳を右に見て真名川に沿って進み、いよいよ細々とした幽かな踏跡の山道となる。笠ノ沢から左に折れその沢沿いを赤崩峠まで登り、ゼンマイ小屋の掛かる赤崩台地まで降り進んで、、、その先 新山(しんやま)峠・ふき平(ここまでは分かるのだが、ここからの登り口が解らない。高桑さんだけが知っていたが当時は踏破していない)・五兵衛小屋・日本平・川胡桃沢・大江となっていたようだ。私は赤崩台地から赤崩沢を中ノ又山に詰めて 粟ヶ岳 青里岳 矢筈岳を眺めたことがあるが 隣の五兵衛小屋へは登っていない。周囲は低灌木で、採掘した鉱石を焼いて粗鋼を採った赤紫色に焼けたボタ(ズリ)が其方此方に打ち捨てられていた。金山町の金山史談会所蔵の古文書記録によれば 黄銅 錫 金 銀 鉛などが採れていたようだ(鉛鉱は隣村の金石ヶ鳥谷山でも採れたようだ)。一説では赤崩-中ノ又-五兵衛小屋は稜線上で繋がっていたとされる。というか 元々それが本筋だったらしい。明治期の鉱山開拓で新ルートが開かれ新山峠のルートになったようだ。




d0347140_22104689.jpg


叶津川、蒲生川、塩沢川、滝沢、霧来川、風来沢、、、かつて浦和浪漫や郡山労山と行動を共にし、YMCA在籍時に仲間ともよく通い手慣れた山域になっていた。凍った雪に削られ、ビンビンに尖ってる峰が続く。なかでも 守門岳隣りの烏帽子岳などは地元・下田の言葉で「ツンネ」と呼ばれているが、ドイツ語の「チンネ」と似る。これは尖塔・岩塔を意味するが、近代登山史の黎明が地方の言葉を変遷させた一例であろうか。

アバランチシュートのスラブ群や細尾根の岩山ばかりだが 眺むれば眺むるほどホッとするものがある。会越山脈、私は親しみを持って「アイエツ」と呼ぶことができる。これが所謂「情念」というものだろう。心に情念を宿さず山を登るなんてこと自体「無味乾燥」で「脱けガラ」を意味する、、、山に対する礼を失している。「ヤッタ」「登った」と「脱けガラ」を数百も並べて数えるのはまことに無意味と思えるし「大人のすることじゃない」。むしろ冷静になって山に対する「造詣のなさ」「タメの無さ」を嘆く自分でありたいものだ。

ちなみに余談だが・・・ 会越か、岩越か?と「南会津山の会」でも論争の緒wが(いろりばた69号 川崎精雄 昭和63年発行)ゆかしく紹介されていた。いわく 会津という国はもともとなく、会津という名は地方名、もとは岩代国という旧国名であると。なので国境というのであれば岩越ガンエツ国境と呼ぶべき ということらしい。確かに 野州と岩代を結ぶ鉄道を野岩鉄道としているが、登山体系でのアイエツが市民権を得たのだろう。地元を知らぬJAC会員が登山体系を記せば「アイエツ」となるか?

八十里越、、、明治維新150年ともあいまって今は歩く者も多くなり、また只見側の国道建設も進んでいるようで ブームとは無縁の私のような者にとって歩く由縁もなくなったほどの変わり様だ。歩いた当時は入会権のある農家が自主規制、ピケ線を張っていて建設中の砂利敷国道でさえ走ることができなかった。そのワケは、他所者が入ると山が荒らされるという単純な利害意識なのだが 部外者である登山者もその枠にはめられていた。中にはそんな規制された登山者の気持ちを察する農家もあって 朝夕に人目を忍んで特別に施錠を外してくれたものだが・・・逆に 現在の観光化が進まぬうちに?手付かずの古道の雰囲気を新潟下田側の八十里越に求め 深まった秋にでも歩いてこようかとも思う。


d0347140_09553043.jpg
守門 浅草を背景に 朝の定時交信をとる 田中パーティはまだ三ツ岩あたり。。。



だが、、、もし 20年たった今に いにしえの径を行くとして、、、

秋田・仙北街道のように「叢を掻き分けることもなく 草刈りされた綺麗な道形が刈り開かれている」ようであるならば、想いは裏切られたのかもしれない。まあそれも「古道ブーム」という”時の悪戯”なので…仕方がないことではあるのだが。羽後岐古道も、仙北街道も、八十里越も、裏八十里も、沼田街道も、、、自分が歩いた当時は大藪 小籔 叢の杣道だったとだけは付記しよう。それも僅か20数年前のことだ。

所属山岳会が桑原岳 栃ヶ森 大胡桃 小胡桃 いわゆる桑原山塊の沢を歩いてから既に20数年が経っている、、、たとえば時代の様変わりの例として、前沢・仙北街道東端下嵐江(オロセ)に建てられた、どでかい黒御影の墓石のような標石、、、いったいこれは何?と思ったものだ。それが古道の「象徴」となしたるや如何なものか? いにしえの径が地方の商工課の手によって一方的に「観光化」されてしまった。「その土地の古道を見る目、古(いにしえ)の価値を識る目」がその程度でしか無かった という証しであり、恥辱の碑み。この径を越えてきた者に この碑を見て、長かった峠路を回顧してください なんて言えたものではない。 

古代から続く径を たった一日で踏破する「古道ブーム」の世の中だから 全てがすべて、形ばかりの「古道歩き」になってしまって、、、古道を巡る情念とか、昔人への思いとか、誰がどんな思いで「峠」を越えたのだろうか?と想い巡らす人も居ないのだろう。観光課 商工課にすれば所詮は上辺仕事、、、予算が立てば、その消費にしか身が入らぬものだ。その結果が「墓石」なのか? 峠道 古道 かつての径 消え去った歴史の道に想いが通わないではないか。その結果には興覚めだった、、、地元とあろうものが、自分の首を自分で締めるオチにはいささか まいった。


この歳だからこれらの峠を再び歩くことは…もうないと思われる。こんにち再び 峠を往く価値とは一体何だろう?と考えると この世に「生きた証し」としてなら再び歩く価値は充分にあるはず、息子、娘と行くならその価値もあがる、これが親父の歩いた山道、沢だ ということになるのだろうか。20数年ぶり?”老いたアイエツ”に火がついた、これも”懐古趣味”という大枠の中なんだろうけれど 自分でも答えがわからないでいる。だが 通い終えて20数年が経ったと思うと 妙に不思議な懐かしさだけが遺るのは確かだ。若い時分、遠く仙台から通ったわけだが、それまでして「いったい何が?会越へと心を焚きつけたのだろう?」、、、じつに会越の魅力とは? 何度も何度も「深淵の渕」に立って考えてみた・・・。

その答えを求めれば求めるほど 掴もうとすればするほど 答えは深く、遠く、奥まっていく、、、だから なお不思議だ。 おそらく まあ でも そんなもんなのだろう。だってもくそも、沢登り 山歩きは僕らの「生業じゃない」ということだろうし、たかだか個人の「趣味にしか過ぎない」ということでもあるからだが。つまり 深みにハマるのはその「成り行き」、それらの結果、だから「そうなってしまった」というだけのこと、突き詰めてもしょうもない。その必要もないが(笑)ただ、少なくとも言えるのは「情念」を抱かない限り20年もの時を費やし追い続けられるものでもない、、、それだけは唯一、解っているつもりだ。 

次の山旅にでて自分で納得さえできれば、、、かつて高桑さんたちも一宿一飯の世話になったという越後長野温泉「嵐渓荘」で豪勢な酒宴を開くつもりだw。



d0347140_10170112.jpg
「帯広わらじの会」に所属していた知沙子さん 入会一年で既に「山の気」を感じ取っていたらしい 感性が素晴らしい女性だった
そんな彼女のもっていた感覚的なものを 現役の登山者にはこの本を手にとって 朧気にもちょっとずつ掴んでもらえばいいかな。。。



「みんなちさこの思うがままさ」 

池田知沙子さんが亡くなって20年が経つ? 私より数えで3こ歳上なのに…50歳のままだなんてズルイ(笑) 最後に会ったのは・・・? たぶん春合宿3日目の朝、トランシーバ交信が最後だったのかな?。。。「風邪ぐらいなんだ!?」「体調が悪いって?そんなの 酒呑みゃ治るっ!」とか、ご託宣だったw お酒ならウワバミ級?そんな彼女からのオシカリ、自分たちが歩いた背後にルートができるという只見の山中での電波のヤリトリだったが、、、ご自分だってバテてるはずなのに叱咤して頂き、それが実に池田さんらしくてありがたかった。

20年が経った・・・ということは 彼女が浦和浪漫に在籍した年数とほぼ同じ年月が流れた ということ。今でも 彼女のクシャクシャしてる笑い顔を思い出す。おまけに あのクリクリの瞳で見つめられちゃうとヤンチャ坊主は直ぐにおとなしくなったもんさ。すてきな女性だったなぁ 二度と現れ出ないだろうなぁ。



吉ヶ平-椿尾根-番屋乗越-ブナ沢-空堀小屋跡-殿様清水-鞍掛峠-田代平-木ノ根峠、もぅ一度歩こう。書き込むうちに どんどん記憶の扉が開いてまるで昨日のことのようにw 追記の嵐にあってしまった。 同様の追記は今後、下田八十里越を歩いてからにしようと想う。きりがナイ。















[PR]
by tabilogue2 | 2018-08-26 20:36 | 会津・越後 | Trackback | Comments(2)

d0347140_14451639.jpg
>ばやん老人さん  どれがこの主題の尾根か見当がつきますか?



かつて、僕らオヤジ世代が若い時分に この鬼首高原に追い求めてきたものといえば? それは…「冬の禿(はげかむろ)のリッジ」 でした。


「冬の禿」に向かう この言葉の意味するもの

ヤマレコ ヤマップ FB ブログ…の若者たちは いっけん自慢気に? 写真の見映えよく 楽しそうに みんな笑って写っていたりしますが・・・昔はオチャラケを言う?チャライ?奴ってのは避けられたと云うか?いなかったですw ほんとか?(笑)宴席では極端に豪快だけどじつはストイックな青年だったり、心優しい山男だったりで、でも反面 無口で、自己中で、没個的に山の文学本に耽る、とっつきにくい?といった、周囲はそれらに窮屈感を覚えるほどでもありましたw 福島の会でも仙台の会でもみな一様に組織の力で腕前を磨くものばかりでした。山岳会だから…当然といえば当然ですけど(´艸`)

経験もなく、知識もなく、技術もないものは 先輩の行為を実践中に覚え込む。何故?どうして?などの理屈・裏付けは 後から自分で学んでついてくるもの としました。現在なら 山や冬山の経験のないものが突拍子もない事を自由に発言できるし ネットにワイワイ載せることもできます。知識が間違ったままでも 確かめもせずとも 公然とブログに書くことができますが… 最近の話題では人気バンド・RADWIMPSの「HINOMARU」のなかの「御国の御霊」という歌詞。日本人のアレル源、障る言葉が歌詞として並びます。「HINOMARU」は軍歌だ!とネットで批判されていますが 当の本人・作詞者の「時代性」を理解する心の欠如による歌詞選択という一般的な常識とのギャップ/乖離が物議を醸しました。歴史や政治に無関心である風潮が生んだ「言葉選び」、、、一つの典型ですね。

その昔、「恥はかきすて」…というようなことは山の世界にはありませんでした。 経験年数や入った山域、所属山岳会の名前、沢か岩か雪山か尾根か?の志向を聞いただけで…技術レベルが判断された時代です。 見栄を張ったり嘘をついても 実際に岩に向かえば?、スキーで数歩 歩いただけで技術レベルはすぐに分かりますから、経験のないものへは無視またはスルーで対処すれば終わっていました。経験ないから「しょうがない」てね。 昔は「恥」をわきまえていたんで 未経験者ましてや初心者は静かにしていたものです。周囲も相手にしてませんでしたし…。ネットのような増幅装置もなかったし ネットに隠れて物を言うこともなかった。

d0347140_10225882.jpg
休憩中に オカリナを奏でるCさん


で、、、経験がないからこそ山岳会の門戸を叩き、岩場からヤマメシ調理、人生訓に至るまで色々と学びました。手ほどきを受けたわけです。伝授・伝承・手ほどき、、、こういうインシュレーター機能(中間機能)があることは山岳会という組織のメリットです。いきなり小学生に大人の背広を着ろ とは言いませんのでレベルに合わせ段々と、でも徹底して覚えさせたものです。当時は周囲に余計なものがないので散漫にならずにただそれだけを「ヤル」ことで どんどん身につきました。

技術とノウハウ、対処とセオリーの紐付け、判断と伝承などの手段が組織にはありますが、ネットにはこの重要な機能はないでしょう。動画などで積極的に補う努力はされているようですけど。ネットを見れば「答え」は即座にわかりますがどのような状態でその知識「答え」を使えばいいのか?その紐つけ…がよくわからない。だから、経験がないから「しょうがない」と済まそうとしても、周囲のネット民は済ませてくれません。逆に「無知」を増幅されて拡散・炎上するのがオチでしょう。

そうそうには滅多に来れない冬の禿… その登り方を僕らの世代は若い頃に必死で見て聞いて覚えたわけです。腕を磨き 知識を豊かに保持し 謙虚に 出しゃばらず 山岳界の先輩に教えを乞い… ピンチになっても最良の回避策を打ち立てて全員が安全に帰投できるまでに 地道に手ほどきで鍛えられたわけです。ネットの人気者のように ポっと出のリーダーなんて現実にはいません。経験に裏打ちされたリーダー会員を山岳会は冬の禿という「実践の場」で重ね 育て上げてきたわけです。

「実践の場」、その一つが冬山。ハウツーを越えた「総合力」を確かめられるところといえば「厳冬期の岩場」となります。(高校の山岳部程度ではやりません) 一歩踏み込むと足元からバスッと、鈍い音とともに亀裂が入って雪が切れ、畳数枚分の横幅でゴッソリと雪が弱層面を滑り出し、谷へ落ちていく…これは実際 焦りますよホントw 岩と雪のミックス、雪面のわずか数センチの踏み代に命運を託すわけです。その状況をこの眼とこの体で学んできました。斜面の雪がデリケートに引き合って静止する「細く長い稜線や尾根」をリッジといいますが 裏を返せば… 刺激があれば即ぐ崩れる不安定個所でもあるわけで慎重に雪の下層部を読みとります。そこが「判断」なのですが 経験がなければできません。

人の後ろなら歩けるけど…先頭はムリ。「コピー登山」しかしていないし…って、コレです最近の問題はコレが遭難の一因になってきています。25年前、5月の涸沢カール・小豆沢でのこと。 穂高岳山荘に向け小豆沢を登っていたとき、自分の後ろに長い隊列ができていて凄く焦りました。誰かが登り始めるのを待っていたかのように各テントから飛び出してきては後ろに並ぶ、どんどん隊列が長くなる。その長さにビックリしました。出発か待機か?その判断力を身につけるために冬の穂高に来たんじゃなかったの?涸沢のど真ん中にきてまで数珠つなぎだなんて、、、「右ならえ」の日本人気質はずっと昔からあったんですね。

d0347140_16165525.jpg

で、、、ハゲ禿を眺めていたら 急に…思い出す といえば、、、初登から数年後の2度目のテント泊の夜。呑みながらザイルパートナーの表情を読んでいた時。ヤツは緊張からか?次第に無口になり、しきりと酒をあおり始めるのでした。当然 酒が切れるとヤルことがありませんから 悲壮感を枕にして寝ることになります、消灯…。だが パートナーはたぶん夜明けまで?一睡もできなかったんじゃないでしょうか。

「ハゲ禿の初登攀」がそうさせているわけで、恥でも何でもないのです。初登攀で味わう葛藤に対して我々の誰もが横から口出ししたりはしません。心ゆくまで(?)その葛藤と向き合ってほしいからです。自分から 登るぞ!と意を決する、「克己」の瞬間を黙って待っていてあげるのです。結果、逃げ出すことだってできるわけですけど、待ちます。仲間は厳しい だけど優しいのです でも厳しいけど(笑)

冬尾根で「一番のり」をやる…、新雪の斜面に最初のラッセル跡をつけて登るということは「岳人の誇り」でした、当時の価値観でしたけどね。誇りではあったけれど、しかし「バケツ」のない(他人の足跡がない、他人のコピーじゃない)斜面は恐怖でもあり過度の緊張を強いられるものです。だから尻込みして酒をたっぷり飲んで、恐怖から逃げられない夜を明かすわけです。組織としては そんな弱い心の持ち主を冬の禿の岩稜に差し向けるわけには行かないのです。

ハゲ禿のリッジに踏み込み、「冬の禿」に向かう…この意味するものは?と考える。 今もそうだと思いますが所属山岳会の「運営委員会からの指名」であり 「組織に実力を認められたチャンス」であり 「命を懸けたトライ」であるはず。人の秘めた能力を山岳会という「組織の力」で顕在化させ 育て上げているわけです。だから指名されるわけですが すべては安全登山のレベル維持のためです。各種ネットで展開されているような「ライトな山行報告」には決して書かれっこない「心の内側」の問題を山岳会は冷静に見極めていました。冬山というのは夏道歩きでは身につくことのない、一般に想像すらできない孤独な戦慄をもった山で、尖った会員たちだけの特殊な分野なのかもしれませんね。厳冬期の岩稜というのは理解するにも一般的には困難かも? そもそも価値観が違うし…とかいわれてしまいますし(笑) 仙台の山岳会の中でも「冬の禿」をヤルのは限定された山岳会だけでしたしね。

道半ばで山岳部を退部した方、方向性の違いから社会人山岳会を退会した方、中には逃げ出した方も?当ブログ読者にはおられることでしょう。 でも結局、その方々も、貴方も、私も、山が好きで今も山を続けているわけです。逆に言えば、、、不器用さもあってか?信念に基づいてか? 困難を乗り越えて「やりきった方」って凄いですよね。山岳界の「レジェンド」とも呼ばれています。

「船形山のブナを守る会」には朝日連峰の沢を跋渉してきた燻し銀な?レジェンドたちが「会の運営」にあたっています。みなさんも 興味があれば観察会に参加してみてください 面白い話が聞けるかもしれません。次回は 船形山避難小屋の薪の荷揚げ 9月30日だそうです。

d0347140_16332097.jpg

[PR]
by tabilogue2 | 2018-06-06 15:35 | 鬼首高原 | Trackback | Comments(0)

d0347140_17424086.jpg


新年 明けまして おめでとうございます。
 本年も よろしくお願いいたします。 


今正月は年末から松が明けるまで家事に専念。「主夫業」というか「終活」、人生一度キリ!どっちが早く逝くかなんて誰にもわからない。 老いても「主夫」として自活する方向で!「 いつ逝くの? 今でしょ!」って?そんなのわからんw けど・・・準備だけはしとこぅ ( ´艸`) 先を見て、掃除・洗濯・炊事、なんでもこなし、「自活」をテーマに暮らし、山遊びもしよう、本も読もう。。。死に際に往生際が悪いのだけは「恥」と思って 今のうちにやれることはヤッて「老い」を生きよう。

健康なうちに「終活」ヤッておかないとネ (´艸`)  お陰さまで、正月にやってきた孫たちにはミートソースとカボチャ入りクリームシチューを作ってあげることができたし 娘たちには福島の味であるイカニンジンと田舎風味の白菜漬けを食卓に出し 福島の”ふるさと”の話題にもなった。被曝の話もしたし補償打ち切り問題もした。大事なことを娘や旦那さんたちに伝えていかないとね。立ち消えになっちゃう。

年越し蕎麦もオヤジの役目に定着、17年?になる。大根おろしを摺ってきざみ葱とワサビを用意し、茹で上げた蕎麦を冷水にガンガン晒して、水切りしたら一口大にくるくるっと捲いて大皿に盛る。くるくるくるっと大皿にたくさんの渦巻きを眺めながら蕎麦を戴くのが当家流。孫のウケがいい(´艸`)。蕎麦は大久製麺「さらしな蕎麦」と17年前の「月山正月合宿」食当で年越しそばを合宿メンバーに提供して以来ずうっとソレだ。仲間のウケが良かったのだ。

今年に限っては次女の縁戚から戴いた「七ツ森蕎麦」に変えた。芯粉で打ったきれいな蕎麦だった、タレもおいしいし、蕎麦湯もきれいに白濁した。でもよくよく考えてみると…家族が集まる年夜の晩ぐらいは「定石通り」「定番」「保守」でなくちゃいけなかったのかもなぁ(´艸`) 世の中あまりに変化し過ぎるから…、こういう団欒にこそ定番が一番、「安心」が味わえるのだと思う。
 
じつは・・・先日、七十の手習いって言うか?調理能力UPのため生まれて初めて”天ぷら”を揚げたノ(;´・ω・)あぁキンチョーした。ネットで粉の溶き方 冷水 溶きすぎない 具材の厚さ 油温 油とり紙 下味つけ などを学んで速攻で実技に挑んでみた。実際、、、野菜かき揚げの具材を天ぷら鍋に投入したら 揚げている最中に天ぷらの具材が勝手に散り散りになってしまった。で、四方八方に散ったニンジンとゴボウを集めて、それに溶いた玉ネギを乗っけて、集めて乗っけてまとめて、集めて乗っけてまとめて…を繰り返すハメにw、かき揚げならぬ「かき集め揚げ」になってしまったw どーしてこーなるの!?(。´・ω・)??? 台所の換気扇に向かい声を大にして叫びたかったぁ(´;ω;`)ナキ

クックパッドには何故?どうして?の答は書かれていない…てことは、これって「暗黙知」なんだろなぁ。 天ぷら用の「網お玉?」を使えば簡単らしい。でもまあ自分評価で1回目にしては上出来、あとは「経験知」を上げればいいと思ってみた(´艸`) ジコマン 

昨年から始めた「終活」で料理の下準備・下ごしらえが板についてきているからだと思うが、段取りなんかはパパッとできるようになった・・・それが料理が上手くいってる主因だと勝手に思っているが( `ー´)ノジガジサン。 粉を溶きすぎない 冷水で溶く 油温 具材の厚さ この4項目さえきちんとできれば油温180℃で揚げる上では何の問題もない ( ̄ー ̄) ホントカ? いつの日にか「終活料理」をネットに特集したいものだw「インスタ映え」を狙えるようになったらブログにアップしてやろw ”毎日おりょーり楽しんでるわー” とでもペイントで吹き出し…しよっと「終活いかが?」っともw。真実は常に「真逆」だ(´艸`)(キャラ弁はやり過ぎだと思うけどなぁ 本音)

家伝にしん昆布巻 家伝にしん山椒漬 人参シリシリ いかにんじん スライスニンジンのレモン和え キュウリ・玉ねぎ・大根クスクス各種サラダ&ソース各種 ジャガ芋ニョッキ・かぼちゃシチュー じゃがいも・挽肉・ベーコン炒め 肉野菜炒め レバニラ炒め なす・挽肉炒め 野菜カレー 甘塩鮭シチュー ビーフン・野菜炒め キャベツ回鍋肉 キャベツコールスロー(極細) せり鍋 タラ鍋 鍋各種 ポークジンジャー ハンバーグ ミートソース たらこスパ スープスパ各種 玉子焼き ベーコンエッグ 蕪漬け 白菜漬け キンピラゴボウ お出汁 味噌汁 吸い物 麸椀もの 魚の下処理(鰯・鯵の開き 鯖三枚おろし 鰈の五枚下ろし) 刺身各種 それに天ぷら・・・

昨年一年やり抜いた「終活」のお陰で(料理とは言い難いが)単品で30品は作れるようになった。山料理とラーメンの具、肉野菜炒めと焼ソバ・うどん、ミートソース…ぐらいしか作れなかった30歳の頃に比べたら雲泥の差、進化だ。「やろう!できる!」の合言葉通りとなった。これ以上は言わないwww にしても 女性というのは普通にこれらをチャッチャと料理しちゃってるわけだから大したもの。その腕を持ってして男の一人や二人を料理するのは、朝飯前・・・か?www

d0347140_13161727.jpg
  1. かぼちゃクリームシチューと海老入りニョッキ


-------------------------------------------------------------

さてと、、、ここから 今日の問題だ。耳が痛いだろうけど、ちょいと聞いとくれ。

●アマチュア趣味とプロ、、、自分を売り込むためにネットを利用しようとする。その為に交際範囲を広くし、カテゴリーも山や花に特化し自己アピールに余念がない。行きつく先…は「独立願望」「コラム執筆」「企画プロデュース」「物販営業」など…ネットで身を立てるという目論見。でも余りに見え過ぎてしまうとモヤっとする。周囲は「趣味の友」として親しくしていたわけだが、本人は次の人生目標に向かい「今」を踏台にしてサッと飛び立つ。「趣味の相関図」を「商いの相関図」へと塗り替え新たな人脈を構築しようと明日へステップする。もう「趣味」という護符はつかえない。

●仮想社会の眩みに陥る、、、社会生活をある程度犠牲にしないと趣味は成就しないもの…、ただ、ソレのために仕事や家庭を放棄もしくは蓋をし、「できる自分」で居たがるのも困ったもの。実生活から乖離したネット社会で「理想的な暮らしの中にいる」「趣味を満喫する」「チャレンジする」姿をアピールしたがる。しかし読者側にすれば「真実は正反対に潜むもの」と達観する。だが、そうであっても今日も虚構を盛ろうとする・・・裏側の透かし彫りがさらに深まる。

●中高年の”パターン化”、、、2003年に”ホームページ”を始めてから15年。車趣味の集まり「泉ヶ岳ミーティング」HTML形式ホムペ以来…ネット歴は長い部類になるのかな。それだけ色んな人達を百人単位で見てきたことになる。車関係では若者たちの多様な志向を知ったし、”2ちゃんねる祭り”というネット内騒動も処置してきた。山関係では中高年の画一的な金太郎飴に出くわし、ネットを開けば中高年のパターン化された「人間模様」が間断なく寄せてくることに気づく。ここいらで…ネットに支配された思考や生活を停止しよう…と思うほど。

●仮面を被って、、、「他を意識した」自分があって、「他にウケの良い」写真や、当たり障りのない論調にうんざりする。本音が裏に押し隠され、代わりに「虚構」が表に押し出される風潮。他を「意識している」、他に「観られている」、他に「嫌われたくない」、、、そんな自分が書き綴った意味のない「仮面」たちのブログ。 それじゃぁ 反対に考えるとどうなるのだろうか?…「素の自分」が内外面に起きている事実を書く、それをどう思うかもキチンと意見を書き添える…となる。この辺が気になり当ブログも暫時休憩…点検中だ。 結局「軟弱さが身を守る」とでも人生訓を得ているのだろうか。

●主客逆転生活、、、 ネットのために、ブログネタのために、山に登っているわけじゃないだろう?耳が痛いか?w が、ココを主客転倒するケースが増えてるんじゃないのかな?皆さんはいかが?一概に否定もできない?(´▽`*) 普通に自分の生活圏をとらえると、この冬空にそんなにそんなに「事件」は起こっていないと思うが、違う?w いや? 無理して起こそうと努力してるんだったね君は。ブログネタのために三日に上げず山に登ってるんだから。 

-------------------------------------------------------------


まだ今年も、、、里山を歩かないつもり 

今まで此の方、「里山を歩く」という概念を自分は持ちあわせてこなかった。学生時代から「山岳指向」で今もって頭の中は、標高でいえば4桁以上(出羽丘陵など例外はあるが)、高低差なら00m以上、時間で言うなら登り2時間以上。それが自分にとっての「山岳」基準であり、それ以下は意に沿わなかった。いわゆる「山の深さ」を尺度にあてがっていた。その尺度以下を「山」と称する感覚が自分には「ない」。

福島育ちだからか、学生時代から山はキスリング担いで「飯豊、朝日、吾妻…縦走一本」だった。社会人になってからも南会津の雪山だったし、仙台では「沢登り」ばかりで、里山といえば泉ヶ岳ぐらいだったろう(泉ヶ岳は奥山に分けられるけど)。逆に…僕にとっての里山は「焚き付けを拾う裏山」。その焚き付けでさえ「山止め」を決めて「山のくち」まで入山できなかったもんだが。里山はそもそも歩く対象になかった。他家の裏山でもどこでも歩くといった今の風潮がとても不思議だ(笑)そのうちイノシシの罠に人間がかかるんだろう。

幸か不幸か 体力的に登れるうちは「山岳指向」でいたい。今でもそう誓ってる。飯豊、朝日、南会津…のテント山行が主体、小屋泊まりも多くなる。朝晩の「空気感」を身に着けずに、「公然と山に登ってきた」とは言い難かった。生まれたときから山が深かったので 山での野営は違和感なしむしろ必然だ。逆にそれができなくなった時、「自分の山」という概念を捨て去ろうと思っていた。その頃からでも里山を歩き始めようか?スポーツ登山をして汗をかこうか?と思っている。

しかしそうは云っても いつまでも「自分の山」に未練タラタラ…ってのが一番よくない 一応、わかってはいる(´艸`) 


d0347140_13333692.jpg
晩酌の供 チンピラゴンボw





[PR]
by tabilogue2 | 2018-01-08 20:00 | mount | Trackback | Comments(0)

d0347140_18055446.jpg


「一度登った山は二度と登ることはないかも、、、」って?
 
ええーーーッ それって… 俺の真逆ぅ!? 
凄いことをズバッと宣う人が居るんだね 半世紀ぶりにビックリしたぁwww

全国200名山(深田100名山) 県別100名山(東北100名山) 地区別50名山・・・キリがないね~♪ひょっとすると、、、351座目から二巡目に入るのかい? 451座目かなかな?(´艸`)気の長い話だね「偉業だ」w 「物知り登山家」にでも成ろうというのかい??? ごくろうさま~ それも貴方の人生だ

移動するだけでも「イカほど万円」かかってるんだろう? 健康のためと称して投ずる生涯金額は? 350座を平均4万円で交通費・宿泊込みで登ったとして1400万円? 3万円としても1050万円? 車内泊で節約、夫婦・仲間で分乗し合う人もいるだろうけど それにしても百名山ブームは高コストだ。年間70座登るとして、全国200名山を平均3万円 の節約タイプでと+ ローカル100座を平均1万円で…4年半かかって700万円も?ピークハントするだけに投資するの? 葬式代、墓場、墓石払ってオツリがくるw だけど 没後に金をかけるより生前に投資したほうが現実的だからね。

北海道・東北と中部山岳地域の方は各々30座ほど近場に山が在るので移動費用は安くあがるけど 中国、四国、九州の人たち(8座のみ)は大変だね。そんなわけで朝日連峰は大朝日岳のみピークハントし 夜のうちに飯豊山本峰目指して移動するようになるわけだな… これじゃエモーショナルな登山を指向するなんて叶わないわけだ 100名山ピークハントは「100%完遂しないと無意味」だから。

他に土産品、飲食、道具代、宿泊、山岳ガイドつき 深田100名山だけで1000万円かける人も中にはいるんだろうね。深田百名山は1座あたり10万円也w 山を金で買うとこんな計算が成り立つ。金で買う名山歩きを「業界」が狙撃するw この金額に、50代 60代 70代の中高年の登山者人口の掛率が乗算される「マスな金額」がマーケットなのか? 「名山ブーム」「山ガール」「元気なシニアライフ」「クラブツーリズム」「50からのパートナー選び」って、、、すべて 業界が作った「市場戦略」のイメージなんですよ。それにまんまと乗っかって 100,200,300って…業界の手駒になって全国を闊歩するわけだ。アンタが大将、ご主人様だ…ってw ピークハンターって狙われてますね。現実 今年もこんな登山状況だ。みなさん富士山や北アルプスに遠征した経費は トータルお幾ら万円でしたか?

僕も北アルプスの未踏の地味なコースを あと3つ!歩いてみたい・・・
テント泊だけどね(笑)夜汽車、バスに乗って朝には大糸線沿線の豊科、大町、白馬、上高地、平湯に立てる。テン泊出費はかなり抑えられる。①栂海新道を親不知まで ②島々から徳本峠経由で霞沢・蝶ヶ岳 ③いちど高天原とスゴ乗越を繋いでみたいけど この未踏のコースも30代から温めていた。派手さのない「シニア好み」の渋いコース、、、今年も懐にあるままだが。


さて・・・

山から何かを教わる 受けとる 感ずる そんな登山者は少なくなった。

その理由を上に述べてきた。逆に克服の対象に山を据える単独行が増えたことになるのか? いちいち振り返っていられない なんせ350座だからね。山に何を求め、山の何処を眺め、額に汗しつ登って、「非日常」を得ようというのだろうか? 前夜移動、朝方に車中仮眠、睡眠不足の体に栄養ドリンク3本一気注入 ヘッデン灯し熊に怯えつ寝起きに歩く・・・血圧を一気に昇らせる 身体に悪いことだらけだが それさえもスポーツの対象にしてしまう 百名山ブームが起こした登山界の「軽薄短小」文化? 山の愛しかたが「日本だけの特異現象」、フィジカルな方向に偏向し過ぎだ! 百名山ブームはけして情緒的じゃないね。

山への探究心や 知的遊び心や 山を情念の対象とする、、、そのことが旧いのではないと思う。「エモーショナルなものを求める心」が今にそぐわないのではなく、「表面的に愉しもうとする安直さ」が「エモーショナルなものを求める心」を過去の遺物のように追いやっているだけなんだと思う。それに気づいたら、山懐で静かな夜を 「ソロ」で迎えてみてはどうだろうか。 ”超”地味な提案だが いかが? 沢で焚火して、天場で星を眺めて、、、日帰り山行ではけっして掴めない「山の奥深さ」を知るにつけ きっと 今日まで足りなかったものが見えてくるはずだ。。。

情念の無い山なんて・・・、殺伐とした荒野みたいなもの

何百の”日帰り”山行よりも、一遍の書物に心を揺らすような「心を満たす一夜」に浸ろう いつの日か、その「エモーショナルな正体」が分かるようになると・・・フィジカル偏向登山の愚かさに 数mgの知恵が付こうというもの。


 



[PR]
by tabilogue2 | 2017-12-18 18:06 | mount | Trackback | Comments(0)

硬派な想い

d0347140_20592278.jpg
GUIDA Dolomite LAVAREDO 
35年前、郡山で購入したドロミテの皮革登山靴  重い! 現役です


村杉半島の西にはかつて藪に敗退した未丈-毛猛のルートがあり、さらにその左に岩魚を釣り上げ遡った池ノ岳、平ヶ岳がある。そのまた左奥は尾瀬ヶ原の北端だ。会津駒ヶ岳の右手、東に目を転じると、我が思いの詰まった「三ッ岩」があり、坪入からさらに北へと目で追えば丸山岳と会津朝日岳とがあり、山座同定もままならぬほどの遠景に、小さき冒険心を養ってくれた前ヶ岳南壁のスラブ群や山伏・水晶・つばくろ尾根の岩稜が立つ霊峰 御神楽岳がある。

道なき深山幽谷。この奥深い会津と新潟、奥利根の山域で山名を戴く山は如何ほどあろうか? おそらく一割にも満たないだろう。その一割にも満たない山名を一座一座、順に並べ同定・指呼する所作は此の広大な 山深い地においてはまったく意味がないし そういう所作は会津の山には似合わない。いかにも できた一人称ができなかった三人称を前に誇示し偉ぶる?あまり快いものではない。それは己が心に秘匿すべきかと。

それより この流域の谷や尾根を繋いで遊び、残りほとんどの無名無冠の山々を肌で実感する方がもっと大事だと思う。一座一座を登っては限りがないが かといって 一座で全てを語るのはこれまたオコガマシイからでもある。「謙虚であるべき」「我が身の程を知るべき」、会津の山を語るというのは恐らくそういうことなのだと思う。ヘラヘラと語ってしまえば翌春の雪稜にて山神にしっぺ返しを食らいそうだ(笑)

見立ては綺麗な紅葉の山だが、冬には十数メートルの雪に閉ざされ人様の暮らしも絶たれ、春にはゼンマイ採りとマタギで暮らす者にしか踏み込めぬ鉈目の道が輝きを増し、夏には湿った谷地に山ヒルがゆらゆらと踊り立ち、秋の乾いた草地には赤マムシがカラカラと威嚇音を立て鎌首をもたげる、、、この普通に自然な山深い流域は奥利根水源まで続いている。

そう思える世界がジワリ観えてくると、ほんの数座の有名山の山座同定に一人ほくそ笑むなどは正に奥会津にあっては「チャライ」のである。知れば知るほど敷居の高さが嵩み、軽々しく山名を口にするのも憚られる。じつに背筋が凍るほど、胆を冷やすほど会越の山谷は深いのだ。山をいと惜しむなどと軽く言えども、「山の奥深さ」を感じとるほど通わなければ それは真に語りはしえない。有名山の尾根をどれだけ歩いたとしても解り得ぬほど谷底の厳しさや人工を排斥する厳粛な森のあり様など…かつても、今も、これからも、想像の域を出ることはけしてないのだ。まさにそういう畏怖の念をもって尾根に立たないと会越の山は語れないのである。

この山懐に立ち周囲を眺めれば必ずその想いに至ることだろう 奥深さとはじつに荘厳なことと同義なのである。この会津駒ケ岳から北東&北西へ左右45度方面、この山域の無名峰たちに我が想いはギュギュッと込められている。 (2014.10記)






[PR]
by tabilogue2 | 2017-12-06 21:14 | 会津・越後 | Trackback | Comments(0)

名山指向なるカルマ

d0347140_00260479.jpg


それにしても「今の」平ヶ岳、日帰りハイカーが多いのには驚いた

土曜の朝、下山時に出会った50人ほどの内、8割がソロのチューコーネン、
その半分が おじいちゃんたち定年組 (´艸`)オレモダッタ
早朝3時、4時から 往復22キロの山旅をスタートしている
 
深田久弥が かつて 二岐沢から2日がかりで登山していた時代
アプローチにさえ 小出の町から2泊していた時代
それに比べれば 単純に便利にはなった 


d0347140_19483314.jpg



だが、その便利さの反面 
山から何かを教わる 受けとる 授かる そんな登山者は少なくなった
逆に 克服の対象に山を据える そんな人が増えた・・・そう感ずる

日帰りじゃあ、勿体ない山だよ、ココって・・・
頭で分かっちゃいるのだが
山の何処を眺め、額に汗しつ、登って、日常にないものを得ていこうというのだろう?

 朝方に移動し 車中仮眠し 睡眠時間を5時間以上摂らず 栄養ドリンク3本一気飲み 
ほの暗い3時から 熊に怯えつつヘッデン灯し 
寝起きに歩く・・・血圧を一気に昇らせる

身体に悪いことだらけだが それさえもスポーツの対象にしてしまう 
百名山ブームが起こした「軽薄短小」文化? 
山の愛しかたが「日本だけの特異現象」、フィジカルな方向に偏向し過ぎ! 
登山ブームは けして情緒的じゃない
d0347140_09271199.jpg



池ノ岳の野営地で 蛙の大合唱を聴きながら 山への想いを深める・・・
なんてことは もう時間の無駄、彼らの辞書には「ない」・・・旧態な行為なのだろう


深田久弥の功罪を 名山ブームの渦中で語るとすれば・・・ 
「山の賛歌・物語」を捨て、フィジカルな踏破行為で
「100山登る チェックリスト」と化してしまっていることに尽きる 


d0347140_19534379.jpg


そうさせたのが・・・

物販オンリーの登山産業界や 公共交通網などによるツアー需要喚起、
雑誌「山渓」によるファッション性を取り入れた「山ガールスタイル」の定着化
克服・攻略を対象としたハウツー本による「消費型登山」「圏別50名山」への誘い、
ヤマレコ信奉者の再生産など 消費型登山の「底辺構造の仕組み」強化

これら「百名山をかたる商法」にこそ ほとんどの功罪があるのでは? 
単に僕らはそれらあざとい戦略の環に「消費」という行為で填め込まれているだけ

「山を消費するだけ」の登山に未来はない 食い散らかすだけ・・・かも? 
つまり百名山を語っているのは 山を商売の道具に貶めた業界である

気づかず ただそれに乗っかっただけの登山など 所詮 長続きするものではない 
・・・ということが 既に 僕には透かし見えている


こんなこと 今だからこそ 言えることなんだろうけど、、、ね
でも、気づいちゃったんだから しょうがない ( `ー´)ノ モウ ダマサレナイノダ

どこまでも あざとい 人間たちの「業」カルマに 
私らは どこまで奴隷になっていれば気が済むのか?
その業によって現れ出る「因果」は 自然界に蘇らぬ生類を吐き出すこと になる



d0347140_20310467.jpg

[PR]
by tabilogue2 | 2016-06-13 20:52 | 会津・越後 | Trackback | Comments(0)

d0347140_07473756.jpg





「てっぺん駈けた記」著者:深野稔生(白山書房)・・・
直近の10年、山岳会会長を辞した後の著者「山行記」。「臥月眠雲」ga getu min un(つきにふし くもにねむる)仙人のごとく昼夜を継いで歩き、深山を一日で駆け抜ける修行僧ならぬ単独行やスキーによる山岳滑降の記録のような本だと彼は言っている。こういう自由なスタイルの山行が、高齢となるにつれ、深野さんはしたかったのだろう、、、と本音のようなものを探ってみた。会長という職責に普段は縛られていたんだろうなぁ、と普通人は慮るだろうが じつはそれは、まだ彼の「表向きの顔」のテリトリー内だ。本の内容はマチコミ誌「りらく」に寄稿していたものがほとんどで軽いタッチでまとめられていた。この本のために新たに書き下ろした記事は特にはなかったように思う。強いて付記されたのは 最初に付け足されている七峰の項。彼の生い立ち、、、不遇な親子関係が垣間見れる。それが彼の自己愛に通ずる人生の基盤となったものか、独り善がりな人間性に翳を落とす因子にもなっているようだ。それと 第6章の 今後の山との関わり方 ぐらいだろうか? 他は 深野稔生「自慢話」である。 井の中の蛙で、旧い文体で書かれても 面白いと触手を動かす御仁は滅多にいないだろう。

YMCA山岳会在籍だったころ・・・
「山スキーに有効なジャンプターンを教えてくれ!」と彼にせがまれたことがあった。「ヒネリのタメを作らなきゃジャンプターンは早々にできませんよ」とだけ伝えたが、どだい一、二度教えたとして 内倒する癖は直らんだろうし、逆に山スキーではそれを是とする場合(フレンチメソッド)もあって 欠点として矯正すべきものでもないだろうし。ただ、内倒をカバーするために「内足がシュテムする」悪癖が直らないことには けっして外足に乗り込むことができないだろうし、つまりは「タメ」ができない。そればかりか私が教える総てが意味をなさない。最近滑りを見ていないが、おそらく今でも彼にはその癖が遺っているんじゃなかろうか。我流スキーヤーが数十年やり通してきた形を他者である私が手を加えたとして 即席じゃどうしょうもない。ただ、「諦めてください」と無下には言えなかっただけだ(笑)

在籍中、彼が若かりし頃に何故山岳会に入会したのか?という動機を知らずにいた。それと今の今、何故に一人単独で山と対峙するようになったのか?という最近の単独登山の動機が新たに記されていたので興味を惹いた。読後、前者は淡い郷愁とともに一風殺伐とした家族関係を匂わせたし、後者は内容的に「そんなの!」が動機なのか?利己主義の典型みたいな事由ではあった。まあ、早暁に山野を単独跋渉するなどは常人に真似のできる山行内容ではないので特に惹かれるものではない。・・・と、こういってしまえば新刊に託した彼の美意識は身も蓋もないか(笑)一言でいえば、深野稔生であるならば「さもありなん」というところであろうか。いやいや?、エゴイスト中高年ら未組織登山者たちのヒーローにでもなるおつもりか? ( `ー´)ノ とでもしておこう・・・。

この本を評して・・・
”「利己主義」の深野さんが書いた「自己愛の塊」のような山行記である” と評すれば、それは言い過ぎだろうか? いや、外れてもいないだろうよ( ´艸`) そしてそれこそが彼の裏の顔であり、真の姿なのである。



気になったのは・・・山岳会員の船形・花染山での遭難死の件がほんのチョット記されたこと。それへの少しばかりの事実が無感情で書かれていた。じつは・・・山岳会として存立にかかわる重要な問題を含んでおり、こともなげに既成事実化されても困るし、「事件の風化」をさせないためにもそして除名処分された元運営委員長の名誉を守るためにも少し自分なりに記しておきたい。

事件の内容について述べれば・・・
当時、会は冬合宿中で本体は八幡平だった。ところが秋に入会したての新入会員、教職のAが計画書のない無届登山をし、遭難死してしまった。これがこの後に記すドロドロ事件の発端だった。これに対し、こともあろうに会長たるものがブレーキ役を果たさず、一部会員と一緒になって事実を曲げ、遭難保険申請を決済させてしまったという重要な過失を含んだのである。

それまで会活動の一切をしてこなかった損害保険屋の丸◯某が「便宜」を図り、YMCA山岳会創立以来半世紀という歴史、栄えある名誉をおとしめる大破廉恥=「保険金詐取・背任事件」を起こしてしまったのである。30年近く当会に貢献した運営委員長のたった一人の「反対」があり、上手くやろうとした会長一派との間に軋轢が起きた。結果として①「事実」を押しやって、②一人反対した運営委員長をクビにして、③遭難保険金を詐取し遺族に不正な保険金を渡してしまった。会においては無届山行はずうっと禁止されており、特に会山行時の個人山行は許可無しではできない。それは保険の制約条件にもなっている。

その後、「この間の事実を述べる義務あり!」と運営委員長が日本山岳協会共済会に不正を直訴したのだから、さあ大変! 火消しに躍起となりさらに嘘を嘘で塗り固める。④彼らは事前に謀議し、総会にて引◯某による動議発議を行い、⑤強権的に運営委員長を「会の名誉を傷つけ会を貶めた」と作為的な事由で処分してしまった。まるでファッショではないか?⑥さらに運営委員長の為した会活動30年の在籍歴をないがしろにする除名処分で葬り去った。こんなことが有っていいのか! 

なにが臥月眠雲なのだろう?誰が仙人だというのだろうか?何をもって道元禅僧の引用を為したのか?俗界を離れた 神仙の境地・・・だと? ヘソで茶が沸くとはこのこと、深野稔生氏にとっての知性とは嘘の上に成り立つ「悪知恵」のことらしい。

あれほど山に対して真摯に向かっていた運営委員長は山から遠ざかり、今は自ら忘れ去ろうと音楽活動に挑戦しているが、、、当の御大は知的生産物の発刊と名誉づくりにぬくぬくと勤しんでいる。片や山岳会員としての名誉を奪われ山さえ忘れようと苦しんでいる男がいるにもかかわらず、此方は臥月眠雲の仙人気どり・・・?おかしいではないか? 

真実が公然化しゆくゆく正体が暴かれる日も来るだろう・・・その際には眠雲ではなく、一派ともども社会的に雲散となるかもしれない。 なかなか面白そうじゃないか。 (後半に続く)

あとで知ったことだが… 総会で緊急動議を発した引◯某はYMCA山岳会をさんざんかき回しておきながら 今は某労山山岳会に二股入会して爺さん婆さん会員を連れ歩いているそうだ。 運営委員長が除名になったという当会始まって以来の大混乱を画策しておきながら、一転、他会に入会し、新境地で「大活躍」しているというではないか?破廉恥そのもの・・・どういう了見か? 根幹から「会」を愛せもせずに…何をか言わんやである。冷静に物事の道理を見極めれば「無届け山行を禁じ 組織集中を案じてきた運営委員会の任務」とは一体何だったのだろう。お二人には教えてほしいものだ。



ブレスする彼の表情を見たら・・・深野さんはなんと思うだろうか? 尋ねてみたい。












[PR]
by tabilogue2 | 2016-03-21 18:13 | mount | Comments(2)

d0347140_15520041.jpg



いつもの「ゆうゆう館」で ヘルメットを購入してきた。。。

-----------------------------------

「どうしたんですか? ヘルメットなんて 突然???」 
続けて店主・・・「深野さんも本を出したし・・・、何かYMCA山岳会には有終の美を飾るに 
なにか過激なことでも流行ってるんですかね?異変?」ともいわれて、、、
あ~また彼、出版したのか・・・と知った。 

お彼岸に山に登るような男じゃない と店主は観ているのか・・・、
「お暇でしょうから・・・」の一言で、新刊「てっぺん駈けた記」を読んでみることにした。

------------------------------------

話をヘルメットに戻そう、、、

長年愛用のGalibier製も手元にあるが 「黄ばんだガリヘル」じゃ、向かう山に申しわけない。
それに新調したのには ちょいとした目的と確固とした意志があって・・・
「今夏は沢を遡って遊ぼう」という魂胆だ。
出羽丘陵:弁慶山地を沢から訪ねようと、かつての仲間に声がけしていたものだが 
いよいよ今年、現実味を帯びてきた。片眼を失い、昔日のように登れるのか?ちょいと不安だが・・・。

というわけで 大袈裟だが「出羽丘陵3ケタ遡行同人」(仮)を結社した( ´艸`) 
たかだか標高3桁の山だが、弁慶山地の標高200m~400mあたりの沢がじつに面白いのだ。
沢の詰めは滝だらけで稜線に抜けだせないかもしれないけれど、それはそれでまた面白い。
 
先日、大阪からMが来仙したので さっそくイロハ横丁に集まって計画をネタに一献やった。
YとMと俺とでのスタートだが徐々に昔の仲間が集まるだろうと予想するのは容易だった。
「このメンバーなら心底楽しい」とかつてのメンバーらの濃厚な記憶として残っているからだ。

弁慶をどの辺りから入渓し、どの辺りで幕を張るかも決めた。さしあたっては中野俣峡谷。
オシメ沢、白糸滝がかかる小滝沢は登っているので 次の矢櫃沢、四熊沢あたりになろうか。
沢の名称にも四足動物の名が出てくるほど出羽丘陵は自然の色濃いところだ。
北には鳥海富士があるが、その気高き標高のもつ呪縛には全く捕らわれぬ山域で
沢遊びに興じることを誇りとしたい。

「技術」と「遊び心」が備わらないと、この地の沢登りは愉しめないし面白くもないだろう。
自己愛に耽るなら自身を美化できる標高もなければ、登山体系を揺るがすようなネームバリューもない。
 
どんな小さい沢でも僕らは登る時、遊ぶ時には大真面目だった( ´艸`) 
かつてのように入山する際には虚栄心を捨て、得意の技を持ち寄り、ゾロアスターの如く焚火を楽しみ、
数日を遊び尽くすことに「遡行同人」の楽しみ方がある。

だから・・・、価値観や気心がピッタシ合うヤツでないと?遡行同人は無理なのである。
お酒は庄内の酒と決め、日本海の酒肴があれば焚火の他は要らない。
今年の夏、15年ぶりの弁慶山地。やり残した沢登りを完結できそう。今からワクワクしている( `ー´)ノ

-------------------------------------

おじいちゃん ことし いくちゅ~ぅ? ・・・って
声も聞こえてきそうだが 仲間がいれば 実に怖くはないのだ。




d0347140_20114471.jpg

d0347140_21062556.jpg











[PR]
by tabilogue2 | 2016-03-20 16:37 | 弁慶山地 | Trackback | Comments(0)

HCCSからのメッセージ

f0081398_2152226.jpg


僕らは・・・「車は文化だ」と捉えており、その文明の利器を「時代の通過者」である僕らが独り占めするなんて、とてもできないものと思っています。

文化的遺産という言葉が全てに合うかどうかはわかりませんが そんな車を個人の利益・資産価値として 押し込めた風に捉えるのは勿体無い とも思うのです。そんな風に考える仲間がたくさん出てくれば・・・車は「より社会的に存在する」ようになってきますから 長い目で見れば 市民交流イベントに参加するオーナーが年々増え、逆にストイックさに引き籠もる傾向は少なくなるだろう と思ってもいます。

しかし そもそも車趣味って・・・、「趣味の蛸壷」と称されるほど(?)没個的な一趣向として成立するものですから、時々それが顔を出したりして世間との隔絶感を生んじゃう、そのエゴ感もまた否定できない事実なんですね。つまり 弄るのも運転するのも楽しいのは自分だけ。それを一種のメランコリーと喩えて済ませる内はいいのですが、その「憂鬱」つまり「エゴ」が台頭しはじめると、没個的に改造や爆音やドレスアップに勤しみ更ける人たちや ストイックにコーナーを攻め満足を得ようとする人たちが増えるようにもなるわけです。

いわゆる 弄り倒しっ!、まあそれも「趣味の一つ」ですが、HCCSの考え方と対立するメランコリーでもあります。「個」の対極にある「市民」や「家族」「世間」「社会交流」には その没個的な憂鬱に抗う薬効があると僕らは思っています。だからこそ HCCSの存在意義があるのだし イベントの実行や発展や継続がその意義を深耕してくれるとも思えるわけです。

若者のクルマ離れやファミリーのハイブリッドカー礼賛が続く中、半世紀以上経過した車を眺め、そもそもの原点「車は文化だ」を捉えなおしてもらおうと広範な実行委員会形式により楽しい2日間を演出したいと思っております。

4月9日、10日の2日間 10時から16時まで催されます
仙台市役所前広場 入場無料 撮影自由
*馬車のような旧いロールスロイスに先着で試乗できます

是非 遊びに来てください。 半世紀前に生産された小さなFIATも僕と一緒に参加します。


f0081398_21593514.jpg



f0081398_21532813.jpg



f0081398_2156231.jpg




d0347140_10505898.jpg

[PR]
by tabilogue2 | 2016-03-18 10:35 | Car | Trackback | Comments(0)

助詞で山語り

d0347140_16100745.jpg
白髪というか銀髪というか? リーダーのT (撮影者 KSさん)





山を登る 山に登る ・・・ これらは同じか?

伝統芸に生きる という感じで 山に生きる とすれば、山を生活の舞台にして何十年も
生きてきた人生観が醸し出される。たぶんこちらの助詞の使い方に関連するのだろうけど
山を登る といえば具体的に「その山」を指すのだろうし、山に登る となれば概括的な
山を意味し、「山に生きる」的な使い方になるのだろう、、、

いづれ、終助詞で使えば・・・ 山に生きた となる。

あと数年で体力が落ち 病気にもかかり易くなるだろうし なにぶん「意欲」という面で
相当の後退を意識せざるを得ないだろう。そうなった時 山に生きた という終助詞が使
える人は おそらく日本山岳会の重鎮たちの面々が占めることになるのかな?( ´艸`) 
自分程度じゃ せいぜい「多趣味な男」と括られて終わる?w 願わくはそうありたいが。

さて そろそろ今年の雪山は終わりどころ、先が見えてきたように思える。エルニーニョ
のもたらす暖冬もこの辺りで逓減期に入ったようなので 来季の冬は期待できそうだが? 
今期の冬は先が見えてきた感がある。毎年毎冬スキーに命を燃やす御仁にしてみれば悲嘆
の連日でもあろうか。昔も、今も 少雪の年は同じ思いに駆られるものだ。

春山に登る、この季節が早まる。時の流れに速度計をつけるとすれば・・・春は例年より 
1/12年月だけ速度をあげて来るのだろう。春に登る山々を頭に想い描いておかないと、、、
ソロソロ行くか! と思った時には 皐月の夏がやってきちゃうぞw
マンサクが咲き イワウチワが咲き フキノトウが出るころ どの山に登ろうか?

老いの速度を落としめる方法は 知っている。
儚いながらも それは 「夢」を現実の白地図にドロウすること・・・ 

そして それは   
南会津の黒木の森と 新芽の淡い色を被ったブナの森への 連綿たる想いか・・・。




d0347140_12012420.jpg
イワウチワ







[PR]
by tabilogue2 | 2016-02-16 11:14 | mount | Trackback | Comments(2)